▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[88]
■
★分割自我復元★その87★分割自我復元
by:
鈴木崩残
2012/04/16(Mon)20:53:59
なぜ自我判定に条件をつけたか?
●2010年の秋ごろから始まった自我判定ですが、
2011年の頭あたりまでは、私は申し込みに「条件」はつけませんでした。
条件とは、つまり「自我復元を行って効果を確信した場合のみ」という条件です。
それまでは、自我復元をやっていようがいまいが、判定の依頼を受けた時期が、
「一時的」ですが、ありました。
●しかしその後、「明確な自覚できる変化があり、それを報告できる場合」
と限定しました。
これには、むろん理由があります。
「無心の禅書」のDVDの「第10巻」あたりでしゃべったと思いますが、
当時は、自我復元法というものがまだなく、
仮に、自我率が判明したとしても、それによるレッテル張りしか生まれないので、
私は判定など絶対にしないと宣言しました。
●しかしその後、自我復元法が編み出された後では、
自我率は、生来の自我率に固定されたものではなく「復元」が出来ると
分かったのですから、
スタート地点の自我率を知らせても良い、ということになったわけです。
●しかし、自我判定は、「それだけ」では意味がありません。
以前に、自我判定を頼まれる人が、
「自我率を知って、自分のモチベーションにしたい」と依頼書に
書いてくることが、たびたび、ありましたが、
そうしたことがモチベーションになった試しは、ほとんどありません。
たとえば、その人が、自分の自我率を1/8と分かったところで、
1/4と分かったところで、あるいは1/2自我だとわかったところで、
それだけでは、その自我率を知ることは、結果として、
ただの「他者に対する差別意識」や、「自己満足」や、
「現状肯定」や、「このままでいいや」、
という弊害しか生み出さないからです。
●自我率を知ることが、モチベーションになり得るのは、
唯一、「自我復元の効果を実感」し、その工程の中で、
その回復度合いを知ろうとする人達のみです。
それならば、モチベーションになりますし、私もそのつど、
何かの助けになるようなコメントも同封できます。
●むろん、「好奇心」から、自分の自我率を、とりあえずは知っておきたい、
というのは、「心情的には」充分に理解できます。
一方では、そうした「好奇心」からですらもなく、
「自分の自我率は高いはずだ」という「妄想」を裏付けようとする為、
あるいは、逆に、「自分の自我率が低いから、こうなんだ」という
妄想を裏付けようとしたり、
原因を自我率のせいに押し付けるために、判定をしようとする人たちもいました。
しかし、そのほぼ、全部を私は断ることにしています。
●既に言いましたように、
自我復元という道に確実に踏み出した人にとってしか、
判定結果は、何も意味を持たないからです。
また、一度その道に踏み出したら、全自我に戻ることだけが、
当面の唯一の目的となります。
全自我に戻るまでは、「このあたりの自我率でいい」などということは、
断じてないのですし、あってはならないことです
(原型に復元する前に死んでしまう、という場合は別として)。
●自我復元など、やってもいないし、
自我復元など、やる気もないとか、
または、まずは自分の自我率を知ってから、
それで考えてから自我復元をやろうとか、
または、ただ自分の自我率の裏づけだけが欲しい人達、
もしもこれらの人達からの判定依頼を、全部、無条件で私が許諾していたら、
それは、まったくもってして、「占い」みたいな、ただのビジネスとしては成立しますし、
私も多少は、儲かるのでしょうが、
私は、そんなことは、断じてするつもりはありません。
●そんな事に、皆さんが、御自分や、親から貰った大切なお金を使うのは、
もったいないですので、そういうものは、全て私から断っています。
ですので、特に、昨年の大震災以後からは、
たとえ、「初回の自我判定」であろうが、
「自我復元の道に踏み出した」と本人や私が「確信」のできる人達だけに、
自我判定を行うという方針に定めてあります。
無明庵の自我判定で「◎分の◎自我だと言われた」という結果だけを
皆さんが持ち帰っても、それでその人の人生に、
何かの意味があるとでも思うのでしょうか?
全自我に戻る事、そして、地球のプラントシステムから脱出するのが、
このプロジェクトの目的であって、
全自我に復元することを目指さないのであれば、
その判定結果の自我率の高低に関係なく、そこには何の意味もないのです。
全自我でなければ、そもそも、本来の「人間」ではないのです。
全自我以前の、自我率では、生きていることにも、意味がありません。
全自我でなければ、生きていることに「全く意味がない」とまでは言いませんが、
そこに、自我を原型に戻して、その機能を全開に出来る方法があるのというに、
「そんな低い理想点」で満足しているような人には、私は関心が持てません。
________________________
●なお、自我判定を「延期」する事をお勧めする人達というのもいます。
自我判定を、私が「完全に、お断りします」ということは、
かなり稀なことで、めったにない事なのですが、
「延期」を勧めるというのは、断るのではなく、
自我復元に確信を持てる報告内容になるまで、
「もう少し様子を見ましょう」という意味です。
「お薬が効いてくるかどうか、様子を見ましょう」、
というのに、少し似ています。
大抵の場合には、そもそも「お薬をちゃんと飲んでいない」つまり、
正しく実習していない事がほとんどです。
●実は、この「判定時期の延期の薦め」は、
「初回判定」の人に対してばかりではなく、
かなり自我復元を続けた人たちにも、たまに私が言うことがあります。
今のタイミングよりも、少し先(大抵は1ヶ月から3ヶ月程度先)に、
判定をした方が、明確に変化が出ているだろうと、私が予測した場合です。
●また、復元法を続けてきたのに、少し停滞が見られた場合なども、
「延期」を勧める場合がよくあります。
確かにその時に判定すれば、5%程度の変化は結果として出そうに
見えるのですが、どうせならば、復元率が8%を超えたあたりのほうがいい、
と私が判断するからです。
皆さんの判定料金の出費を、出来るだけ「節約していただきたい」
という私の勝手な思いもあります。
●以前にも言いましたが、これは、武術教室などの「昇段試験」に、
少しだけ似ていると思ってください。
充分な実力がついたと思える時に、試験を受けるのが、
経済的にも、実質的にも、いいに決まっているのです。
●むろん、自我復元のかなりのレベルになった人が、
御自分に「停滞感」がある場合に、それを確認したいための判定
という路線もありますが、
それだけの自我率になった人が、自分で停滞していると感じるときには、
ほぼ、その人の判断は正しい事が多いのですから、
そこでは、私の判定を待つまでもないことなのです。
●
作業時の姿勢
●ここ数ヶ月の判定で、似たようなアドバイスが2〜3回続いた。
それぞれ全く別の人に対してです。
それは、PCを打つときのデスクまたは椅子の高さについてです。
もしも、重要な事をしているという自覚がある場合には、
その重要性が高いほどに、体の「姿勢」というのは、本当は、
cm単位で、調整しないとなりません。
椅子に座るのであれ、あぐらをかくのであれ、
自分の高さとテーブルまたは、pcなどの道具の高さは、
結果として、体全体の姿勢に気づかない無理がかかることがあります。
●分かりやすくいいますと、楽器演奏をする人は、
座る位置、キーボードの位置など、楽器と自分の位置関係について、
神経質になるのは当たり前です。
同じように、もしも座るとか瞑想という行為を本当に大切に思っている人がいたとしたら、
その時々の正しい姿勢を見つける必要があります。
これは、それが明確に寸法として決まっているわけではなく、毎回違います。
自転車もサドルの高さにはその人にとってベストな高さがあります。
枕の高さもそうです。
●その点で、何かをするときの姿勢を決定する要因について、
自我率の高い低いに関係なく、無頓着な人もよくいます。
猫を見ていると分かるですが、彼らは自分が、居座る対象との、
心地よい姿勢を見つけるまでは、何度も体の向きを変えてみたり、
足の向きや、足の置き方を変えたりしています。
●別に背筋をまっすぐにすることが正しい姿勢という意味ではなく、
逆に、猫背がいいのでもありません。
座ったり、作業をするときには、まず、自分の姿勢、
特に背骨の形がどのような状態にあると最もすっきりとするのか、
そこから始めることです。
●会社のデスクの場合には椅子の高さを調整すればいいのですし。
ただし、厨房のように、調理台の高さが決まっているものは、
しかたありません。
せめて、自宅の自分の空間だけは、その空にあるテーブルや椅子や、
その他の家具が、本当に自分にとって心地よい、あるいは効率よく
仕事が出来る姿勢の邪魔をしていないか観察してみて、
少し改善してみるといいです。
わざわざ日々の作業で、自分の姿勢を悪くしてしまうような
高さの設定にしてしまっている人が多くいそうなのです。
続く
_______________________________
●よく「昔は良かったなー」という言葉を人間が言う時がありますが、
それは主に、昔が良かったわけではなく、
実際には今の方がいい事が多いものです。
また、その「昔」という時の時間のスパンは、今回の一回の生の中の
ことですから、実際にはどちらかいいか、大差はありません。
●しかし私に言わせれば、もっと「時間の尺度」を長くすると、
「昔は、良かったのではなく、昔は、少なくとも人間の自我が健康だった」
ということになります。
>今の地球の状況では、かつて正常だったものは、もう見る影もないです。
正常だった時代、または「その状態を知らない多くの者」にとっては、
今が当たり前でしょうが、今も「正常な状態を知っている者」から見れば、
人間の本来の状態を回復させることに、多少は、ムキにもなります。
悟りなどの遥か以前に、かつて正常な機能を持っていた、
人間として「正気」の人を見つけるのすら、今では、きわめて困難です。
_________________________________
ところで、蛇足ですが、
●この世界で、神秘学、あるいは瞑想や何かの「指導的立場」にいる人間の場合、
大別すると二種類あります。
一つは、もともとは、全てが、本人の個人的な問題解決の為に、
終始やっているのであり、本来は、指導的な立場で他者に関わるべきではない人達。
もうひとつは、本人にとっての進歩はないが、
それまでの蓄積を他者に分散することに主眼をおいて生まれてきた人達。
地球を見ていると圧倒的に多いのが前者で、
その点でも、指導的立場の人間の方針がコロコロと変わり、
それに生徒も振り回される続けるという、計画性のない教室も多く見受けます。
一方で、自分の問題と他者の問題の比率が、5:5またはその他の
比率という場合もたまにあります。
ただし、やっていたら結果としてそうなったというのではなく、
生まれる前からその、「内外比率」を決定してきたような場合です。
●私の場合には、6:4ぐらいに決定してきたために、
4割は他者の問題に関わることになり、
6割が自分の問題に集中するという形で、若干、自分の側にキープしてありますが、
それでも4割は、対外的な消費エネルギーになっていますので、
かなり自分以外の問題に、時間を多く割くことになりました。
むろんその事は、事前の契約の上でです。
●世間を見ていると、この混在は、かなり複雑で、
それだけにいろんな話が出来てしまいますが、面倒なのでやめておきます。
ただ言えるとは、
本来、既に、別の次元で、蓄積された知識を、
自分の為ではなく、他者に伝達することを9割主目的として、
本人の道楽は1割程度と定めてきた人の場合には、
すでに20代のころから、指導的な立場になっています。
●一方で、そもそも、本人の課題をやりに来たという人は、
まかり間違って指導的な位置にいると、本人の趣味で方向性が変わり、
どんどんと周囲にとっては、方針が一環しないものとなりますが、
それは、そもそもが他者の為にやっているわけではないので、
いたしかたありませんし、そこには、安定感がありません。
●精神的な問題の指導者にしても、科学分野などの指導者にしても、
個人的な発明や、個人的な研究や実験が当初から目的だった人と、
個人的なことは大半を犠牲にして、伝達に力を尽くした人とに
大雑把に分かれます。
この中間の比率はさまざまですが、
私が見ていると大抵の場合には、当初の契約内容を忘却してしまい、
指導的立場には、なってはならない人がその位置にいたり、
逆に、指導的な立場につくべき人が、この世界で、他の事に気が散ってしまい、
長年、個人的な趣味に没頭してしまっていたりと、
そういう点からも、限定的な機能抑制をされた肉体を持つ事による、
「記憶喪失」というのは、本当に恐ろしいものです。
●この記憶喪失は、全自我の場合には、それほどには起きないのですが、
それでも「部分的」には起きます。
部分的というよりは、それが発動する事が必要になるまで、
何十年も、思い出せない期間があります。
続く
>ここまで4/17-7:00更新
__________
自我復元を出来る人、出来ない人
●このプロジェクトが発足してから、もうすぐ2年になります。
その間、むろんどんどん復元してゆく人達を見るたびに、
本当にこの方法が発見できて良かった、という感慨深い気持ちがある一方で、
どうして、最後のチャンスすらも、逃す人達がいるのか、
という問いが毎日続きました。
●ただ、真面目に続ければよく、
特段の資質も全く必要なく、
もしこれが脱走行為であるとしたら、
既に、沢山の自我復元者たちが、トンネルを掘り進んでおり、
そこに、確実な抜け穴が開いているにも関わらず、
「別に今のままでいいや」と怠惰になっている状態で、
牢獄の中で、だらけている様子に、非常に、よく似ています。
●そうしたある意味では、どうにもならない人に対しても、
可能な限り、方法論は説明してきましたし、
多くの自我復元の先輩たちの報告もあります。
これで、地道に続けられないというのは、それは、以前にも言いましたように、
その人自身が「選んだ」停滞と、無変化の生活なのですから、
他者が、それを、(本人の尊厳を無視したような)おだてを使って
やらせる事は出来ませんので、どうすることも出来ません。
●確かに、コミュニケーション能力や、いくつかの資質が
自我復元を加速することはありますが、
それが絶対条件というわけではありません。
絶対条件は、ただひとつ、現状は絶対に嫌だという強い思いだけです。
ただし、その嫌であるものが、何であるのかによっては、
自我復元よりももっと安上がりで、努力のいらない方法もあります。
●たとえば、もう死にたいのでしたら、死ねばいいのです。
全部放り投げたいのであれば、自殺で済むのですから、実に簡単なことです。
お金も努力も必要ありません。
人生嫌だ、と毎日言いながら、
そんな簡単なことを、何を躊躇しているのやらです。
●しかし、そうやって死ぬ自分に納得がいかないのであれば、
死ねないのですし、生きることも出来ない、中途半端な、もんもんとした中で、
「そのうちいつかは、自殺する決心がいつかつくだろう」と期待しながら、
無価値感を感じて、ただ老いてゆくのみです。
「そのうち、どうせ自殺する気になるだろう」という惰性は、
夏休みの宿題を、そのうちやればいいやと放置しておいても、
結局は、死ぬ間際になって慌てて、間に合わない結果になるのにも似ています。
●ところで、自我率が1/8自我、1/10自我という状態から、
見事に、40%、50%へと復元した人達もいるのですから、
ハンデというものは、基本的にはありません。
少し、エンジンがかかるのが遅いというだけで、
いったん、自我復元という自己プラントが回り始めたら、
あとは、加速的に復元されてゆきます。
●ハンデという意味で言うならば、
むしろ、鈍感になって、自分のいる状況が、どんよりとしていて、
自分の世界の半分以上が、単なる、思い込みの妄想が世界だと、
わからない、という点においては、
私に言わせれば、30%自我あたりや、
特に1/4自我から、1/2自我の人たちのほうが、はるかに惨めです。
その人たちは、一見すると自我率は、1/6の人達よりもあるにもかかわらず、
違和感を持てないので、ずっと変化しないままになります。
それが、とうとう、生活の中で、いよいよい通用しなくなる日が来るまでは、
決して本気で自我復元をしようとしません。
●同じ危険性は、下手に自我率が元々あった人にも多くおきます。
どの自我率から始めるにしても、すべからく、その自我率に固有の
スタートを踏み出す困難さがあるのです。
たとえば、私は、元々の自我率が、6/7であったり、7/8である人を
数人見ましたが、
一部の人を除いて、ほとんどは、自己過信の為に、今回死んでも、
一生抜けられないウィークポイントを持っています。
しかしそのことに対する自覚のなさといったら、ひどく鈍感で、
下手をすると、むしろ、1/6自我の人の方が、よっぽど、
自分に対する問題意識があったりします。
●どの自我率から始まるのが有利かということは、基本的にないのです。
最初は、開発者の私自身も、わからないことだらけでしたが、
2年近くも見ていると、ようやく、自我復元について、見えてきたこともあるのです。
__________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(88 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -