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★分割自我復元★その44★ 「 法 脈 」
by:
鈴木崩残
2011/09/01(Thu)15:32:53
東へ行くだけでは不十分だ
●達磨がインドの中に弟子を見付けることが出来ず、
中国へと渡ったとかいう話は有名であるが、
ただし、達磨は中国に到着してから、
(根も葉もない伝説によれば)9年間壁に向かって座っていたという。
●しかし、これは良くない。
というのも、結局は、そうやって師の元に、集まって来たり、
師を訪れるのは、弟子の方だからだ。
これは、たとえその師が本物だったとしても、世界中のどこでも
繰り返されてきたパターンである。
師のところへ弟子が行く。
ブッダやイエスは放浪したが、推察するに、けっこう、いいかげんに
だれかれ構わずに教団や教えに引き込んだのであり、
彼らは別に、法脈を継げる逸材を探していたわけではない。
禅師については、詳しくは調べていないが、知っているかぎりでは、
師のほうから、わざわざ弟子のところに出向いて教えたなどという話は聞かない。
たまたま行脚の途中で良き弟子に出会ったといったことならば
あっただろうが。
●しかし、私は逆の物語のほうが、神話として遥かに美しいと思う。
つまり、師の方から、法脈を継げる資質のある弟子を探し、求め、
そして見つかったら、師の方から、頭を下げてでも、
「どうか、私に指導をさせて下さい」というのである。
もしも和尚(osho)がまだ生きていたら、
彼は、私に100%同意するだろう。
彼は言うだろう。
「それは、完全に正しい。
なぜならば、
弟子は師を選ぶことにおいて、間違いばかり犯すが、
師が弟子を選ぶならば、そこに間違いはあり得ないからだ。」
●そのようなわけで、師に弟子が群がったり、
群がらなくとも、一人の弟子が師に受け入れられるといった、
二祖のような物語は、もう腐るほどこの世界にある。
しかし、師が頭を下げてまで、弟子の資質を見込むというところから
始まった逸話は存在しない。
●ちなみに、星一徹も、丹下段平も、本人自らが夢に挫折し、
その果たせなかった夢を、息子や、ジョーに託したにすぎない。
しかし禅師とはそういうものではない。
自らが、境涯を得て、何ひとつ不満のないところから、
今度は、それを受け取れる弟子にそれを渡す。
しかし、今日まで、それは、常に、
弟子の方が、師を梯子していたにすぎない。
このベクトルを私は変えたい。
単に、東に行って、座って待つのでもなく、
行脚の途中で出会うのでもなく、
最初から、弟子を発掘することを目的とし、
むろん、それは一方的に、師が選ぶものである。
弟子にはむろん、それを断る権利はある。
それでも、「教えさせてくれないか」と土下座してまで懇願する師。
それは、過去の仏法の逸話に並べれば、実に滑稽な情景だが、
私から見れば、今までの歴史よりも、ずっと遥かに美しい。
和尚も、まだ生きていれば、私の見解に同意することだろう。
「師が弟子の選択を間違うことは絶対にない」のだから。
これほど確実で、無駄のない方法はない。
一方で、弟子というものは、
その時の自分にぴったりと必要な師すらも、常に間違って選択するという
そういう愚かさの中に、常にいるものなのである。
●これは、仏法とかの話ではなく、
「スポーツとか、学問や、あるいは職人」の世界の話であれば、
理解するのに、それほど困難はないはずだ。
自分の知識や技を、伝えられる人材を探す。
これならば、世の中には、今までにも沢山存在したはずだからである。
現代で言うならば、スカウトや、ヘッドハンティングである。
●たまたま、仏法とか悟りとか、そういう世界になると、
まるで、師は、偉そうに動かずにいて、有能な弟子をただ待ち、
そうやっているうちに、教団がでかくなって、カルト化する。
そんな無駄な時間を割くような、醜いことばかりが、この世界では起きてきた。
しかし、東へ行って、壁に向かって座るのではなく、
東の国で、師が自分で歩きまわれば、きっと、弟子は見つかるだろう。
「私を弟子にしてください」
こんな言葉は、聞き飽きた。うんざりだ。
私が残したい神話は、
「私を師にさせてください」、という言葉である。
選ぶのは師の側であって、弟子ではない。
旅をするのは師であって、弟子ではない。
どこへ行くべきかを知っているのは師であって、弟子ではない。
そして、頭を下げるのは、師であって、弟子ではない。
これが私が残したい神話である。
むろん、それは、この地球上に残すつもりは、毛頭ありません。
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