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★分割自我復元★その128 ●死後のシミュレーション『番外編』}●
by:
鈴木崩残
2012/10/21(Sun)07:02:27
番外編・雑記
●「熊」の死後に、ほんの少しだけ付き合ってみた。
私は、かなり考えさせられた。
詳しいことは、全部、新刊に書くことにした。
新刊の草稿は、まだ60ページしか進んでいない。
●人間以外の生物の死後にかかわってみて、
あらためて、考えさせられた点は、
死後がどうのこうのよりも、「生の価値」である。
たとえば、熊にしても、犬にしても、
まかり間違っても、彼らは、
「やれ、次はプレアデスに行きたい」だの、「琴座がいい」だの、
「次は、くじら座の星がいい」だのとは、言わない。
また「やれ、アストラル界がいいだの、高い霊的次元に行きたい」だの、
そんなことを、彼らは決して言わない。(一部に、言うのがいるが・・・)
●そもそも動物たちが死後に持ち込む世界は、
彼らが日常的に暮らしていた、自然の風景か、
あるいは動物園の中の景色である。
彼らにとっては、日常的に経験している山林の中が、
彼らにとっての「全宇宙」であり「全世界」である。
だから、
熊が森で死んだら、
彼らを迎え入れてくれるのは、
彼らが慣れ親しんだ「森そのもの」なのだろう。
●また、生きている間も、
人間の肉眼で見たもので人間が想像しているのとは、違うものが、
動物には見えていることが多い。
たとえば、昆虫は複眼だからといって、解剖学的な複眼を根拠にしたような、
単純なモザイク状の画像が見えているわけではない。
●ちなみに、猫や昆虫を含む多くの生物たちが、
わりと、普通に標準装備しているのが、熱感センサーである。
よく知られたものには、
ヘビが熱感センサーを鼻のあたりに持っているといわれているが、
私が経験したところと、そこからの推測によれば、
「視覚的に熱源が見える生物」も多い。
ちょっとした「プレデター」機能である。
人間と動物が、最も違うのは、全く想像を絶するほどの、
「音の聴こえ方」の違いです。
たぶん、最初のうちは、あまりにもいろいろな音が聞こえるので感動すらします。
高性能のマイクをつけて音を聞き続けているようなものだから、
しばらくは、それだけで何時間も飽きないかもしれない。
臭覚については、少し難しい点があります。
そもそも、感度のいい臭覚の情報を処理するには、それに適した脳の
機能を犬などは持っています。
しかしそういう機能用にカスタマイズされた脳を使った臭覚の経験は、
人間にはないので、あくまでも多少、「人間脳の経験」に、
捻じ曲げられた形で、動物の臭覚を経験することになります。
視覚と聴覚は、まー、人間でも共感できるのですが、
「臭覚」と「触感」になると、
直接には人間の感覚に変換できないものが出てきます。
また「運動感覚」や、「体内や、内臓に感じる感覚」も、
かならずしも人間が、
その生物が感じているのに近い感覚で感じ取れるかは疑問である。
味覚については、他の生物は人間よりも識別範囲が鈍感なことが多い。
●ただし、彼らは空を見上げてそこにある星に想いを巡らすこともなく、
生に絶望したり、現実逃避することもない。
神は自分を見捨てたのか?
などと、のうたりんな事など決して言わない。
それに比べて、人間が脳裏に描く妄想といったら、
やれ、社会と自分の関係だの、
やれ、家族と自分の関係だの、
やれ、世界や宇宙がどうのこうのだの、
やれ、霊的学習や経験がどうのこうのだの、
やれ、生きてゆくのが面倒だ、
やれ、何かのきっかけで、早く死ねないか、などと、
毎日毎日、こんな気苦労ばかりで、その気苦労への不満から、
宗教やら精神世界に、期待をしたり、依存するようになった。
●しかし、それが、どれだけの幸せや、そこまでいかなくとも、
苦痛の軽減や、さらには「快」を人間にもたらしたのだろうか。
こんな、毎日のように、不満をかかえ、
頭の中には、ごちゃごちゃと、どうでもいいような事が沸いてきて、
それに四六時中振り回されている「人間様」の人生と、
それにくらべて、やれ宇宙やら、やれ霊的身体がどうのこうのなど眼中になく、
人間よりも、シンプルだが充実した濃密な日々を、生としてすごし、
死んだあとも、無謀な「誇大妄想」を描くこともなく、
自然に帰ってゆく動物たち。
●動物の死後は、シンプルだった。
人間のそれと似て、安堵感の発生や、あるいは空腹感の緩和といった、
「本能に訴えかける仕組みは」あるものの、
生きていたときの「世界観」がシンプルなだけに、死後もシンプルだ。
それにくらべて、人間の死後ときたら、
その生の間の経験が、あまりにも馬鹿馬鹿しいことに満ちているので、
死後もまた、おっそろしく、馬鹿馬鹿しいデザインになっていたりする。
ちなみに、人間がその死後に、ほぼ99%ひっかかる、
実に単純なトラップがあるが、これは新刊の中で書くことにした。
とにかく、人間の人生なんて、他の生物に比べて、
そんなに偉いものなのかよ?
なんぼのものだよ??
いくら、文明だの、科学技術を作ったところで、
あるいは、いくら、精神だの、魂の価値だの、
人類は、他の生物よりも、知能があると自慢げに自負したところで、
動物たちよりも、ただ気苦労が何千倍も多いだけではないか。
・・・というごく当たり前の原則を、久々に私は思い出した。
そうは言っても、私も、とりあえずは、職務上の理由があって、
人間をやっていますし、
人間になるまでには、けっこう面倒な手順を踏んでゆき、
人間になる「研修」のプロセスで、かなりの苦労もしたので、
いちおう、今回、ここで死ぬまでは、人間の視点から、話をしますけど。
しかし、生存形態として、どっちがいいかとなると、
私は、人間の形態は好きではない。
かなり嫌いである。
そもそも、手足と頭で、五体である、というのが、私には馴染まない。
●で、死後の話ですが、
たとえば、白人が死んだら、絶対に黒人の精霊なんか、出てきやしない。
それぐらい勝手なものなのである。
ところで、誰が「信念体系」という言葉を、最初に使ったのだろうか?
どうも、そもそもは、社会学とか心理学用語のようにも見える。
信念体系なんていうと、実に主体的であるかのように聞こえ、
構造的に強固なものに聴こえ、
特にその「信念」という言葉が、なんとも、ご立派に聴こえるが、
私には、とてもそんな立派なものには思えないので、
今後は、
>「集団的又は個人的 思考域又は観念枠」
とでも言い換えることにした。
もっとも、そのご立派でないものを、
今回も、存分に使わせて戴くわけであるが。
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