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掲示板
Title
「分割自我復元」
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[53]
■
★分割自我復元★その52★おたよりと、自我復元報告など■
by:
鈴木崩残
2011/10/03(Mon)18:51:31
自我復元報告・おたより
今回は、二つの報告とも、かなり長い掲載になります。
いつも、かなりの部分を編集してカットしているので、「・中略・」だらけですが、
それでも、長くなります。
途中で入る「黄色の文字」は私のコメントです。
おひとりめは、医療関係のお仕事の人です。
●おひとりめ
こんばんは。 すっかり季節は秋になり 肌寒くなってきました。
空気が変わって秋の香りになり、草の香りがした夏とは違う、乾燥した感じがします。
夜勤の時太陽が昇る前に外に出ると、季節の香りがすることに気がつき、
季節の変わり目は暦ではなくて、空気で変わるんだと感じています。
前回の報告から二か月、経ってしまいました。
今回は 自我判定もお願いしようと思いまして、報告もかねてメールします。
自我復元の回数は寝る前の習慣のようになっており、横になれば呼びかけをしてます。
回収も朝起きたら忘れずにやるようにしてます。回数は数えきれないです。
桜の間で、
>>●呼びかけるときに、必ず呼びかけたあとに下降して、
>>ターゲットとコミュニケーションを取ろうとしてください。
とありましたが、そういえば、
・中略・
必ず会話をしてから 回収をしていました。
最近は、亡くなる患者さんがいれば、亡くなりそうなタイミングで、
呼びかけることもあります。
*******
前回の報告からの変化ですが、
崩残さんから「ターミナルケアの方へ進むかも・・」と言われましたが、
今の病棟では、めったに入院しないのですが、
その後、病棟に癌のターミナルの方が、数人入院してきました。
ターミナルケアが専門でないので、どうやって患者さんと接すればよいのか距離感が掴めず、
転棟されて亡くなられました。
「どうせ死ぬのだから好きにさせてくれ」という患者と、
ここは病院だからというシステムの中で、どうすれば患者さんにとって、
安らかに死を受け入れられるのか、ということを考えました。
延命治療を拒絶する患者に対してどこまで話していいのか、わかりませんでした。
それとは別に、この二か月ほどの間に、お年宵の患者に対して家族から
「何もしないでください。」と言われる家族さんが数名おられました。
今まで、そうした家族の人はおりませんでした。
何もしないというのは 救命処置をしない点滴も、血圧を上げる薬も投与しない。
もちろん心臓マッサージや呼吸器もつけないということなんですが、
その選択をされた患者さんは、薬を使わないので、
息を引き取られるときは、まるで火が消えるように静かにお亡くなりになりました。
とってもきれいな状態で、息を引き取られました。
お年寄りだからかもしれませんが、
無駄に医療処置をして亡くなった場合は体が溶けていくように感じ、
どろどろになって溶けていき、地面にたまっているようで、
臭いし気分が悪くなります。
それに比べて 何もしない場合は、スパーっとどこかへと飛んでいく感じで、
臨終の場にいて、とても、嬉しくなるんです。(変なたとえですが)
「ばんざーーい お疲れ様でした」と心の中で叫んでいます。
********
八月に、二件ほど、立て続けに臨終に立ち会ったのですが
それが勤務中で、全てが、とてもタイミングがよかったことに驚きました。
家族を呼ぶタイミング、医者を呼ぶタイミング、日常業務にも影響することもなく、
あと数分遅れたら、ごはんも食べれずバタバタを過ごしてしまうだろう
といったことが紙一重のタイミングで流れていました。
最後の時を、みんなで作り上げた感じです。
ただ、最後の時に、何もしないことを選択するには、
何度も何度も事あるごとに、医者から意思決定の確認をされます。
病院側としては訴訟にならないようにということなんですが、
家族にも強い意志力がないと大変だと思います。
*********
主人とのことですが、
・中略・
前回、お守りを送っていただいてから、
・中略・
本当にびっくりなんですが、
もう、おかしいやら驚くやらで。。。それが7月のころなんですが、
・中略・
おかげで こうやって一人静かにメールを書くことができてます。
>あの「御守り」が効いたのだと、いいですね。
*******
自分は、どうありたいのかを考えていて、とにかく
「私が、その時にやりたいと思うことを、邪魔をされないでやりたい」
ということになり、それを強く思うようになりました。
そうすると、家の中が変わりました。
旦那が家事をするようになり、子供たちも落ち着いています。
仕事や、私の行動に対して何も言わなくなりました。
これは 本当に楽です。
家の中で常に緊張を強いられるということが少なくなり、
とても楽に息ができます。
特に娘に変化が現れています。
いままで、地味でいつまでも悩んで、一人では何もできない、何もしない子だったのが、
おしゃれをし、洋服に気を使ってきています。
受験期なのですが、自分の興味のある高校に一人で決めて、
その高校の先生に対して疑問や聞きたいところをちゃんと話してきました。
考え過ぎてしまうのを解決するにはどうすればいいか、と私に聞くので
「体を動かしてみれば?」と提案すると、ダンスを習いに行くようになりました。
今まで、どんなに薦めても家から出なかったのに、
一人で出かけていくようになったのは、母親として本当に、驚いていてます。
>この部分は、ご本人が自我復元で変わったために、
>周囲がそれに、かなり影響をされているのだろうと思います。
>原理的には、ありえないので、まさかとは思うのですが、
>自我復元をしている人のそばにいて、自我復元について全く知らない人が、自我率が変化する
>ということが、あり得るのかどうかを、他の実習者の方の協力を得て、観察中ですので、
>それも考慮するために、この方の他のご家族の名前を尋ねました。
>原理的には、自我率変化の感染というのは、ありえないことなのですが、
>何しろ、「自我復元」というのは、何が起きるか分からない、全く未知の実験ですから。
********
ずっと読みたいと思っていた「性恋愛教本」を購入しました。
これで三部作が揃いました。
最後の「性恋愛教本」は読むのが怖くて、今まで、まともなセックスを
してきていなかったので、何だか、それにさらに追い打ちをかけられて
落ち込むのではないか、と思っていたのですが、
在庫がなくなりそうだという事と、
これから、恋愛するであろう子供たちへの贈り物として購入することに決めました。
>私としても、とても嬉しいです。
>特に、「自分のお子様に、私の本を」と思ってくれる人には、私はありがたく思います。
>出来るだけ、早期に、恋愛とセックスのことは、知っておくべきで、
>しかも、私が絶対的な自信を持って、本当は恋愛やセックスとは
>何であるのか、という根本問題を語った本ですから。
>自画自賛になりますが、恋愛とセックスの本では、
>「性恋愛教本」を超えられる本は、ないと思います。
>テクニックという意味では「性のレシピ」や「虹のオーガズム」が
>具体的なのですが、「性恋愛教本」には、明確な私の哲学があります。
>いずれにしても、私がもしも高校生や大学生だったら、読みたかった
>セックスと恋愛の正しい本、それを自分自身の手で残すことが出来ました。
「性恋愛教本」の「表紙の絵」がとても好きです。
表紙を見ていると、オーガズムの時に体が溶けていく感じを思い出しました。
尾てい骨から体の中をつ突き上げてくる感覚、その瞬間を絵で表しているような感じです。
>本の表紙や、ディクスのジャケットについて、感想を書いてくる人が
>なかなかいないので、こういう感想は、けっこう私は嬉しいです。
>あのイラストは、何度手を加えたか分からないぐらい、神経を使いましたから。
>体が溶けて、下に流れてゆくイメージと、体が気化して、湯気のように
>上に上ってゆく、その両方を同時に表現したかったのです。
>身体の境界線が溶けている描写というのは、一歩間違えると、
>ホラーのような絵になってしまうのですが、そうならないようにすることと、
>体の線が崩れながらも、適度にエロティックな雰囲気をも、きちんと残すのが、
>難しかったです。
>また、体の色をどうするかというのも、相当に試行錯誤しまして、
>青味や、緑色がかった色を持つ肌というのも、一歩間違うと、爬虫類のようになってしまうのですが、
>それもなんとか、バランスを取れました。
ジャケットデザイン
↓ 左・CD書籍「性恋愛教本」 右・音楽CD「性魔術の為の音楽」
それと同じく、以前に書いていただいた「歓喜」の文字を思い出して、
改めて飾って見ています。
表紙の絵と「歓喜」の文字を並べてみていると
死ぬ瞬間も、同じ感覚なのかと思います。
自分は、まだ死んでないので、
あくまでも、人が死ぬ瞬間に立ち会った時の感覚なのですが、
火山の噴火のように突き上げて、頭頂から抜けて体が解けていく(内と外がなくなる感じ)、
そこに踊りだしたくなるような喜び(歓喜)があるんだと思いました。
***************
この二か月の間、何かをしなくてはいけない。
何もしないことがあると不安になってしまい、活動中毒になっていることに気がつきました。
暇が怖い。。。そうやって、焦ってくることに気づきました。
自分の本心に向き合うことせずに、何がしたいのか、したくないのかと考えました。
梅の間にあった、
>>「・・・であるぐらいならば、死んだ方がマシだ」
というものが今までなくて、人と同じでありたいとか、、
自分の中の指針がないので 世間様と同じことを、無意識にしていただけだったのだと思いました。
食べるためだけに、魂を他人に明け渡していたといったところでしょうか。
今は、絶対これだけは譲れない、「・・・であるぐらいならば、
死んだ方がマシだ」・・・を探している状態です。
今までは、考えもせずに、他人の顔色ばかり見て生きていたことに、
自分でも驚いてます。
***********
最近、きれいになったと、よく言われます。
これが嬉しいですね。
>この手の報告、実は、本当に多いんです。
>あんまり、掲示板に掲載すると、嘘っぽく思われたり、
>それこそ、「奇跡のペンダント」系の話みたいになってしまうので
>私も、かなり抑えて、掲載しないようにしているのですが、
>女性の方が、男性よりも鏡を見る機会と時間が多いせいか、
>特に、中高年の女性からの報告が多いのです。
>それで、それが本人の思い込みなのかといえば、
>それは、周囲の人たちにそれを指摘されているケースがほとんどなので、
>客観的に顔の雰囲気が変化しているのだろうと思います。
>私が自我率のリーディングをするときには、
>以来者の方の(男性でも女性でも)、肌の質感というのが、手で実際に触れているかのように、
>よく分かることが多いのですが、この方は肌質もかなり変化していました。
>そして、なぜ、手の肌質が私に認識される事が多いかといいますと、
>自我率を見るときには、私は相手の人がご注文のメールを書いていた時に、
>パソコンであれ、携帯電話その他であれ、
>その人がキーに類するものに触れていた「指と手の気配」を頼りに、
>その人の中に入り込むからです。
>最も重要なのは、名前と、筆跡、住所の空間座標なのですが、
>メールというのも、かなり重要なのです。
>ただしそれはヘッダー情報という意味ではなく、文体を見て、私の意識を、
>ネット回線の中に流して、送信者のところまで逆流させるという技術です。
>ですから、相手の人の存在性が薄すぎたりして、これに手間取ると、
>自我判定に、物凄く時間がかかることがたまにあります。
***********
原発の事とか書きたいことはあるのですが、これは、自分のノートに書いてます。
原発事故に関しては、放射能被害のリアル感は薄いです。
そのことが悪いことのようにも感じていました。
それよりも、日本という国や日本人は素晴らしいものだと信じていたのですが、
その素晴らしい像が実は おかしいぞ、と思うほうが怖いです。
信じていたものが実は虚像だった。
これからは何を信じていけばいいのか??と、怖さを感じていることろです。
まだ、まとまりはついていないので、
とにかく、頭の中なかで呟いていることを「自分ノート」に書くようにしています。
********
・中略・
PS
「分割自我復元理論」のCDは、印刷してファイルに綴じて、2回全編読みました。
読むと、やっぱりモチベーションは上がりますね。
なぜ自我復元をやろうと思ったのか、その初心に戻れます。
とにかく、全自我に戻らないことには話にならない。
肉体を離れてからも、フラフラと、さまようことのないように、
今、やること=自我復元が、何事においても最優先だということを、
思い出させてくれます。
崩残さんに、お会いしたことはないですが、
文字やDVDが身近にあることで、
身近にサポートをしていただいてるんだと、感じております。
>そちらに関しては、特に、心配になることが多かったものですから、
>こうして、環境が改善されている報告を受けますと、私もほっとします。
>私も砂手も、貴女のことは、気にかけております。
>いろいろな読者の人がいて、いろいろな状況の人がいますが、
>とりわけ「この人には、今の状態からは、絶対に抜け出て欲しい」と、
>私が個人的に、応援をしたくなる人、というのがいます。
>そちらは、その人達の中の、一人なのです。
>まー、中には、「はいはい、勝手にすればー。自業自得なんだから」と思う人も、いるのですが
>一方では、私が、見過ごせないタイプの苦境を持っている人というのがおります。
>そうは言っても、いくら助けたいと思っていても、自我率が低すぎて、
>どうにもならないと判断することもよくあります。
>数年前でしたらば、自我率という概念がありませんでしたので、
>どういう相談にも、それが、本当に真面目ものであれば、過去には、
>私も出来るだけ、常に全力で、対応して助言もしてきたのですが、
>今では、まず、個々の問題を解決するための最低限度の自我率ありきで、
>それが基盤にないと、どうにもならないのです。
>ですから、自我復元法をやっている人達が、自分自身の力で
>自分自身と、環境を変えていっている報告を目にすると、
>この方法論を発見できて、本当に良かったと私も思います。
________________________
●おふたりめ
鈴木崩残 様
こんにちは。
自我判定の注文をいたします。3回目の判定です。
よろしくお願いします。
前回の判定から5ヶ月以上経ちました。
怒涛のような5ヶ月だった気もします。
ちょうど会社が連休に入り、いい機会となりました。
報告を書きながら、振り返りたいと思っています。
以前、掲示板で【急ブレーキをかけてみる】という記事を書かれていたと思うのですが、
わたしも当時、やってみた方がいいかな・・・とは思ったものの、
「絶対ムリ!」という印象でした。
その時にやっても、中途半端になる、と思ったのです。
でも今は、「あ、できる!」という感じで、
昨日から頭に情報を入れるのを止めて、昼寝したり、散歩したりしています。
震災以降、初です。こういう状態。
金木犀の香りがしていて、何だか懐かしい・・というか、
誰に向かって言うわけでもないですが、
「ただいま。」と空を見上げたりしています。
1-「復元作業中」の変化。
<作業時の変化>
・中略・
2/秘密ルート
・中略・
その繋がるルートさえ確保できれば、
多少作業をはばむものがあっても大丈夫という印象を持ちます。
この「●●」を体得してからは、寝る前だけでなく、
朝、夕方の作業もしやすくなったように思います。
<復元作業方法の変化>
■作業方法
前回報告時と、やり方は大きく変えていませんが、
動的方法(立ったまま、日中行っていたもの)は、しなくなりました。
いつも横になって復元作業をしています。
・中略・
■時間帯
寝る前に復元作業をすることが多いですが、
この5ヶ月というもの、気がついたら床に寝転がって、
そのまま朝!ということもよくあって、
自分の寝る前の作業に信用が持てなくなりました。
あと、睡眠前に入浴してしまうと、
復元作業中にスヤスヤ・・・ということもよくありまして。
なので、夕方に行ったり、朝行ったり、
休みの日の日中に行ったりもしています。
■復元地
復元地は「日本」にしていますが、
5/29から6/14までの数日、「世界の核汚染地を訪ねて復元する」
という、イベント的復元もやってみました。
原発問題に関連して、You-tube等でその地方の映像を見ていると、
風土的なイメージもつかめる様になってきて、
呼びかけも出来るような気がしたからでした。
ただ、続けていくと少々疲労するような体感があったのと、
やはり日本の方が肌なじみがいいような感じがして、
その後、再び日本へ戻しました。
■気をつけていること
・中略・
2-「夢の内容」の変化。
・中略・
>5つの夢の内容が書いてあったのですが、どれも非常にリアリティーがあり、
>また、それが象徴しているものが捉えやすく、面白かったです。
>うち、3番目のは、体外離脱しかけた時の典型的なものです。
3-「主観的」な自分の変化。
◆小さな誕生日
・中略・
何だかわかりませんが、その日以来、自分が妙に落ち着いています。
復元作業を始めてから、
時間が増えた → 自分と時間がくっついた → 自分が時間を牛耳った、
という風に変化をしてきたのですが、この日以後の感覚は、
自分の時間とあちら側の時間(どこだかわかりませんが)の時刻が
ピッタリ合ったというような印象です。
NHKの時報のように、
ポッ、ポッ、ポッ、ポーン♪と標準時刻が合ったような。
だからといって何が起こったわけでもないのですが、
自分のマイペースさに、より胆が据わった印象です。
そして、これは後から書く「体の変化」に入れた方がいいかもなのですが、
・中略・
以上が、わたしが「小さな誕生日」と名付けた日の報告です。
少し抽象的な報告なのですが、
自分の中では「主観的な変化」のTOPに挙げるほど
意識の様相の変化を感じるものでした。
◆「恥」というものが、なくなる。
以前は「こう見られたら恥ずかしい」とか、
「バレてほしくない」とか、そういう発想の仕方をしていたと思うのですが、
今は「それがどうしたぃ!」と、妙にベランメエな私です。
周りからの視線に、へこたれる自分がいない。
どこにも見当たらない。
「一体どなたが“恥ずかしい”と感じるんですかい?」という印象です。
もちろん、単純ミスで失敗したりすると、「あらら、恥ずかし・・。」
と思ったりしますが、開けっぴろげのままにしちゃうのですよね。
ふろしきを広げたまんま「やっちまいました!」という感じです。
多分以前は、ふろしきを、きゅっと結んで後ろに隠し、
「たいしたことはございやせん。ハイ、こっち見ないでください。」
という感じだったと思うのです。
「東電」ほどではない、と思いたいですが、自分も隠蔽体質を持っていたと思います。
それが今はなくなってきたというか、
ぶっちゃけ、どーでもよくなったのだと思います。
4-本人ではなく「環境」の変化。
最近の会社内での変化なのですが、
私を「コケ」にして冗談を言う人が増えました。
私をバカにしているという意味ではなく、何となく親しみというか、
人懐っこく接してきているような、そんな雰囲気です。
可笑しくて私も一緒になって笑うんですが、
もしかしたら以前より私側の「固さ」がとれたのかもしれません。
●新しい仕事の依頼
・中略・
5-「身体」の変化。
◆顔
もしかしたら「顔」が少し変わったかもしれません。
いや、「変わった」と書くと大げさですね。
印象として、顔が「開いた」と言いますか・・・。
何も顔のパーツが変わったわけでもないのですが、
迷いがない顔になったというのでしょうか。
「あー、この顔よね。」と、何だか懐かしいお顔です。
別に美人になったわけでもありません。
ただ、すんなりとした印象があります。
6-その他の「ユニーク」な変化。
声の質が、かなり変化をしました。
自分よりも聞いていた人の方が「驚いた。」と仰るので、
自分が感じている以上に変化をしたのかもしれません。
・声の広がり
20代の頃に●●●にいたので、多少、普通の人よりも声は出るのですが、
声の通る範囲が、より広くなったように感じます。
体感的にわかります。
声が大きくなったというより、空気を伝わっていく振動か、
何かの成分(?)が変化したような印象です。
普段しゃべる声と、そうでない声とが、全然違うと言われます。
発声をしている時は、まるで自分が宇宙の中心にいるかのようです。
声は、前だけでなく、横・後ろと、円形状に広がっていく(伝わっていく)印象です。
>これまた、自我復元の報告の中に、かなり含まれているものです。
>声の質の変化です。声を出すことを仕事、あるいは趣味にしている人
>たとえば、歌を歌う人、またはもう少し本格的にコーラス部で活動をしている人。
>そうした、自分の声に、普通の人よりも注意を払っている人たちから
>この「声が変化した」「変化したと言われる」という報告は、かなり多いです。
>精神状態が変わることはむろん原因なのでしょうが、
>もしかすると、声帯それ自体にも、多少の変化がおきているのかも
>しれませんが、医学的に証明するには、それなりの検査をしてみないと
>わかりませんね。
>それこそ、自我復元をする前の声の録音があって、
>自我復元をした後のその人の声の記録があり、(ついでにお金があれば)
>日本音響研究所で、周波数成分の分布の違いを分析してほしいぐらいです。
前回戴いた「滲み書」について。
◆「蓮花」
前回の判定時に戴いた滲み書を、今も部屋に飾っています。
当初、よく見ていた字は、サービスでいただいた「道」、
そして「飛」でしたが、今は「蓮花」をよく見ています。
何故かはわかりませんが、首が自然とそちらを向きます。
字体も少し丸っこくて、
「花」という字がちょっと恥ずかしいよな感じで、
以前はあまり直視できなかったのですが、今は一番落ち着くと言いますか。
見上げては「うん。」と何か確認しあってるような・・。
うまく書けませんが、視線が変化しました。不思議です。
7-現時点での「課題」。
↑
この「項目7」は、自分で勝手に作ったカテゴリーなのですが、
一番頭の中を占めている問題なので、書いてみることにしました。
崩残さんが掲示板で書かれていた通り、
>>【悔いなく、死ねるためには、どれが重要か】
となると、自分の中では●●と●●になります。
しかし現時点では、これをするための時間が抑えられていて、
そういう意味でも、自分の中で矛盾を抱えています。
お金を得るために、やはり、わたしは会社へ行ってしまうのです。
この部分が、現時点でも何も動けていません。
・中略・
自我復元のプロジェクトの通り、
この「アルカトラズ・地球」から脱出することを望みますが、
その前に、自分でしか生み出せないものを、
形あるものとして生み落としておきたい。
こうして考えると、本当に自分は課題だらけで、
オロオロしている場合じゃないです。
限られた時間を有効に使わなくては、
自分の「主題」を実現できずに地球に落っこちてしまいます。
書きながらにして気づきました。
わたしに足りないのは、計画性です。
この部分、とても弱い。
つい、信念だけで、何とかしてしまおうとします。
これでは実現に近づきませんね。
文末にして、気がつきました。
・中略・
あと、この判定と一緒に『分割自我復元理論』(テキストデータ本)
も注文いたします。
よろしくお願いいたします。
※PS
わたしの原発替え歌お気に入りは、やはり「スーダラ節」です。
「わかっちゃいるけど、やめられねぇ♪」
というのが、笑うに笑えませんが、笑っちゃいます。(笑)
そして、「違法人」です。
「牙」という言葉が出てくるのが、とてもお気に入りです。
歌詞に皮肉が効いてます。
「黒い雨にも負けず」も好きな一篇です。
統合会見で、ブースカさんに静かに朗読してもらうのが「夢」です。
それでは、また。
************************************
以下、私のコメントです。
■自我復元法をやっている人の中で、
復元速度が速い、遅い、あるいはどこかで復元が停滞する、
その違いを生むひとつの要素は、その人が、
プロであっても、アマチュアであっても、自分の独自の表現法を
持っているかどうかです。
この二番目のおたよりの方も、御自分の独自の表現法に、
長く、関わってきた方です。
●ただし、ちょっとした趣味でやっている、という中途半端なものではなく、
その人が、自分の人生のかなりの時間と歳月をそれにつぎ込んでいるといった、
表現分野である必要があります。
ちょっと、他人を真似て模倣しただけとかでは全く駄目で、
その人の生活の一部になっているぐらいのもので、
しかも、単なる「趣味」ではなく、「表現法」です。
これに属するものは、基本的には「アート」の分野、または「物づくり」です。
楽器演奏などもこれに入りますが、
ただし、趣味のレベルであっても、高度に本格的である必要があります。
なぜ、中途半端な表現方法であってはならないかは、
その表現方法とその人が、一体になっているぐらいでなければ
その表現の中に、自我率の変化が現れたときに、自覚できないからです。
自分の表現法に現れた、繊細な変化に、繊細に気づくためには
ふだんから、その表現方法を駆使している必要があります。
ですから、「久々に」楽器を弾いたとか、たまに歌ったとか、
そういうのでは駄目なのです。
たまにであっても、昔、かなりの歳月、それに本格的に関わっていた
という、自分の手足のような分野でなければなりません。
●そして、そういう表現法を今までの人生の中で培ってきた人たちは、
自我復元に、減速が起き難いようです。
おそらくは、それらのアートや表現法を持っていることに、
フィードバック機能があるのだろうと思います。
________________________________
雑感
■それと、私から、自我判定を依頼者されてきた人に、
「文面を見る限り、変化はありませんので、「もう少し、延期した方がいいです」
と返信があった場合には、原則として、それに従う方が「賢い」です。
そもそも、私は「依頼の要綱・条件」の中に、
>本人が明確に、自覚できる変化があった場合、
と明記してあります。
むろん、「初回の判定」は、スタート地点の確認の為もありますので、
ある程度は、しかたありませんが、
それでも、出来ることならば、本人に自覚的な変化があった場合のみに、
私は受け付けたいと思っています。。
であれば、「二度目以降の判定」ならば、なおさらのこと、
自覚的な変化なしには、判定依頼をしないほうがいいです。
単に「それでは、お金がもったいないから」という私からの配慮だけではない、
「別の問題」も、ここにはあります。
私としては、依頼されたのであれば、どんな人でも判定する
というほうが、ビジネスとしては、遥かにいいですが、
そういうことは、私には出来ません。
ですから、判定依頼人に、延期を薦めることが、たまにあります。
■それにも関わらず「自分では変化が分からない」
「他人からは、変わったといわれた」とか、その程度のことで、
判定を依頼するのは、本当に、馬鹿げていますし、
何よりも、そういう人は、「自己評価」が甘すぎる人であることがほとんどです。
自己評価が甘いのでなければ、感覚が鈍感すぎるといった方が正しいかもしれません。
■たとえば、復元で確認できた報告が、
印刷した場合に、A4用紙、1枚か2枚にしかならない、
そんなことは、まっとうな自我復元報告の中で、一度たりともありませんでした。
多い場合には、何十ページもの内容で、しかもコンテンツがしっかりとしていて、
リアリティーに満ちているものがほとんどです。
■また、そもそも、この自我復元というプロジェクトは、
単に私が、依頼を受けて、判定するという一方方向のものではなく、
皆さんの側も、データを提供し、それを他の実習者の人と共有する
という、「共同研究」という要素を持つことは、何度も過去ログに書いてきたとおりです。
従って、報告内容が、あまりにも、薄く、内容のないものであれば、
それは、そもそも、この計画には、価値がありません。
また、報告内容が薄くて、自我率が10%以上変化していたことなど、皆無です。
■しかし、たまにですが、変化報告内容のコンテンツも、ほとんどなく、
また、あっても、リアリティーが全くない、
そうしたケースであるのに、「自我率が知りたい」という動機で
依頼してくる人がいますが、ほとんどの場合に、私は断るか、
延期をお勧めしています。
すると、そういう人は、必ず、判で押したように、同じことを言う
という点でも、個性というものを、まるで感じませんでした。
それは、「どんな自我率でも、それを知ってモチベーションにしたい」
という言葉です。
しかし、そのような消極性が、
本人の自我復元のモチベーションになり得たことは、ただの一度もありません。
その人達は、変化ゼロでしたとか、自我率が1/10でしたと言えば、
モチベーションが高まるとでも言うのでしょうか?
自我復元をしないかぎりは、それが自分に出来ないかぎりは、死ねもしない、
他のことなど、どうでもいい、
そういう、関心の高さと、集中力以外のものは、モチベーションになどなりません。
そして、どういうわけか、
自己評価が甘すぎる、アマちゃんにこの手の人が多く、
親に頼っていて、切羽詰まっていないボンボンとか
また、かなり、この手に多いのが、瞑想をやってきたと称する人たちです。
前にも書きましたが、そもそも、この世界の、ほとんどの瞑想ごっこなど、
どう、権威があったり、ちんけな、小さな効果があったところで、
それは、「(自我ではなく、悪い意味での)エゴを肥えさせる」以外の効果などありません。
前に指摘したように、どうして「瞑想やってます」という人間に限って、
こうも、自我復元が出来ない人や、ほとんど復元出来ない人が多いのかは、
そもそも、彼らのやってきたことが、
「心を閉じている」ことだからです。
うたい文句では、「ハートがオープン」とか笑ってしまうようなことを言っていますが、
いいかげんに、彼らは、自分が瞑想を始めた「動機」を自己分析すべきです。
瞑想を始めた動機が、自分を破壊し、自分を殺す、自分を捨てるためでなかったのであれば、
すべての瞑想ごっこは、
「自己防衛」と「自己肯定」と「自己正当化」という「自衛」として
機能する以外にありません。
故に、私は、瞑想してきたと称する人が、
オープンであったことなど、ただの一度も見たことがなく、
願望を、本当の意味で、きちんと実現しているのも見たことがなく、
どんどんと「単なる、鈍感な者」になってゆくのを沢山見てきました。
●自己防衛、自己肯定したくて、
あるいは、人よりも偉く見えるようになりたいとか、
人の出来ないことが出来るようになりたいとか、
そんなにも「安っぽい、汚れた動機」で、瞑想を始めたのであれば、
そこでは、自己防衛機能しか作動せず、従って、
基本的なコミュニケーション障害を必ず引き起こします。
それが故に、自我復元は、進まなくなります。
自我復元で、私が、ほんとうに「希な少数の人」に対してだけ、死人禅を補足的に薦め、
それ以外は、一切の瞑想を禁じるのは、それが理由です。
●自我復元が本当に機能してるのかどうかを、チェックするのであれば、
自己防衛しているだけの瞑想などやるよりも、
逆に、がんがん、創作的なことをした方が、遥かにマシです。
オープンと称して、偽善的な自己防衛をしてきた人達ではなく
きちんと、自分のことを意識的に、防衛してきた人しか、
他人にも手を貸すことは出来ません。
他人に手を貸すというのは、その人が自分で自分のことを出来るように
することであって、
そのためには、まず自分ひとりが自分をどうにかできなくては、
話になりません。
もっとも、自分のことはどうにか出来ていると勘違いをしている人達が、蔓延しているので、
精神世界やら、セラピーやら、うんたらヒーリングの世界というのは、
私から見ていたら、
「よろよろの病人が、
よろよろの他人を治療している気分になっている、気持ち悪い汚物」
という、まさに、魑魅魍魎並みの世界です。
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■話は戻りますが、
自我判定のときに同封される「滲み書」というのは、
自我復元を、やりとげていこうとして、それを実現できている人達に対して、
「本当に、よく、がんばりましたね」と賞賛し、
「激励する気持ち」を込めて、私が書いているものなのです。
それであるのに、ほとんど復元の成果もあげていないで、
変化報告の中身もほとんどなく、ただ、なんとなく自我率だけを知りたい、
そういう人に、私は、私が激励と賞賛の気持ちをこめて書いている
「滲み書」を売りたくはありません。
滲み書、それも特に、初回ではなく、「二番目、三番目、以降」の滲み書とは、
私にとっては、実習者の人達への「表彰状」のようなものなのです。
あるいは、検定試験や昇段試験の合格証書のようなものです。
そうした思いを私が込めている価値を、私は貶めたくありません。
だからこそ、変化の確かな実感もなしに、
「●ヶ月、何回復元をやったんだけど、さて、どうかな」
などという軽い動機では、依頼しないで欲しいのです。
「これで、自我率が変化していないはずはない」というぐらいの確信を持って、
依頼してくる人が普通の神経の人なのあり、
実際に、自我率を変えることが出来た人たちの、ほとんどが
そういう在り方で臨んでいたのです。
本人に、「明らかに、もう以前の自分ではなくなってしまった」
という明確な自覚がないのであれば、
どんなによくても、5%前後の変化しか起きていませんから。
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■であるので、もしも「滲み書」だけが欲しい人というのがいるのであれば、
禅書よりも二倍ぐらい高くはなりますが、別料金で書きますので、
希望文字を「滲み書」で製作することを希望する人は、
そのように注文メールにお書きください。
ただし、これは禅書の2倍の手間がかかります。
まず禅書(カウンセリング書)と同様に、希望された文字のどれが
フィットするかを割り出して、まず普通の墨で、いつものように禅書を書きあげます。
その上で、さらに滲み書として成立しそうな形の文字だけを選び出しますので、
希望された四文字がすべて、滲み書で書かれる結果とは必ずしもならない、
ということはご了承ください。
おそらくは、希望の四文字の中で、滲み書までたどり着けるのは、
一種類か、どんなに多くても二種類にしかならないと思います。
ですから、倍の時間と手間がかかる事が原因で、
少なくとも、2倍の料金になってしまいます。
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