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●冷蔵庫のお葬式●夏休みの日記風●
by:
●〓方山〓●
2000/08/24(Thu)07:55
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◆冷蔵庫◆
今日は、冷蔵庫と話をした。
いや、特別に愛着のある冷蔵庫というわけではない。
ただ、その冷蔵庫に対しての、思い出はたくさんある。
冷蔵庫と頭の中で話をするなんて、変に思う人もいるだろうな。
でも、今日だけは特別な日なのです。
今日は冷蔵庫の葬式だから。
新しい冷蔵庫が来るので、今日で、
その古い冷蔵庫は本当に長い間、住み慣れたうちを去ります。
かなり疲れていましたが、でも、壊れたのではありません。
食生活が少し変わったので、新しい冷蔵庫を買うことに
なったのです。
しょっちゅう霜がついて、そうとうに疲れていたものの、
壊れて使いものにならないから捨てるのではありません。
その冷蔵庫は、20年以上、うちにいました。
でも、今日がその冷蔵庫の死です。
20年同じ住みな慣れたその場所にじっと落ちついていましたが、
今日、初めて移動します。
最後はちゃんと一緒にいてやりたいので、
私は、朝早く、冷蔵庫の上でお香を焚いて、水を備えて、
冷蔵庫に、もたれかかって、いろいろと考えていました。
この冷蔵庫は、あと数時間で、夢の島に行くんだろうな。
夢の島に行く冷蔵庫の気持ちって、どんなだろう。
それとも、分解されて、溶かされて、また何かの製品になるのかな。
うちの玄関から出て行くとき、冷蔵庫は一体どんな気持ちなのだろう。
そういえば、以前にもガス漏れするガスコンロを
引きとって貰ったときにも、同じような事をした。
そのガスコンロは、本当にもう寿命だった。
でも、今回の冷蔵庫はなんとか、あと3年は使えるのだけど、
事情があって、買い替えることになった。
◆物の死◆
冷蔵庫のような日用品は、買ったときは、その家の人や子供たちに、
最初だけは、騒がれて喜ばれるけど、
何年もすれば、そこにいるのが当たり前になって、
毎日使っているのに、ことさら意識もしないし、
それに私などはわりと、乱雑に扱ってしまうことが多い。
でも、どんな扱い方をされても、冷蔵庫は、
ほとんど毎日休まず、その一生を過ごす。
どれだけいろんな食べ物や「食べ物でないもの」まで(笑)、
冷蔵庫の中を去来したのだろうか。
そして、それを見ていた冷蔵庫は、どんなふうに思っていたのだろうな。
そういえば、私が夜中にいろいろと考え事をしていたときや、
部屋で座禅をしていたときに、よく冷蔵庫のブーンという音がしていた。
今、こうやって冷蔵庫に寄りかかっていると、
とても懐かしい音です。
たぶん、新しい冷蔵庫はまた違う音をこれから出すんだろうな。
たかが冷蔵庫といえでも、思い出せば、いろんな思い出がある。
他界した母親がいれていた好物を冷蔵庫はどう思っていたのかな。
腐ったものがそのまま入っているときなんか、
冷蔵庫はどう思っていたのかな。
そうそう、いつかなんて、私が冷蔵庫に手裏剣を当ててしまって、
冷蔵庫に穴が空いたことがあった。自分で穴を埋めて修理したけど、
冷蔵庫はさぞかし。びっくりして、怒っただろうな。
あっ、そうだ。
窓の隙間から入ったヤモリが冷蔵庫の下に隠れていたことが
あったけど、冷蔵庫は友達が来て、嬉しかったのかな。
ヤモリは私に捕獲されて、無事に外の世界に帰ったけど。
◆捨てられる物たち
生活の中で捨てるものは、大小沢山ある。
だから、捨てる全部のものに、こんなふうに話しかける
わけじゃありません。
テーブルをふいたティッシュにまで
「短い間だったけどありがとう」とかは言いません。
でも、自分の管理が悪くて、全然どこも食べもしなくて、
新品だったのに、丸ごと捨てざるを得ない食べ物を
捨てるときだけには、「悪かった」と心の中で謝ります。
●
人間というものは、人と人との関係とか、恩とか、
人と人の支え合いの事ばかり言うけど、
そういう人間たちの生活を「根底」で支えているのは、
無数の「物」であるし、それらの物の多くは、
目立たないし、誰にも改めて意識などされないところで、
ひたすら自分の仕事をし続けている。
物は、ボク達の生活をその根底で、本当に長い間、
つまり、私達が死ぬまで、支えてきてくれている。
人と人の出会いにしたって、そこには多くの「物の協力」があっただろう。
人との関係で、何かの物がきっかけになったり、
何かの物が結びつけたという事も沢山あるだろう。
というより、もともと、物質なしにはそれらは不可能だろう。
とはいえ、人は、極論すれば、一人だけでも暮らせる。
他者が嫌なら、無人島に済めばいい。
しかし、その島でも我々は私達とは何の利害関係もないと思い込んでいる、
他の無数の生物たちや、物体のお世話になる。
●
そんなわけで、私は、今日、冷蔵庫と最後の時を過ごした。
でも、すべての廃棄物にそうするわけじゃないし、
また、自分が愛着がある物にそうするというのとも違うのです。
愛着がなかろうが、あろうが、
他人から見て、どんなに古かったり、使い物にならなかったり、
なんの価値もなくても、
目立たないところで、自分を支えてきた物の死には、
自然に、「敬意」のようなものが生まれてくる。
でも、それは、感謝とはちょっと違うような気がする。
私がどう思うかに関係なく、私に何も要求もしないで、
たとえ私に忘れ去られたままでも、私を支えてきてくれたもの、
そんな、物体とか物質には、その「存在」そのものへの
敬意「のようなもの」をなんとなく、感じるのです。
●新しい物が入れ替わるときには、
物体であっても、精神的な記憶であっても、
それと引き換えに「死」を迎えるものがある。
特に、同じ場所を2物が占めることが出来ないようなときには、
古い物、または壊れた物は、自然に死を迎えるか、
または、買主の手によって死刑になる。
●そんなわけで、かなり歳をとって疲れてしまった冷蔵庫が、
今日、葬式に出ました。
さっき、私の気持ちは「感謝とは、違う」といったけど、
それでも、最後に一言、
冷蔵庫に、お分かれの言葉を言うとしたら、こう言うと思う。
「ゆっくり休んでください。
本当に、20年もの長い間、ありがとうね」・・・
だから、私はそう言って、
また、冷蔵庫のそばの床に寝転んだ。
新しい冷蔵庫が来るまで、あと数時間だけど、
この冷蔵庫は、その一生の、
その最後の時間を今、生きている。
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