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捨ててもなお残るものを探すこと。
by:
ほ う ざん
2003/05/12(Mon)09:06:21
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●といっても、これは禅のことじゃない。
精神性をさ迷うとき、
黒間氏も言っていた「なんでも学び」とか
「学びの機会に仕立て上げる」ということをしないこと。
学びというのは、経験されたあとから、
その白黒がつくのであって、
学んでいる最中に、「あらゆる機会は学びだ」とか、
くだらない、のうがきタレてんじゃねぇーよ、という感じだな。
そういうことしていると、何も学べないで、何十年も同じことを
無意識に繰り返す人間になりやすい。
(そういう人間に限って、「これも学びです」を連発するのである。)
経験に対して、「意識的であること」と、学ぶというのは別問題です。
学ぶという成果を全く期待せずに、経験したものの方が、
あとで応用のきくものとして、身につきやすい。
学ぶというのは、実際には理解を必要としない。
何も理解するプロセスも必要ないほど、
本人にとって自明のことであることの積み重ね、
それを、私は、「理解する必要のない理解」と言う。
●それと、精神世界は、
とにかく、どんどん使い物にならないものを捨てることである。
あれこれと、おいしそうなものに目が行ってしまうのが、
この業界ではあるが、
そんなことしていたら、
精神世界を一巡りするのに、15年はかかってしまう。
●だから、胡散臭いものは、徹底して、無視。
無視しても、無視しても、斬り捨てても、
どうしても、残るものだけが、
その人に適合する分野だということになる。
それを分かるためには、精神世界の知識を「集める」のではなく、
「捨て続ける」ほうが、見つかりやすい。
●それと、引越しの準備をしていて、
20年前とかのオカルト雑誌とか書籍、
中には25年前のものとか出てきて、
ちょっと見てしまったが、
私は、シュタイナーなんか、2冊しかなかったね。
当然、捨てたけど。
クリシュナムルティーも、「日記」以外は、何冊もこの機会に捨てた。
で、雑誌とか見てておもったのは、
あきれたことに、
精神世界という業界は、20年以上、
全く、何も進歩していないということ。
全く、何もである。
今あるほとんどのネタなど、1980年代に
すでに出尽くしたものである。
チャネリングなども、同じ。
進化しつづけたのは、
ミステリーサークルだけで、
あとは、どれもこれも、
当時の一部ニューエイジの思想が、
民営化されたようなものにすぎない。
ほんとうに呆れたことに、
全く何も進歩していないのである。
全部、過去の同じパターンと既成の宗教体系の蒸し返し。
●でね、つくづく思ったのは、
精神世界などに興味を持つ以前に、
人は、普通のことが普通に出来るか、
普通以上に出来て、
それでも、なお、その中では解決できない、
という段階になるまでは、
精神世界などに、足を踏み込むべきではないということ。
●一体、どれほどの人達が、
精神世界が「必要」で、その世界に踏み込んだか、
はなはだ疑問である。
ダウジングとか、タロットとか、
そういう趣味なら、別にいい。
それは、厳密には「生きる技術のひとつ」であって、
精神世界とは言えないから。
しかし、心霊とかいっても、
いったい、どれほどの人が、毎日、それに悩まされて、
幽霊が見えて、困ったから、その分野に助けを求めただろうか?
同じことは、精神科にも言える。
ほとんどのものは、前世治療やら、オカルトやら、
そんなものなしに、
普通のカウンセリングでなんとかなってしまうものである。
しかし、敷居が低くなったせいで、
馬鹿でも、精神世界の門を叩けるようになり、
また、馬鹿どもがその敷居を引くしたために、
秘伝性とか、伝授の質にも問題も起きた。
●でね、医者で言うなら、
精神世界という分野は、それが一般化した結果として、
もともと、内科の患者を、外科に回したり、
内科の治療が必要な患者が、外科に書け込んだりと、
無法地帯もいいところ。
まったく、完全に狂っている。
●そして、場違いな治療施設にきた患者まで、
お客としてカモにするもんだから、
余計にカルト商売じみたものが流行る結果となった。
◆だから、あらゆる方法で、
「普通(普通の定義とは、少なくとも精神世界ではない分野)」
の方法と、普通のことが出来た上で、
それでもなお「不足」あるいは「解決不能」となった場合だけ、
精神世界の扉をたたくべきであった。
たとえば、アロマテラピーなどは、25年前だったら、
へんな宗教みたいに思われたかもしれないが、
現代では、医療にも応用されるものである。
だから、この「普通の」というのに、いい喩えがないが、
強いて、わかりやすくいうならば、
普通の医者がサジを投げた場合だけ、
そして、効果がなかった場合だけ、
気功治療や、精神世界に助けを求めるべきであること。
現状の「普通」が、見離した場合だけである。
●で、どうして、このことを
くどくど言うかというと、
社会的にも、個人的にも、
普通のことが、普通か、普通以上に出来ない、
そういうことの、代償行為、代用品、として精神世界を
使うべきではないからである。
器として、普通では収まらなかった、
そういう人達だけが、
進む分野だったのが、精神世界なのである。
ただし、原始宗教のようなもの、
魔術のようなものは、大昔はオカルトではなく、
それ自体が、庶民のものであったから、
そういうのは、別。
強いて言うなら、心の平和だの、セックスだの、
依存症だの、は、普通の分野に頼ればいい。
そして、悟りだの、光明だの、宇宙どうのこうの分野に限れば、
これは、完全に、普通のもの、地上のものが
全く自分に対しての効力を完全に失った場合のみしか
立ち寄ってはならない分野である。
精神世界とは、
普通になるためのものではなく、
普通を逸脱するためのものだから。
しかし、精神世界のテクニックの一部は、
普通の事を出来ない人間をサポートする分野をも
含んでいる。
いろいろなセミナーなどの主催者が、
これ(本人がそのワークにかかわる理由となる「目標地点」)を
明確に「仕分けしていない」こと。
それこそが問題なのである。
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