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★分割自我復元★その23★ 滲み書の感想と、自我復元報告
by:
鈴木崩残
2011/07/07(Thu)09:03:17
【滲み書の感想】
おひとりめ
滲み書を頂いて、「おお、これが滲み書か」と思いました。
崩残さんもおっしゃっていましたが、
滲み書は実物を見ないと雰囲気が分からないですね。
滲みの部分を見ると、「風流だなあ」と思います。
紙に凹凸がある柔らかい感じがしたので、紙が変わったのかな?と思いましたが、
多分裏表が違うんですね。
以前頂いた滲み書ではないものと見比べると、かなり柔らかい印象なんだなと思いました。
真っ黒い墨の方(いつもの書)は、ビシッと力強く、気が引き締まる感じがしますが、
滲み書の方はほっと落ち着く感じがします。
真っ黒の方はテラテラ反射しますが、滲みの方は反射はあまりないですね。
どちらの書も、半紙を使った普通の書道とは違う独特のものなのだなと思いました。
私は『泰風』の滲みの入り方のバランスなどが、とても好きになりました。
字の形も、墨の濃淡も綺麗だなあと思います。感覚的な話ですが、見ていると
脳にα波が出てるような感じがします。
最初に『茶』を額に入れて飾り、今は『泰風』を飾っています。
『落葉』(これは分かってても読めないです(笑)。草書(?)は難しいです)は、
秋に飾ろうと思いますが、
『然』は季節的にはいつがいいのかなと考えています。
いつ飾ってもいいんだろうとは思いますが。
______________________________
おふたりめ
本日先ほど書と共に自我判定の結果が届きました。
ありがとうございます。
滲み書の、「龍」と「蓮花」、それにおまけで戴いた「超」と「扉」が
とても気に入りまして、さっそく自宅に飾りました。
最近は100円shopなどの登場で物の本当の価値が下がっているような気がします。
職人文化がどんどんすたれていく中で、
頑固に職人気質で物を作られている方には頭が下がります。
そういった物というのは確実に私達の心身に作用するんですよね。
この滲み書というのは、薄く文字を書いて滲ませて味を出していると思うんですが、
本当に洗練された日本的な大人の表現だと思います。
昔整体の大家の野口晴哉が枯れた植物を使う日本の芸術に関してアメリカ人から
「枯れた植物を使うなんて気持ちが悪い」的な事を言われた時に、
「君たちはまだ子供だから分からないよ」と答えたそうですが、
この滲み書シリーズみるとそのエピソードを思いだします。
文字である書が、滲みでさらにその絵画的で触覚的な表現を強めています。
音も聞こえてきそうです。
■感想を、ありがとうございました。
滲み書は、現物に近いように撮影するのが難しくて、
見たことのない人は、手にとって見ないと分からない部分がありますが、
いちおう、以下のような感じです。
この投稿の途中に出てくる色合いが、なんとか現物に似ています。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?S21
地震の夢
梅の間は、現在、客観的な情報で埋め尽くしているので、
主観的な夢の話などは、ここに書きます。
5月に消えて、6月中まではほとんど感じなくなった「尾てい骨のうずき」
が7月になって少し、戻ってきました。
これは、地震以後、ずっと約2ヶ月と少し、絶えず続いていたもので、
寝ていても、揺れている感覚とともに、尾てい骨がうずく感覚でした。
しばらくそれがなかったのが、ここ数日で再発しています。
そう思っていたら、昨夜、地震の夢を見ました。
私は地震の夢を見ることは、一生の間でも、めったにないです。
ただ、そのシチュエーションがちょっと笑えます。
私はトイレで便座に座っていて、ちょうど大の便を出し終わったときに、
地震が来たようです。
場所は自分の家ではなくて、「埼玉県」のようでした。
揺れている感覚はないのですが、相棒の砂手が地震だと言うので、
感じ取ってみると、確かに揺れている。
揺れ方が、3.11の時に似ていて、あれよりも規模は小さいですが、
ゆっくりとした、大きな横揺れのようです。
そのとき、「また、巨大な津波が、どこかの沿岸の町を襲っているのか」
と想像して、悲愴な気持ちになりました。
そして、一番まいったのは、便座にすわっていて、
これからお尻をきれいにしようとしているときに地震というのは、
なんとも、「困ったシチュエーション」なのです。
おちおち、お尻もきれいに出来ない。
実際の大地震のときに、ちょうどトイレで用を足していた人って
結構、沢山いたんでしょうね。
結局、夢の中では、そのまま便座に座ったままで、外を見ると、
近くで数軒の家から、火事の煙が上がっていたので、それを見て、
地震が来たんだと、ようやく実感した。
・・・という、どうでもいいような夢なのですが、
いくら地震のときには、トイレが比較的安全だとは行っても、
便座に座っているときに、地震に遭いたくはないなと思いました。
そこで、地震に関して、最近思っていたことを少し書きます。
↓
震災以後のアートへの自問
絵を書かれている方から、こんなメールを戴きました。
> 震災以来、筆が止まってしまい、
> 今までアートに邁進してきたのですが、
> はたしてそれは本当に正しい?ことだったのか、
> これから自分はどうすべきか悩み、
> 先に進むことができないでおります。
●私も、そうでした。現在でも、震災以前に比べますと、
たぶん、75%ほどしか、自らの中の何かが稼動していないのが分かります。
私たち人間というのは、ああした徹底的な災害に遭うと、
特に、アートにかかわる人達は、
「アートは、生活の基盤以外のことではないか?」
「ぎりぎりの状態では、必需品ではなく、本当は必要のないものではないか?」
「アートというのは、こうなってみると、
結局は、心に余裕のあるときだけにしか生まれないのではないか?」
などなど、この数ヶ月に考えたと思います。私もそうでした。
●そこで、自分の中でシミュレーションをしてみたのですが、
もしも、原発事故がなく、あの壊滅的な「地震と津波だけだったら」、
自分は、どうだっただろうかと・・・。
すると不思議といいますか、当然といいますか、
その場合には、創作意欲は、これほどまでには削がれない気がします。
たぶん、私たちは、自然災害は心のどこかで「当たり前のもの」として
生命の一部として本能的にも、容認されているのだと思います。
ですから原発のことがなければ、たとえ津波による災害そのものは壊滅的でも、
今のような気持ちにはならなかったように推測しています。
では、同じ人災のひとつとして、
もしも今が、戦争中や、終戦時だったらとシミュレーションしてみますと、
ご存知のように、大戦中にも沢山の画家たちや文学者は創作を続けました。
他界した母から、よく戦時中と戦後の話を聞きましたが、
敗戦後も、それなりに、その後に自分たちが歩む方向ぐらいは、
わかっていたと思います。
●このように、少しシチュエーションを変えますと、
それがどれだけ大きなものであっても、
自然災害と、戦争、これだけでしたらば、これほどまでに、
芸術をやっていることの意味を問い直すことはなかったと思います。
ということは、それほどまでに、「戦争よりも大きな脅威」に、
実はこの国が、追い込まれているということなのかもしれません。
こういうときに、もしも海外に半年とか住みますと、感じ方が変わるのかもしれませんが、
それは、実際に移動してみないとわかりません。
今、この国にいまして、創作意欲をここまで削がれ、
今、創作をしていて良い時期なのかと自問させる最大のものは、
それは、やはり、原発事故と、
それにまつわる、醜すぎる、隠されてきた利権構造のせいだと思います。
●実際には、関東にいる私たちは、福島に比べたら、汚染度も低いですし、
今日明日の生活や家に、すぐさま困っているわけではありません。
にもかかわらず、汚染の度合いや、福島からの距離に関係なく、
自分の身体のどこかが、おかしいような感覚があります。
被災地にいないからといって、目をそむけたり、
見捨てることが絶対に出来ないものを、自分の身体の一部のように、
私はずっと感じています。
多分、多くの人達も感じておられると思いますが、
3.11以前にしていたことを、単に元と同じように再現したり、
元のように生活をしようとしても、
どうしても前とは何か「違う」というものが、それを拒んでいると思います。
私にもそれが何かは、まだ分かりません。
もしかしたら、それは、
次にまだ災害や原発事故があるから油断できない、
どことなく、安心できないで、物事が手につかない、
という事の示唆なのかもしれませんし、
あるいは、そういう異変がなくても、
既に、何かが変わってしまったのかもしれません。
そして、今の時期に、芸術というものを表現すことに意味があるのかないのか、
また、得体の知れないこの感覚を表現することは、
自分や、他者、そのどちらか、または両方に、何か意味があるのか?
私にも、それは分かりません。
________________________________
■3.11の震災を分岐点として、
特に、岐阜県あたりから以西の人達には、実感がないようで、
それまでの生活と同じ感覚で生きているようです。
一方で、北海道を除く、
新潟、長野、山梨、静岡、神奈川、このあたり「以東の地域」は、
おおかれ少なかれ、あの震災の時の巨大な揺れを実感した人達がいます。
被害の程度は、震源からの距離や地形によって違いますが、
尋常ではない、非日常的な揺れを経験したのは、おおむね、
このあたりから東日本にいた人達だと思います。
また現在、放射性物質の影響に危惧しなければならないのも、
その地域以東の人達です。
●津波と原発事故の報道は、全国的に放映されているのですから、
同じ情報を共有しているわけですが、
にも関わらず、特に関西より西では、どこか他人事である雰囲気があります。
そして、特に震災に実感を強く持っている人ほど、さらに、
その人が、それまでに何かのアートに関わって来た人達ほど、
創作活動が停止するという経験をしているはずです。
もしもそれまでと何も変わらずに、創作をしているとしたら、
その人は、そもそもアートをするような繊細さがなく、単に、
極端に「鈍感な人」であるか、
または、極端に「商業的なアート」に近いために、
社会システムの中では、いやでも、それをやらねばならず、
また、あまり自分のオリジナリティーを出さずとも、
創作が出来る分野にいる人なのかもしれません。
一例として、コマーシャルの音楽を依頼される人は、
たとえ、個人としては、震災以後、全く作曲をする気がなくなっていても、
企業からの要求というシステムの中では、気がのらなくとも、
ある程度、職人的に作り上げてしまえるのだと思います。
ただし、それはアートとは言えないと思いますが。
●原発事故については、テレビ報道では極端に情報が少ないですが、
収束などにはほど遠い。
3.11以後、私たちの神経は、どこかで、ずっと緊張し、
何かに対して「警戒したまま」になっている感覚を受けます。
それが、はたして、「次の大災害への予感」から来るものなのか、
それとも、3.11の「慣性」として続いているものなのか、それはまだ分かりません。
しかし、日本という国の道が、いったん途切れたのは事実です。
ここでは、復興だ、立ち直るんだとやるのではなくて、
少し立ち止まって、本当は何が起きているのか、
そして、これから起きる可能性があるのかを、
神経を研ぎ澄ませて、感じ取るほうがいいと思います。
_________________________________
さて、以下は、自我復元の報告です。
オリジナルは、A4でプリントアウトして、びっしりと15枚もある内容でしたが、
今回も、詳細は転載しませんので、あちこちが、省略されています。
夢の内容も、大変に興味深く、
その、ひとつひとつが、短編のドラマのようで、かつ意味深な内容だったのですが、
ここでは、タイトルだけの掲載にしてあります。
自我復元の報告
★−自我復元によって「現実生活」に起きた「具体的な変化」のレポート
・彼女と別れた。
・●●を降り、これだけはごめんだという仕事から距離を置くことができた。
・仕事で会うお客さんとの会話の内容で仕事以外の話題が占める率が多い時が増えた
(趣味の話、原発問題、家庭問題、)
・姿勢がよくなり目線の角度がかわったので人ごみでも人酔いしずらくなり、
無自覚に歩調を合わせる事もしなくなったので歩きやすくなった。
★−自我復元に関連すると御本人が思われる「夢の内容」のレポート
★4/10「集団の中で何かを提案する夢」
★4/17「他人の為に目的をずらさない夢」
★4/29「偽善を利用する黒い鳥の夢」
★5/3「他人の協力でやりたいことがさらに充実する夢」
★5/10「ここにいることがありがたいと思う夢」
★「コマが止まると世界の崩壊が始まる夢」
★5/31「結果を変える為にこれまでとは反対方向に進む夢」
★7/2「明らかに非常事態なのだが動揺が少ない夢」
・ここ数ヶ月夢の登場人物が私だけの夢が極端に少ない。
普段の生活同様夢の中でも99パーセントは他人と私の関わり合いが発生している。
★4/3
・夢の中の色、素材感、立体感、素材感が増している。
山の風景がきれい。夢を見ながら自分の夢の再現度が高い事に関心している。
・夢の登場人物に意識をむける。
「あの人はあそこからどんな風景をみているのだろうか?」
夢の世界で他人の気持ちを考えた事は珍しい。
・物事が私の自動的な連想、予想とは違った結末になる。
これまでの私の常識が使えない。
少なくとも過剰な期待は捨てる必要を感じた。
4/26
・夢の中でも自分の発言に他人の意識がふくまれていないかチエックしている。
★−自我復元に伴う「主観的変化」のレポート
・疲れにくくなった。
仕事が終わって「あー疲れた〜」と言わなくなった。
・思考が混乱している状態に敏感になった。
混乱していると感じたら可能な限り正常に戻すようにしている。
・会話中、論点がずれている事に敏感になった。
・物事に対して取り組む時に解決時間の早さを基準にするのではなく
再発しない為の方法探しを時間を割いてでもするようになった。
・集中力が増している。会話の論点を保ち続ける力が以前より増えている。
★5/20
・思考、意識、記憶の区別が以前よりはっきりしてくる。
時々立ち止まり、どれが優勢か確認してみる。
★6/27
・生活を充実させるための為の仕事か、
仕事を充実させる為の生活か分別を付ける必要がある。
★6/30
・夢の中で内容に違和感を感じながらも相手の話や意見を聞いている場面が増える。
違和感を言葉にする時もあればそのままの時もある。
現実世界の行動と夢の世界の行動が近づいてきている。
______________________________
●この方の報告は、毎回、本当に興味深いです。
ある意味で、瞑想や、精神世界的な分野が正しい動機で開始され、
正しく吸収されているタイプの人です。
精神世界となると、何かと、動機も結果も、滅茶苦茶な人生を
作り出している人が多く、
瞑想のインストラクターなどをしている人にも、
全くそういう分野が、本当は不向きな人が多い中で、
この方は、瞑想的な指導と、実生活にしっかりとした関連性とリンクがあり、
どの報告も、極めてリアルで、先入観や、曇りが少ないです。
むろん、今までに紹介しました、他の方の報告も、
そのほとんどは同じような透明性を持っています。
精神性とかが、空論でなくて、身になっている人というのは、
ある意味で、本当に珍しいのです。
たいていは、本人にとって、混乱の元や、毒になっているか、
または、トンチンカンな言い訳や、誇大妄想というのが多すぎます。
そもそも、精神世界「的」な分野というのは、
自我率が、2/3以上にならないと、扱ってはならないし、
絶対に扱えない分野だと思って間違いないです。
__________________________
■以前にも言いましたが、
この「桜の間掲示板」を、最新投稿からではなく、
逆に、最初の投稿から読みたい方は、
この画面の「桜の写真のすぐ左下」にある「投稿記録室」をクリックするか、
または、こちらをクリックください。
↓
http://www.mumyouan.com/k/sakuraall.html?
_______________________________
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