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「分割自我復元」
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★分割自我復元★その13★ 宇宙では無神論者が多い
by:
鈴木崩残
2011/04/29(Fri)06:25:25
【宇宙では無神論者が多数派】
●「あなたは何かの宗教を信じていますか?」というこの手の
質問に対しての、私の答えは、微妙に難しい。
それでも、ざっくり言えば、私の回答はこうなる。
何かの意志・または本能・または「衝動」が、
この宇宙を作ったことは間違いない。
ただし、その意志に「知的な性質」があるかどうかは、
はなはだ疑問である。
その前に、まず宇宙というものの定義は、
我々人間が知覚している時空間だけではないので、
複層の宇宙があることがこの論議の前提となる。
次に、仮に我々が観測出来ている範囲の空間的な物質宇宙ですらも、
それをすべて設計またはデザインした何者かは存在しない。
小宇宙、銀河系、太陽系、惑星、そして惑星上の生物、
これらには、個別に分化した、設計者や管理者が存在すると推測される。
従って、一般には最上の次元に位置して、被造物の生死を支配する
権限を持つ者を絶対者、または神仏と地球ではイメージしているが、
私のイメージでは、最高権力は、「知能」を持つ必要はなく、
知能を持っているという「証拠」も何ひとつない。
その最高次元から「分化した意識ないしは知性」が、
現在の宇宙の「各部」を独自の判断で作り上げた可能性が高い。
しかし、それが高尚な意志や愛に満ちているといった
よくありがちな「妄想」は、その根拠を何ひとつも「証明」できた試しがない。
___________________________________________________________
■さて、無明庵サイトを見ている人の中にも、
いまだに、宗教を信じていたり、あるいは、宇宙意識のようなものが
あって、それが宇宙に何かの進化や、目的を与え、
我々人間にも、何かの課題を与えているのだと、
何の証拠もなく、全く曖昧に、「漠然と信じている人」がいるだろう。
■たとえば、自分は地球という星の、文化的で、限定された宗教ではなく、
宇宙の創造者「のようなもの」をイメージしているという人たちでさえも、
蓋をあけると、ほとんど地球のカルト宗教と大差ない。
■しかし、皆さんの認識が、そうなってしまった根本原因は、言うまでもなく、
他人から聞いたり読んだりして、
チャネリングや、宇宙人とのコンタクトストーリーを疑うこともなく、
ファンタジーの一つとして、「既存する宗教の代用品」として
認めてしまったということが原因である。
ざっくり言えば、精神世界の中で、今日のような劣悪な知性の劣化を生み出した、
その多くの原因は、「皆さんの側」にある。
■つまり、皆さんは、マイヤーやアダムスキーのようなコンタクティーをはじめ、
その他のイタコ・チャネラーらが、口をそろえて、
まるで、この宇宙には、何かの神のようなものがその中心にいる、
と思い込まされています。
たまたま、異星人のようなものが言う、創造主の概念が、
どことなく、地球の宗教のそれに「似ているようにも思える」という
ただそれだけの理由で、地球の宗教から、宇宙意識教というカルトに
「衣替えしてしまっただけの人たち」も沢山いるだろう。
つまり、「どうやら、たぶん・・・・
この地球で宗教が信じられているように、
宇宙の人たちもまた、宇宙の神に対する信仰に厚い人たちばかりなんだろう・・・」
とか、トンデモな幻想を持ってしまったのである。
■ところがどっこい、
では、実際に多くの宇宙では、現実はどうか? という事を、
「私の意識のいる視点」から語れば、こうなります。
↓
私が知るところの、私が認識できた範囲の、宇宙の実像では、
知的生物の、約75%は、完全な「無神論者」である。
残り25%ほどが、何らかの「信頼」を宇宙に対して思い描いている、
いわゆる「信仰を持つ人々」と呼ばれる。
■しかし、75%という大多数を占める宇宙の知的生物たちは、
逆に、宇宙については、
「まだ、その創生も、目的もわからない」と断言し、
また彼らは「絶対者という概念」も持っていない。
むしろ、この宇宙は、どこかで何かを間違えたのだろうという
冷静な「疑念」を持ったり、
今回の宇宙は、とんだ失敗作であった可能性を反省したり、
あるいは、宇宙が創造された原因や、その結末については、
未だに、「探索中・分析中」であるということがほとんどである。
■つまり、何かといえば、子供みたいに、すぐに、おとぎ話のような
神話や宗教、そして絶対者というものを、自ら進んで信じたがる
というこの、幼児的な心理傾向は、地球にのみ見られるものであり、
私の知るところでは、この銀河系内ですら、
そんな異常な精神状態は、決して一般的ではない。
その点でいえば、今日まで、チャネリングだとか、コンタクティーを
通じて得られた「宇宙神話」というものは、
それが地球人が、共感できるレベルのものだったから、
たまたま「類は友を呼ぶ」の法則どおり、
非常に地球人に受け入れやすい宇宙神話を持つ、少数宇宙民族だけが、
地球人にコンタクトをとれた、というだけの話である。
■一方で、その3倍近い、一般的な異星の知性体たちは、
創造者など信じてもおらず、宇宙に信頼もおいておらず、
宇宙とは、彼らにとっては、好奇心の対象か、あるいは、
自分たちが感じている心身の「苦痛」を軽減するための、挑戦対象でしかない。
■よって、何かといえば、宇宙のことも知らんくせに、
スピリチュアリズムで、アセンションを口にしたり、
「宇宙的」とか「宇宙のパワー」とか「宇宙の波動」とか、
「宇宙の法則」とか、ぶっこいている人たちのほとんどが、
単なる地球の宗教が、その「パッケージ変えただけ」の
この上もなく「チープな精神論」しか、作り出せず、思い描くことすらも出来ない。
■私自身は、子供(小学生高学年)の時から、まず最初に疑ったのが、
魂の進化という概念と、絶対者という概念が、
あまりにも「曖昧」である点だった。
そして、今日、「悟りの意識のレベル分類」や、
その後の「分割自我理論」を通じて分かったことは、
我々が見る世界も、我々が住む世界も、
別に、ごたいそうな創造者や絶対者が作ったものではなくて、
現在の、この宇宙の誕生から、ずっと後になって発生した別の生物や
別の知性が、創造したり管理しているものに満ちていた、
ということである。
下手をしたら、地球の現在の大気成分ですらも、
自然に発生したのかどうか疑わしい。
つまり、目的とする「生物プラント」にするために、
人工的に合成または、調整した可能性すらある。
■だから、私が「強いて」であるが、精神の拠り所のようなもの、
にしているものがあるとしたら、
それは絶対的な闇と、絶対的な光という
全く相反するものを同時的に扱っているということになる。
むろん、その絶対無にも、絶対光にも、知性や知能は何ひとつもない。
それは単に、原初の初期運動と初期化合物を形成する為の「二極」でしかない。
そして次に私が、やや信頼を置くのは、
私と同様か、私に似た「思考判断を、この宇宙に対してしている」、
そういう、ごく僅かな、宇宙における「知人たちのみ」である。
また、地球上におけるシンボリックな神話的な存在(いわゆる神々や霊的存在)に対しても、
それこそ、「フリーランスの記者のような自由な批判精神を持つ知性」としか、
私は関わることを好まない。(そうでない場合も特例としてあるが)
■ただ、最後に、もう一度だけいいますが、
この宇宙では「信仰的な視点の色眼鏡」を通じて宇宙を観測している生物は、
わずかに25%である。
残り75%の生き物たちは、絶対の神や、宇宙を取りまとめる、
「何らかのブレない絶対的な法則」が存在することなど、
全く信じていない「無神論者」だ。
まー、地球では物質があまりにも、意識と連動した変化を起こさない
性質を持っているために、
とかく人は、「自然法則」が絶対的に思えてしまったのである。
その反動または「心理的な投影」として、
絶対的な「宗教的法則」があるかのように思い込んでしまったのである。
■皆さんは、よく考えてみるといいです。
物質が意志では変化しないこの世界にいるからこそ、
皆さんは、地震や噴火や津波や、雷や嵐を、古来から恐れ、
自然として崇めてきたのですから。
しかし、もしもそうした現象への意識の接続や切断が自由であり、
どのバーチャルな現実を選べるかが全く自由な次元に住んでいたら、
私たちは、固定的に信じるべきものを喪失するという状態が、
ごく日常的な精神状態になるのは、明白なことなのである。
■この惑星では、たまたま、
「物質が安定化したように見える様相」を持っていたこと。
それが地球に、「宗教的信仰」を蔓延させた最大の理由です。
なぜならば、
もしも「考えただけで自分の主観内の現実環境が変化する」のであれば、
我々には、恐れる自然や、従うべき神や神々など、
全く存在する必要がないのだから。
そうなれば、宗教などといった信仰心は、生ずる余地がない。
だからこそ、宇宙では、一般市民は、「無神論者」なのである。
●ただし、その自由な精神を持つ時、その時に、我々が真に恐れるべきものは、
「自らの意識の限界」となる。
我々は完全なる自由を得たときに、絶望的な限界をも知るからである。
●そういう意味に限定して言えば、宇宙一般という視野で見れば、
私の目から見れば、原発問題に見る、後藤さんのような、
ああした人たちのような、科学的かつ、当たり前に人間的な姿勢
という生物の方が、一般的に宇宙に存在する生物に思えます。
後藤さんが、何かの宗教を信じているのかいないのかなど
私は知りませんが、少なくとも、現象を観察する時の姿勢は、
あれが、宇宙ですらも、当たり前の姿勢です。
そして彼らは、自分の専門分野ではないような、
分からないことは、「分かりません」と、はっきりと言う人たちです。
もしも、ああいう人たちに、
精神世界やマッドサイエンスや神学を扱わせたら、
それなりに、やはりブレることなく、検証主義を貫くことでしょう。
まー、ああいう人たちが、一般的市民として暮らしているのが、
正常な宇宙であるというのが、私が昔から知っている宇宙常識ですから、
皆さんも早く、自我を原型に復元して、
死後には、この惑星からは、いったん、退避することをお勧めします。
________________
池上章氏のニュースみたいに、ざっくり、分かりやすく言いますとね、
地球で発生した宗教は、その始まりからして、
地球の物質法則の安定性に由来する「恐怖心」に根ざすために、
地球の宗教は、その本質からして「物質的宗教」でしかあり得ない。
つまり、自分たちが動かせないほどの「大きな石」を見て、
その「大きな石」が転がってきて、自分たちの集落の住人を押しつぶしたら、
原住民たちは、その「大きな石」を神と崇め始めるのである。
●一方で、
時空間が、定期的に(又は常に)不安定になるような世界では、
真の意味での精神性、または、知的な視点を持つ生物が発生する事例が、
この宇宙には多い。
つまり、自分の思考によって「どんどん変形してしまう石」を見れば、
そこの原住民たちは、「その石」によって、いかにして遊ぶかを想い、
その石を神と崇める事はなく、「その石」を「玩具」として認識する。
または、いかにして、精神によって「その石」を安定化するかを
模索し始める事例が、この多次元的宇宙には圧倒的に多い。
■実際、地球の「宗教の言ってきたこと」を、よく見てみると良い。
それらはすべて、自分たちの意志では、変えられない物質に対する
「不満の裏返し」で出来上がっている。
だからこそ、宗教が言う天国やら極楽なる幻想郷の多くは、
「想ったことが、かなう」といったストーリーで飾られているのである。
これら(願いが叶う事に憧れる宗教)は、
精神が物質によって、こてんぱんに束縛されていることを
苦痛として意識してしまっている生物だけが、
その「不満の反動として」生み出した、「歪んだ願望投影」に他ならない。
■ところが、一方で、想ったことが最初から実現することを
日常とする世界に住んでいる生命にとっては、
想ったことが実現しない、という事の方が、
むしろ魅力的に思えたとしても、なんら不思議ではない。
●ただし、どういう物事にも、「限度」というものがある。
地球の物理法則に対する人間の過度の固定的な認識は、
その本来あるべきバランスの限度を、完全に超えてしまった
アンバランスな状態に陥っている。
だから、宇宙では、精神と意識の自由を持つ生物になるほどに、
絶対者や、創造神などという信念体系を必要としないのである。
一方で、極度に物質や物質的感覚と同化しすぎた者は、
精神すらも不自由に感じてしまい、その結果として、
宗教、すなわち「神仏」という幻想に必死になって依存する。
■ただし、この論理において、最も注意すべきことは、
たとえ、地球の宗教を見捨てたとしても、
別の何かの「信念体系」を簡単に信じてしまい、依存する
ということは、頻繁に起きていることである。
その「別の信念体系」への「ただの水平移動」の中には、
仏教、禅、魔術、宇宙意識教、アセンションカルト、
そして、冒頭に述べたような、チャネリングや、
個人的なコンタクトストーリーに根ざすものや、
一見すると、絶対神を概念の中に持たないような、
タオイズム、道教、仙術、などもあり、
場合によっては、単に商標が変わっただけで、
あいも変らず、立派な「カルト的、狂信」が、
そこらじゅうに蔓延していることには、注意することである。
絶対者は自らを絶対者と証明できない
●こんな話がある。
1千個もの銀河系全体を統括する、「支配者(統合意識)」が存在した。
あるとき、支配下にあった生物たちは、その支配者に、こう質問した。
「あなたが、沢山の銀河系を支配する者であることは分かりました。
しかし私たちは、あなたが宇宙の絶対者や創造主であるとは認識できません。
そこで、もしあなたが、絶対者であると言われるのであれば、
その証拠を私たちに見せてください」
●すると、その支配者は、1千個の銀河系宇宙に加えて、
一瞬で、あと500個の銀河系を出現させた。
それを見た生物たちの三分の一は、その創世の様子を賞賛し、
その支配者を宇宙全体の絶対者であると思い込んだ。
しかし、残り三分の二の生物たちは、こう質問した。
「それだけでは、あなたが絶対者である証明にはなりません。
あなたは、単に、創造が出来るということを証明したにすぎません。」
●それを聞いた支配者は、「そういうことか」と、はたと思いついた。
そこで、支配者は、15000個の銀河系の半分を、一瞬で破壊して消し去った。
それを見た生物のうちの半分は、こう考えた。
「この支配者に逆らったり、ご機嫌を損ねたら、俺たちも消される」
そう考えて、それらの生物たちは、自分たちの保身の為に、
その支配者を、とりあえず、全宇宙の絶対者として認めるフリをすることにした。
●しかし、最後に残った、三分の一の生物たちは、次のように質問した。
「あなたが、数千の銀河系を統括し、その生死を手中で支配している
ということは分かりました。
しかし、あなたは、あなたの外側に、まだ無限に存在する全宇宙を
我々に見せたこともなく、また、それを支配して見せたこともなく、
そもそも、その全宇宙の空間範囲を我々に正確に示せたこともありません。
従って、あなたを全宇宙の絶対者として認めるわけにはいきません」
●かくして、当時、全体の三分の一を占めていた懐疑派の認識が、
現在では、我々の住む銀河系を含む、750個の銀河系全体の75%を占めている。
これは、むろん、ひとつのおとぎ話である。
しかし、これこそが、私が皆さんの目の前に突き出す、
重要かつ、形而上学的な設問のひとつだ。
これはあらゆる種類の学問の価値を論ずる以前に、
あらゆる種類の倫理より以前に、
あらゆる種類の生存行為の正当化よりも以前に、
あらゆる種類の理想や宗教や教義よりも以前に、
確定、または検証をされていなかったら、
そもそも、何ひとつも始まらないのである。
ただし、絶対視しようという衝動の対象となるものは、
神学的な概念である必要はない。
科学者であれば、絶対法則をその絶対視の対象としても良い。
すると、設問はこうなる。
↓
>「創造主、または絶対法則を管理する存在は、
> どのような証明法と証拠によって、自らの絶対性を、証明できるか?」
>「作られた側の被造物たちは、どのような証明法と証拠によって、
> 創造主、または絶対法則の、その絶対性を、許諾できるか?」
■このように、この全宇宙の中では、信じるに値する絶対法則、
などというものは、ごく限られた範囲で定義されものに留まるが、
その中でも、無明庵で発見された、
「限定的・絶対法則」は以下のような、ある程度の「普遍性を持つ法則」であった。
宇宙における、生物、ことに有機体生物を支配する最大の法則とは、
↓
飢えを知覚する
↓
その飢えを苦しみとして実感する
↓
また身体が破損した時にも、苦しみを実感する
↓
その苦しみを、どうにかして回避しようとして悶える
↓
その悶えるという動きが、
その生物以外の者が利用するエネルギーや生成物として利用される。
●私に言わせれば、世界中の宗教と、精神世界の人々のうち、
99.99%の人々は、「原発の安全神話」を信じきっていたのと全く同じように、
「絶対神の安全神話」を、疑うこともなく、信じ込まされていた人々である。
●その、信仰への信頼と言う名の「病的妄想」の中から、
一歩でも踏み出すために、「自我復元法」というものが存在する。
少なくとも、無明庵の読者の中で、
既に、自我復元へと踏み出している人たちだけは、
この地球で、美辞麗句の虚飾に満ちていた
「宗教と精神の進化論」を、全く嘘っぱちであると知り、
過去に、あのグループによる悪意と管理不備によって、
希釈されてしまった自らの分割魂(分割自我)を、
自力で、修復してゆけばよい。
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