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●愛されない者●梅の間からの転載です
by:
ほ う ざん
2001/10/26(Fri)05:57
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●「愛されない者」●
最も愛されない女、または男とは、
「自分は愛されない」と思い込んでいる場合と、
「自分は愛されるべきなのに愛されていない」と思い込んでいる場合である。
旦那さんや彼氏に愛されないと不満を言う女性、または、
女性に愛されないと言うストーカーの男性、
そんな人達は、まず第一に、そもそも、愛とか言うものを、
「愛される」とか「愛されない」という受動形で語ったり考えることが
問題の根底を踏み外していると認識してください。
●愛というものがあるとすれば、それは動物の世界でも人間の世界でも、
あくまでも、「与える」という行為の事を指すのであって、
愛に「受け取り方」というものは存在しません。
愛に、受け取り方の良しあしはありません。
ただ、受け取れないか受け取れるかだけの話です。
●愛されない理由を分析したり考えたりする暇や、
そんなカウンセリングを受ける暇があったら、
失敗を繰り返しながら、能動的に愛することを繰り返すべきです。
そうしているうちに、相手に受け入れられないのはどういうものか、
を学習してゆくわけです。
●ですから、「愛されるように」、などと考えるのは筋違いです。
「どうしたら愛されるか、」「どうして愛されないか」これも
筋違い。
問題は、相手からどう愛されるかよりも、
自分からどう愛するかの問題です。
最初は、それは身勝手な愛を相手にぶつけるでしょうが、
それで失敗した時には、
それを受け取らなかったり、理解しない相手を責めるのではなく、
自分の愛し方に何か問題があるのだと認識してください。
●人は決して「愛され方」について学ぶことはありません。
愛されないというのは、単に相手にとって魅力がないというだけのことです。
それよりも、なんの見返りがなくとも、
自分から涌き出る愛情を育て、失敗しながらその表現方法を磨くべきです。
それを相手が受け取らない場合には、自分の方法に間違いがあると考えるべきです。
●そもそも、愛情というものは、親子でも男女でも、
基本的には、他人から与えられることを期待するものではなく、
自分から涌き出るエネルギーの「余剰」として相手に与えるものです。
なぜならば、親子、男女、このどちらも、自然界の中であれば、
その関係の基盤にあるものは、
より強い子孫を残すという目的で動いているからです。
もともとは、そのための、男女であり、親子や家族なのですから。
それが、人間の社会では、傷だの、癒しだの、と、
余計な問題を抱えているわけですが、
自然の法則に照らし合わせれば、
男女も家族も、互いを低め合うような場であるべきではありませんし、
傷を舐め合う場であってもならない。
●このような意味からも、
男女でも親子でも、愛情というものを強い種を残すための
一種のエネルギーまたは情報であるとするならば、
愛情を受け取れないことを悩んだり、
愛情を受けられないことを悩んだりする暇があったら、
自分から無理なく愛するにはどうしたらいいかと、
自分の発している愛情について内省すべきです。
●また、前にも書きましたし、今回の話題とも重複しますが、
精神的なトラウマや、親子間で出来た心の問題は、
決して異性との関係では癒されません。
たとえば、暴力を振るう旦那から受けた心の傷であれば、
これは、暴力的でない異性によって変化します。
しかし、親が子供につけた傷は、異性は癒せません。
それをくれぐれも勘違いしないように。
親がつけた傷は、その当人の親、
またはそれに代わる性質の親的な愛情でなければ、変化させられません。
親、兼 恋人という構造は不可能です。
●こうしたことから、本人もそれと知らずに、
自分の家庭内の親子間で生み出された不満を解消する目的で
恋愛の中に、家庭で得られなかった愛情を求めている場合には、
まず間違いなく、トラブルが起きます。
そして、そのトラブルは、その問題のあった家庭のトラブルそのものを
ただ、そこで復元するだけのものになります。
暴力の中で育てば、結婚しても形を変えて暴力に遭う。
無視の中で育てば、結婚しても、形を変えた無視に出会う。
●だから、誰かを愛するときに、
その愛情への飢えが、自分のどこから出てきているかを
自覚してください。
そして、それが家庭、特に親子関係からのものでない場合には、
異性にかかわってもいいですが、
もしも親子関係の問題、不満の解決を、気付かずに異性に求めて投影して
いた場合には、出来るなら、その関係は一度解除して、
まず、親子としてかかわれる他人、または異性を探すべきです。
そして、その相手とは、けっして恋愛をしてはいけません。
まー、カウンセラーと患者が恋愛してはいけないのと同じです。
むろん、そこに愛情の交流はあってもいいですが、
まともな恋愛は、傷が治った後にしか出来ません。
●恋愛というのは、
「見返りも期待せずに、自分から愛する」という
「能動的行為と、経験の積み重ね」であって、
決して「相手から受け取るものではない」、
という事を今回は強調してます。
だから、現在、恋愛関係や結婚の状態にある人達は、
くれぐれも、もう一度、恋愛の発端や、
そもそも、相手に何を望んでいるのかについて、自分の中を観察してみて、
何かの「代用」「穴埋め」として相手を利用しているのであれば、
それをはっきりと自覚してください。
そして、それがもしも筋違いな望みであれば、
今の関係は解除すべきです。
もしもそれが、別の男性から受けた傷なら、
別の男性で治ることもあります。
しかし、もしもそれが親との関係の中から生まれたものなら、
それは異性との恋愛では穴埋めできません。
自分の親に代わる「親的な他者」とかかわるか、
グループカウンセリングでも受けることです。
●それと、「愛されない」とか「どうして愛してくれないの」
という事を言う人達は、くれぐれも、覚えておいてください。
愛されないなら、その理由は相手にはありません。
相手が自分を愛さないということを責める権利など誰にもありません。
そんなことは言語道断。
愛情というのは、「くれた」とか「くれない」とかの問題ではなく、
自らが「発する」ものです。そこには受動の理屈は存在しません。
その発し方についてのみ学ぶのであって、
その受け取りかた、受け方を学ぶ必要はありませんし、
相手から愛がこなければ、それは相手のせいではありません。
その場合には、
あなたの「愛し方が間違っている」か、
「相手の選択が間違っていたか」のどちらかです。
●愛情というものが、一体何だかわからない人達のために
言っておきます。
本当の愛情というものは、それを相手が受け取ったという
ただそのことで、満足し、感謝して、完結するものです。
すなわち、たとえば、もしも、
あなたの性欲を相手が受けとめてくれたら、
その段階で、その愛情は完全に満たされたということです。
自分が発したものを受け取ってくれることで完了なのです。
つまり、相手が「その分をあなたに返さないことを責めるようなこと」は
本当の愛情には絶対に存在しません。
あなたの能動的な余剰の溢れる愛情を「受け取る対象自体がそれを完結する」
のであって、
そこでは、「あなたに愛情を返すべき道理は存在しません」。
これが愛情の原則です。
これがさらに、愛情を返してくれる者や、
「愛情を受けとめる相手さえ必要としない」状態、
つまり、別に誰に受け取られなくてもよい、
異性にも(むろん神にも)、
誰ひとりとして、それを認めなくとも良い・・
ただ、自分は「そうしたいから愛情を放つのみ」という形になると、
これは、愛情という狭い人間感情ではなく、
その一歩先の「愛」と呼べるものに変化します。
次回は「スキンシップ」について何か書いてみます。
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