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「分割自我復元」
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★分割自我復元★その18★ おたより
by:
鈴木崩残
2011/05/28(Sat)18:45:25
妖怪について思うこと
私がいつも見ているブログで、
この方は、自我復元を実践しておられる読者の方です。
この記事の中に妖怪の話が出てきますが、それについて、少しだけ。
■「死」の素粒子の中で
No.58【モノノケダンス!】
↓
http://shinosoryushi.blog121.fc2.com/
●かなり昔、「竹の間」にも書きましたが、
この世界とは異質な存在、またはそれらしき何かに出遭うという経験が、
私だけではなくて、地上に住む人たち全員にとって、
急激に少なくなっていった時期の「節目」というのがいくつかあります。
妖怪や、あるいは異星的な生命体といったものとの接点は、
1970年から1985年ぐらいまでは、今よりももっと頻繁にありました。
それは、私個人だけではなく、私の周囲にもそういう人たちが
何人かいましたし、内容は、ものによっては、全く信頼できないものも
多くありましたが、
確かそうなものもありました。
●私個人にとっては、最もそうした意識上のコンタクトが盛んだったのは、
おおよそ、20歳から30歳までの間です。
むろん、今でも、ごくたまに、そうした接触はあるのですが、
当時と今とでは、質が、全く違います。
当時は、それこそ、その相手に触れられるぐらいのリアリティーが
ありました。
実際、生活そのものにも、彼らの存在は食い込んできて、
心身に、直接的な影響を及ぼしました。
●ところが、今では、よほど次元を引き上げないと、彼らに接点を
持つことが出来ません。
そして、接点を持てても、その多くが、抽象化された概念やメッセージに変わっています。
考えてみれば、これは1985年以前までは、
私たちのエーテル体の層という、最も私たちに近い層が、
異質な次元とがまだ多くの接点を持てていた時代なのだろうと思います。
●では、いつから、私たちは、異形の存在たちとの接点を失っていった
のでしょうか?
地方の民話や伝承の中に出てくる天狗を、単純に当時の人たちが見た
「外人さん」とする説もありますが、私は全くそうは思えません。
ある時期まで、実際に私たちは、異形の存在たちを見ていたのだろうと
私は思います。
おそらくは、やはり産業革命によって、公害という形で工業廃棄物が
ばら撒かれたころで、いったん、そうした次元の存在たちとの接点が弱まり、
その後の自然環境の減少とともに弱まり、
そして、もしかしたら、電気が普及することは、
私たちが、妖怪や異星の存在たちとの「低層次元での」接点を失った
原因かもしれません。
ただ、それが加速したのが、
「電気」によるものか、「電磁波」によるものなのか、
あるいは「通信用の電波」によるものなのかは不明です。
最もありそうなのは、通信用の電波網が増えすぎたことによる
次元間の通信の障害ですが、しかし、私の感覚では、
それでもまだ、1985年ぐらいまでは、マシでした。
では、おおよそですが、1985年の節目に一体何があったのかといいますと、
デジタル技術が普及しはじめたことです。
それまでは、家電が既に溢れていたとは言っても、
オーディオ機器も含めて、ほとんどがまだアナログです。
企業などではコンピューターを使っていたでしょうが、
一般家庭では、まだデジタル回路を内蔵した機器などほとんどありませんでした。
●それが1980年代に急速に発達し、普及を始めた、
そのあたりから、私は、ある程度の「こちら側の世界」に似た雰囲気で、
異形の存在たちと接触する形での「リアリティーを感じるコンタクト」
が、極端にやりにくくなりました。
仕方なく、私は、その「触れ合えるほどの実感があるコンタクト方法」を
あきらめて、その上層次元での接点に切り替えました。
これが、1989年から1992年ごろの事です。
結果として、今にも目に見えそうで、
今にも相手がこちらの肩に触れてきそうなほどの実感を伴う次元での接触は
出来なくなりましたが、
その分、そこで得られる情報は、私個人に関するものが減り、
地球や、社会全体に関連するものしか、得られなくなりました。
それはそれで良い切り替えだったと、今では思います。
●そのようなわけで、
産業革命が起きる前、あるいはデジタル技術が一般に普及する前、
そうした時期には、今よりももっと多くの人たちが、
普通に、異形の次元の存在と、日常的にかかわりを持っていたのは
確かだと思います。
そんな昔の時期のことを、3月の停電のときに、ふと思い出したのですが、
残念ながら、計画停電を楽しむことは、出来そうもありません。
以上、6/1 記
______________________________
おたより
今回も素晴らしい書を有難うございます。
サービスで"●●"の文字もいただきました。どうも有難うございます。
滲み書をいただいて、"落葉"と"茶"の字が何の字か判らなくて、
すぐ掲示板で確認したのですが、
"茶"の字は判った瞬間お茶の味がした気になりました(笑)。
部屋に飾ってあった去年書いていただいた"極"の字と入れ替えて
"茶"の字を飾りました。
一晩眺めて、
動きのある"泰風"のほうが今の自分にしっくりする感じがして
今は"泰風"に入れ替えて眺めています。
筆のはらいが本当に風を感じさせ、
ちょうど初夏の今の季節に合っています。
"然"は季節がすすんで自然が猛々しくなってきたら飾ろうかと考えています。
"茶、泰風、落葉、然"という文字の選択は「人の生活」というテーマにぴったりですね。
素朴で慎ましい人たちの生活を感じさせる懐かしい字です。
絞り染めのような風合いの滲み書にも、
この四つの文字はとてもフィットしているように思いました。
震災後中断されていた禅書が復活されて良かったです。
作品もたまってきたので、そろそろ個展でも開こうかと考え、
ギャラリーを物色し始めていた矢先、震災がありました。
震災後は個展どころでなく、今だに作品を作る気にはならない状態です。
また、原発の問題で中長期の計画(転職や引っ越し等の)がたたなくなっていまいました。
原発の状況次第で簡単に将来の計画もひっくり返ってしまいます。
そのうち、国や東電が
"東京も安全というわけではない"。"避難するかどうかは自己責任で"。
などと歯切れの悪い避難指示を言いだしそうな気がして、
落ち着いて何かを出来る状況にありません。
震災後二ヶ月たってもまだ全く原発の収束のめどがたたず、
どうにもならなくなって、
漸く、原発の危険性を訴えてきた真摯な研究者や、
本物のプロ(開発者)の意見を取り上げるようになってきましたが、
まったく国や大企業というのは"本当の事"を言う人が大嫌いですね。
"真っ当な意見や本当の事"を言った人間は即座に処分され、
"迫害"されてきた原発の世界を知るにつけ、
"まるでうちの会社のようだ"と思います。
太鼓持ちやイエスマン(御用学者)で周りを固め、
自分たちの手に負えない"生きのいい"人間を力づくで抑え込む。
最近漸く、真摯で生きのいい技術者や研究者の方が取り上げられ始めたので、
少し機嫌が直っています。(笑)
自我判定は●%の回復でした。
呼びかけの回数は●●回でしたので●%らいは回復していて欲しいところでしたが、
自分でも3月以降モチベーションや集中力の低下を感じていました
ので"●%は厳しいだろうな"と思っていました。
最初のころに比べて少し"こ慣れて"しまってイメージが雑になっていたかもしれません。
呼びかけを始めた頃のように手順を一つ一つ丁寧にイメージし、
呼びかけを行って行こうと思います。
しかし、少しであっても、復元が確実になされていて良かったです。
また、私にとって懸案の家族の問題も"自我復元をすれば、
解決は時間の問題"とのお言葉ですので、
気持ちも新たに復元作業に取り組んでいるところです。
次回は"自我判定&滲み書"にするか、それとも禅書にしようかと早くも
悩み始めています(笑)
それでは、今回もお世話になりました。どうも有難うございました。
●おたより二通目。
判定の結果ですが 42%になっていたことはうれしかったです。
まだ100%の全自我になっていないので、
こんなに喜んでいいのかとはおもいましたが、
ここは素直に 半年間やってきたことがちゃんと結果として現れたことは喜ぼうと思い、
心の中で 万歳をさけびました。
親のことも、いままで親に感謝しろとか、親も人間なんだから間違いも犯す、
などなど、言われ続けていましたが
「そもそも、その親には他者への愛情がないのです。」と書かれているのを読んで
やっぱり、そうだよな、私の感覚はおかしくはなかったのだと
長年の疑念が晴れて、泣けてしまいました。
ずっと、ずっと、私の感覚がおかしいと思ってたんです。
・・・中略・・・
肌の調子と姿勢はよくなっています。
特に お肌は たるみもなく 血色よくて
どんなに高い化粧水を使っても治らない 肌荒れがうそのように起こりません。
化粧のりもよくて 毎日のお化粧が楽しくて仕方が無いです。
自我と、意識の字についてですが
初回の自我は 右下に流れる形をみて
幽霊? いや イメージが浮かんできたのは
原爆でやけどを負った人が皮がズル剥けになってさまよっている姿でした。
この姿は 子供のころにみた原爆の絵に書かれていた姿で
とても恐ろしく恐い絵だと記憶しています。
灼熱の地獄の中で意味も分からず 痛みと恐怖でさまよい歩く姿。
そんな姿が今の(その当時の)私自身なんだと思いました。
こんな姿で生きていたのかと思うと気持ち悪い。
今回は 自我 がとってもしっかりといて線もふとくなり、
何より、形が整ってきていることで、
しっかりと自分を持てるようになったのかと思います。
意識もまだ少しへんで歪みがありますが、ちゃんと意識と読める字になってきて、
これも 自我復元の効果だおともいます。
手紙を読み終えた後 しばらくすると、
全自我になったとき ちゃんと人間といして向き合える人が現れたら
何を言っても、何をしても批判されるだけでなく、
良いことは良い、悪いことは悪いと話し合える人があらわれたらどうしよう、
と思い立ったら、どきどきしてきて 「きゃーーーーーどうしよう」と
胸がキュンとなってきて その日一日は胸がキュンキュンしてました。
それは 遠距離恋愛していて、
会いたくて会いたくて仕方の無かった人とやっと会える。または会えた。
そんな感じと説明すればいいでしょうか。不思議な体験でした。
・・・中略・・・
この一週間は、おかしな感覚で、
脳の指令と体の動きが一致していない感じで頭が働いていないというか、
体がうまく動いてくれません。
なんだか 歯車がずれている感覚でした。
自分の中から湧き上がる感情と外部からの圧力との葛藤を感じています。
たとえば、
・・・中略・・・
今は初心に戻って自我復元をやっていこうと、梅の間の過去ログを読み返したり
呼びかけるイメージを丁寧にしたりしながら、自我復元をやる続けることで、
この感覚も変化してくると思っています。
いつでもお気軽にメールくださいと書いてくださってありがとうございます。
また、変化がありました報告させていただきます。
こうやって文章を書くことで自分の中で整理されていくようです。
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