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[241]
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★分割自我復元★その241■ 自我復元の報告 ■
by:
鈴木崩残
2013/07/07(Sun)08:03:44
トラウマ掘りの報告
●その人に固有の問題部分は、原文からは、かなり削って編集してありますので、
一般的にも参考になる部分のみの掲載となります。
*********
鈴木崩残 様
この3ヶ月、やっていたことは、朝晩のノート書きと、
家の徹底的な掃除と、配置換えでした。
ノートはこの4月からでも5冊となりましたが、
そのほとんどはそれでも逃げようとする私自身の、
ひっとらえ作業に使われたと思います。
***
自分の持つクセは「自分のことは自分で解決できる。」と、
思ってしまうことだと思います。
そして、「恥をかけない自分」。
恥ほどに、自分を炙りだすものはないので、
徹底的に「恥」を避けようとする。
これが、自分を狭めていると思いました。
そういう自分が、自分の苦しい現実作りだしているのに。
もう、こういう自分を、やめたらどうなのか??
やっとそう感じるようになったのが、6月の終わりでした。
***
私は人の意見を聞くということが、とても苦手なのだと思います。
全部、人の意見を取り入れるということではなくて、
その中で考えたり、あるいは拒否したり、そういう柔軟性がない。
人から意見されること、まるで「恥」みたいに感じてしまう。
みっともない、隠れたい、それで一杯になってフェードアウトする。
これを繰り返してきました。
もう、こんな自分を、打破したいのです。
***
私はようやくトラウマ掘りができる準備ができてきたのではないかと思う有り様で、
「いつまでそんなところにいるんですか!」と言われそうなのですが、
実際そうです。
くだらないプライドが私を牛耳っていました。
これは、「親譲り」だと思います。
***
もう周りの人にどう見られるかとか、そういうのを、もうやめたらどうか?
いつもどうして、「自分がどうなのか?」を優先しないのか?
なんでできないのか?と、考えはじめた。
そして小学生時代、眠れなかった日々のことを思い出していました。
日々、眠れなかったのに、自分は「眠れないのは、自分が悪い」と考えてきた。
父親に「子どもが眠れんない事などあるか」と全面否定されていたからだ。
でも、よくよく考えると、普通だったら
「いつから眠れないの? 何時まで眠れないの? 学校で眠たいの? 食欲は?」
と、聞くと思う。
そういうところが、親には全く欠落していた。
「眠れないというのは、大人がなるもんで、お前みたいな子どもがなるか??
どーせ、ちょっと眠れんぐらいなんだろ?
人生の苦難も知らんお前が、眠れないなんて、笑わせる!」
そんな声が聞こえてくるようだった。
ちくしょー! オトナのお前らなんかより、よっぽど「苦難」していたのに!
でも、自分も、
「眠れない、夜が怖い、毎晩怖い!!」って泣いて叫べばよかったんだ。
でも、自分、口をつぐんでジリジリと夜を過ごした。
ちゃんと眠れない自分が不器用で悪いと思い込んでいた。
多分、あのボンクラ親は、
夜、眠れないという体験を一度もしたことがないのかもしれない。
なんか、深刻に悩んで眠れない日々を過ごすとか。
そういうこと、実は一度もなくて、
そんな自分でさえ体験したこともないことを、
「子どものオマエが?!」って、小バカにしたのだと思う。
そして、中身のない、薄っぺらい人生を歩んでいる自分のことを、
悟られたくなかったのだと思う。
子どもに悟られるのが、よっぽど恐怖だったのだと思う。
そう考えると、なんか涙がじりじり滲んできた。
***
今の延長線上の中に、一体なにがある? 何にしがみついているのか?
アトピーがひどい時も、辛かった。
でも、かくと「また、かいているな」と親から言われる。
でも、かゆいのは事実だ。
「かゆい! もうつらい! 助けて! 一日中、夜中もかゆいの!!」
そう言って、泣いてもよかった。
でも、私は歯を食いしばることしかしなかった。ひたすら、我慢した。
そして、全身にひろがった。
どうにもならなくて、それが解決にならなくても、
「かゆい! つらい!」と、本来頼っていいはずの親に叫んでもよかった。
そう思うと、また大泣きになった。
***
よくわからないが、でも、多分、これが本当の私自身なのだと思う。
救われなかった、救いきれなかった私自身なのだと思う。
***
私は、こうなって初めて、
自分が常に、胸が紐で縛られてるような状態になっていたことに気がついた。
そして、普段の自分が「異常なのだ」ということに、初めて気がついた。
***
「自分がどうなのか?」を、自然に、
そしてある程度柔軟性を持って生きれるようになりたいです。
今のままだと、とても閉塞感。
そして、「生まれなかった方がよっぽどマシ」人生の延長になってしまう。
もう、そういう自分が嫌なのです。
***
とにかく、本来の自分自身の邪魔になっている考え方、クセを、
徹底的に、取り除いていくしかないのかなと思います。
***
私の保身の強さが原因で、私は、自分の胸を噛んでしまっている。
だから、本当は胸が痛い。
でも、今までは「人を見下す」という手法を使って、
そこにモルヒネを入れてきたのです。
だからその保身によって、本当は胸が痛いはずなのに、
痛さをわからなくさせていた。
これも、親譲りだと思います。
***
自分の歪んだ自己顕示欲について、書いてて、嫌になりますが、
そしてこんな自分が、悲しくなりますが、でも、そうなのだと思います。
自分自身が大切にしていたものを、あっさり捨ててしまって、
そして、見ないようにして、自分をだまして生きてきた。
これに、一体生きる価値がどこにある?
そして、自分自身に対して行った処置は本当にひどい。
これは、親ではなく、私自身が私の目を潰したのだから。
***
私のトラウマ掘り、それは、ほとんど調教掘りになると思うのですが、
こうやってみても、やっぱり最初に痛い「調教」があるのではないかと思います。
芸をする動物が、最初に調教師にされるように。
それで一つ思い出したのが、母から受けた一つの「仕打ち」です。
私は、ぶたれたり、怒られたり、閉じ込められたりも、何もされていないのですが、
それは、自分の中で、結構な痛手になっているのではないかと思います。
多分、3歳のころで、私は母と買い物で、近くの小さなスーパーの中にいた。
私は買って欲しい袋菓子があって、それを母にねだっていた。
私は自分ではあまり、物をねだった記憶はないのですが、
この時は、確かにねだっていた。
母は、「ダメ。」と言い、結局、最後まで買ってくれなかった。
私は会計の後も、多分「欲しい。」と言って騒いでいたのだと思う。
母は私に5円玉を手渡して、「じゃー、これで買いなさい。」と言った。
私は多分、当時、お金のこと、ほとんどわかっていなかったと思います。
10円のガチャガチャみたいなのはあって、
それで使うのは10円というのは、わかっていたかもしれませんが。
私は母がお金をくれた!と思って、
その袋菓子をもってレジのところに持って行った。
レジのおじさん、おばさんは、「買えないよ。」と言う。
とにかくダメと言われて、私は別のお菓子をレジに持って行く。
でも、「これも、買えないよ。」と言う。
私はまた別のお菓子を持って行く。
そういうことを何回か繰り返して、
見かねたおばさんがレジのところから出てきて、
私の前に来てこう言った。
「お嬢ちゃん、そのお金で買えるものは、ここにはないのよ。」
私は、すぐには理解できなかったかもしれませんが、
それでも小さい頭の中をぐるんと一周して、
ようやく、母は、私がこうして困ることをわかって、
このお金を手渡したのだ、とわかったのでした。
そして、何より傷ついたのは、
そのおばさんが、私が傷つかないように、気をつかう口調で、
私にそれを告げたことでした。
それは、幼い私にもちょっとわかるものだった。
それは、そのおばさんが悪いのではない。
優しくて、大好きなおばさんだったから、だからそれゆえに、
自分の今の行動が、とっても恥ずかしく、
そしてみじめなものだったということがわかったからです。
自分は多分、その恥ずかしい感情とか、
親が、自分がこうして困ることを知って、やったこととか、
子供の頭では、うまく処理できなかったのではないかと思う。
そして、もう一つ傷ついたのは、そのスーパーを出て、外に出た時、
本当に母はいなかった。ということでした。
本当に母は、私を置いて、家に帰ってしまっていた。
言うことを聞かない子どもは、捨てられたのです。
これならまだ、バンバン叩かれて、「だから買わないって言ってるでしょ!!」と、
ぐいぐい手を引っぱられて帰れる方がまだマシです。
スーパーを出て、すぐ橋があって、
そこを一人で渡ったのは覚えているが、細かいところは記憶が欠落している。
家に帰って、母から
「なんにも買えなかっただろ?」と言われた。
私は「うん。」と答えた。
なんか、真っ暗な中で、母の声が右斜め上から聞こえて、
それで、返事をした記憶だけある。
私はこれを、トラウマというのかどうか、わからないですが、
思い出すたびに、何とも言えない気持ちになる。
この感情の処理、本当のところは、今もできていないのかもしれない。
母からすれば、完璧にうまくいった調教でした。
私はそれ以来、そのスーパーで、一度も物をせがんだことはない。
しばらく、そのスーパーに行くのでさえ、恥ずかしかった記憶がある。
ひどい! 醜い!
私は今、そう思う。
母は、
「誰がルールを決めているのかを、ちゃんと知りなさいよ!」
わがまま言ったら、何も買えなくて、そして捨てられるのよ。
そーよ。大人しく私の後ろについて、いい子にしてればいいのよ!」
こう私のことを調教したのだと思う。
私はこのことを思い出してから、
3歳の私と手をつないで、橋を渡り、川沿いの道を一緒に歩いた。
***
母が私を捨てたのなら、もう、こっちから母を捨てる。
そして、この子は私が引き取る。
文句はないはずだ。
捨てたのは、母なのだから。
***
私はとても厄介な問題を抱えていると思います。
でも、あきらめる気持ちはないです。
最後まで、全自我、目指します。
***
判定の報告/追記
●この人の「毒母親」は、毒親大賞の「調教部門」としては「最悪」です。
***************************
ここで、おさらいしますと、「毒親の行為」または、
機能不全の原因となるものには、次の5種類があります。
1/
親が、身体的暴力を子供に加えた。(暴力によるトラウマ)
2/
自分は殴られていないが、自分の兄弟や母親が、親に殴られた。(恐怖によるトラウマ)
3/
子供に手を出していないが、
親が、子供を頻繁に怒鳴ったり、物に当り散らした。(恫喝によるトラウマ)
4/
暴力や恫喝を使わなかったが、親が子供を自分に都合よく調教した。
(調教による無力化)
5/
なお、この4種類とは別の分類に入る「AC」=アダルトチルドレン、
というのは、親からの「虐待によるトラウマや調教による無力化」がなくとも、
「子供時代」に、子供らしい感情を出せない、特別な理由が環境にあった場合です。
親による、暴力、恫喝、調教がなくても、
子供が自分のいる環境を見て、子供自身の判断で、
当たり前にあるべき感情や意志を抑圧した場合になる症状です。
1から4のような「明確な加害者」がいないという点で、
分析を進めるのに困難な場合があります。
■4と5は、かなり気づきにくいという点で厄介です。
むしろ、1から3の方が、記憶が封印されるほどの、
よほどの酷い仕打ちがないかぎりは、記憶されているので、
掘り出すのは、4や5よりは可能なはずです。
また、「1から3」の場合には、必ず、4と5の「調教やAC」の要素も、
同時に「併発」していることがほとんどです。
***************************
●この「五円玉事件」の母親は、子供の相手をしないで済むように、
子供を「だまし討ち」にして、しかも先に帰ったのですから、
最低の部類の毒親に入ります。
普通ならば、「買ってよ」vs「ダメ、買いません」と、
親子での攻防があるのが自然ですが、
この毒親は、子供が買えないことを「思い知る」ようにし、
しかも、相手をしないで済むように五円玉を渡して「放置」したのですから。
そして、次は、この方の「父親」にまつわるエピソードです。
*********
鈴木崩残様
姉が万引きをした日の事を思い出しました。
私が小学1年生、姉が中学2年でした。
姉が万引きをしたと連絡を受けて、
私と母は、その大型スーパーへ行きました。
私は「マンビキ」という言葉をその時初めて知りました。
そして、それは物を盗むことだということも、その時初めて知りました。
スーパーの奥の事務室みたいなところに入ると、そこに姉がいて、
もう何だか濡れネズミのような恰好で、
セーラー服を着たまま、うずくまっていました。
多分、再発防止のためだと思うのですが、
その見ず知らずのスーパーの人に、ねちっこく姉は尋問をされていました。
そして姉はもう泣いて、脅えきっていて、
「あ・・・うう・・」と答えられないのでした。
でも、それでも尋問は続く。
そして、その時間が怖ろしく長い。
2時間くらいは軽くあったのではないかと思う。
姉が万引きをした現場(お菓子の袋菓子コーナー)にも行って、
ここで再現をさせたのか、説明があったのか、よく思い出せないですが、
そこでも、尋問があった。
姉は袋菓子を一袋ではなく、いくつか盗ったようでした。
スーパーから解放されて帰る時、
姉と母は、距離をとって歩いていました。
それから家について、遅れて、単身赴任中の父が帰ってきました。
普段、土日もろくに帰ってこないのに、この時は帰ってきた。
姉はもう、家のテレビのある部屋で、正座をしていました。
もう、なんだか、これから首を切られる罪人のような恰好だった。
父は、カバンを置いて、それからネクタイをはずしました。
それから、いきなり正座している姉をぶっ叩きました。
姉の体が飛んで、それからもう一発あって、また反対側へ飛んだ。
私はびっくりして、怖くて、
そばの本棚にすり寄って、体操座りをしていました。
本当に怖かった。
私はこの姉がぶっ叩かれるところは、
この数ヶ月も何回か思い出していて、怖かった、
本当に、ただ、怖かったし、あの時、自分、泣いてもよかった。
自分はまだ6歳でよくわからないのだから、泣いてもよかった。
自分は、怖いことを、ちゃんと怖いって表現してよかったのに、
それを、しないで我慢した。
怖い、もう、体でこらえきれないー、ってあの時に泣いてよかったのに!
と思って、そのことに対して、泣いたこともありました。
でも、昨日、思い出した時、自分は「怖い」だけではなくて、
本当はこう叫んでいる。
お姉ちゃんが死んじゃう! お姉ちゃんが死んじゃう!
お姉ちゃんが死んじゃう! もう、やめて、お姉ちゃんが死んじゃう!!
私は別に姉思いの、妹ではなかった。
姉は「お前、ほんとバカだね。」と私によく言ったし、
小ばかにされるし、好きじゃなかった。
でも、私は、これ以上、姉がすたぼろになるところ、見たくなかったし、
そのぶん殴られる姿は、自分に亀裂が入るみたいに、
半身の私が切り裂かれるような感じがした。
そして、昨日、今まで思い出せなかったことがもう一つ出た。
それは、父が姉をぶっ叩いた後、言ったセリフだった。
言葉尻は少し違うかもしれないけれど、
父は家じゅうに響き渡る声でこう言った。
「もう、こんな子は、知らん!
お前らも、もう、こんな子とは、口きかんでいいからな!
いいね! わかったね!
口きかんで、いいからな!」
私はこの言葉を思い出した時、呼吸がつまりました。
短いしゃっくりを続けるみたいな症状が出る。
私は、姉がぶっ叩かれるのもそうだけど、
この最後の父のセリフに、胸に刺さるような痛みがある。
私は本当は嫌だった。
姉のこと、好きじゃなくても、口きかないなんてしたくない。
姉は脅えて、今日、ほとんど何も言えなかった。
父が怖い。お父さんが怖い。姉をぶん殴ったお父さんが怖い。
自分の本心と、目の前の恐怖心と、なんかどうしていいかわからなくて、
胸が痙攣したのだと思う。
それが、まだ、うまく処理ができていないのだと思います。
父は、そして母もだけれど、姉が万引きをしたことに関して、
その行為について、姉に内省させるとか、そういう所は全くなかった。
もう、そこにあったのは、ただ、ただ、人格否定、
姉の存在、そのものを否定するようなものだった。
愛情があって、殴るというのではなくて、
父の殴っていた手はこう言っていたと思う。
「万引きなんて、家がよっぽど貧乏で食わせてやってないみたいじゃないか!
なんて恥知らずなことしてくれたんだ!
それに、まるで、
あのお宅は子どもの育て方が悪いみたいに思われるじゃないか!
一家の恥だ、お前は!
もう、そのツラさえ、見たくない!!」
私の家は、機能不全家族ではなかった。
機能不全なんてものじゃなくて、殺人家族だ。
私は人の心が殺される現場を見た。
姉はぶっ叩かれて死んで、家族から無視されてもう一度死んだ。
私は、恐怖と保身から、
黙って、殺した側につき、そして、自分自身も殺してしまった。
私はここにも傷があると思う。
*********
5円玉事件も、私、本当は、親を信じたかったのだと思う。
お母さんが、そんなことするはずない。
私を置いていったり、そんなこと、そんなことおこるはずないって、
思ってたのだと思う。
でも、家に帰って、「なんも買えんやったやろ?」と言われて、
幕が、ドンと降りたのだと思う。
そこで、自分は、真暗になってしまった。
私は、この5円玉事件の感情を、
まだ引っぱりだしきれてないのかもしれないです。
思い出すと、いつも自分が脱臼したような感覚になる。
感情が出るというより、脱臼感が今は強いのです。
______________________________
●この方の、「初期のころの報告」では、
「家庭に何も問題はなく、虐待もなかった」となっています。
しかし、掘ればこれほど重篤な「子供無視」の虐待が出てくるわけです。
子供が万引きをしたならば、まともな親ならば、
まず、やった「理由」を問い正すものです。
お金がなかったからなのか?
友達に強要されたり、仲間意識から、煽られてやったのか?
好奇心やスリルからやったのか?
その他、何か理由があるのか?
●そのときの子供の言い分が、いい訳だろうが、嘘だろうが、
子供に、完全に悪意と落ち度があろうが、
とにかく、「理由と原因」を聞くのが、まず第一です。
また、親が、かっとなって、殴ったなら、殴ったのは、しかたないですから、
冷静になってから、父親が「どうして自分が殴ったのかの説明」が必要です。
しかし、このプロセスのどれもこの家族は踏んでいません。
この両親は、「世間体だけ」が重要で、
子供たちに対する、最低限度の気遣いの、かけらすらもありません。
_______________________________
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