▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
▲竹の間へようこそ▲
掲示板
Title
島流しリンク
自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
性と死のホームページ
★
「竹の間自薦投稿集」
★
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[2085]
■
◆素朴な疑問シリーズ/1/「ボランティアの疑問」
by:
ほ う ざん
2002/03/21(Thu)07:59
ppp0763.tyo.hdd.co.jp:61.195.83.161:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
◆少しの間ですが、思いつきで、素朴な疑問シリーズを書きます。
宇宙の存在自体に、ミスがあるのではないか?とか、
人間が自分の精神性や自分たちの存在意味を
単なるおしゃべり癖で口にするのとは全く関係なく、
「人間とは単なる地球上の害虫ではないか?」
といった、とても楽しい根本的な疑問から、
ごく日常のありふれた素朴な疑問まで扱いますが、
とりあえず、第一弾のテーマは、「ボランティア」です。
◆なぜ、これをテーマにしようかと思ったかというと、
これまた、反戦とか、自然保護と同じように、
マスコミが流した言葉に踊らされて、
個人の頭の中で、暴走しやすい用語のひとつだからです。
◆「暴走」というのは、よく考えもしないし、
よく感性的に耳をすませて感じ取りもしないで、
「なんとなく良さそうだから、自己主張のネタにしよう」とか
「なんとなく良さそうだから、反対もされないし無難だから、」というように、
自主的に考える事を放棄しやすいという事を意味します。
世の中には、こういう「なんとなく良い」とか「なんとなく悪い」というもの
に溢れていて、一般にこれを「常識」というのですが、
ただし「常識」と「良識」は違います。
常識とは、(言葉は悪いですが)、
私に言わせれば、単なる「ぼんくらの多数決」です。
「良識」とは、あらゆる全体の事情を覚醒をもって観察する事から出てくる
判断力、「状況の処理能力」です。
◆で、ボランティアというのはね、
そもそも、それを行う人間が、それによって、
いかなる喜びを得ることもなく、
いかなる苦痛も訴えることがない、
それが本来の姿です。
◆もしもそこに「喜び」「楽しさ」という精神的代償があるとしたら、
その時点で、そこには「精神的な金銭」の流れがあるわけです。
かといって、文句と愚痴を言いながら何かの奉仕活動をしていたとしたら、
それは、もう奉仕ではなく、義務になってしまう。
◆さりとて、ボランティアが楽しいとか、
それをやっている自分が何か正しいことをしているという気持ちになる
としたら、これまた変な話である。
ボランティアとは、そもそも自尊を捨てたところでのみ、
その本領を発揮する。
で、それをすることが、「当たり前すぎる」ほどに本人にとって
自然なものである場合、それは、ボランティアとは意識されず、
また「自己修業のため」などとも意識されず、
「社会のため」などとも意識されず、
あまりにも当たり前なので、理由を聞かれても、
「やりたくてやっている」としか言えないものです。
◆そういうわけで、ボランティアというものを
金銭的な有償、無償という区分けではなく、
精神的な次元で、自分に得るものがあるかないかをよく観察して、
自分の精神にとっても、何も特に得るものがない、喜びも特にない、
と思えるようなものですらも、自然に、やりたくてやっていたら、
それが本当のボランティアです。
それ以外のものは、お金が、心という形のモノになってしまった
「精神的商売」です。
◆本当に、社会にも自分にも、
何のためにもなっていないと思えるようなものでも
それを馬鹿馬鹿しいとも思わず、淡々と出来て、
しかも、それをすることが、楽しくも無く、苦しくも無い
という、まさに中道の状態の中にだけ、
覚醒とか安心というものは、存在します。
そうした安心と覚醒を広げることが
ある意味では、ボランティアという行為ではなく、
「本当のボランティアの精神」を広げることかもしれません。
◆本当のボランティアとは、
そこに精神的な見かえりすらも一切ないものを、
無心に、心静かに淡々と出来るかどうかということですから。
だから、喜びの心に満ちて行われるボランティアは、
愚痴の中で行われるものよりは、少し「マシ」という程度のものにすぎません
自分が個人的に、あるいは集団的に、その行為に喜びを感じるようでは、
それは、いつなんどきにでも、掌を反して、憎しみや失望や徒労感に
あるいは、倦怠感に変化してもおかしくないものですから。
人々は、それを理解できませんから、
そうした行為を「喜びも苦しみもない、つまらない人生」としか
認識できないでしょうが、
人間的な喜びも苦しみも経験しつくした上で、
それを超えたものを主軸とするのが、TAOの基本ですから。
◆で、なんと、ここまでは、単なる「前振り」でした。
ここからが第一弾の本題なのです。
【捨てられる食材・食物】
◆あらゆる外食産業で、毎日どれだけの「食べられるもの」が
捨てられているかは、おおよそ想像がつくはずです。
それは、お客が「食べ残したもの」ではなく、
単に製品として出せないから、という理由で捨てられる食べ物のことです。
ファーストフードや、パン屋さんやケーキ屋さんからも
ただ捨てられて行く食べ物が、膨大に出ます。
食材の原料の段階で捨てられるものもあります。
ただし、これは先進国に限ったことではなく、
そうした無駄は、世界中のあらゆる国で行われています。
◆もしも、それらを捨てずに利用したら、
かなりの食物資源の節約になるのですが、
ほとんどの場合に、それはなされません。
家畜の飼料になることはありますが。
家畜の飼料で思い出しましたが、
東京の池袋だかでの話です。
◆ホームレスの人が、店の人に、店頭に出せない食べ物を
くれないかと頼んだところ、店の人は
「これはブタの餌にするので駄目だ」と言われたようです。
そしてホームレスの人はこう言った
「俺たちは、ブタ以下ってことなんだな」
◆数年前の報道で見たかぎりでは、
アメリカでは、こうした状況に対するボランティア活動があって、
それはそこらじゅうのファーストフードから出る
「店頭では売れないが、立派な食べ物である品物」を回収して回って、
それをホームレスの人達に配給するというシステムです。
◆さて、ここで以下の質問に
「自分はどっちか?」と問いかけてください。
1/その日の食べ物にも困って、空腹の人がいるのだから、
それは当然のことだ。どうせ捨てられる食べ物を有効に
利用してどこが悪い。すばらしいボランティアだ。
2/いやいや、それは、結果として、その配給される食事に依存してしまい
いくら、職をあっせんしても、なんとか食べられるからということで
職につくことを怠けてしまうホームレスを量産することになる。
助けるつもりが、逆に彼らの自立を妨げる行為になってしまう。
◆いえね・・・、
別に私は行政問題をこの掲示板でやるつもりはありません。
ただね、こうした困窮している人に対するボランティアでも、
あるいは自然環境に対するボランティアでも、
そもそも「助ける」とは何なのか?
「誰の」「何を」助けるのか?
それは本当に助けなのか?必要なことなのか?
と考えるということを、しつくした上で、
自分の結論に到達してからなら、ボランティアもいいでしょう、
ということです。
◆一見、どんなに良さそうに見えても、世間で良いといわれていても、
人間が考え出したような「助け」という行為には、
常に矛盾した側面があります。
また、死というものや、事故、怪我、争いというものが、
それもまた大きな目で見れば自然の摂理である以上は、
なんでもかんでも、死から救うことが、
はたしてその当事者にとって幸せであるのか、それを考えたほうがいい
ということです。
むろん、言うまでもなく、
ここには確実な答えや、黄金率というものは存在しませんから、
これらは、常に「ケースバイケース」です。
特定の人には、その人に必要な特定のものだけを、
ほんの少しだけ別ち与える。
そのために、相手とする人や自然環境をよく見極めるというのが
先決問題であります。
また、もしも、そんな事を考えているうちに、間に合わなくなる
という理由を持ち出す人たちは、
「時間がないから」という反論は、
よくよく考えもしないで慌てて行動することの
言い訳には全くならない、
という事を覚えておくと良いでしょう。
◆なぜならば、世の中見ていればわかるように、
考えもせずに、あわてて、
時間がないという理由でやってしまって、
その結果、状況がもっとひどくなる場合が
圧倒的に多いのですから。
●
さて、素朴な疑問の第2弾は、
「反戦意識の矛盾」「戦争に反対する理由のあいまいさ」
について書きますが、本日は、仕事で用事があるので、
書き込むまでに、少し、時間がかかります。
◆
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(2085 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
竹の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -