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★分割自我復元★その62★「墓場になった人」
by:
鈴木崩残
2011/11/28(Mon)09:19:04
【墓場になった人】
柄にもなく、詩のような散文 を書いてみます。
今から、ぶっつけ本番なので、何を書くかは決めていません。
息が凍る 坂道を ゴミの収集場へと下ってゆく。
その 全くの日常的風景を見る私は こうして身体の中にいる。
少し低い気温が いっそう身体の存在を 私に 感じさせる。
帰り道で 名も知らぬ近所の住人に会釈したとき、
一瞬だが 私は 「私の世界」を 出なければならなかった。
こうした 無数の日常の風景が、人の現実を織り成している。
しかし、つい先ほどまで、
私は 部屋で、宇宙の永劫の時間を想っていたのだ。
そして、その前は、私は 愛猫と共に布団の中で眠りの中にいた。
無数の事象の中で、私が 見るべき世界、私が 切り取るべき世界は、
一体どの部分であるのか、
その事だけで、私は 青年期のほとんどの時間を自問し続けた。
私が 10年間毎日のように歩いた道がある。
学校へ行くため、そして職場に行くために、常に歩き続けた一本の道がある。
その道は広大な墓地の中に通る駅までの道。
両側には無数の髑髏が地中にあるというのに、
あまりにも日常的な風景だったために、
私は その事について、特別に何かを思うこともなかった。
その墓地は、広大だった。だから、数え切れないほどの人骨の中を
私は 10年間、日常のこととして駅まで歩き続けた。
時に 帰宅が真夜中となる事もあったが、亡霊たちが私に何かを耳打ちしたこともなかった。
ただ、よく覚えていることは、その並木道で、私の 最初の神秘体験があったこと。
その時、全ての時間が止まった。
微風に揺られる桜の花吹雪が あたりを覆っている、ある日の午後だった。
私は 突然に「時間」を見失った。
生まれて以来、ずっとあったはずの「時間」が存在しないのだ。
むろん あたりの情景は動いている。木々の動きや人々が停止したわけではない。
しかし 私は、時が経過しているという認識を一切もてなかった。
過去があったことも、未来が来ることも、私には 認識できなかった。
当たり前に存在していた「時間」というものが失われた。
その喪失があまりにも深かったために、私は 帰宅してから、
あたりを見渡して、何時間も「時間」を探したほどだ。
「時間」という「もの」が戻ってくるまでに何時間も待たねばならなかった。
のちに、人間の、意識的な自己主体の存在意識が その頂点に達する時、
あのような体験が起き得る原理があることを知ったのは、
それから何十年もしてからだった。
中学生、高校生、大学、そしてアルバイト、最初の職場、
その全ての時期の約10年間を、私は、同じその墓地の道を往復した。
そのとき、常に私が自問し続けたことがある。
おそらくは、一日たりとも自問しなかった日は存在しないだろう。
・・・
この風景は、真に 私が 見るべきものなのか、
それが 私の 唯一の問いだった。
駅に到達すると、改札をくぐり、ホームのかたわらでも思う。
「これは 私が 見るべき現実なのか?」
車両に乗り、揺られながら見慣れた風景が流れてゆく。
しかし私は問う
「これは、私が 見るべき風景なのか」
校舎に入り、教室へと向かう廊下でも私は自問した。
「これは、私が 見るべき風景なのか」
そして帰路の中、駅の改札を出て、私は 十数段の階段を駆け上り、
そしてまた、墓地の中を歩き、自問する。
「これは、私が 見るべき風景なのか」と。
・・・
私 という意識の存在は、眼球の奥に存在し、
この眼球という窓を通して、世界を見ている。
私 という意識の存在は、この耳を通して、世界を聴いている。
私 という意識の存在は、この皮膚を通して、世界に触れている。
そういう点では、私には 自分の身体すらも、よそよそしい。
私は、何かに乗り込んでいるのだ。
しかしこの身体に乗り込んでいる私は、身体ではない。
私は 私にとって 最初の他人である自分の肉体を通じて、世界を見る。
だが、ひとつ疑問があるではないか?
私は、目の前の情景に対して、本当にすべきことをしているのか?
それ以前に、私は 目の前のそれではなく、違う世界を今見るべきではなのか。
私は 鳥篭のインコを眺めているが、
実際には、視線を45度ほど、ずらして、窓の外を見るべきなのではないのか?
世界の中で、どう生きたらいいのか、
世界の中で、何をすべきなのか、
そういった問題の全ては、
まず最初に、無数の現実の風景の中から、
私がどこを切り取って 「何を見る」「何を見たか」から、始まるものだ。
私は、この目という窓を通して、その外側にある世界の、どの部分に注視すべきか。
たとえ、毎日同じ墓地の道であってさえも、日々、一瞬一瞬、
変わり行く情景の中で、どれが真に 私が 見るべきものであるのか。
私が 見ているいかなるものであろうとも、
私が 死ねば、私 にとっては存在をしなくなる。
だから、私 こそが、私の世界の目撃者だ。
10代のころ、私は そのことばかりを考えていた。
と同時、なぜ目の前にあるその風景を、私が 見なければならないのかすら
私には 解らなかった。
私に 何を見ろと言っているのか?、それが当時の、私の 問いの全てだった。
何をすべきかよりも、今、自らが現実として切り取るべきものは、
どの現実であるべきなのか、
そのことを自問し続けたのが、墓地の中の一本の道だった。
・・・
人々は、言葉を聴き、世界を見て、歩き、走り、働き、
泣き、笑い、眠り、そして食す。
だが、誰が、その中心にいるのか。
世界の目撃者は、他でもない、眼球の奥に住む、この 私 なのだ。
しかし、目に見えるものと、耳に聞こえるものと、触れられるものが、
すべて剥ぎ取られる瞬間に、
私は 目撃者であるという自覚が私を捉えて離さない。
しかし、目撃者は沈黙したままで世界を見ている。
この 私の 脳が思考するすべてのものすらも、目撃者は風景のように見ている。
私 にとって、最も恐ろしかったことは、
その目撃者は、見えている世界に対する答えを、何一つも持っていなかったことだ。
多くの人々が、沈黙を恐れる理由を私は知っていた。
楽しげな会話が途切れる時、そこに集う 私以外 の人々は、常に同じことをしていた。
ひとつは、次に話すことを記憶と、知覚の中から探す者たち。
もうひとつは、夢想、あるいは偏見の中に閉じてゆく者たち。
しかし、この上もなく不幸なことに、
私は そのどれにも向かうことは出来なかった。
私は 答えを持たない、目撃者に引き戻され、ただそこに留まるのみだった。
それは 私 にとっては、終わることのない拷問だった。
私は 自分がどこにいるかを明確に知っていた。
だが、私は その自分が、何者であり、何をするために、
あるいは、この世界の中から、どの部分を見るべきか、その答えを持っていなかったのだ。
目撃者は、ただ沈黙のうちに、世界を見続ける。
その沈黙は、静寂や安堵ではなく、紛れも無い、重圧であった。
人は、時に、自分が身体の中に閉じ込められた、あるいは、
身体という乗り物の中から、世界を観ている、目撃者であることを思い出す。
だが、そこで、記憶と思考と感覚に目を向けず、
目撃者自身に目を向けたならば、そこにあるのは、永久の拷問である。
なぜならば、その目撃者たる自己意識とは、
自己意識である、という、それ以上でもそれ以下でもない、
無知、無能、無力な主体だったからだ。
ゆえに、多くの、ほとんどの人々は、
決して、死ぬまで沈黙を続ける、その目撃者に戻ろうとはしない。
しかしそれは無理もないことだ。
そこに見出されるものは何もなく、
ただ無限に続く、虚無感だけが、そこにあるのだから。
そしてたった一つの問いだけが、そこに残る。
「世界という風景を見ている、この意識は、一体、何なのだ」と。
・・・
そのことに、決着が着いたのは、
無数の地中の人骨に挟まれた、墓地の一本道を歩き続けたあの日から、
約20年の歳月が経過してからであった。
答えは、あの道の、すぐ横にあったのだ。
答えは、あの墓地のいたるところにあったのだ。
死。
その日以来、
私には 空間が存在しなくなった。
空間の壁が存在しなくなったのでもなく、
空間を移動出来るようになったのでもない。
「空間」それ自体が、もはや存在しないのだ。
墓地の道の 中央に立ち尽くして、最初に失われたのは「時間」だった。
それから20年後のある日、
私 という道の中央に立ち尽くして、「空間それ自体」が失われた。
その日以来、
私は 墓地の中央を歩く者ではなく、
墓地の中央を歩く人々を見る、墓場となった。
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