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[2691]
■
■馬鹿が戦争を引き起こす最大の要因
by:
ほ う ざん
2003/04/13(Sun)08:49:43
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■生物同士の捕食は、戦争ではない。
あれは、法則である。
■しかし、人間となると、
ただの頭の中の思考しか出来ず、霊的感性に乏しく、
日々を無意識にならないように、意識的に生きていない者たちの
愚かさの最大の産物は、物事の「2極思考」「二元的思考」である。
■たとえば、このイラク戦争や、今後の戦争の行方というものを
「勝敗」つまり、どちらに勝ちがあり、
どちらに「負け」があるか、という事でしか
判断基準を持たない「のうたりん」たちが、
常にこの世界に戦争というものを引き起こす。
■アメリカの社会が、訴訟社会になってしまったのは、
ひとつには、異なる価値観を調停するには、
どこかで共通の基準で締めくくるしかなく、
民族が違っても、法律なら、カタがつくから、という土壌があった。
つまり、理解し合うのは面倒だから、裁判をやっちまえ。
■この単純な思考法が、戦争に走らせる単純さでもある。
法力(仏教の法力でなく、法律のこと。)でカタをつけるのと
同じ感覚で、武力でやっちまえ、の考え方である。
こういうのは、理解という努力をしないで済む安易な考え方。
■そういう単純な、白黒や、勝敗で物事を終わらせることしか
頭にないのが、いわゆる西洋的思考。
と、乱暴にくくってしまうのもなんであるが、
こうした乱暴さは、結局は、その民族が教育された御伽話、
すなわち、宗教から来る面が多い。
(土地や気候風土による生活パターンも大きな要因だが)
■とにかく、キリスト教やら、ユダヤ教なんつーものは、
まさに、強迫と、侵略と、戒律と愛の押し売りであり、こうしたものが
地球で、伝承されてしまった最大の原因は、
当時、地球に下りた異星人(つまりは経典で神とされてしまった種族)の
性格や文化によるところが大きい。
ようするに、かなり悪質な神々が地球の地下システムの利権争いで、
暗躍していた時期があり、
その名残が、現在の宗教の基盤になっているのが、
主に、西洋の神話を作っているものの原型。
(おっと、これだと、ラエリアン系みたいな発想だね(爆))
ただし、ケルトの神話は、また一味違う、平和的な要素が多い。
■そういうわけで、もともとは、
人間と大差ない、馬鹿が作った宗教神話なので、
精神的な生き方の手本としては、全く信じるに値しないのが
そうした西洋的な宗教であるのに対して、
東洋というのは、それとは、かなり風土が違う。
それは、自然霊とか、ちょっと人間とはずれた次元の
妖怪とか、小天使みたいのと、頻繁に付き合いがあったせいで、
そういうのは、日本の神々みたいに、
たくさんの「親しい神サマ」として、庶民に浸透していて、
それらは、崇拝の対象ではない。
西洋の神話宗教のような、神と人との主従関係のものではない。
■また、それとは別に、
東洋では、神などという、御伽話めいた、実体のないものは
信じずに、むしろ、生きた仏とか、悟った覚者とか、
仙人とか、そういうものを智恵のよりどころとしてきた。
■遠い、過去に、各大陸の地球人種族をメチャクチャに対立させる種を
撒きちらして、地球の女性を強姦しまくった堕落した神々の
作った宗教を盲信するではなく、
東洋では、もっと、「実益」のある宗教との付き合いをしてきた。
■そういう点では、
そういう馬鹿どもが、かつて、地球に撒き散らした、予言などを
能天気に信じたり、解釈しているのが、お馬鹿な西洋的思考であり、
また、そうしたものを信じることすら、アホらしい。
しかし、世の中には、そういう馬鹿が多いようだ。
■未来というもののスケールを「どこの未来」にまで引くか?
という点では、たとえ3000年の未来が見えたところで、
大差はない。
人が、いつの時代にもやらねばならないことは、
「自分自身の旅」である。
環境は、ただの「芝居の舞台」にすぎない。
■そのような点では、東洋的な世界観は、
明かに、神が「絶対者」であったり、神が「人を支配する」という
実に単細胞的な観点ではなく、
神と人との共存がそこにあるし、あるいは、もともとからして、
その境界線があいまいなものとして育ってきた。
■それに、原始的宗教の中には、
世界の支配者なんて、アホらしいものよりも、
森や河の自然霊の方が、よっぽど、リアリティーがあったのである。
そうした、民族的信仰を、踏み潰して、
かつては、その地域の農耕の女神だったりしたものを
全部、悪魔や魔女に勝手に作り変えたのが、
現代の西洋的な宗派のやったことである。
■しかし東洋人というのには、
支配する神という概念は馴染まない。
運命を決める神など、東洋人には必要ない。
東洋人に必要なのは、
人の生活と親しい神々であり、
または、人に智恵をくれる、生き仏としての賢者のみである。
そういう点で、今後の戦争の背景にある馬鹿どもの思考が、
アホっぽい異星人の残党が痕跡を残した宗教の戦争だとしたら、
そんなアホどもの、単細胞な「勝敗ゲーム」に付き合う義務は
東洋世界にはない。
だからといって、東洋の宗教は、必ずしも、平和的ではない。
しかし、少なくとも、
神様がどこかで見ていないか、などとビビりながら、
布団の中で、自慰をするなどという国民性は、ない。
そういう土壌だからこそ、
古来から、左道派のタントラや、性の経典が東洋にはある。
(おっと、これは、隣の、梅の間の話題ですね。)
■で、総括して言えば、
どっちが勝つとか負けるという単細胞な考え方。
誰が究極の支配者であるかという単純な思考法。
こうしたものに関心など持ってしまうのは、
人間を支配するために
人類に民族的なコンプレックスを植えつけようとして、
「遠い過去に、移植され、人工的に作られた宗教」に
どっぷりと、遺伝子まで、洗脳されているということ。
■宗教なんぞは、世界中、どこもかしこも、「どっちもどっち」とは言え、
少なくとも、東洋の、道教、ラマ教、仏教、ヒンドゥー教あたりの方が、
まだ、「マシ」だと思うよ。
といっても、「うちのが一番だ」とか、おっぱじめると、
西洋の馬鹿どもと同じ結果になるだけだが。
西洋の神は、異教を滅ぼす悪趣味しかない。
しかし東洋の神々は、仲良く共存する。
■
余談だが、TAOの世界では、
イエスは、禅師的考察または、インドの教えを西洋に持ち込もうとした
という、まことしやかな伝承もあることから、
あいつの教えの「基本路線」は、
西洋の宗教とは言えない面が多々あるようだ。
もっとも、聖書なんてのは、
後世の馬鹿どものでっちあげた創作物だろうが。
■
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