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掲示板
Title
「分割自我復元」
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[15]
■
★分割自我復元★その14★
by:
鈴木崩残
2011/05/09(Mon)06:39:01
■久しぶりの書です。
「本来」「本」
「松の間掲示板」にも、震災後に久しぶりに書いた書があります。
松の間のは、コンクリートという武具店の店長さんの依頼でTシャツ用に書いたものです。
【おたより】
●自我復元に関する記述は、かなりの部分を削除してあります。
自我復元作業の延べ回数=113回
掲示板を読み、即刻その場でアフリカ大陸を対象とするのは取りやめました。
穴があったら入りたいほど恥ずかしいですし、
対象国の分析と判断が全くできていない自分を痛感させられました。
本当にご指摘いただいてありがとうございます。
中略
このイメージを持つと同時に、この日本に住んでいる人々に私の宣言を
聞いて欲しいという気持ちが静かに湧いてきます。
本当 にかすかな希望のような感情なのですが、
この感情のおかげで日本の土地ではなく
人々に上手くフォーカスできるようでこれは助かっています。
中略
2 月12日ごろから2週間程、毎回自我復元で宣言文を唱えている際に、
過去の自分の出来事で全く忘れていた
「非常に恥ずかしく、また後悔した出来事」が毎回 一つか二つ、
一つにつき3秒程フラッシュバックのように目の前に現れていました。
現れても気にせず宣言文は唱え続けていました。
本当に2週間程でぴったり止まり、現在はこのようなことはありません。
中略
3 月11日以降、掲示板にありました計画停電の記事を参考にして工夫した点が1点あります。
それは、自我復元作業を行う際に、部屋の電気機器のコンセントを外せるものは全て外し、
布団に入ってからは「自我復元の部屋」をイメージしてそこに一旦入り、
それから自我復元作業を開始するようにしたことです。
私の住んでいる地域は北陸で計画停電地域ではありませんが、
機器が発するノイズの弊害は前から気になっていたので、今回少し工夫した次第です。
中略
はっきりと明らかに夢の変化が2点ありましたので明記しておきます。
中略
ですが夢としては初めて●●●●●●が出来て、眼が覚めてから「おーーー」と驚いていました。
この二つの夢は私にとっては大変大きい変化でした。
ですが、まだまだ不備が残っていることも確かで、事を成し遂げるまでには至っておりません。
中略
前 回2度目の判定の際報告した内容で「●●●●●●がなくなっている。」なのですが、
あれからも信じられず注意していたのですが、やはり症状がでてきて おりません。
今は自我復元を行う前の自分は、どんなに悲惨な状態だったかが理解でき始めていて、
以前の自分とは全く違うことが分かってきています。
中略
仕事・人間関係で判断ミス、意見の行き違いはまだまだあります。
ですが、立ち直りが非常に早いですし、ミスやトラブル はそのつど改善しています。
あたり前のことなのでしょうが、この当たり前のことが、
「落胆と恥ずかしさという感情で気分を悪くすること無しに行える」ようになっています。
中略
それと、むやみやたらに●●●することがなくなりました。
4月までは「●●」と思い、衝動的に焦って●●●することがほとんどだったのですが、
現在はそれがありません。
中略
職場で一緒に仕事をしていた緊急雇用職員の方が急に職場を辞めました。
この方に関しては以前から、「俺は休憩の合間に仕事をしているんだと豪語するほど仕事をせず」、
他部署の気に入った女性の部屋に入り浸る等、全くやる気がない方です。
あまりに仕事のミスが目立ち注意しても「給料がもっと上がればわしも集中するよ」と言って逃げていて、
上司に相談しても「まあ体制に影響はなし」と訳のわからん返事で困っていたのです。
私はこ の人はこの職場にいるべきではないという意見は今回上司に伝えその立場は変えませんでした。
そして4月初旬この方が車で帰宅途中に前方不注意で対向車と接触し、車はくの字に曲がり廃車、
ご本人は幸いむち打ち症ですみましたが、職場まで通勤することができなくなりすぐに辞めました。
その後、早急に求人をだしてもらい新しい方が2名採用されました。
今度は全く普通で同世代の方、淡々と仕事を処理してくれ、課の雰囲気がガラリと変わりました。
中略
このような変化があり崩残さんが掲示板で掲載していた内容がどうしても気になり、
今は手帳にメモしておいて毎日チェックを始めています。
崩残さんが記載していた内容は以下の文です。
>今、見ている、感じている、この現実のうち、
>どこか、一部は、実は、心のどこかで、待ち望んでいた事ではないか?
>全部ではないにしても、一部に、自分が望んだ事がないか?
中略
3 月11日の震災を知り、私は全く被災していないにもかかわらず、非常に大きな危機感を感じ、
まだその危機感が継続していることです。
これは崩残さんはじめ ネットで継続して情報を発信し続けてくれている方々のお陰でもあるのですが、
ネットの情報とテレビの情報との温度差に違和感と危機感を感じ続けています。
私 は阪神大震災の時は関西に住んでいました。
神戸・大阪のような甚大な被害にはあいませんでしたが、
直下型の強い揺れは体験し、翌日は被害状況が分からず営業で山越えをして
西宮・芦屋に入り被災を目の当たりにして、立ちすくんでしまったのを思い出しました。
結局得意先の会社を無くし、 私が勤めていた会社もつぶれました。
あのときはただ呆然としてしまい、情報も集められず、分析もできず、しまいには風評を情報として捉え、
とんでもない間 違った判断をして行動していました。
今回はテレビ・ラジオではなくネットの中で情報を収集でき、
福島原発も被災復旧もまだ何も解決には至っていないと判断し、
メディアの影響から「生ぬるさ」をうけないように踏ん張れています。
中略
職場の女性達と冗談で笑いながら話しができています。
くそまじめを気取っていたのですがいつのまにか無くなってきました。気に入った女性も二人程できています。
以前は気難しそうだと感じていた女性がセックスの話しを、向こうからしてきたりするので少々面食らっています。
中略
先週は●●●の●●が古くなったのでスーパーで買ってきたのですが、
なんと「ありがとう」と、私に初めて礼を言いました。
中略
掲示板を読み瞑想は一切必要ないと判断し、現在全く瞑想は行っておりません。やめました。
中略
>1-まず、無明庵のサイトは、どういう経路から、いつごろに知りましたか?他人の薦めや、書籍、ネット経由など。
確か、大阪のジュンク堂書店でEO氏の書籍を立ち読みしたのがきっかけだったと思います。
年代ははっきり覚えていません。2003年以前だと思います。
>2-次に、そもそも、精神世界のような分野に最初に足を入れたきっかけは、何歳の時で、何がきっかけでしたか?
高校時代にバグワンの「虚空の舟」を読んだのがきっかけです。感動して完全にはまりました。
ですが本だけを購入し、団体に連絡したりインドやアメリカに行く等の行動は一切行いませんでした。
>3-ご自分の問題についての原因は、ご自分で分析は出来ていますか?
幼 少期に父親から何度も殴られ、裸にされて冬に外に放り出されたり、祖母からも罵倒されていたようです。
「ようです」というのはこのことに関して鮮明な記憶 がなく、後で母親から聞いて理解したからです。
そして、母親からは「原因の全てはあんたがぼーっとしていてはっきり答えないからだ」と言われていました。
はっきりと鮮明に記憶していることは、小学生時代から授業中や歩いているときにいきなり、
不安と憂鬱の強烈な感情がでてきて「もういやだ」「もうだめだ」を口 走っていたことは覚えています。
このことが原因で就職してから実家に戻るまでの約16年間は対人関係では常に「怯え」が基礎にありました。
仕事に関しては人間関係ばかりに気をとられ疲れる始末で、
判断の鈍さ、決断の乏しさ、結果実らずで非常に効率の悪い仕事をしていました。
(それが自我復元作業で、とにかく無くなっている。どう考えてもこの8ヶ月間それがない。)
しかし元の元を辿れば、この世に生まれてくる直前の私の調査不足、分析不測、
こだわりの不足、注意力の不足、判断の不足、用心深さの不足等あるのではないでしょうか?
現在は、そう思います。
女性の前では、仕事の出来る男のつもりでいても、そんな演技もすぐにばれる始末でした。
父親そっくりの自分がどうしようもないほど嫌でしかたありませんでした。
(これも不思議で現在職場の女性と馬鹿話しができている。しかもごく普通に。)
>5-そちらは、何を人生において、最も重要視していますか?
>他者や本に書かれていることではなく、御自身の中から実感として確実に、出てくるものだけを書いてください。
●の使い方と●の方法で、私にとっては大切です。
>6-ご自身の何かに問題があり、それを解決したいと思っていますか?
>その場合、何を解決したいのか具体的に書いてください。
とてもありきたりなのですが書きます。
●を●したい。ただし妥協したものではなく、自分が自分で考え、吟味し、探し見つけ、
あるいは自分で作り出したものでやりたい。
この点に関して言えば、崩残さんや数人の友人が大変うらやましい。
本当に自分が全くできていないことを実行していると痛感しています。
他からの情報や対話の中での他者の意見に対し、その場で反論できない点で、後になって後悔してしまう。
できる限りその場で自分の立ち位置を把握し、相手の意見を理解して判断したい。
>9-次の二点について、具体的に書けましたらご解答ください。
>これは、モチベーションの部分の分析の為です。
>a-ご自分の最も嫌いな点
他人の意見にあまりにも妥協し簡単に受け入れてしまう点。
他からの情報や対話のなかでの意見に対し、その場で反論できない点で後になって後悔してしまう。
自己卑下。
>b-ご自分の最も評価できる点。
自分で美しいと感じた●●構造や●●のデザイン力は評価できる。
いわゆる美的センス。
>10-過去に今までに、関係を持ったことのある宗教団体や瞑想団体がある場合には、すべて明記ください。
カトリックで洗礼を受け信者になりました。
教会の神父さんから毎週10年間程カトリックで脚色された形而上学や神学、哲学も学びました。
カトリックの信者になったきっかけは、単純に苦しいからなんとか助かりたいの一念です。
ですが最終的に何の解決も自身の進歩もなく、自虐的な罪の意識ばかり膨らむばかりで、
●年●月にはっきりと今後一切教会には行かないし、カトリック教義も信じないと神父に宣言して辞めました。
依頼一度も接触はありません。教会関係の本は全て捨てましたので手元には何の資料もありません。
教会の方も私は背教者と決めたらしく現在めでたく破門となっております。これは本当によかったと思 います。
【おたより−その2】
崩残様
長い間、報告することも出来ずに...時間ばかりが過ぎてしまいました。
初回判定をして頂いてから、約3ヶ月が過ぎましたが、
現在の私の「希釈率」を、新ためて直視することが必要な時期だとおもい、
2回目の判定をお願いする事にしました。 回数は約●●●回です。
よろしくおねがい致します。
中略
3月11日を境にして、
あの、津波の後のガレキの山の様に...
今までの、日常の風景も空気も一変し、
私の狭い意識も体も...ぐちゃぐちゃ...で、かなり、しんどい状況のなかにいました。
不安でどこか落ち着けず....そして、日ごとにつのってくる、
原発、国、政治家、マスコミに対しての、いらだちと強い怒り!
「希釈された人間達」が、醜くうごめいて動かし続けてきた、気の狂った地獄の世界。
あきれた、あの大人達のこと、許せません!
しかし...
これは他人事だけではすまされない、
あるレベルでの「希釈された自分」の姿でもあるのだと...認識しています。
この間、毎日、拝見させて頂いていた「梅の間」「桜の間」での、
崩残さんの貴重なコメントや数多くの情報が、唯一、私の支えと指針になっていました。
そして、それは今、現在もかわりません。
ほんとうに、いつも、いつも、ありがとうございます。
そして今、あらためて思っても、
3/11以前に「復元」をスタートさせていて、本当によかった!と思っています。
中略
3月11日、あの震災のなか、
幸いにも、仙台の母も姉たち家族も、親戚も、おかげさまで、けがもなく全員無事でした。
(友人達とは、長年、連絡もとっていませんでしたので、どんな状況なのかは、分っていません...。)
母達は仙台でも、内陸部の地盤のしっかりした地域に住んでいましたので、津波の被害もなくすみました。
母はビルの4Fに住んでいて、かなりの強い揺れで、家具や家電はメチャクチャにひっくりかえった様です。
そんな揺れのなか、母は身をかがめて、しゃがむこともせずに、
孫からもらった、●●を必死に押さえて、なぜか、立ったままだったそうです。
建物の壁にヒビが入ったり、タイルが剥がれ落ちたり...と、補修する箇所は多々あるものの、
「耐震検査」の結果「安全」と確認できたので、
今後も、母は、住み慣れた「我が家」での生活ができると云う事で、
今は、ひとまず「ほっ」としています。
そして姉は、
地震の時、学校の校庭で、1人の養護の生徒と、マラソンをしていたそうです。
ゆーら、ゆーら、まるで船に乗っているみたいで、地面に這いつくばって、
校舎から聞こえてくる子供達の「悲鳴」と、ガタガタ大きく揺れる校舎を、
ただ、ぼう然と見ていたそうです。
姉の家では、建物自体には損傷はなかったものの、外塀が倒れてしまったようです。
そして、我が家も、かなりの揺れでした。(家は無事でした)
家の梁や柱...のきしむ音が不気味で、とても恐かったです!
これはただごとじゃない、家がつぶれるかもしれないと思い、私はとっさに外に飛び出しました。
そして、すぐにNHKをつけると、東北...宮城...そして...「津波警報」。
そのあと少ししてすぐに、LIVEで放映された、「名取市」の津波の映像....
田畑を、ビニールハウスを、家をのみこんで....どんどん、どんどん、内陸に入っていく「津波」!
えっー!?.......うそ!....うそでしょうーっ!....まさかっ!?.....まさかっ!?......
仙台の隣の「名取市」にまで津波がくるなんて...ほんとうに、まったく信じられませんでした!!
そのあとは、もー何も手につかず、ただオロオロするばかりで、
通じないこととは分っていても、母と姉に、電話し続けていました。
そして、夜7時過ぎになって、ようやく母の声を聞くことができ....力がぬけ。
そして、夜中になって、姉の無事を知って....また、やっと....力がぬけ...ました。
中略
3月9日朝、左半身だけの強い寒気を、また感じる。
日中、なぜか突如として、「纏足」のイメージが強くでてきて、
私の足のくるぶしから下の「足」がない!ことをリアルに感じてしまい、無性に泣きまくる。
ひとりで立てない、歩けない=独立できない。
そして、過去も現在も、ほとんど、女性の部分のみで生きてきたことを実感する。
中略
そして11日以後は、
私の体調もしんどく...1週間〜10日間くらいは、頭が重く、吐き気、が続きました。
その後、「寒気」を感じる頻度は少なくなってきましたが、あらわれる箇所が変化し続けています。
中略
そして3.11以後、
今も続いている余震のように、「わたし」の存在自体も、激しく揺すぶられているように感じています。
そして、今までの、私の中途半端な生き方のあり様と問題点が、
あらたに浮上しはじめているようです。
*男社会が長年つくりあげてきた、現在の、この社会構造のすべてを
ぶち壊して、流し消し去りたい、という思いが、私のなかにあった事は確かです。
そして、崩残さんがおっしゃられていた様に、正直
今回のこのような状況が起こることを、深いところで「望んでいた」とおもいます。
しかしまた、その男達に、この社会に、依存してきた「私」という現実もあります。
「社会のせい」「人のせい」にし、
自分でなにも考えずに、誰かのあとについて、「責任」を曖昧にし、
自分を安易に切り捨ててきてしまった。
今までの私の生き様と「責任」という言葉とは、まったく無縁でした。
そして、「責任」と云う事をなにも分っていないこと、
今まで安易に口にしていましたが、実感すらもっていないという事を始めて気づきました。
*自分のあまりの「思考力」のなさに唖然!としてしまいます。
今までほとんど、感情にながされ、感覚のみで生きてきてしまった事を、あらためて痛感しています。
ある会合に出席した際、各自、自分の思い.考えを発表する場になった時、
話している自分の言葉が曖昧で、内容があまりにボケているので、
とても情けなく、恥ずかしかったです!
こうして、崩残さんにメールを書いていても思うのですが、
文字にしようとすると...いかに自分の考えが、ぼやけていて、曖昧いであるかがよく分ります。
そして、文章にするために、まとめようとすると、とても長い時間がかかってしまいます。
頭をつかって深く考えるということを、苦手だとおもっていましたが、
自分を都合よく誤摩化すために、
「考える」べきことを、避け続けていただけだということを、認識しました。
*自分の意識が、飛びまくっているのが、以前よりはっきりと実感することが多く、呆れてしまいます。
(呼びかけの時や回収の時でさえも、飛びまくっている時があり、「うすい自分」にがっかりです。)
*私が、今まで時々感じてきた(体調以外で感じる)「吐き気」「気持ち悪さ」は、
対外的なこと(対人)に感応して、現れる現象だとおもってきました
が...なんと、実は、
自分自身の存在のあり様が...「き.も.ち.わ.る.い!」のだという事を始めて気づき、愕然としてしまいます。
例えば、人が話している内容や行動に対して、私としては内心はまったく納得してもいないのに、
外面だけは、あたかも納得や同意したかの様にふるまってしまう
....正直でない自分のことが、きもちわるい。
*「地に足が着いていない」どころか、「纏足」どころか、足そのものがなく、
地面を這いつくばっている、自分の姿を、最近ふと何気ない時に、
リアルに感じてしまうことがあります。
「これが現実なのか」とおもうと、我ながら...ぞーっとするとともに、悲しくなってしまいます。
*原発のこと、地震のこと、自分の体のことなどで、いっぱい、いっぱいで...
「存在のうすい●●」に対する余裕は、ほとんどありませんでした。
崩残さんのご指摘のように、とにかく、もっとしっかり「復元」すること。
それなしには、あまりに弱いこの自我では、
●●のこともクリアーにならないと、あらためて実感しています。
中略
<仕事に関して>
*私が仕事をしている所は、●●をコンセプトに、●を売りにしたお店で、●月で開店●●年になります。
この店のオーナーという男は、「気」をつかって治療もしているそうなのですが、
最近、このオーナーを見ていて感じるのが、
かなりの虚栄心のかたまりで、ホラふき、
そして、自分の治療法を教えている生徒(特に女性)をコントロールして、
依存させていく男だということが見えてきました。
そして、実直な雇われ店長は、このオーナーに、ふりまわされ続け疲れ果て...
結局、4月末に(自ら)退職しました。
いずれにしても、この店の寿命は、そう長くはないだろうと私は思っています。
中略
崩残さんは、すでに気づかれていたこととおもいますが...
私は、あのバカ猿軍団のサニヤシンの一匹でした。
19●●年の春でした。ふと立ち寄った●●の書店で、
私は「精神世界フェア」なるイベントに遭遇しました。
それまで私は、「精神世界」「瞑想」という言葉すらまったく知りませんでした。
そしてそこで、平積みされているたくさんの本の中から、私が手にしたのが...
「バグワン.シュリ.ラジニーシ」でした
私は、OSHOに逢いたくて...とにかく逢いたくて、逢いたくて...オレゴンに行きました。
はじめての「サイレント.ダルシャン」 私は、うれしくて。
やっと...ほんとうに...やっと...OSHOに逢えたことが...うれしくて...うれしくて。
OSHOのそばに、いられるということが...ただただ...うれしくて...うれしくて。
ありがたくて...ありがたくて...涙と鼻水でぐしょぐしょになって、あのなかに在りました。
私は●という瞑想センターのスタッフとして、40名から50名ほどのサニヤシン達との共同生活に加わりました。
そして、あの頃の私は、
上から下まで、「赤系統」のものを身につけ、首から「マラ」をさげた、例のファッションで、
OSHOの存在を、多くの人々に知らせたい、という愚かで、幼稚な自己満足のためにうごいていました。
中略
そして、90年の1月19日 あの日の夜、
そして、長〜い踊りのあと...
.....ぽか〜んとして......そして、はじめて気づきました。
..........「OSHO」...という夢をみていたんだ.........。
涙もでませんでした。
そして、もう二度とここへは来ないだろうとおもいました。
中略
このあと...いったい何をしたいのか?...どうしたらいいのか?...
正直、まったく見当もつきませんでした。
そしてその後、わたしは
「普通の人のような生活」のなかに、自分を誤摩化し、
安住する時間を選んできてしまいました。
そして、数年が過ぎた頃、EO氏の本に出逢ったのです。
すごい衝撃でした! ショックでした!
サニヤシンに対しての、痛烈かつ、あまりの的確な指摘に...
ただただ...まいりました!
そして、私には、むづかしすぎて、理解不能な本だと認識しながらも、
出逢ったときから...なぜか、私のそばにいてほしい「本」でした。
「....透明なことばの音色」
「恐いほどに繊細にとぎすまされた...空気」
それだけでも感じていたくて、次々に読まずにはいられませんでした。
.....「生きた存在」です.....
無明庵の本は、
「悟りなき悟り」「性恋愛教本」をのぞいて、ほとんど読んでいるとおもいます。
そして4月2日、
「宗教に汚染された地球人」を、文字にしてやっと、読み終えることができました。
この本に出逢えたことを...今この時期に読むことができたことを...
崩残さん、砂手さん、そして博士くんに...とても感謝しています。 ありがとうございます。
今のわたしでは、まったく理解などできないことは分っています。 が、
....「美しい本」....だとおもいました。
本というより....「詩」のようです。
中略
3.11以後、現在おこっている、このすさまじい状況を直視するとき、
この私が、何かを感じ、考えたとしても.......
結局いつも...「希釈されている自分」...のところに、引き戻されてしまう現実があります。
どうやっても...逃げられない、今の私のこの現実を実感するとき...
正直、とてもしんどくてつらいです!
しかし...しかし...です。
私は今回のこの生で、どんなに「希釈」されてもいいから、とにかく、
どうしても、この時期に、日本人として生まれてくることを望んだんです。
OSHOとEO氏、そして崩残さんに出逢うために、この時期をえらんで生まれてきたんです。
そのためには、どうしても、このタイミングに生まれてくる他はなかったんです。
ですから、この「希釈率」を覚悟のうえで、私は生まれてきたんです。
......このことを、4月に入ったころから実感しています。.........
とにかく、今回は生まれてきたかった。
...そして、そのあとのことは...私しだいですべて決まる。
今、私のとるべき責任は...「全自我」にもどる...
まず、このことしかないことを認識しています。
あとどのくらいの時間が私に残されているのか.....
1日でも、1時間でも多く...「全自我」に復元してから、人間として...生きることをのぞみます。
お伝えしたいことはいっぱいあるのですが...
いつものように、なかなか思う様にことばにできない....もどかしさがあります。
今回も、
まとまりのない、長々としたメールになってしまいました事をおゆるしください。
*崩残さんの「替え歌バージョン」最高です。
センスいいですよね!
(よく、おもいつくな〜と感心してしまいます。)
「小出いいのだ〜」...かなりイイですねー! 気に入りました。
そして、リンダ世代の私は、
「リンダ.バージョン」声をだして歌ってよろこんでいます!
.....ウッララー ウッララー ウッラン、ウランでー.....
●おっ、はじめて、私の替え歌の歌詞を、褒めてくれた人が出た。
リンダも、バガボンも、自信作だっただけに、正直に嬉しいです。
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