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掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
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[71]
■
★分割自我復元★その70★
by:
鈴木崩残
2012/01/05(Thu)17:18:27
>1/6 8:10 後半部に一部加筆しました。
おたより(自我復元の報告)
黄色の文字が私の返信のコメントです。
3度目の自我判定をよろしくお願いいたします。
二回目の判定後から
8月… 夜5回 昼5回
9月… 夜8回 昼10回
10月…夜13回 昼16回
11月…夜11回 昼14回
12月…夜17回 昼17回
1月… 夜1回 昼1回
夜合計…55回 昼合計63回
■自我復元に関する報告
1-「復元作業中」の変化。
自分の場合は、復元を進めるによって
冷静にそしてメンタルが強くなっていく感覚があります。
今復元をしている実習者の体験談を見ていると、復元が進むにつれて元あった自分に戻る、
さらには元居た世界(宇宙のどこか)の様々な種族のようになるのだろうかと思えてきます。
楽しそうな報告者は、地球に来る前までそういう世界にいて、
地球にも楽しみにきていた人達なのかもしれないと。
ユニークな報告者は、ユニークな世界にいたのかもしれませんね。
>ここはちょっと違います。
>自我復元をしても、出てくる性質が、地球に侵入した地点、
>または、それ以前の別の天体まで遡ることはないと思います。
>それを、もしも見つけようとすると、かなり意図的に引き出す必要がありますので。
>それで、それを見つけようとする作業の一つが、「スケッチブック」の作業なのです。
>普通は、自我復元をすると、少なくとも地球での、いくつかの過去生の断片を、
>思い出して、自分が経験してきたこと、持っていたものを、
>今回の生に、そのまま生かすことが出来ます。
>とても個人的な話で恐縮ですが、
>「悟りの問題」「セックスの知恵や、性の哲学」「手裏剣術」「魔術」「芸術分野」など、
>今回関わった、このどれも、私は、過去生で、かなり深く関わったことばかりでした。
>過去生で私が関わっていなくて、現在やっているのは、
>「自我復元のサポート」と「書道」です。
>禅書は書道というよりも広い意味の芸術という分野には属しますが。
>「自我復元法」は前代未聞の領域ですが、「サポート」という意味では、
>人間に何かの重大問題が生ずると、それを体系的に解決したくなるという癖は、
>ずっと前の生から継続しているようです。
自分の場合はチームDに対して怒りが出てきました。
自我を分割して地球をめちゃくちゃにした種族への怒りですね。
様々な所から、人間の器を借りて、其々の目的の為に、
地球に来た者を騙して、帰還出来ないように奴隷化にしたのが許せません。
それぞれの種族に喧嘩を売っているとしか思えません。
もし元居た世界に帰還出来たら、このグループを追放したくて仕方ありません。
どうにか叩きのめせないかと、かなり攻撃的に思う時もあります。
こんな事考える今の自分の変化は、客観的に見ると面白いのですが。
スケッチブックではないのですが、頭に思い浮かべる次の自分のイメージ像は、
普段は物静かですが、必要な時は激しく戦う、勇敢な宇宙人像になっています。
イメージとしては黒い甲冑的な鱗と、獣のようなかぎ爪も持つ感じです。
せめて管理者に通報してでも、処分を受けて貰いたいです。
>私も時々、方策を考えるのですが、今のところ有効な手立てがありません。
>原則として、この自我分割は、私の認識によれば、完全に違法です。
>銀河法令上の違法行為ですから、処罰対象になるはずです。
・中略・
呼びかけの段階でも復元が進むにつれて
深海に潜る、もしくは山の頂上に進むにつれ登るのが困難になるように
息苦しくも感じますが、以前よりも自我の大切さが分かる為
なにがなんでも復元(登りきってやろう)という気持ちが出てきます。
CDの分割自我復元方を読み、宣言文を少々変化させました。
その後もう一度分割自我復元のDVDを見直しました。
モチベーションを維持するためにも、改めて覚え直し、
忘れていた内容を思いだすのにも、見直すのはとても大切なことです。
>「分割自我復元理論」を、そうやってたまに読み返してくれる人は、
>ありがたいです。コンテンツはHPに散乱しているにも関わらず、CDとして発売した理由は、
>何よりも、全体像を分かりやすくしたかったからです。
>結局のところ、もしも精神世界という分野に寄与できたという意味では、
>無明庵から発売された書籍のうちでは、「分割自我復元」のDVDと並んで、
>「結果を出せた手法」と言う意味では、今までて、最も傑出した内容かもしれません。
以前住む宇宙空間をスケッチブックで書いたのに続いて
自分の形状をスケッチブックで書かけるようになりました。
自分の望む形体に変化できる、望むものをいくらでも変えられる世界です。
昨年12月の忘年会では無理やりカラオケで歌わされて惨めな思いをしたのですが
9月の送迎会では、その場の雰囲気を壊すことなく断って歌わすに済みました。
次ある時は2次会自体を断るか、それともボイストレーニングを初めて
カラオケで歌える程度までして、コンプレックスを克服しようかと思います。
自我復元をしてから何もかも変わりました。
見える世界、感じる世界が一新しています。
自我復元以前の間違いだらけの自分の行動や選択がとても悔やまれます。
>自我復元のプロセスを経験されている、全員の人が、同じ事をいいます。
>そうは言っても、この解決法が発見されたのが、2010年でしたので、いたしかたありませんが。
スケッチ内容を変えていっています。
恐らく死ぬときまで何度も修正していくと思います。
より細かく練っていきたいです。
自我を電気回路に例えると電源でしょうか
・中略・
ゾンビ系の人達との縁が切れたように思えます。
出逢っていても深く関わり合うことが無くなった。そんな感じです。
そして怖がることもいつの間にか無くなっていました。
いつのまにか変わっている。そういえば変わっている。
そう後になって気が付く事があります。
大きく変化しすぎていて、変化した自分が当然のように感じてしまうのかもしれません。
2-「夢の内容」の変化。
以前見た夢で崩残さんの隠れ庵居が出てきたことがあります。
(勝手に想像して出てきた夢の中の話しですが)
今度は2度目で、同じ場所が夢に出てきました。
復元者の10人未満の人がその場所に集まってくる夢でした。
山里にある近代的に舗装された道から外れた所にありまして
その庵に行くまでに雪が残る道を下りていくのですが
なぜか途中に、でかい大きなヒグマがぽつぽつと寝ており
侵入者除けになっているのが印象的でした。
いつかやると言われている復元者だけのOFF会をイメージして
出てきた夢かもしれません。
>この夢は、かなりの部分で、的確に私の状況を読み取っていますよ。
>特に10人未満というのもその通りですし。
>実際に自我復元に成功している人たちは、もっと大勢おりますが、
>もしもオフとなりますと、遠方の方も多く、集まれる場所が限られますので、
>それで人数が制限されます。
>自我復元者のみのオフ会というのは、まだ未定です。
>その前に、まず専用の掲示板で横で交流していただく予定ですが、
>まだ時期が早いように感じていて、まだ誰も招待をしていません。
>ヒグマではないですが、年に何回かは「熊が出たので注意してください」
>というアナウンスがあります。
3-「主観的」な自分の変化。
自分なら大丈夫だと、やれると自信を持って行動できています。
今周りにいる人達となら、対等にそれ以上に渡り合えるのではと思えます。
今は興味がない資格の勉強をしようとすると、何故か出来ず。
今興味ある資格の勉強だと出来ています。
今まで女性が怖い存在だったのですが
不思議と怖くなくなりました。緊張することなく接しられています。
女性との関係と言えば、職場の女性で気難しい子がいたのですが、
笑顔で接してくれたりと自分の周りの雰囲気が変わってきました。
特別何かをしたわけでもないのですが。
街中ではフト見る女性が表情の綺麗な人だったり
雰囲気がいい人だなとか、そういう事が見えるようになりました。
昔は酷い女性ばかり目がいって怖かったのです。
聞く音楽の種類が変わってきました。
今まで好きだった音楽を聴くより、新しい音楽に出逢って好きになったりと、
聴きたくなる音楽の趣向が復元が進むたびに変わってきています。
好きな趣味も変わってきていて最近は和物が好きになっています。
和服の色使いやデザインにも興味が出てきて見るのも好きになりました。
和をアレンジした現代のデザインも好きです。
和と言えば、以前の復元鑑定の時に頂いた「泰風」のにじみ書。
芸術的だなと感じます。これ一枚で(判定分の)価格を出してもよいぐらいです。
これは職場で一番よく見える場所に置いて眺めています。
原型自我にもどったら自分だけの文字の禅書が欲しいです。^^
毒舌になってきています。
嫌なものは嫌だと、反論的になっています。
事なかれ主義の人間とはまったく気があいません。
数学の勉強が出来るようになりました。
資格試験で必要な科目なのですが
中学生の時の数学教師に反抗して以来、数学が嫌いでした。
元々は得意だったのですが、今になってようやく数学好きを取り戻せましたように思えます。
自分で料理をしたり、弁当を作るようになりました。
よけいなお金を使わなくなりました。
放射能を体内に取り込まない食材、取り込んでも排出する食材、
元々から放射能を取りこまない食材、などを調べ積極的に取り入れています。
朝起きるのが楽になりました。
必要と思った事は、苦なく行動出来るようになりました。
繊細なものよりタフなもの丈夫な物を好むようになりました。
どう生きてどう死ぬかなどのサバイバル意識が強くなりました。
自分自身が強く丈夫になったような感覚が非常にあります。
精神的にとてもタフになりました。
自我復元で自分が本当に変わりました。
こうでありたいと望む自分に、こうあるべきだった自分に変わってきています。
>ここは大切な点ですね。とても的確な表現だと思います。
>不満の裏返しとしての「ありたい自分」ではなく
>「あるべきだった自分」を取り戻すのが自我復元ですから。
寒さに強くなりました。以前は寒いのが非常に苦手でした。
寒くても我慢していたり、なにも対策せずに自暴自棄な感じでいましたが、
今は防寒対策をしっかりしたりと、自分の身を守る行動がとれるようになりました。
今回の報告文を、初めの頃に書いていた自分と、
今書いている自分が、読み直してみて変わっている事を感じます。
そして頼みたいと思って考えていた禅書の漢字も次々変化しています。
長年コンプレックスだった、歌を歌うことが出来るようになりました。
これは本当に嬉しいです。(カラオケで歌える程度としても)
なぜ自分は音痴なのか、何が駄目なのか考え探してみて、
肺活量が無いこと、腹式呼吸が出来てない事が分かり自己トレーニングをしました。
今でも彼女と付き合っているのですが
付き合い始めてから2年は一緒に居たいと思っています。
そして自分の自我が復元されていくにつれ、彼女にも影響が起きるのか見ていきます。
もし、必要と感じたなら彼女にも自我復元を教えてみたいと思います。
駄目なら駄目でそれは仕方ない事だと考えています。
>この、同居人とか、お付き合いしている人が、自我復元をしている人の影響を受けるか?
>については、私の現在の結論は、Noです。
>変化が見えたとしても、それは自我を復元していっている人の相手への接し方が
>変わったことによって、それに相手が反応しているだけだと思われます。
>ですから、自我復元をしてない人は、その人自身は、ずっと変わりません。
月一・二度ほど彼女に逢いに行っているのですが
街中で歩いても怖さは感じず、人に飲まれることも、
人ごみに酔うことも無くなっていました。
昔は人を避けに避けて歩いていたのですが、
今は普通に歩いていてもすんなり歩ける、人をかわせています。
むしろ対向側の人が自然に避けてくれることもあります。
どっしりと歩めている感じになりました。
自分の部屋から親から与えられた物を捨てていっています。
大分自分のお金だけで手に入れたものが増えてきているのですが。
実家住まいですが家賃と電気水道ガス代を払い、一部屋を借りているものだと思い、
弁当と夕飯など自分のお金で自分で作るようになりました。
何時でも引越しが出来るぐらいに、今年は家具を揃えたいです。
まだ子供時代の家具が残っていますので…。
4-本人ではなく「環境」の変化。
住んでいる地域のセシウム汚染濃度が発表され、酷い汚染状況と分かったとき
どう生きてどう死ぬかを、間近に突き付けられました。
自己防衛の為に何が出来るか真剣に考えています。
(不思議と家族も自分の影響を受け、汚染について考えるようになってきました。)
水源地帯が汚染されてしまった以上は、
埼玉東京に住む人達が水道水を飲むことはもう危険でしょう。
・中略・
仕事先にて、上司の推薦による正社員登用の面接と、試験を受けることになりました。
今の会社はパートで入社し、今は委託社員なのですが、
元々は資格を取るために、経験を積む為に入ったので、
今の会社で正社員とまでは考えていませんでした。
登用試験の結果がどうであれ、正社員になろうがなれなかろうが、
当初の目的、自分が欲しかった資格を取ることを優先します。
5-客観性のある「身体」の変化。
米生活に切り替えて、大豆製品をよく取るようになり、
自分で料理をするようになってから、体形はほっそりしてきました。
それと、よりシャープな顔つき…といいますか、濃くなったようにも見えます。
相手の機嫌を伺うなんて事をしないせいか、
動じないような雰囲気になって来ているように思えます。
______________________________________________________________
ここからは、掲示板用の文章です。
■自我復元をしてきて、復元が進むと、最も顕著に現れるのが、
「主客」の一致です。
つまり、本人がどれだけ「自分が外部からどう見られているるか」の自覚も
伴ってきますので、いわゆる「ひとりよがり」というものが、
全くといっていいほど、なくなります。
また、自分が見ている自分と他人が見ているその人とにもギャップは
あまりなくなりますので、その点でもコミュニケーション能力は改善されます。
そもそも、自我の希釈が酷すぎる人というのは、周囲の人が引いているのが
全く分からないことがほとんどです。
必ずしも、一般常識による判断が正しいわけではありませんが、
最低限のコミュニケーションすら喪失しているのが希釈自我の特徴です。
■これまで観察してきて分かったことは、
8分の1自我以下の自我率の人たちの最大の特徴は、「妄想」の酷さです。
これゆえに、8分の1以下の自我の状態は、ゾンビと呼んで過言ではないと思います。
これが1/7自我や、1/6自我である場合には、少なくともそこに「自虐性」の自覚があります。
何か自分は、これでは駄目だという自責の心がまだあります。
しかし1/8自我を含み、それ以下まで希釈された自我の人の場合には、
「自虐的」にすらなれません。
そのせいで、妄想が暴走し、何事も独りよがりで、やらなくていい事ばかりをして、
周囲にも迷惑をかけ続けていますが、自覚が全くありません。
■そもそも、自我というのは、外界と自己との境界線の明確さですから、
自我がある程度強ければ(少なくとも、1/7自我以上あれば)、
周囲との摩擦を自覚できますし、自問という行為を出来ます。
1/8自我の人たちは、他人への不平不満と、恨みばかりを向け、
自問自答や、問題意識を全く持てません。
それは、その人の社会的地位には全く関係なくゾンビであるのです。
以前に、前首相の菅を、1/8自我だと私は言いましたが、まさにあの
「状況を全く理解せず、余計なことをして事故を悪化させたり、
あの軽薄極まりない様相」は、まさに1/8自我です。
しかし社会には、政治家から、一家の主人から子供まで、1/8自我の人たちは、沢山います。
■たぶん、1/8自我の人は、私ではなくても、ごく普通の1/6自我や、
1/4自我の人から見てさえも「異常」に見え、また、関わることを
他人は避けると思います。その最大の理由は、
「思い違い」「独りよがり」「妄想」の酷さです。
さらにこれが1/10自我あたりになると、一種、病的になってきます。
しかし、1/8自我の人も、振幅幅が5%ある場合には、簡単に1/12自我あたりまで、
転落する事がありますので、このあたりの自我率は、いろいろな病理を持っています。
■一方で、自我率が、2/3あたりを超えた場合、または先天的にそうである人の場合には、
その人たちの間では、「認識」に誤差が起きません。
つまり見解が一致することがほとんどです。
これゆえに、私は、ある程度の自我率の人たちだけを掲示板に招待する予定でいます。
自我率が、まだ全自我ではなくても、ある程度高い場合には、
「状況認識」が一致する、という特徴があります。
人間はそれぞれに、異なる個性と、異なる意見と、異なる趣味を持っていますので、
意見といったものは、一人一人違って当然なのですが、
何かの現象や人を見たときに、少なくとも「状況がどうなっているか」
という見解の認識だけは必ず一致します。
つまり、客観性というのは、こういうことです。
客観性が一致するのが、自我率が復元された人の特徴です。
ですから、自我率が高い人が集まると、意見は違うのですが、
「状況認識」は一致しますので、それだけでも誤解の可能性は限りなく低くなります。
■一方で、自我の希釈が酷い人たちというのは、
何かや誰かを見たときに、たとえ褒めても、けなしても、どちらも、全く
トンチンカンなひねくれた目でしか、ものを見られないのです。
相手の人を褒めるポイントも、要点や事実を外していて、
けなすポイントも、まったくポイントを外しているという点で、
こういう人たちは、一般社会や家庭内でも、無視され、敬遠されていると思います。
平たく言うと、普通レベルですらも、話の全く通じない人なのでしょう。
●以前に書きましたが、分割自我によって欠落している残りの部分を、
人間は、「妄想と思い込み」で埋めようとしてしまいます。
もしもその人が1/4自我であれば、何を見ても、何を聞いても、
何を他人から教わっても、認識できるのは1/4までです。
自我というのは、「許容範囲」のキャパシティーそのものだからです。
従って、もしも自我率の高い人たちの中に、
自我率の低い人が混ざった状態で、何らかの「危機的な状況」が発生したらば、
自我率の高い人たちは、その状況認識、つまり危機という事実認識を共有できますが、
自我率の低い人は、視界そのものが1/4しかありませんので、
まず彼らが最初にやるのは「事実誤認」です。
希釈自我のせいで物事が1/4あるいは1/2しか見えないことは、
必ず「事実誤認」を引き起こしますし、
それは「そもそもの前提からして間違う」という可能性が大なので、
ほとんどの場合に、最終的に間違った結論と行動に陥ってしまいます。
●これゆえに、特に「ゾンビ」を相手にすると、
そのゾンビよりも自我率の高い人が面食らうのは、
「話が、そもそも出来ない」という点です。
普通に話すらが出来ないというのが、ゾンビの特徴なのですが、
それでも本人だけは、普通に話が出来ていると思い込んでおり、
相手にされないと相手を逆恨みします。
この情景は、自我復元が出来た多くの人たちが実感していると思います。
●一方で自我率がある程度高い場合には、話は出来ます。事実誤認もしません。
話がきちんと出来た、その上で、意見や意志や好みが違うというお互いの違いを、
対立としてではなく、違いとして位置づける事が出来ます。
しかし、この「単なる希釈自我による、わがままで、迷惑な言い分」つまり「病気」を、
「個性」と勘違いしてしまうような人々が次のような事を言うのです。
「それぞれの個性を認めるべきだ」とかですね。
しかし、「欠陥」は断じて個性ではありません。
個性というのは、少なくとも3/4自我を超えたあたりで主張されるべきものであり、
それ以下は、個性と呼ぶにはあまりにもあやういものです。
●それはちょうど、足が一本なくて、走れないことを、
「走れないのは、これも私の個性だ」と言っているようなものです。
あるいは、もっと分かりやすいのは、「臓器が一個ない」ことを、
「これも私の個性だから、それによる不具合をお前らは認めろ」と言っているのと同じです。
病気は、運命の一部ではあるかもしれませんが、断じて個性の一部ではありません。
それは個性ではなくて、ただの欠落、機能不全、つまり欠陥製品です。
>故障それ自体を個性などと呼んではなりません。
>故障というのは、本来の個性が発揮されない原因そのものなのですから。
みなさんは、パソコンのキーがいくつ壊れていてか打てなかったら
それを「個性的なキーボード」と呼ぶのでしょうか?
いいえ、それは「修理に出さねばならないキーボード」であるに過ぎません。
そして、希釈自我という現象は、今では、
生まれつきどうにもならないもの「ではなくなった」のですから、
それでも「健康な自我」になろうとしないのは、誰のせいでもなく、その人のせいです。
●自我復元法よって、1/10自我から這い出した人もいるのです。
ですから、自我復元を、決して、諦めないことです。
この無明庵の掲示板を見ているにも関わらず、
自我復元をしていないとしたら、それは、本当にもったいないことです。
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