▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[69]
■
★分割自我復元★その68 ★クッキーの話と、今後の流れ
by:
鈴木崩残
2011/12/20(Tue)07:19:10
・おたより・
鈴木崩残 様
砂手 様
こんにちは。
この度はクッキーの贈り物、本当にありがとうございました。
風邪をひいてしまって、食べるのが遅くなってしまいました。
だいぶ良くなってきたので、先日からちょこちょこ調子のいい時に、
お茶と一緒にいただいています。
今日は、そのクッキーの感想をお届けしようと思い、メールを書いています。
他の方の感想を先に読んでしまっていたので、こんな感じなのかなあ・・と、
多少イメージをしていたのですが、一口かじって食べているうちに、
そんな頭の中のイメージもどこかへ吹っ飛んでしまいました。
こんなクッキー食べたことないというか・・・、
これは何だ?という、「問」だけになりました。
まさに私の顔は、 「問」 ←こんな顔になっていたのではないかと思います。
何というか、砂手さんのクッキーには「はじまり」があって「終わり」がある。
わたしは多分この「終わりっぷり」に一番衝撃を受けたのではないかと思います。
クッキーを戴いたので「おいしい。」という言葉を使うべきかとも思うのですが、
どうにもその言葉が出てこないのでした。
甘さ控えめで、繊細とも言えるのですが、食べている本人は、
「ええ? そう来るんですか? おおっ! ん!? あ! ・・・ 」
と、まるでジェットコースターに乗っているようです。
ジェットコースターに乗った後、「おいしかった!」と言わないのと同じで、
食べた後、適する言葉が見つからない。
そう、素直に「楽しかった!」と言う方が、しっくり来ます。
一番楽しかったのは、「クランベリーカシューナッツ」です。
触感ももちろんですが、二つの風味が絡んでいく過程がとっても楽しい!!
食べながら、音楽みたいだ!と思いました。
「妙」という文字が浮かびました。
一番気に入ったのは、「インドチャイ・スパイスクッキー」です。
デザインと、風貌も好きです。
クッキー内部の空気の層に、スパイスの風味が入り込んでいるのでしょうか。
自分の体内でその空気層が解放されていくのが、とても不思議な感覚で、
その解放された空気もまた大気に戻っていき・・・。
言葉が続かなくなります。
「ピーナッツバタークッキー」は、クッキーの粒子に興味がいきました。
一口食べたあと、じばしその断面を見つめていました。
粒子は細かいですが、粒粒にとても存在感がある。
なぜか、「陶芸」を連想しました。
本物のピーナッツバターよりも、このクッキーの方が本物のピーナッツバターのよう
な、
そんな気がしてしまいました。
食べ終わった後に、一番「しーん・・・」となったのが、
「アールグレイティークッキー」でした。
とてもシンプルなクッキーだと思うのですが、
粒が大きいからか意外にも展開がダイナミックです。
ですが、その芳香はちょっと引き算気味というか、かすかに香る感じで。
その触感と芳香が、「あれ? あれ?」と思う間に展開されていき、
そして不思議とふうっと無になっていく。
無になっていくと書くと、オーバーなのかもしれません。
「リセットされていく。」というのでしょうか。
それが不思議と、
最初の食べる前より「リセットされている」ような気配なのです。
違った意味で「しーん・・・」となったのは、「柚子クッキー」です。
アールグレイティークッキーは、芳香も最後「無」に帰るような感じでしたが、
こちらの柚子クッキーは、その芳香が水平線上にずーっと拡がっていくような感じでした。
それが際限なくどこまでも・・・。
柚子色の水平線をずっと見ていました。
「冴え」という言葉が浮かびました。
もう一度食べたい!と思ったクッキーがあります。
「ビターチョコサンド」です。
思いの外、ビターでコクがあって。
意外性という意味ではNo.1かもしれません。
そして個人的にも、大好きな味だったのかもしれません。
以上、主だったところのクッキーの感想でした。
砂手さんのクッキーは、「香道」に近いものがあるのかなとも思いました。
ですが、そこには触感があり、味としての展開もあり、また見た目や手の肌触りもありで、
「香道」とばかりも言いきれない世界になっていくと思うのですが。
ただ、この様な「終わり」のあるクッキーを食べたのは初めてだと思います。
ほとんどのクッキーは、後をひくように作られていますし、
わたし自身も、それが当たり前のように感じていたので。
今日も砂手さんのクッキーをいただいて、メールを書いているのですが、
わたしは果たしてクッキーを食べただろうか。
いや、食べたよ。
いや、ほんとうに食べただろうか??
っと、何だかその感覚がよくわからなくなるのです。
わたしは、クッキーを食べただろうか?
あと、パッケージもとても可愛らしくて素敵でした。
食べた後、色つきのクッキーのラベルとか何だか捨てられなくって、
このかわいいラベルたちを使って、折り紙を台紙に「貼り絵」をしました。(笑)
同封していただいたお花のシールもちょっと貼ってみたりして。
今は『分割自我復元理論』をプリントアウトしたファイルの最終ページに貼り付けて、
一人、ホクホクしています。(笑)
これで、いつでも見れる!
本当に楽しく、そして不思議に食べさせていただきました。
ありがとうございます!
_____________________________
■メールをありがとうございました。
たぶん、食べて味わった人は、
私も含めて同じような感覚を持ったと思うのですが、
さすが「詩人」の方が言葉にしてくださると、分かりやすいなーと思いました。
柚子クッキーは、一度、焼き直しました。
あれは焼く時の温度が「ギリギリ」でないと風味が全部飛んでしまうのです。
ですから一番、そっとやさしく焼いてあります。
私は食べて評価するだけの役なのですが、
身内をベタ褒めするのもなんですが、よく出来たクッキーだと思います。
●おっしゃるように、食べておいしいというだけではなく、それ以上の、
「クッキー道(どう)」に、なんとか、こぎつけているかなと思います。
食べると、精神が静かになるクッキーという点では、瞑想クッキーですね。
確かに、茶道や香道に、少しだけ迫っているかもしれませんね。
でも、たぶん、子供には、この味は分からないので、
「大人のクッキー」なのだろうと思います。
●で、やはり私が感じるのは、クッキーひとつでも、
作り手の意識がそこに出るなーということです。
砂手がこのクッキーを作れたのは、むろんレシピの研究も大切だったのですが、
それと同じぐらい、ここ1年での意識的な変化が関係していると思います。
それは、何の世界でもそうなのですが、その人が、
「どこで、これでいいと、OK出しをするか?」というところに、
その人の意識の変化が現れるからです。
もう少し平易に言うと、その人の、味覚経験を含む、人生経験全体が、
その「判断基準」として、作用するからです。
またクッキーが口の中から消えてゆく「去り際の感覚」を、どう演出するか、
というあたりが、私も砂手も、一番こだわったところだと思います。
物理的に言ってしまうと、それは「粒子」の作り方の工夫なので、
「お菓子の素粒子」といったところです。(^_^)
******
たのしんでお召し上がりいただいたとのこと、
嬉しく思っております。
自分のおやつ用ではなく、
どなたかに差し上げることを前提に焼いていますので
食べて下さる方のニーズに助けられているのだと思います。
実際、私は、それほどこだわって作ってはいませんので、
クッキーがひとり歩きして、皆さんの感性と呼応しているのだと思います。
言い訳となりますが、なにぶん、小さな台所で、限られた数量しか焼けずに、
少数の方へのみのお届けとなりました。
味見されたいと、ご興味を持って下さった方には、申し訳なく思っております。
砂手
********
***************************
死後と生前の逆転
●梅の間では、あまりぶっ飛んだ事は書かないようにしていますが、
桜の間では、遠慮なく書きます。
今、私も含めて皆さんは、この世界のこの次元の中で暮らしていて、
その感覚にすっかりと馴染んでいますので、
これが当たり前であると思い込んでいます。
しかし、極論をあえて言うならば、
>「今見ているものは、バーチャルで、本質は別」ということです。
●たとえば、皆さんが、遊園地や、どこかの行楽地に遊びに行ったとします。
あるいは、旅行に行ったとします。
しかし、皆さんには、「帰る家」があります。
決して行楽地が皆さんの家なのではありません。
そこを訪れて、そこから帰って、ほっとする自宅があるのです。
●それと同じように、本来、この地球や、この次元での生活というのは、
自宅にいるわけではなく、「出先の土地」なのです。
極端に言うと、実際には、ここで今、生きているという感覚の方が
二次的なものであり、生命の本当のメインは、
この世界から見れば、死んだと言われている方の側にあることです。
●これは、大昔から、私の日常的な実感なのですが、
多くの本質的な作業が、いわゆる「死後」の方にメインがあり、
逆に、肉体を持って生まれてくるのは、その死後の世界で計画したことや、
その計画したことの確認の為に、生まれてくるといった感覚です。
ホームベースは、むしろ「向こう側」にあり、
生きていると感じているここは、
あっち側での認識を「確認」する為の「作業場」、
または「実験室」であるということです。
作業場は、自宅ではありませんので、
自宅の感覚を知っている、または記憶している人にとっては、
ここが、どこか落ち着かないのは当然です。
●ただし、その自宅というのは、何も、お馬鹿な宗教や神智学が思い描いたような、
霊界というのとはちょっと違います。
あれらは、あまりにも、人間の「勝手な願望」を投影しすぎた代物です。
また、この桜の間でも、何度も釘を刺したように、
「進化 とか 魂の学習 とか愛が大切」などという方針は、
「あっち側の世界」にはありません。
それは、この地球上の身勝手な価値観に汚された妄想にすぎません。
実際には、肉体を持たない意識の世界というのは、明確な区分もされていますので、
制限はあるものの、かなり、何をやっても自由であるという事も言えます。
別に、神々のような存在が、彼らの身勝手な善悪基準で、
その世界を統治しているのではありません。
●そういう意味でも、皆さん個人が、この地球で「上手く」死んだあとに、
それぞれに帰還する場所となる「自宅」は違います。
ただし、
「上手く死ねなかった場合」は、かなりマズイ状況になります。
上手く死ねなかった場合とは、言うまでもなく、
自我が希釈されたままで、死んだあとも、ぼーっとしていて、
また、この地球のこの時代に「追い返される」というケースです。
それをなんとかして避けて、それぞれの自宅に帰還できるように、
この、地球という「行楽地に見せかけた、収容所」から、
皆さんを脱出させるお手伝いをするのが、現在の私の仕事です。
______________________________________________________________
●ところで、もう一度、自我復元作業における大切な事を書いておきます。
睡眠する前であれば、(昼夜を問わず)どこの時間帯でもいいので、
呼びかけとクーラーボックスまでは行います。
しかしそこで一端区切って、回収作業は、睡眠から起きたときに行うのがいいです。
呼びかけと回収を、二つとも一度に通しでやってしまうのは、お勧めできません。
★重要な原則なので、何度も言いますが、
自我復元の為の、最も重要な交渉作業は、
かならず「睡眠中」に、そのほとんどが行われるからです。
私達が接触しようとしているターゲットの状態を考えれば、
>私達自身も、睡眠という世界の中に行く必要があるのです。
>顕在意識が覚醒している時よりも、睡眠中の方が絶対的に有利です。
多くの人が、寝る前の呼びかけを行うと、眠気が来るのは、自然なことです。
何しろ、自我復元法で接触しようとしている世界は、普通の世界ではないのですから。
ですから、無理に頭を覚まそうとせずに、
眠りに落ちる前に、作業を完了すればいいのです。
そして、昼か夜かという時間帯に関係なく、
起床した直後に、クーラーボックスから回収してください。
_______________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(69 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -