▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[131]
■
★分割自我復元★その130 ●死後の行く先は選択できるのか?●
by:
鈴木崩残
2012/10/24(Wed)06:15:54
そもそも、輪廻はあり得るのか?
●この問題は、何度か掲示板で書いたことがありますが、
もう一度、簡単に疑問点を復習しておきます。
私は現在、地球からの「緊急脱出」ということを、ひとつのテーマにしていますが、
自我復元は、それとは「別に」考えておいてください。
自我復元の方が、皆さんにとって、今はメインであり「最優先課題」です。
分割自我の復元は、不確定なものではなく、確実な効果を出していますので、
信頼のおける「手法」として位置づけていいです。
●それをオカルト的な、「トンデモな話と、怪しすぎる手段」と考えてもいいですし、
自己暗示的な、精神療法として効果をもたらしたのだろう、と考えても、
全然構いません。
どのみち、効果が抜群なのですから、存分に使ってください。
____________________________________________________________
●一方で、死んだ後の問題となる、輪廻とか転生の問題には、
常に「基本的な疑問」が、いくつもあります。
私も、何の前置きもなく、いきなり、転生の話を書くことも多いですが、
きちんと、前置きをするならば、次のような手順を踏むことになります。
たとえば、まず、第一に、
>輪廻が「あると仮定した場合」には、
>我々は、自分が身勝手に望んだような世界に、自由に移行できるのか?
という疑問です。
たとえば、死んだあとに、「完全な主観を見せる機械」の中に、
放り込まれることになったとしても、
とりあえずは、自分の見たい夢の世界だけを選択できるのかどうか?
ということ。
●もしも、これが可能なのであれば、世界中の主な宗教のうち、
やれ「生前の行い」がどうのこうの、天罰がどうのこうの、善悪がどうのこうの、
などということを教義の一部としているものは、すべて崩壊します。
なぜならば、生前に何をしようが、何をやろうが、何を思おうが、
死んだあとは、「自分が望む夢だけ」を見ていられるのですから。
この可能性を私はゼロだとは思いませんし、ないと断定はしません。
つまり、そもそも、誰もあなたを裁いてなどいないし、
誰も、あなたをコントロールもしていないという「考え方」です。
●これに極めて似た「考え方」に、「唯物主義」「唯物論的無神論」があります。
>「人は死んだらおしまいで、次などない。
と「考える」のであれば、この社会や人生の中で、何をしようが、
死後には、誰も「存在すらしていない、あなた」を裁けませんし、
支配も管理も出来ませんので、
やりたい放題やって、無になればいいだけです。
もしも、これが通用するならば、皆さんは、
かなり、気楽に人生を送れるはずです。
●ただし以前にも言いましたが、この考えに陥ると、
自分は無になるから、そのかわりに、生きた証を、
「歴史や子孫の中に形として残す」という、唯物論的な考えに、
かなり執着することになります。
_________________________________________________________
●ただし、「そうは問屋が卸すまい」、
という「考え方」の方が、私にとっては現実的である。
つまり、現実は、
>死んだ後に、無になれるほど甘くもなく、
>死んだ後に、自分の好きな夢だけ見られるほど甘くもない、
という「考え方」です。
これがより現実性を持っている理由は、
そもそも、地球の人類が自由に生きるように作られた形跡が、
ほとんど見当たらないからです。
設計条件を見ると、あまりにも脆弱で、
かつ心身ともに、快楽よりも苦痛経験が多すぎるからです。
自我の希釈という被害ひとつとっても、あきらかにそれは、
人間が責任を取れるような問題ではなく、
私の認識によれば、それは不正分割をした側こそが、
その責任を取るべき「加害者」ですから。
●このように、人間が死後に自分勝手にイメージした世界に移行する、
または、死んだら、責任も評価もなく、そこでおしまい、と考えるよりも、
生前も、死後も、何らかの制限を受け、
特に死後は、ある「共通のシステムの管理下にある」とみなしたほうが、
よさそうである、というのが私の「考え方」です。
この考え方のほうが、私個人の「宇宙観」にとっては、
いろいろな点で「整合性」がありますので、これを採用しています。
●次に、これは以前にも話しましたが、
そもそも、死後について、主観的に我々が描くイメージは、
時代や地域や宗教的イメージ(の教育)によって、かなり違います。
8種類の死後の世界のイメージ
>■1.
西洋的な一神教で、しかも転生も否定しているならば、
死後の移転先は、天国か地獄しかない、
「という思い込み」になります。
>■2.
仮に、西洋的な宗教に、やや神智学的な立場を混ぜたスタンスにすれば、
死後は人間の世界に戻ってくることはないが、
霊的な階層のどこかに移動するのだろう、
「という思い込み」になります。
この神智学的な体系の中には、
古代から連綿と連なる、OOBEの体験談や、瞑想による体験や、
さらには薬物使用による体験内容が、ごちゃ混ぜになっているので、
どうしても、ある一定の共通した「絵柄」があります。
私の目から見ると、それは、相変わらず「古い時代」にあった、
欧米の宗教や、インド思想の作り出した「進化の為の精神の学習」という、
かなり「宗教に汚染された」デザインですが。
>■3.
一方で、宗教的教義とは関係なく、
ごく単純に、輪廻転生を「素朴に肯定するスタンス」を取れば、
ここの「地球の人間に再び生まれる」、
「という思い込み」になります。
この際に、他の動物に生まれることもあるとする派と、
人間は他の生物には生まれないとする考え方があります。
>■4.
また、チベット仏教やその他のローカル色の強い宗教ですと、
死者は、「自分たちの村に」生まれ変わって戻ってくると、
「という思い込み」になります。
たとえば、これは、体系的な宗教が介在せず、
ヤノマミのような原始的な、民間信仰だけがある村でも起き得ることです。
少し前の投稿で、動物の死後の話で書いたことを人間に転用するならば、
その人が日常的に見てきた風景が、その人の全世界であり、
それこそが「臨死体験の幻影の素材」を作るのだしたら、
日本でも、昔、山林にずっと住んでいて、一生そこしか知らずに、
そこで死んだ人は、死んだときに経験する臨死体験には、
山の神様が出てくるだけ、といったものになります。
次に生まれる場所も、その同じ山林のような場所になり得ます。
さらには、そうした原始的な民間信仰さえ知識として持つ前の、
7歳前後の子供が、その山林の村で死んだら、
その子供の経験するであろう臨死体験には、山河の神様すら出てきません。
その場合には、他界した親族だけが臨死体験に出てくるかもしれません。
>■5.
ところが、日本国内に限るならば、
私たちが、中国大陸以外に「外国というものがある」と、
庶民レベルで認識して、単に書物だけではなく、
実際に欧米人を見るようになったのは、黒船の襲来以降です。
(それ以前は、一部の地域でオランダ人などと接していただけ。)
その時代を境にして、江戸の庶民は、
海外にも大陸があり、肌の色の違う異人種の人間がいる、
ということを認識した時点で、
死後に選択する領域は「日本人だけではない対象」にまで拡大します。
つまり「次は欧米人に生まれてみたい」という願望の発生です。
日本人以外の生も選べるらしい、
「という思い込み」の誕生です。
>■6.
これと全く同じことが、「他の惑星に生まれる」というイメージにも該当します。
地球の人達が、地球上での転生だけではなく、他の星に生まれる選択がある、
ということを知って、それをイメージできるようになったのは、
近年では、ジョージ・アダムスキーの影響が最も大きく、
それ以前には、一般的ではありませんでした。
それ以前の時代では、
スウェーデンボルグがこの太陽系の他の惑星の人達の特徴について、
その霊的な性質の「象徴的な印象」を述べたのみです。
ただし、個人レベルでは、そうした外部の情報が一切なくとも、
他の世界の住人と接触した人達も多くおり、
それは、物理的に他の星の者と接触した事だったこともあれば、
体外離脱や、幽霊や幻影を見るような形での、
他の霊的な次元の者との接触だったかもしれません。(妖怪伝説など)
いずれにしても、他の惑星の住人に生まれるのもアリかもしれない、
「という思い込み」が追加された事になります。
>■7.
これ以後は、アダムスキーのいう金星人やら土星人情報とは、いくつかの基本情報が対立する形で、
ビリーマイヤーの情報などが続き、一気にプレアデス星団がメジャーデビューしました。
そしてこの時代に、矢追系のUFO情報がテレビや書籍で多く伝わりはじめ、
やがて、一般庶民も、ハッブル望遠鏡による他の遠くの銀河系を見る機会を得ました。
さらには、有象無象のチャネラーと称する人達の、
かなり信頼性の低い「イタコ情報」が続き、現在へと至ります。
死後は、もしかすると、かなりいろいろと選べる余地があるらしい、
「という思い込み」です。
>■8.
現在では、さらにここに、時間旅行という概念が加わっていますので、
人は、パラレルワールドを世界観の前提とするならば、
異なる未来や過去に転生する、
「という思い込み」も、追加されました。
その上さらに、フィクションの映画や、アニメの影響まで出てきています。
●このようにみれば、皆さんが現在、
死んだあとに、「転生するかもしれない先」として、
「想定」または「期待していたり」、
あるいは、勝手に脳内で「夢想」している行き先というのは、
明らかに、
>その時代に得られた「外部情報」に依存している部分が大きいものです。
もしもあなたが、明治の時代に生まれていたら、
はたして、子供のあなたが「ウルトラの星に行きたい」とか、思ったかどうかを、
考えれば、すぐに分かるはずです。
(ただし、外部情報とは別に、独自に経験した事を根拠とするケースもあります)
●では、これらの、大雑把に部類した「1から8」の項目の「思い込み」のうち、
>あなたは、どれが好みか? という事と、
好んだ世界は、仮にそれが主観だけによって作られていた人工物だとしても、
>観察主体の意識を感じながら、本当に経験できるものとして存在するのか、
>それともすべては、ただの虚構か?
ということが、大きな問題となるわけです。
__________________________________________________
これらの事について、真面目に、自問をしている、
神秘主義者も、オカルティストも、霊能者も、学者も、
私はほとんど見たことがありません。
誰もが、自分が経験したり体験したことを根拠として、
あたかも、それが当たり前であり、誰にとっても真実であるかのように、
あれやこれやと「主張」するのみなのです。
●むろん、分割自我について持論を語ったり、
宇宙での知覚発生と悟りの意識の本質的な「接点」について、
語ってしまったこともある、この私とても決して例外ではありませんが、
それでも、他の人達は、あまりにも、前提を疑うこともなく、
精神の世界やら、「人間がなすべきこと」と称するものを、自問自答もせずに、
自信満々に、真実として、堂々と語り始めるのには、
10代後半の頃から、私には違和感がありました。
ちなみに、悟りというのは、簡単に言ってしまえば、
『見ていない事 を見ている者 を見ているモノ を見ている事を 見ていない・・・』
といった「連鎖構造」のことです。
しかし、そんなことは、
全自我になってから、他の世界に移動してから考えれば、
そこでは一瞬で体験的に理解できます。
何も、ここでの「せっかくの人生」を棒に振るほどの価値のある事ではありませんので、
まずは、別の世界に移動することが先にすべき事です。
_________________________________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(131 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -