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[2781]
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Re[2779]: 【人間?】という、走光性微生物
by:
ほ う ざん
2003/07/05(Sat)02:55:01
fe033192.fl.freebit.ne.jp:219.112.33.192:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
> 走光性微生物である人間達の多くが望む様な
> 「光に満ちた状態」などなどに移行するには、
> 「闇」や「闇的投影物」を通ればよいだけなのだけど、
> それが出来ない。
中略
> ま、どちらにも該当しない、とか、
> 両方に該当しちゃう人も居るでしょうが、
> 自分で考えて好きにして下さい。
とはいえ、光と生命にこだわる人達の認識の限界は、
そう簡単に直るものではありません。
さんざんにEO師が闇のことを説いた、からといって、
それでただ、表面的な形だけで、
「あー、闇も必要なんだ」とか言っては、
闇というものに関心を抱いても、
そこには、「闇を通過すれば光が来る、だから闇を受け入れよう」
という「打算」が抜けない。
それぐらいなら、まだしも、
「闇に徹底的に殺されたい」と思ったほうがマシ。
◆「次なる、ごほうびの打算」のある心に乗ってくるほど、
「闇の王女」は、そこまで馬鹿ではない。
その者の中に、「闇を愛する」という事がなくて、
しょせんは、光と色彩と形と、生命と活動に満ちた自分、というものが
欲しいと願っているうちは、
闇の真価(真果とも言える)に触れる機会はないのです。
◆死の扉である王女のところに、
生の願望を持って行くなどは、無礼極まりないということです。
死と対比する生、生と対比する死というものが、
それぞれに相対的な価値を生み出している、
「・・だから、死について思うことは、生の意味を考えることだ」、
なんぞという、
能天気な稚拙な「一般論」が通用する世界ではありません。
◆死の中へ、連れてゆけるは、ただ死のみ。
というEO師の核心をつく、川柳を思い出します。
すなわち、闇に向かって死ぬ瞑想をするなら、
生のことなど、一切、振りかえらない、
そのあとで、生に何が起きるかなど関係ない、
「ただ、闇に徹する」、ということが必要となります。
こののちに、生がそれまでとは変容するということは、ある「かも」しれないが、
それはあくまでも、「いくつかの可能性の結果」として
なるだけの事である。
◆多くの、本物の覚者たちの場合には、
死や闇、といったものを、
「生の美を語る背景」としては扱わず、
単体で、その真価を語る。
従って、そこで、その「方便」として語られることは、
つねに、光の世界の「馬鹿げた様相」ということになり、
これゆえに、本当の覚者たちが、闇や死や無について語ると、
99%の人間は、拒絶反応を示すのである。
なぜならば、それは光の世界に安住するほとんどの人々にとっては、
自分たちの価値観や、生命活動の価値の、
その何もかもを否定されることだからである。
しかし、闇の真の効果=真果とは、そこにのみある。
全否定ということこそが、それこそが、闇の真価なのである。
そして、残りのたった1%の者のみが、
その言葉の中に編み込まれた、その「本質」を感じることが出来る。
◆そのとき、その者(比丘)、または覚者たちは、
どこまでも果てしなく、「虚無的な死の側面」と、
どこまでも生命的な光の側面という、全く相反するものが、
その者の中に、共存するというパラドックスが起きる。
しかし、それはなろうとしてなれるものとは言えず、
生と死を、どちらも、単独でとことん掘っていたら、
それがひとつの環であり、
生と死が補い合っているのではなく、
もともと、生も死もひとつのものであり、
そのひとつのものとは、
「ひとつの生でもなく」、
「ひとつの死でもない」、という境涯に到達する。
■しかし、その前に、
多くの人は、死の最大の象徴としての闇の前で、
脅えて、逃げかえる。
だからこそ、生が手に入らないのである。
師は、言っていた。
↓【闇のタオイズム】:「死について」より、抜粋。
*********
>あなたの瞑想は常に『死ぬ』ことに向けられるべきだ。
>暗黒の無にどれほど純粋に消えて行けるかという死ぬ練習をしなさい。
>暗黒の無の中にあらゆる判断と、あらゆるブッダを忘れて、
>あなたを捨てるのだ。
>あなたが死ぬのだ。
>そのリハーサルをやりなさい。
>そして、その死は『ただの死』でなければならない。
>光明の手段であってもならず、
>生き生きとした生活の為でもない。
>ただ死ぬのだ。
◆
「闇のタオイズム」
http://www.mumyouan.com/e/eoyami.html
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