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◆アメリカには武士道は会得は出来ない。
by:
ほ う ざん
2003/04/07(Mon)07:38:21
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>本当に強い者は、相手を殺す必要もなく、
>傷つけることもなしに「戦意を削ぐ」ことが出来るようになる
>というような、武道家の無心の心得でもちっとは練習すれば良いのに。
>アメリカ、イスラエルや北朝鮮の様な【脅えた国】は、
>さっさと、もっと「強くなりましょう」という
>観客の無責任なお話でした。
●無理だと思うよ。朝鮮半島は、東洋だから日本とも通じるところは
あるけど、アメリカは無理。アメリカといっても多民族だから、
乱暴にはくくれないが、それにしても無理。
なぜかというと、武士道自体、世界で微妙に全部違っていて、
西洋では騎士道かな?
武道も、中国では武道と言わず、武術と言う。
日本人は、なんでも「道」をつけると中国の人はよく言う。
しかし、術と道の違いは大きい。
術と道の違いは、術が「職人の域」を究めた地点だとすると
中国の武術や雑技を見ればわかるように、彼らは絶対に失敗しない。
世界であれほど、技を失敗しない人達は珍しい。
訓練体系そのものに、いいかげんなところが一切なく、
よく出来ているのが理由であろう。
中国の人達は、同じ事を「繰り返す」ということに飽きたりしない。
だから、それこそ、何年も同じ技ばかり練習させられても、
文句を言わない。そうした土地に流れる広大な時間感覚が日本人とは違う。
そして、それは武術の型にも現れるように、
直線と円形の動きが途切れることなく、
「川のように流れ続ける」演舞が、中国武術の特徴である。
●一方で、実に狭い島国の領土の中で発達してきて、
隣の藩と内乱をしてきた土壌の中で育った日本の武術は、
出来るかぎり、短時間で決着をつけるという方向へ発達し、
一撃必殺をめざし、また、剣術でも、0.2秒とかの抜刀で
相手の手首を斬り落として、カタをつけるなどの古武術を発達させた。
●つまり、「一瞬」の中で、勝負を決めようとする。
また、中国が、漢方薬に代表されるように、
延命や長寿を目指したのと違って、
「潔く死ぬこと」をよしとしたのが日本の文化であり、
自分の命というものを捨てる準備が出来ている。
「武術」と「武道」の違いがここにある。
どちらがいいとか、強いか、という問題ではなくて、
「性質の違い」がそこにある。
●とりわけ、その武道にも大きな影響を影で与えつづけた禅というものは、
すべてを捨てて、斬り落とすことで、すべてを生かすという面を
もっており、
また、忍の世界にも、その背景には密教などが生きている。
●こうしたものは、西洋的な単なる勇気とか騎士道とか、
あるいはまた、中国的な技の極み、というものとはまた違った次元に
武術を連れていってしまう。
単なる密教やオカルト的手法であれば、それは中国にも
ぎょうさん、いろいろな魔術体系はある。
しかし、それらは、基本的に核兵器と変わらぬ「力」の行使にすぎない。
戦力が、物理的なものから、サイキックなものに変化しただけで、
まったく、「幼年期」的であることには変わりない。
●冒頭に言ったように、技を究めると「職人」となる。
しかし、職人の先に待っているものがある。
それは、「人の不在」=すなわち=「神の壱手」である。
技が超えられた地点、技だけではどうしても到達不可能なところ、
つまり、これが中国で老子が言った「TAO」であり、
日本で「道」と呼ばれたものの原型である。
努力と技、善悪、宗教も力も、落ちた、全く自由無碍な世界である。
●この領域に達した武術や武道の人達は、
ごく少ないがいたことだろう。
しかし、残念ながら、武術や武道というものは、
基本的に、「生き延びる」または「勝つ」という事を
基準に作られている体系であるので、
いかに、「死を覚悟」しても、「死を覚悟してでも勝つ」という
心境がそこにある以上、
これは、やはり「生への執着」と言わざるを得ない。
その点では、最初から「負けろ」と「死ぬ」をモットーとする
禅よりは、究めるプロセスとしては、効率が悪いといわざるを得ない。
●その「生への執着」または「自分は死んでも何かだけは守る」
という「執着」から生まれたはずの武道が、
なんらかの瞬間に、生死を忘じた「道」になることがある。
ただしそうしたことは、武道に限らず、
あらゆる、「技」「匠」「芸」などの世界でも現れる。
●で、テーマに話を戻しますが、
そういう、大自然との共生の中で育ってきた中国的な「気」の文化や、
茶室に代表されるような、箱庭的な極端に狭い空間の中での、
「一瞬の中の生死」特に「死」を精神文化の一部としてきた日本のことを
アメリカ「的」な人種が学んだりすることは不可能に近い。
せいぜい、「武士の情け」とか、
「義理人情」ぐらいまでは、学べたとしても、
ワビ、サビ、さらに「道」となると、
とうてい彼らの理解の及ぶ美学ではない。
また、それを理解しないことを責めることも出来ない。
なにしろ、それらは、違う土地で育った植物なのだから、
比較は出来ても、点数はつけられない。
●ということで、BV氏が言う武道や「道」を
彼らが学ぶのは、ほとんど不可能です。
単に、わがままで、世界の中心にいると思い込んでいるガキを
セラピーで直す、というのとはわけが違うから。
アメリカが中東にやろうとして、失敗するのは、
民主化というのを、たとえば、問題行動をかかえた個人への
セラピーだとすると、それは、あまりにも
「アメリカ的セラピー」にすぎないこと。
●つまり、アメリカというのは、
あらゆる「精神病と社会問題の巣窟」であり、
いつも、まずアメリカで蔓延してから、他の国に波及するのであるが、
彼らが作りあげた「精神療法」や「治療薬」というものは、
アメリカ国民に対して、有効性があったというものにすぎない。
しかし、他国での症状には、その土地の風土が大きく関係する。
同じ独裁政権といっても、アメリカでそれが蔓延した場合と、
中東や、ヨーロッパや、東洋や日本でそれが形成される場合は、
似たところもあるが、違ってくる部分が大きい。
そうした民族性を全く無視して、
この薬は俺に効いたんだから、「お前も飲め」というのが、
世間知らずのアメリカの幼稚な点。
だから、「ヤンキーゴーホーム」と言われるのである。
◆アメリカというのは、世界の警察と自負していると同時に、
いっぱしの「民主化専門医」という「医者気取り」だ。
たとえ、「自国という身体」が「政治という大きな病」を抱えていたとしても、
誰だって、、ああいうヤブ医者に治してもらいたいなんて思わないね。
●自分が経験したことは、かならず相手にも通じると思うこと、
これが、「幼児性」の典型的なパターンであることは、
言うまでもない。
むろん、基礎部分では、我々に人間という「種」としての
共通項を知覚、思考、感情、身体の特徴として持っている。
ただし、共通するのは、本当に基礎的な部分だけであり、
「後天的に育成されたもの」については、
すべて何から何まで、かなり違うと見たほうがいい。
それは、国や民族同士に限らず、個人と個人にも言えることだから。
◆
で、とにかく、武士道というのは、
単なる武術や技ではない。
禅的な経験を必要とする。
知性の戦争でもない。
力の戦争ではない。
先に死んだ方が勝ち、というパラドックスにその秘密がある。
一瞬の時を読むことに鍵がある。
神仏人などがぴったりと「一体」となった神技が
めざす最終地点に設定されている。
(ただし、これは、神の啓示を受けたんだ、とかいう西洋的な
あるいは、新興宗教の開祖によくあるような、
「間抜けな主張」を言っているのではなく、その人の身体と精神が
長い年月と経験を経て、深く、自然の一部と化したような状態を言う。)
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