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[2425]
■
●「掟破りの旅」
by:
ほ う ざん
2002/11/27(Wed)03:27:18
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●最近、役人の馬鹿を相手にしてて、
そうでなくても、定期的に、いろいろな種類の馬鹿を相手にしてて、
私でなくても、誰でも自分の人生を見て、
何かにつけ「どーして、いつも、こうなるんだろう」と思う人も
多い事でしょうが、理由は無茶苦茶、単純明快です。
それは「自分が素材として引き寄せているから」。
これに尽きます。
それを知ってやっているか、
知らないで無意識にやっているかだけの話。
●で、私はこの人生の後半で、引き寄せやすいものがあるようだ。
人生の前半部分にあたる、35歳ぐらいまで、
自分が会いたいと思った種類の人間に私は会えないことはなかった。
この人生で唯一、私が持ってきた財産というのは、
たぶん、「探し者」を見つけ出す感覚だけだろう。
ただし、あまり、めったに、何かにこだわらないので、
それが一度こだわると、集中的にそれを検索し、
かならず見つけ出す能力が養われたのかもしれない。
●最近は、めっきり、特に求める素材、人材、人というものは
いないのだが、それにしては、なんで、こんな住人運動に巻き込まれた
かと思うと、ひとつは、前にも書きましたが、
一番下層部にある、地の領域に慣れるため。
社会や人間の最も「粗悪=(粒子が粗い)」とも言える部分の
土地、金、法律などです。
●で、もうひとつは、私は、人生の後半からは、
どうも、定期的に、他人様の「身包み剥がす」という趣味だか
役目があるみたいです。
というのも、私にある程度深くかかわる人って、
ほとんど、「身包み剥がされるような」もんなのです。
いえ、別に、金銭的に損をするとかではなく、
それまで持っていたもの、特に精神面の重圧とか、
とにかく、人生の中で、何かの「荷降ろし」の時期にある人というのが
私とトラブルになるにせよ、どうなるにせよ、
係わるみたい。
特に、トラブルを縁として、かかわる事が多い。
というのも、「荷降ろし」なんて、何かの問題でも起きないと
必要ないものですから。
でまー、そういう、人の精神面の身包みを剥がすような作用があるらしくて、
自分では、常に、自分で在るだけなのですが、
周囲の人とか、かかわる人は、どんどん何かを剥がされてゆくようで、
それを怖がったり、嫌う人は、思いっきり怖がったり嫌うもよう。
●もともと、「引き算」「減算」の宗家の無明庵から、
それこそ、良い意味での
「マイナス(−)志向」を叩き込まれた人間なわけですから、
それは、いたしかたないのですが、
とにかく、私は、人の身包みをはがすのが、
どこかで、好きなのでしょうね。
その結果として、人間が、どれだけ軽くなり、
この世界からの浮力を得られるかを、知っているせいもありますが。
●で、まー、竹の間では、主にこんな話ばっかりしてますが、
梅の間では、身包みはがす、といっても、あっちは、
着ているものをはがして、ベッドインしてからの話。
でも、どっちみち、
「身ぐるみ、はがす作業」に、関係するんだよね(大笑)。
●それで、最近、ずっと考えていたことがある。
ここからが本題。
これも、前にも書きましたが、
音楽の領域で、本当に新しいものを生み出すのは
難しい。それは1世紀の中で、数回しかないだろう。
で、何か新しいものが出来る瞬間というのは、
原則として、次の3つが、からんでいる。
1/それまで、タブーだったことをしている。
2/その後、当たり前になるが、
当時は、画期的だった手法を使っている。
3/ノーベル賞の田中さんじゃないが、それが生み出されるときは、
複数の偶然的な現象との出会いが重なっている。
この3つ。
・・・前にも書きましたが、
■今では当たり前のエレキギターは、
当時は、「音を歪ませる」なんて、音楽の非常識そのものだったわけです。
これも基本的な「掟破り」です。
音楽史上初めて、当時、口々に言われたところの
「やかましい音楽」が誕生したのである。
その後、ジミーヘッドリックスらによって、
ファズなどの、さらなるエフェクト(音の変調)が加えられた。
■「テネシーワルツ」という名曲がありますが、
それは、世界ではじめて「オーバーダビング」された曲だった。
つまり、それまでは、スタジオでの一発取りだけだったのが、
このヒット曲では、後から、テープにヴォーカルの2重奏が重ねられた。
しかも、これはカントリーをポップにアレンジしたものだった。
これも、当時の掟破りというか、「型破り」だったわけです。
■シンセとともに、シーケンサーという機械がムーグ博士によって
発案された。これはたった16音符ぐらいの音階を
短調に繰り返させる、自動演奏の機械です。
人間が手放しで、機械に勝手にフレーズを繰り返させるなんて、
そもそも、音楽としては邪道だった。
しかし、それを複層的に重ねて、そこに新しいリズムを
生み出したのが、タンジェリンドリームに代表されるような
全く新しいエレクトロニクスサウンドとなった。
そして、それは、のちの、テクノの原型となった。
■複雑な音楽は、多人数で合奏するものだった。
しかし、まだ17歳の少年だったマイクオールドフィードは、
たった一人で、スタジオにこもって気の遠くなるような
トラック数を重ねることで、「チューブラーベルズ」を
完成した。(すべての楽器は彼のマルチプレイによる)
■単純、短調というのは、
そもそも、人に変化を楽しませる音楽の掟に反するもの。
しかし、クラフトワークは、その掟を破った。
これ以上何か抜いたら、音楽でなくなってしまう
というぐらいに、音数と、音階の変化を削り落としたら、
それはテクノポップになってしまった。
しかも、いくらなんでも、あのヴォーカルというのは、
これまた掟破りに非常識なほど「下手くそ」なものだった。
しかし、それがあの「けだるいサウンド」には良かったのである。
■ミニマルミュージック自体は、
民族音楽などでは、昔からあったものの、
それが電子音楽を通じて、ロックやポップの世界に持ち込まれたのである。
■随分、昔だったか、「題名のない音楽会」という番組で、
ビートルズの「イエスタデイ」について検証していた。
他の多くの曲は、彼ら自身の曲も含めて、
どこかしら、必ずクラシックからの要素を含んでいるらしい。
まー、大抵の西洋音楽が、今だにクラシックをベースにしているらしいが。
しかし、イエスタデイの曲のコード進行だけは、
いかなるクラシックの中にも存在しなかったらしい。
■女性のヴォーカルというものは、
可愛いとか、清んでいるとかであるか、
そうでなかったら、逆にハスキーであるか、
という分類に収まるものだった。
しかし、カレンカーペンターの声は、
そのどれでもなかった。
その声は、ある意味で、始めて聞く「中性的」なものであった。
実際、私は最初に彼女の歌声を聞いたとき、
その性別がわからなかった。
■他にも、ロックの歴史とか、よく知っている人や、
音楽に詳しい専門の人は、私がこんな事をいわなくとも、
音楽シーンの転機には、常に、このように、
「それまで全くなかった斬新な要素」「それまでの掟を破る行為」
が必ず存在している事は言うまでもない。
また、そうした曲や、アルバムは、
その後、音楽史に残るものとなってきた。
■小室哲也のサウンドは、別に斬新とか掟破りではないし、
音楽史に何かを残すようなものではないが、
もしも唯一、それまでの「歌謡曲」という分野のみに限定して、
違った点があるとしたら、
それは、「とんでもないキーに音が移る」という事だろう。
(実質的な作曲家としてのデビュー曲となった「マイレボリューション」とか)
メロディーよりも「まるで歌詞を重視して」、
無理やりそこに音符をねじり込んだような、
ある種の「無理のあるようにも聞えるフレーズ」が、逆に、その後は、
わりと当たり前になってしまったのである。
■これらの転換、あるいは大きな音楽的変化に
比べたら、癒し系だの、ニューエイジ系だの、
ラップだの、ほんとうにつまらないと
私は思う。
最近は、雅楽器、三味線、とかの和楽や、
中国楽器も、さかんに、要素としては取り入れらているが、
どれも、別に根本的な音楽的変化ではない。
単なるクロスオーバーにすぎない。
70年代のプログレでさえも、
当時のハードロックに限界を感じた人達がヨーロッパで
クラシック音楽やその他の民族音楽との融合を図ったものであって、
それは「音楽の根本的な変化」ではなかったものだ。
●しかし、前述したような、いくつかの
曲、アーティスト、アルバムというのは、
音楽史そのものに、ある形跡を残した、「発明品」だといえる。
のちに、それは「〜〜」と命名される「新しい分野」を作り出すが、
どこまで言っても、彼らのサウンドは、
「彼らという分野」なのである。
たとえば、ピンクフロイドは「代表的なプログレバンド」なのではなく、
それは「ピンクフロイド」という彼らに固有のサウンドなのである。
他のアーティストとも、同じこと。
彼等は「分類分けをされる存在」なのではなく、
彼らそのものが、分類の「原点」なのだから。
●今後、そうしたものが、
いつ、世の中に、出るのかどうかは解らないが、
かならず、それは、
「今、存在している音楽の常識や掟」を破るか、
もしくは、「全くそれまでになかった手法」を使うものになるだろう。
そして、そういうものが生み出されるときには、
必ず、いくつもの、偶然のベクトルが、そのアーティストの
一点に集中している時期に生み出されるものなのである。
●
で、ここで、最初の話に戻りますが、
音楽というのは、基本的に、人の意識を一時的にどこかに連れていったり、
何かを与えるものです。
でも、人の「身包みはがす」ような音楽って作れないかな?
というのが、私の将来的なテーマです。
つまり、ある種、音楽は、「食事」のようなもので、
人はそれを、刺激として食うものです。
しかし、聞くことによって、「解毒」とか「嘔吐」とか
「満たされるのではなく、逆に、腹が空く」とか、
人から何かを奪うとか、打ち消すような音楽を作ってみたいと
思っている。つまり本当の意味での瞑想という次元での「減算音楽」です。
単なるリラックスなどという、
人から何も奪わず、何も与えないような代物ではなく、
確実に、何かを奪い去るような音。
●あとは、これとは別に、音楽シーンで予測される動きとしては、
ここでもう一度、サンプラーの性能を最大限に生かすことですね。
最初は、とにかく、サンプラーは「現存する楽器音の再生」に
使われ、一部が効果音や、サウンドコラージュに使われただけ。
しかし、楽器として使える音というのはもっと無数に存在するはず。
●そして、音楽シーンで、常識的に予測すると、
これから、起きそうなもう一つの変化は、
人間が「快」と感じる速度のリズムを超えてしまうことです。
たぶん、リズムが、さらに、もっと早くなり、
身体が踊るためには、とても、ついてゆけないような高速で
聞き取れないようなリズムが効果音的に混ざったり、
音楽の要素に加わることが起きるかもしれない。
ようするに、「音楽的には、非常識なほど速いテンポ」の音です。
これは今の時点では、
楽しんで聞くといえるものではなくなるかもしれないですね。
●そういえば、爆発的一発屋となった
「帰って来た酔っぱらい(「おらは死んじまっただー♪」)」という曲は、
当時33回転のレコードを45回転でかけたようなものだった。
いわば、「速回しサウンドのパイオニア」なんですよね。
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