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●【時代の変化と瞑想の変化について】
by:
ほ う ざん
2002/04/11(Thu)10:04
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◆「瞬間瞑想」◆
最近、ふと、つくづく思うことがあります。
「臨死体験掲示板」にも書いたのですが、
時代の変化とともに、瞑想の方向性というのは、
やはり、今、変更を迫られていると思うのです。
◆昔、人間は、「大きなもの」に憧れたり、
崇拝して、巨石文化や遺跡を作ったりしました。
戦力もどんどん大きなものを求めて、巨大な戦艦を作ったり、
そして政治の世界では、今だに「多くの」民衆の支持を得ようとする
数の論理です。
また、時間という尺度で考えても、
昔も今も、永遠の命というものに憧れて、不老不死の研究をしたり
していたようです。
また、修業という事においても、
とにかく体育界的な気力とか、量とかが尊敬されて、
5時間座禅した、だのということが立派に聞こえたりするのですよね。
何年修業しました、なんてのも、無意味なことなのに、変に立派に聞こえる。
◆こうしてみると、
人間というのは、ある時期まで、つまり人類としてのある「幼年期」までは、
とにかく、大きなもの、力のあるもの、質より量、多数決、
永遠に長い時間という事への価値、そして、光とか想像性というものに
ばかり、重点を置いてきたのです。
特に、精神世界にはその「偏り」の傾向が顕著ですね。
◆ところが、奇妙なことに、
経済戦争や殺し合いの戦争の中で叩かれてきた「物質世界」の方が、
精神よりもいち早く「ある本質」に気がついたのは面白いことです。
それは、たとえば原爆のあの力が、微量の元素から生まれるということ。
それがミクロの世界での反応であること。
小さなものの中にある大きな力を発見したということ。
そして、同じように、集積回路も日新月歩で極小化しつづけ、
医学においても、遺伝子治療、遺伝子操作の領域に突入した。
ようするに、「ミクロの世界を制する者」が、次世代を制する
ということなのだろう。
◆もしもこうした逆相の世界、
つまり大きさや、力や、量とは反対側にあるものに着目するならば、
これからの精神世界もまた、
「ミクロ」あるいは「闇」ということがキーワードになるだろう。
あまりにも、量とか大きさとか力とかに偏った意識は、
どこかでバランスを取る必要があるからです。
◆ちなみに、具体的に言いいますと、
力よりも技が必要な時代であり、
多数決よりも個の発想や感性が必要な時代であり、
時間を多くかけることよりも、瞬時に処理することが必要な時代であり、
努力や気力よりも結果が必要な時代であり、
企業も、大きさを拡張するよりも、少数気鋭の組織が必要な時代であり、
瞑想においても、たらたらと何年もやるのでなく、
極度に短時間で結果を出せるものが必要である時代になった、
ということです。
また、光、光と、あたかも、光を万物の父であるかのように、
崇めていた時代も終わり、もう一度、古代のように、
父ではなく、母なる母体としての「闇」に着目することが必要な時代になった、
という事でもあります。
実際、電気というものの発見以前には、人々も、
もっともっと闇というものを身近に感じ、呼吸していたはず。
◆このように、時代は今や、多きなものではなく小さなものの中に
より自由な力を発見しているのですから、
瞑想もまた、同じ方向性に行くと予測されます。
つまり、長い時間瞑想する、とか、永遠の魂というものに価値を置かず、
すべてをこの「瞬間」に凝縮するのです。
ちょうど、原子力がそうであるように、
より「小さな時間」「ミクロの時間」の中にこそ、
強大な力を秘めていると考えられるからです。
◆だから、こそ、前の投稿でも書きましたが、
1時間もだらだら瞑想や座禅をするよりも、
もっと凝縮した3分の間に、人の一生の縮図を発見することです。
また、甘えた出家ごっこなんかしていられる時代ではありませんから、
現実の社会でも、一人で働きながら瞑想もするとなると、
即効性が必要でありますから、
いつでもどこでも、すぐにスイッチが入るようなものが必要です。
◆とにかく、時間のミクロ性ということが、
これからの瞑想や座禅の軸になるでしょう。
だから、こそ、3分の無心でいようとする努力と洞察は、
今まで時間を無駄にすごしてきたが、
「たった3分の間の中で、なんといういろんな思考が去来しているのか」
という自覚を生みます。
それと同時に、こんな頭で、何かマトモに考えられる方がおかしいし、
こんな雑念と妄想の絶えない状態で、自然を感じるも糞もないだろう
ということが痛切に分かることが大切なのです。
今まで、なんとなく正常だとずっと思っていた自分の頭の中が、
明かに「狂っていた」と分かるだけでも、スタートラインになるのです。
そして、その狂った状態をたったの3分でも解除することが、
本当の意味での瞑想になってくるわけです。
すごい神秘体験をするとか言う問題以前に、
頭の中の独り言を止めないことには、何もはじまらないのですから。
ちょうど、部屋の片付けをする前には、いったん、荷物を
部屋の外に運び出して、部屋のスペースをあけるのと同じことです。
◆今の段階で必要なのは、
だらだらと瞑想するのではなく、
とにかく、1分の無心だけでも実現するように、
1日の中で、凝縮した、ミクロの時間の瞑想をすることですね。
◆いちおう、ケイさんへのレスも兼ねて、書いて見ました。
●ちょっと話が、寄り道になりましたが、
「最低人間大賞」も引き続き、どしどしお寄せください。
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