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「分割自我復元」
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★分割自我復元★その124 ●私が見てきた精神世界●
by:
鈴木崩残
2012/10/06(Sat)11:56:15
結局どうだったのか? あなたの人生?
●タイトルは大げさですが、今回は、ただの雑談です。
ここのところ、自分自身の(地球外生活も含めた)長い歴史を、
つらつらと草稿に書き込んでいるせいで、
「今回の生」の中でも印象的だった情景を、ふと思い出すことがあります。
●たとえば、私が高校生の時だったか、あるグループにこういう悩みの人がいました。
「勃起がコントロールできなくて、悩んでいます」
つまりは、女性を見ると、すぐにペニスが勃起することが、
半端でない頻度で起きるので、生活に支障をきたしていると。
今思えば、その彼の自己申告の症状が、どこまで本当かは分かりません。
今の私であれば、どういうケースでその症状が頻発し、
どういう場合には、起きないか、
妄想だけでもスイッチが入るのか、それとも実際に女性を見た場合か。
またその女性も、おおよそ自分の好みとかけ離れていても勃起してしまうのか、
それともそこには、一定の制限があるのか、
などなど、それこそ、そのあとで、幼少期のトラウマが怪しいと見て、
本人に思い出させると思います。
●しかし当時は私が別に相談を受けたわけでもないので、
そこのグループのリーダー的な存在の人が、いわゆる解決につながる
と称するリーディングをしていたのですが、
その彼への答えが、聞いて呆れた。
「前世で、君は、娼婦をしていたから、その時の記憶で・・・云々」
おいおい、それ違うだろ?と、当時高校生の私ですら思いましたよ。
娼婦は何もセックスが好きでやっているわけゃない。
ほとんどのケースでは生活のためである。
仮に高級娼婦だったとしてもである。
●しかし、どうして、簡単に、そんな前世話を持ち出して、
その彼の「勃起障害」の原因と断定して語ってしまうのか、
今にして思えば、そういう面では、本当に、いいかげんなリーダーであった。
しかも、その「前世話」を彼に指摘したからといって、
彼がそれで治ったわけでもない。
●単に、勃起が収まらないという症状であれば、それは性医学的に定義される症状はある。
私も二度だけ経験があるが、それは一種の神経信号のエラーである。
射精を終えているにも関わらず、4時間以上も、完全勃起が収まらない。
そういうのは、あきらかに身体的な原因の症状の一時的なエラーです。
●しかしその彼の場合には、毎日、四六時中、電車の中でもどこでも、
女性を見ては勃起してしまう(よって、ズボンの前が年中モッコリ状態)
となれば、原因は、まずは、前世などよりも、
彼の幼少期のトラウマと見たほうが良かったのである。
●そのほかにも、なんでもかんでも、トラブルの原因を「肉食」のせいにする、
どう見てもアホっぽい、瞑想フリークの指導者だのもいた。
この手のカルトには「正食カルト」もあって、
オーサワジャパンとかに精を出している連中に多かった。
●また、それとは別ですが、
言いたくはないですが、大なり小なりOSHOのコミューンに
関わった人たちは、ほぼ全滅で、全く何の才能も発揮していない。
その後に、自分の瞑想教室を開いたり、スピ系の自営業やってる全員が、
ほぼ、どうしようもないほど、無能かつ無知です。
どうも、あそこに関わる人種には、
「共通の病理」でもあるのかもしれないと、私は疑わざるを得ない。
●ただし、この共通の病理は、
「クリシュナムルティー」「ラマナマハリシ」「禅」などに
傾倒しやすい人種にも共通しているために、
ぶっちゃけ言えば「悟り系」の問題に、関心を持ってしまう人の
ほとんどが、一種の、「怠惰病」だと断定してもいいです。
また、自我の希釈率が、ひどいほどに、
その手の分野には、首を突っ込みやすいのである。
●おそらくは、私が常々言うように、その人たちは、
いわゆる形而上学的な問題に対して、ひとつずつ、実力や経験を
積み重ねてゆくという、コツコツとやる道を拒否したがる、怠け者で、
一発逆転的な変化を、妄想して、夢見てしまった、
「無知な人達」なのだと結論せざるを得ない。
だから、私は、読者の人が、アンケートの回答で、
OSHOやクリシュナムルティーの愛読者だったと聞くと、
今でも少し「引き」ます。
●それに類するほとんどの人達は、いいかげんで、軟弱で、何事にも軽はずみで、
自分自身の問題に、真剣には取り組んでこなかった人が、
統計的に、あまりにも多すぎたからです。
●逆に、自我率の高い人は、着実に、経験主義になり、
安易に、ああした、聴衆や読者を「甘やかすような文言」には、
決して飛びつかないからです。
そのことは「宗教に汚染された地球人」の「悟りに関するメモ」の中で、
散々に書きましたので、ここではやめておきますが。
●そういう意味では、残念ながら、まことに、遺憾ながら、不服ながら、
無明庵も、初期のホームページの性質を原因として、
多くのそういう「駄目人間」を引き寄せてしまったという事実は否めません。
だからこそ、現在、「自我復元」という方法で、
その、お詫びと、落とし前をつけていっているわけです。
当サイトの、ホームページを開始するよりも前に、
自我復元が、1990年代に、先に、発見・開発されなかったことは、
本当に悔やまれますが、
これは、私の責任ではないので、もうどうしようもないです。
もしも1990年代に、自我復元が出来ていたら、
今頃は、読者のうちの、何百人の人達が、修理を終えた自我で、
生活を楽しんでいたか、わかりません。
_______________________________________________________
●さて私の、精神世界の見聞録の続きですが、
あとは、西洋医学に見放された人の治療行為と称するものをする人達。
これは、一概にその全部を、イカサマという事は困難です。
その能力の高低はあるが、私が見た中で、
ほぼ8割の患者に対して能力があると思えたのは、たったの一人だけ。
しかし、その一人の治療師も、結局のところ、
一回の治療では治すことの出来ない重篤な患者も抱えており、
言うまでもなく、その人達の治療費は多額になってゆく。
いわゆる、気だのマッサージだのと称する行為を、治療とすると、
医師法違反なので、その人達は治療補助という名目での「お礼」として
金銭を受け取るケースが多い。
●しかし見ていると、結局のところは、患者たちは自分の治癒力を
高めることもせずに、何か問題が起きれば、歯科医にでも通うように、
気軽に、そういう治療師に頼りつづけている。
●一方で、占いの世界となると、これまた、
「おいおい、そんなアドバイスでいいのかよ?(それで3000円とか5000円も
取るの??)」
と、呆れ果てるような占い師も多かった。
ただ、私自身が、20代のころに、タロットを得意としていた時に感じたのは、
問題の多くは、リーディングの結果や助言に対して、
それを実行できない「相談者の側にかなりある」とも結論した。
むろん、占術師による「リーディングミス」が、致命的な原因ということもあるが、
そうでない場合には、助言を生かせない人が多すぎるのを、私は実感してきた。
たとえば、私の忠告や注意に逆らって、私が、やめろと言った人と結婚して、
その後に、地獄を見ている人たち。
まー、それでなくても、結婚は、そもそも地獄を見るものなのだが、
「どういう展開になるから、どこに注意するように」と、
具体的に細かくいったのに、それを守れなかったというケースが多い。
●このことは、以前にも書きましたが、
この世界の何種類かの占術というのは、
占星術にしても、タロットにしても、東洋のものにしても、
そのシステムから出てくる「判断」や「分析」というものは、
そもそも、相手の相談者が、
「全自我」のキャパシティーとポテンシャルを持っているという、
その「前提」で、助言をしているとしか思えないふしがあるのである。
そうであれば、せっかくの大金叩いて占い師に助言を貰っても、
そのほとんどを相談者自身が「無駄にする」ということが頻発しても、
いたしかたあるまい。
しごくマトモな事を、ちゃんと占い師から言われていても、
相談者は、それを実行できないし、
肝心の問題意識も刺激されないのであるから。
●また、ある小グループや、組織や、学習会を結成する場合には、
生徒さん、またはメンバーが、自身の問題を解決して、
「自立的」な人生を生きるための教科がなくてはならないはず。
いつまでも、生徒をビジネスのカモにするのではなくて、
なるべく早く、独り立ちできるようにすることが、本来の学習会の目的のはず。
●ところが、世の中には、くっだらない「瞑想教室」も蔓延していて、
そこは、「自分の問題を解決する為」という目的がおろそかになり、
その結果、ライセンスを得ることがそこでの目的となってしまい、
あげくには、費用の大小は、その団体によってさまざまだが、
要はサイエントロジー的な、ねずみ講のようなシステムによって、
インストラクターが生産される。
その者たちは「自分ひとりの問題すらも解決できていない」のに、
なんと、他人様の人生に口を出す、といった魑魅魍魎と化していっているのである。
残念ながら、無明庵の読者にも、この手の人は、何人かいます。
とうぜん、その人たちは、
自我復元をしていないとか、復元が上手く出来ないとか、
やっても「復元率」の幅が低すぎる人達ばかりです。
●また、別の側面を見ると、
一体誰のための組織や会なのかが、分からないようなものもあった。
会のリーダー的存在の人個人の課題、その個人的な興味や、
地球に、その人自身が生まれた、「個人的なテーマ」の延長線として、
会が出来ている場合もあり、
そうなると、このケースでは、主催者の気まぐれと思いつきで、
どんどんと、違う企画や方針が、次から次へと設定されるが、
生徒らは、とても、それに、ついてゆけるものではなくなってしまう。
次々に、変化する主催者のその方針に、
グループメンバーは、翻弄され続ける結果となる。
何しろ、そこでの目的は、
「主催者本人の、ごく個人的な問題、本人の個人的な関心分野」
が軸になっているのですから、それは当たり前です。
●ただし、以前にも書きましたが、
この現象は、けっこう、「難しい側面」を持っていますので、
効能と弊害の白黒が、はっきりしない点もあり、なんとも言えないです。
(つまり、そういう不安定なスタイルが、いいとも、悪いとも言えない。)
●もしも、決められた自分の課題を、対外的に、他者に正確に伝達する、
ということを、そもそも、生まれる以前の契約時に、明確に確定してきた人の場合には、
人間としてみれば、さほど、面白くはない人になるかもしれないが、
いちおう、その使命は果たすことが出来るようになっています。
彼らはあまり奇抜なことはしないが、
淡々と、特定の手法を伝授し、それを守り続けたりしますので。
●一方で、他人のことじゃなくて、
「自分が地球へ持ってきた、個人的なテーマが、何よりも第一」という人は、
その個性面においては、いろいろと面白い面があるかもしれないが、
一部を除いて、「ほとんどの他者」には、全く役立たないし、
正しく理解もされない、というスタイルを形成しやすい。
●さらには、この「個人的課題」と「対外的課題」を、比較的「フリーな立場」で、
比率を変えて、ある時期は、個人、ある時期は対外的作業と分けて、
上手くバランスを取れる人も「稀」にはいますが、それは、かなり稀で、
普通は、公私混同を、してしまっています。
または、その公私混同そのものを、
「自然なこと」として肯定してしまっているケースもあります。
●また、大半が自分の個人的な課題に関わる生ではあるが、
アルバイト的に、わずか数年だけ、対外的な、
「社会的影響を刺激を作る」という作業に関わるケースもある。
この中には、芸能界で「一発屋」といわれる人や、
芸能生活の寿命の短かったタレントも、含まれる場合があります。
●ちなみに、私の場合には、きっかり30歳までは、
その8割は、自分のことだけしか関心を持たない、
しかし、後半の30年では、
その8割は、他人の問題の解決にしか関心を持たない、
というふうに、生前の契約で決めてきましたので、
現在のこの生活スタイルに至っています。
生活スタイルといっても表面的なそれではなくて、
「関心地図」の配分のようなものが、そうした比率になっているということです。
__________________________________________________________
●さて、いずれにしても、無明庵の読者の人たちも、
いったい、いままでに、幾らのお金を、どういう研究会や団体に対して支払い、
その結果、確実に自分の人生の大きな糧となり、
今も生きているものは、「厳密」には何が残ったのか??
お金だけではなく、そこで費やした「時間」と比べて、
本当に、それは無駄ではなかったのか??を、
自分に厳しく自問して欲しいと思います。
●たとえば、ある研究会に行っていて、今のかみさんと出会ったとか、
今の旦那と出会ったとか、そういうのは価値基準として無しですよ。
だったら、それはただの「お見合い場」として機能しただけですから。
また、特定の宗教団体に入っていたので、
その人脈のおかげで、仕事の注文や、得意先が得られた
なんていう、よくある「下種」なものは、何らの意味も持ちません。
また、ある団体や、研究会や、勉強会を経て、
特に、そこが何かの「ライセンス」を与えている場合には、
その後に、それを元に、精神世界的な「営業」をして、
現在に至っている人もいるかもしれませんが、
それも、「自分にとっての本質的な成果」があったか否かの価値基準としては無効です。
人間は、何も、
お金を稼ぐために精神的な分野に関係を持つのではないからです。
お金がそこに関与したとしても、それは単なる「二次的」なことです。
●そういった非本質的なものを、どけてしまって、
自分の人生の中で、俗に言う、精神世界や宗教や団体につぎ込んだ、
時間とお金と労力を天秤にかけた場合、
本当に、それだけの価値のある、結果を、
皆さんは今、実際に、手にしているのでしょうか??
●むろん、欲目で見て「ああ、それなりに得たものはあったさ」と
言うことの出来る人もいるかもしれませんが、
一人の消費者として、もっと「厳しい目」で見れば、
この地球での、精神世界という業界ビジネスで繰り広げられている
いろいろなものは、顧客にとっては、あとで振り返れば、
気休めにすらなっておらず、
何かの自分の実力を向上させてもおらず、
何よりも、その人が計画してきた事を遂行する助けにもなっておらず、
あるいは、その人が、本当のところは解決しなくてはならないと、
切迫している問題の解決の糸口にすらなっていない。
そんな状況を私はこの約20年間、いろいろな人達の中に見てきました。
●料理教室とか、スポーツクラブとか、カルチャーセンターならば、
それならば、払った額と、努力した分だけ、知識や技術が手に入ります。
「まじめにやれば」の話ですが。
しかし、こと、「形而上的な問題」となると、
「成果」というものは、「何で」計ればいいのでしょうか?
最終的には、それは、自らが望んでいない(と本人が思い込んでいる)トラブルが、
どこまで減少したかで計測されるべきだと、私個人は考えているが、
そうした尺度で、皆さんも自分を振り返ってみてください。
本当に、成果はあったのか???
本当に、充実したものは得られたのか???
本当に、何かの学習はされたのか???
本当に、好奇心を持って、今も、それをやっているのか???
という自問自答をしなければなりません。
___________________________________________________________
●さて、話は変わりますが、
まだ自我復元の最中にいる人も多く、
現時点では、全自我に戻った人は、二人です。
今後、もっと増えてゆくでしょうが、
そうした自我復元者の人の中から、私がお勧めできる人材というのが、
少しずつ見えてきました。
たとえば、私が専門にはしていない、占術や治療その他の技術。
まだまだ今は、勉強中でも、この人達ならば、
将来、私が無明庵の読者の人が困ったときに、薦めることが出来る人、
というのが、ポチポチと見えてきています。
●むろん、まだその時期ではありませんが、
めでたく、原型自我に戻った、そのあとでは、
他人の助けになれる人が、少数ですがいます。
今、確実なのは、まだ、とても若い女性なのですが、北海道に一人だけ、
今後、超一流の、治療師になれる素質の人がいます。
あとは、占術の世界では、この先、その手の情報が欲しい場合には、
頼ってもよかろうと思えるまでに成長しそうな人が、一人。
これも女性です。
あとは、OOBEや夢の扱いならば、インストラクターとして
やっていけるかもしない、というポテンシャルを持つ男性が二名。
●ただし、残念ながら、トラウマを掘るカウンセリングの出来そうな人は、
今のところいません。
仮にプロのカウンセラーを20年やってきた者でさえ、
うちでは、使い物になりません。
それは、経験と知識だけでは、どうにもならない世界だからです。
ある意味で、直感的に「犬のような臭覚」がないと、相談者のトラウマの在り処は、
めどがつけられないからです。
●また、自我率の判定法は、私としても、誰かにこの技術を受け継いで欲しい、
というのが本心なのですが、
あまりにも、技術的に複雑すぎて、難しすぎ、
こればかりは、後継者を育てる事は、絶望的です。
●ただ、皆さんの人生において、間違いなく、ある程度、目に見える、
「評価できる結果」を出せたり、助言できたり、助けになる人が、
これから、自我復元を完了した人の中から、出てくると思います。
ずっと言ってきたことですが、
「全自我ではない人の助け」は、非常に部分的なものに終わったり、
中途半端なものに終わるか、
場合によっては、有害に作用することの方が多いですから。
_______________________________________________________
●ところで、いわゆる精神世界という分野に、
私がつぎ込んだお金は、本当に小額です。
その第一の理由として、必要なものは、ほとんど自作しました。
魔術用の剣は、鋼までは鍛冶仕事はしませんでしたが、柄の木は自作です。
何種類かのペンダント類は、デザインは自分で起こして、
アクセサリーの専門店に外注しました。
いちおうの知識を得るために、必需品として買うものといえば本ですが、
私は厳選するので本の数は非常に少ないです。
治療やリーディングや占いを、他人に頼んだことは、
この半世紀の人生で、せいぜい4回程度。
この一生で、今までに、私は、何に、お金を使ったのかを思い出してみると、
正確ではないですが、たぶん、こうなります。
ただし、CD製作などの一部を除いては、
そのほとんどは、出てゆくだけで、代価の入金はないという、
いわゆる浪費または、趣味に使ったという意味のお金です。
一位・・
女性とのお付き合いでつぎ込んだお金
二位・・
楽器に使ったお金
三位・・
アナログレコードやCDに使ったお金
四位・・
膨大な手裏剣の試作の外注に使ったお金
五位・・
おそらくは、香類です。
中目黒に、昔、ミスティックムーンという店があって、
そこで、魔術用のインセンスやオイルを集めていた時代のあと、
数年後には、日本香にハマってからは、浅草の界隈を歩き回り、
わりと、お金をつぎ込んだ覚えがありますが、
好みの香りが見つかってからは、あまり手を出していません。
私は、自家用車とかは、全くは興味ないですし、
オーディオにも興味がなく、バイクにも興味はなく、
または、お金が、かかる、かからないに関係なく、
いわゆるスポーツにも、興味を持たないですし、
旅行も、特に趣味でもないので、
大きなお金がかかる事は、ほとんどしません。
精神世界というカテゴリーに対して使ったお金は、
成人してから、自分で稼ぐようになってからの約30年の間に、
書籍類を入れても、おそらくは、たったの数十万円です。
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