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「分割自我復元」
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★分割自我復元★その7★ 『今回の震災の意味するもの』
by:
鈴木崩残
2011/03/27(Sun)16:41:15
今回の大震災が意味するもの
■既に、梅の間では、
「さらに、もっと大きな混乱」の前の「リハーサル」としての経験、
という視点からの説明をしましたが、もう少し別の視点からの解説も加えます。
■世の中には、今回の日本の震災と原発事故を、強引に、
「2012年滅亡説」や、「アセンション教」に、こじつたがる者もいるでしょうが、
はっきり言って、ほとんど全く「関係ない」のは、明白です。
なぜならば、どうしてマヤ文明(マヤ歴)が、
他国の、ただの小国である、日本のことなどに構うでしょうか?
もしも、2012年に「南米」の地で、壊滅的な破壊が起きたらば、
それは、彼らがかつて繁栄した「彼らの土地での出来事」ですから、
「彼らとは、むろん直接的な関係を持ちます。」
●しかし、マヤ文明の示唆したことが、「世界的な規模の異変」であるとしたら、
今回の2011年の日本の震災は、全くそんなものに関係ありません。
■しかも、その上、そもそも、アセンションというのは、
世界的な規模で、かつ重篤な規模のもので、
二桁も三桁も、大きな大変動という前提として定義されており、
それに、比べたら、今回の震災など、問題にならないほど小さなものです。
それに対して、まるで「この世の終わりであるかのように感じる」としても、
それは、今のところ日本人だけです。
実際、海外の人たちの多くにとっては、
他人事であり、対岸の火事であり、
ちっとも、2012年との「関係妄想」など彼らは持っていませんから。
■仮に今回の大震災が2012年以後からの変動の「予兆」だとしても、
それは、実際に、本当に、2012年に、日本だけではなく、
「世界的な大変動」が起きないかぎりは、
あのマヤ歴の暗号の意味は、決して証明されません。
■また、アセンションを精神的な、「内面的な移動や進歩と妄想する人」も
いまだに、いるようですが、
今回の大震災と原発、この程度のことで、
人の意識が「進歩」などと呼べるほど、
そんな、ごたいそうな、価値のある変化をするわけもありません。
彼らは、一体いつまで、
「都合のいい幻想」を夢見るのが、お好きなのやらです。
そんなこと(いつも、都合のいい妄想)をしているから、
死んだあとで、赤子の手を捻るように、簡単に、希釈されるのです。
■私個人の未来に対する意見は、何度も言いましたし、
「宗教に汚染された地球人」でも、ざっくりとした未来年表を書きましたが、
今後、約90年から100年先の未来を予測するとき、
そこにあるのは、
確かに今よりも、社会的には統制が進み、
今よりも、人間は、多少は、「おとなしく」はなりますが、
さりとて、希釈自我・分割自我は、今のように放置され、
ある意味では、21世紀よりも退化し、
その先に待つ世界の中にも、なんら、人類が進歩した形跡は、
見られませんでした。(最後に全部、削除される時まで。)
■従って、下手に、今この時に、中途半端な自我のままで死んでも、
次の時代(2020年代)にもしも、ここへ送り返されでもしたらば、
そこは、「本当の大混乱の時代」ですから、今よりも、もっと過酷です。
もっとも、生まれつき、そういう環境に生まれたら、
そこで見る世界を、どれほど不幸で不運なことかを「自覚」できるだけの意識が、
皆さんに、どれぐらい残っているかは、分かりませんが。
*********
さて、今回の大震災について、簡単な示唆と、助言をしておきます。
望まない事は決して起きない
●梅の間の投稿の中で、私は「内部配線」という言葉を使いました。
下記の投稿です。
>[1487]■ ●無明庵日記「猫の足跡=その225=」
●しかし、具体的に「内部配線」が何を意味するのか、まだ書いていませんでした。
そこで、今、私たちが一部、共有している災害という現実と、
あなた個人の「内部配線」とは何か?
そのことを、ざっと、ごく簡単にですが、説明しておきます。
●この大災害を見たとき、それを皆さんは、自分や、自分たちに
ふりかかった「理不尽な不幸」と見たり、
または、精神世界ぶって、「学びと成長の機会だ」とか依然として、
愚かな事を言い続けるつもりでしょうか?
●私の所見はそうではありません。
ずっと、以前に、私は何度か、こういう事を言った覚えがあります。
>『結局のところ、本人が望まないことは起きない』
●ただし、この大原則は、時として、整合性を持たないことも、あります。
たとえば、本当に何の罪もなく、前世ですら、何の因縁も因果関係もない人が、
他人に殺されたり、ひどい事をされてしまうケースです。
この現象界は、カルト教団の信者の信じきっているような、
何もかも「業」のせいで片付けられるものではなく、
変数や、偶然というものを、多分に含んでいます。
当然、その中では、自業自得では済まされないような、
「偶発的な不幸」も多くあります。
だから、決して、なんでもかんでも、
前世のカルマだの業だのと言ってはなりません。
オウムのように、犯罪を正当化する為の言い訳でしかない場合も多くあるからです。
●そこで、何もかもが宿命として決まっているものや、カルマなのではなくて、
「偶発的要素」がこの世界には多くある、という「大原則を踏まえた上で」、
それとは「別にある、ひとつの真実を言うならば、
極論すれば、
大筋においては、人は「自分が望んだものを見ている」
「自分が望んだものを経験している」ということです。
●これを今回の震災に当てはめたとき、
全ての人が、それに該当するわけではなく、
むろん、単に自然災害の犠牲者である人もいます。
つまり、もっと生きていたかったはずの人たちが、沢山います。
その人たちは、何も自分が死ぬ事や、
被災者となることを望んだのでは決してありません。
●しかし、それとは別に、
「人は望んだものを、必ず引き寄せる」ということが、
真実になる瞬間があります。
そうしたことは、
普通は、一個人において起きることがほとんどなのですが、
稀には、今回のように「集団的な望み」を具現化することがあります。
ある意味で、それは単純な力の論理といいますか、
「多数決で決定したこと」として、それが現象化することがあります。
つまり、日本人の「全員ではない」が、しかし、かなりの割合の人が、
実は、この原発も含む「地震災害」を、心のどこかで、望んでいた、
という構造です。
ただし、これは「集団的な望みの塊」なので、時として、
「個別の個人の望み」など無視して、
それに関係ない個人を巻き込んでしまうこともあります。
●そこで、私が皆さんに、薦めたい自問、内省の作業があります。
それは、幸運にもと言いますか、不幸にもと言いますか、
もしもあなたが、「関東から東日本(北海道を除く)」にいて、
今回の災害を今、実感を持ったものとして、経験している中で、
ご自分にこう問いかけてください。
>今、見ている、感じている、この現実のうち、
>どこか、一部は、実は、心のどこかで、待ち望んでいた事ではないか?
>全部ではないにしても、一部に、自分が望んだ事がないか?
●この作業をすることによって、
この地震と、原発事故を、あなたの中で、ただの自然災害と片付けてしまったり、
あるいは、やれ2012年だの、アセンションだのと愚かな事を言ったり、
または、地震兵器による日本解体の陰謀だと、馬鹿なことを言うよりも、
ずっと整合性のある目で、今後の現実を見て、
それを生きることが出来る「意識の配線」が出来上がります。
むろん、個人個人によって、望んだことの内容に違いはありますが、
>この災害の中には、何か「一部」であっても、
>あなたが望んだ結果が、そこにないか、よく自問してみください。
この作業によって、私の言う「内部配線」が出来上がります。
それは、この先、世界の行く末を受止めるときに、
必ず貴方に知恵を貸してくれます。
●参考の為に、私個人の事を言いますと、
3万を超える人たちが、亡くなってしまったということは、
私の何らかの望みの中にはありませんでした。
しかし、別の側面を見ると、この世界を駄目にしてしまった、
元凶である「希釈自我」の止まらないこの状況や、
その希釈自我の人たちの作った、この世界が、
自我復元をした人たちや、全自我に近い人たちの手で、
たとえ「少し」でも、マシな方向へと向かって欲しいと、
願ったことはあります。
そして、その為には、中途半端なことでは、この国の腐敗した政治や、
人々の意識が変われないことも事実でした。
そういった点で、自分の中を見ますと、
日本のこのような戦後社会の、カウンターバランスとなるショックを
どこかで望んでいなかったか?と自問すると、
私は望んでいなかった、とは決して言えません。
●しかし、だからといって、この日本のカタストロフィーの、
たとえ一片の部位でも、そのシナリオを思い描いた人たちに、
私も含めて、何かの「罪」があるのか?といったら、
そのようなものは存在しません。
なぜならば、「望みには、良いも悪いもありません」。
望まれた事は、ただ、その望まれたことを、執行するのみです。
そして、ただ、その反動がやってくるのみです。
善悪やモラルや、魂の進化など、全く関係ありません。
●そこにあるのは、それが個人または、集団意識にとって
「不快かどうか」であり、不快ならば、それを回避しようとするだけです。
その点では、今回の大災害と、今なお終わらない原発事故の悪化は、
もしかしたら、私たちは、
自分の死という不快さよりも、
もっと許せない不快が日本の政治や社会に対してあったのかもしれませんし、
あるいは、一瞬での死よりも、被曝による長期的な苦を選んででも、
それよりも価値のあるものを得たい、経験したいと望んだのかもしれません。
●または、逆に、
実は、もっと酷く、苦しい事が起きる事を望まなかったために、
それよりも、「まだしもマシな、今回の災害の方で、手を打ちたい」と、
私たちの集合無意識が、そう望んだのかもしれません。
結局のところ、人の運命、または、集合意識の運命を左右するのは、
>「どの苦痛を選択するか」または、
>「どの苦痛を回避したいか」という事が
意識を持つ生物活動というものの、根本法則だからです。
■つまり、結論を言いますと、
>心霊的な世界が、人間の世界のように、
>「過半数制」によって作用しているのかどうかは、知りませんが、
>少なくとも、日本の総人口の「半数近い人たち」の「心の片隅」に、
>今回の大災害は、ひそかに、しかし強く望まれていた事なのかもしれない
というのが、私の現時点での所感です。
むろん、想定外のことは多いでしょうが、ただし「大筋」では、
どこかの内面的な願望の一部と、この災害は「連結」していたはずです。
>つまり、日本列島というものを「大きな一人の人格」として見た場合、
>その個人が、選んだ結末、または始まりが、この災害だったという事です。
雑談
●自我判定をする時に、どうしても焦点が合いにくい人が、
「稀に」ですがいます。20人に一人ぐらいの割合でしょうか。
その方の筆跡もちゃんとあり、一度以上はその方の禅書を書いたこともあるので、
その点では、ラポールは繋がるはずなのですが、
それでも「自我判定」となると、何かがとても希薄で、焦点が合わない人
という人がいます。
ただし、それはその人の自我があまりにも希釈されすぎていると
そうなる、というわけではないです。
ただ言えることは、やはりこの「自我判定の同調が難しくなる」という傾向は、
自我率が、1/4自我未満になるほどに、顕著になるようです。
一見して、頭で判断して、1/4自我以上であるように見える人で、
自我率が読みとれなかったという人は、少ないように記憶しています。
●ただし、だからといって、
1/10以下の人の自我が読めないということはなく、私は、今までに何人も、
1/8自我から1/12自我の範囲の人たちも判定してきました
ですから、単なる希釈率の問題とは別の何かが原因で、
私が、その人の自我に焦点を合わせるのが困難な人が、たまにですがいます。
そうなる理由は、まだよく分かりません。
判定に必要な材料は全て揃っているのに、見えてこないのですから。
●そこで、本日、どうしても焦点が合わない人がいましたので、
2月から行なっている、新型の判定法ではなく、
昨年2010年の暮れに行なった「旧式」の自我判定の方法で、
その人を見ましたら、なんとか自我率を割り出せました。
旧式と新式は、はたから見たら、ほとんど違いは分からないと思いますが、
私の中では、全く違っており、
やはり、旧式での「強引な同調」は、私をひどく疲労させました。
たった一人だけ、どうしても、その人の存在の気配が希薄すぎて、
同調できなかったので、以前の旧式での判定をしましたが、
それで、半日ほど、またもや、ダウンしました。
ある意味で、これは私にとっても不思議な現象です。
●また、逆にいうと、新式の判定法は、
そうした困難さをスルーして、解決してしまったのですから、
自我というのは、やはり、第5身体か第4身体にかかわるもので、
普通に、霊能者が、やるような領域を扱うリーディングでは不可能で、
そう簡単には、その自我の組成を垣間見たり、判定することは出来ないようです。
●しかし、その扱うのが難しいはずの、自我を、
復元をやっている皆さんは、扱えているのだから、凄いと思います。
むろん、それは「自我判定」とはまた「別問題」ではありますが、
それにしても、
「分割自我」という事件が発生して以後は、この地球上で、
「誰一人も、タッチすら出来なかった領域」を、
自我復元をしてる人たちは、
今、その次元を操作できているのですから。
_____________________
【自我判定の時のお願い】
●皆さんと私も、お互いに、いつ「これで最後」となるかわかりませんし、
ネットやメールでの御縁も、いつ終わる、とも分かりませんので、
「自我判定」を依頼されるときには、以下の項目に答えて戴けますと、
どのような、御縁で、無明庵に来られたのかという事を、
私が知る事が出来る面があるとともに、
また、自我判定も、より正確になると思いますので、
よろしくお願いいたします。
【既に以前にメールで、下記の項目に御回答を戴いた方は、むろん必要ありません】
___________________________
・以前に「梅の間」に書いたコピーです。
↓
■「自我判定の申し込み」の時、あるいは「変化報告」の際に、
以下のような項目について、コメントを付け加えて戴けると、
より細かいアドバイスが可能となる場合も、時としてあります。
1-まず、無明庵のサイトは、どういう経路から、いつごろに知りましたか?
他人の薦めや、書籍、ネット経由など。
2-次に、そもそも、精神世界のような分野に最初に足を入れた
きっかけは、何歳の時で、何がきっかけでしたか?
3-ご自分の問題についての原因は、ご自分で分析は出来ていますか?
4-ご自分と御家族の間に何か問題はありませんでしたか?
5-そちらは、何を人生において、最も重要視していますか?
他者や本に書かれていることではなく、
御自身の中から実感として確実に、出てくるものだけを書いてください。
6-ご自身の何かに問題があり、それを解決したいと思っていますか?
その場合、何を解決したいのか具体的に書いてください。
7-無明庵の書籍で現在までに読まれたもの。
8-無明庵以外のもので愛読書があればトップからいくつかを明記してください。
9-次の二点について、具体的に書けましたらご解答ください。
これは、モチベーションの部分の分析の為です。
a-ご自分の最も嫌いな点
b-ご自分の最も評価できる点。
10-過去に今までに、関係を持ったことのある宗教団体や瞑想団体が
ある場合には、すべて明記ください。
11-現在のご職業をお書きください。
12-(本業以外での)ご趣味があれば、お書きください。
■最近では、こうした多少プライベートな、基本的な質問を、
いろいろな人にさせて戴いておりますので、ご了承ください。
_________________________________________________________
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