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★分割自我復元★その88★自我復元に伴う、死人禅の捉え方の変化■判定の無料化の時期■
by:
鈴木崩残
2012/04/18(Wed)15:09:13
●今回のおたよりは、自我復元に伴う「死人禅」や瞑想一般に対する
捉え方の変化についての報告です。
少し私との質疑も含まれています。私からの質問部分は黄色の文字です。
おたより
●死人禅の使い方が180度変わる。
ついでに、過去行っていたメディテーションの考え方も180度変わる。
以前は死人禅は思考を無くし、闇と同一化した、静けさを手に入れる為の
「静」の目的の為に使っていましたが、
現在はせき止めたものが流れ出すときのエネルギーを使う為の「動」を
目的として使っています。
せき止めるほどに、死人禅を行っている時間外の、思考エネルギーや、
観察力が増加するように感じ、これを方向付けして扱うことを目的としています。
以前、自身で思考や観察力の方向付けを適切に行う事ができない時の死人禅は、
出てきたものにふりまわされているだけだったように感じます。
しかし、この洪水を制御できれば、エネルギー不足の為にこれまでできなかったことを、
具現化するために活用できそうです。
比べて申し訳ないのですが、私が以前関わっていたヨガのメディテーション
に対しての認識も改めざるを得なくなりました。
数あるメディテーションの中で多いのは、
一つの目標に向け、意識を向け続けることで、目的と自己の関係性を強め、
常に目標を潜在意識下に置いておくようにしていました。
願望実現を目的とするのはこのタイプです。
連続して強力に意識付けをすることで、
瞑想以外の時も、目標から意識をそらさせないようにする効果を狙ったものだと感じます。
ここでのポイントは、目標達成に使える具体的な方法論は手に入らないことです。
モチベーションが上がった所で満足させて終わりです。
実際の作業の例として、多くのお金を得る事を目標とする場合です。
まずはこの目標達成に適したメディテーションで「お金を得るぞ。」
という意識付けを行います。
この段階での意識付けは、「お金を得たい。」という「希望」のみの
印象付けで、その結果を出す為に必要な、
「今の状況で、何をどうすれば、お金を得れるのか?」という方法論が、
入手できたことは、私にはありませんでした。
「宝くじを買う」などの簡単なアイデアさえ浮かばず、
浮かぶのは更なるメディテーションの必要性です。
結局、方法論はメディテーションの時間外に自分で組み立て、
入手する必要がありますが、
肯定中心の思考癖がある場合の方法論組み立て作業は、はかどり難いと感じます。
しかし、微量なりとも達成感を体験しますので、
目標達成に向けた行動力の源、やる気やモチベーションは上がります。
少なくとも希釈自我の状態での私はそうでした。
目標設定から目標達成までの行程を円に例えると、
目標達成という円を構成する一部分だけが極端にクローズアップされており、
そのほかの構成要因は軽視もしくは無視されているように思えます。
結果的には、目標へ向けて遠回りしたり、目標の途中でやるべきことを、
増やしてしまっているのにも関わらず、
自身で、引き伸ばした目標達成までの時間の中で、
目標達成されないことへの不満を感じ、
必然的にメディテーションを行う回数も増やすことに繋がっていくと感じます。
つまり、目標達成させないようにすることで、
その人に目標達成までのメディテーションを行う回数を
増やさせる効果を狙っています。
その他には、同じ行動を繰り返すタイプの長時間の瞑想は、
現実意識を希薄にする効果や、判断力の低下発生させる場合もあり、
問題意識そのものに無自覚になることで、
問題がないと錯覚する効果もあったように感じます。
これは最終的には現実逃避となります。
実際体験としては、60分程の瞑想をしたあと、
外で物を購入しようとしたことがあります。
財布からお金を出したのですが、なぜかお銭の計算を振られました。
そこで、簡単な計算ができなくなっていることに、始めて気が付きました。
正確には、メディテーション後の心地のよい状態を壊すことが嫌なために、
論理的な思考を自らしないことを選択していました。
書物に関しても、論点は書いてある内容を自身がどう活用しているかではなく、
どのように教義に沿った解釈しているかで多くの会話は終わってしまい、
「あの人がこう言っているから、この行動(考え方)は正しい。」
という思考もまかり通っています。
教義に沿った知識をどれだけ知っているかが、その人の個性の表現先となる場合も多く、
この場合は熱心な信者ほど、自分の思考の洗練より、
思考を汚染する可能性の高い知識、
先入観を持ち易い教義に沿った知識集めに走ってしまうトラップもあると感じます。
又、脳内で快楽物質が分泌される現象を毎回体験しなければ、
メディテーションした気分にならなくなる作用もあり、
これは依存作用を産む原因になると感じます。
さらにヨガという健康法も組み入れられ、第一印象のイメージアップと、
あたかも全体は人にとって「良いもの」のように判断され、
受け入れ易くする細工が施されています。
これらはメディテーションの一側面だけを書いていますが、
程度の差こそあれ、間違いなく存在します。
ただ、視点コントロールにより観ようとしていなかっただけです。
平和になるのではなく、無自覚さが著しく増すことにより、
混乱と矛盾の地獄の中でさえ、これが平和な世界だと勘違いすることを
自から選択してしまっているのです。
はっきり言って、マスコミの行っている洗脳と同質のものです。
ゾッとしました。
>それは、わざと、意図して手に入らないように行っていることか、
>それともシステムやインストラクターの性質上、必然的に誰も具体的な方法を
>与えられないように結果としてなっているのですか?
まずは、インストラクターの性質上の問題が強いと私は感じます。
もしも、インストラクター全自我ならば、生徒の必要性に応じ、
具体的な方法論の入手方法を提案することができると感じます。
しかし、自身の中に正常機能している上記の円システムが構築されていない場合は、
それは不可能です。
又、目標達成されてしまうと生徒が離れていくので、
それを防止する為に、本来の目標と関連付けた、
比較的達成しやすい違う目標を設定し、
(がんばれば10人中9人はできる反復運動など)
その達成感を体験させることで、満足の疑似体験を提供しています。
これは、インストラクター自身の存在意義を満たしますので、
意図というより、結果的になってしまっていると思います。
>あとは「モチベーションが上がった所で満足させて終わり」の部分の
>このモチベーションというのは、何に対するモチベーションでしょうか?
「目標達成に向けて行動すること」に対するモチベーションです。
「よーし行動するぞー!」の「よーし」の部分と言いましょうか、
まだ、方向性や具体性の明確でないエネルギーや衝動です。
これが高まると感じます。
ただ、自我が希釈されている場合は、勢いはあるのだが、
している行動は方向性が定まらず、時には自身の欲求不満のはけ口と
すりかわっている場合もあると感じます。
>また満足させてとありますが、生徒は、それに乗せられて
>「何に満足」しているのでしょうか?
> それとも、本質的には満足していないのでしょうか。
確かに、本質的には満足していません。
ここでは私の中に誤認が発生していました。
強固に関連付けが行われた、別の事象が達成されたことの満足で、
前者の達成が微量なりとも実現したと、定義付けを自ら行っています。
正確には、目標が達成された満足ではなく、
メディテーションをやり遂げたという満足感です。
本来別々の満足は、少しばかり関連付けられたせいで、
一つの満足として認識されてしまう性質がありました。
抑圧された感情が、別の表現で達成され満足する、
夢の性質にも少し似ている気がします。
この文章を書いていて、とても重大な事に気が付きました。
最初は自分から切り離した、以前に自分が関わっていたヨガの問題に
取り組んでいるつもりでしたが、
実際はヨガを、希釈自我状態で他人に教えていた、自分に対しての問題を意識化し、
取り組んでいる面も、かなり多く感じました。
参考の為に書きますが、私はこの団体のインストラクター養成コースに
50万ほど払い、一年程通っていました。
たしか、平成◎◎年頃に卒業し、免許をもらったのですが、
行動した動機を整理すると、副業でインストラクターをすれば、
そこで、他人に対する「上から目線病」が使える。
また、いまいち上手くいかない本業の不満解消を、
こちらでするつもりでいようとしたからだと、今では感じます。
つまり、本業に対して行うべき行動を、副業の方で行っていました。
さきほど、自分で掘っていた、
「本来別々の満足は、少しばかり関連付けられたせいで、
一つの満足として認識されてしまう性質がありました。」
という、まさしくこの性質が作用していました。
_______________________________________________________________
自我判定が無料になる時期
●以前から考えていたのですが、自我復元を本当に地道に行い、
その結果として、自我率が「98%」を超えた段階で、
それ以後、その人の判定は、全自我まで「無料化」する事にしました。
●その理由としては、自我率が約95%を超えると、
そこからは、次第に「関数曲線」のように、たったの1%を進むのにも、
時間がかかってきます。
これは、自我復元をしてきた人達のデータをとって初めて分かったことでした。
●自我復元の最終段階が、空気が満タンになる前の容器内の圧力の高まりや、
その時に送り込まなければならない空気に高い圧力が必要なこと、
あるいは、登山の登頂の最後が、
断崖を登るような様相になるのに似たものになる、とは予測はしていたのですが、
それが物理現象のように、確実なパターンであることが分かり、
そこに例外は、ほとんどないことが分かりました。
●また、仮に最初のスタート地点が、2/3自我や、3/4自我などの、
高い自我からのスタートであっても、最後の部分になると、
上昇率が低下する点は、例外なく、パターンが共通していました。
●そうしますと、98%に到達した人が、そのあとに、
あと1%や2%の最後の詰めの作業を、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と行うときに、
それに対して、いちいち判定料を私が戴くというのは、
私自身が、申し訳なく思うからです。
もう、本当に「あと少し」なのですから、
もう判定料金の支払いなどいいから、
とにかく「全自我に到達して欲しい」と私は思うわけです。
●また、自我率98%となりますと、私との信頼関係や、自我率の高さからも、
私が判定をする場合のラポール形成は、極めて楽になっていますので、
95%未満の人達の判定をする時のような、労苦や手間を、
私が負担する必要がなくなっているのも、その理由です。
ですから、この「98%」という自我率の段階以後は、判定料は無料化します。
現在、98%を越えた人は、一人で、
あと、もう少しで、その98%になる人は、6名います。
●その人達は、報告書を私に書くときには、
もう意気込んだり、綿密に書こうとしたり、
ストイックになったりする必要はありません。
無理には、内容をまとめようとせずに、雑感や感覚の変化について、
メールで、気軽に私に報告をしてきて下さい。
その中で、定期的に無料で「自我判定」をしてみて、
全自我に到達したかどうかを、
皆さんの感覚と、私の見解をあわせて、見定めて行きたいと思います。
●ずっと私からも言ってきた事ですが、
この自我復元というシステム自体が、初めての試みですから、
最後に、全自我に戻るときに、
何かの自覚できるようなスイッチが「カチッ」と入る感覚が、本人の中に起きるのか、
それとも、しばらくして「気がついたら復元が終わっていた」、
という、あっさりとした性質のものなのかが、まだ全く未知なのです。
ですから、それを今後経験するのは、98%を超えた人達自身ですから、
その「最後に起きる事の報告」を、
貴重なデータとして私にも知らせて欲しいのです。
そういう「ギブアンドテイクの関係」がそこにある事からも、
98%を超えた人達は、その後の判定も、助言も、全て無料とします。
●ただし、言うまでもなく、これは「判定回数」とは全く関係ありません。
判定依頼回数が、例えば、7回を超えたら無料になる、というのではなく、
あくまでも、到達した「自我率」が無料化の基準です。
ですから、人によっては、5回目ぐらいの判定で、98%を超えてしまう
という場合もありますので、
そうした場合には、「原型自我」に戻った時か、あるいはその前に、
6回目以後の判定でお渡しする事になっていた滲み書を、
全部無料で、お譲りすることを考えています。
(ただし、この部分は、滲み書以外にも、
どういう「お祝いのプレゼント」を用意するかは、まだ詳細は未定です)
●
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