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[2782]
■
■問いの不在。
by:
ほ う ざん
2003/07/05(Sat)03:18:28
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■ちょうど、竹の間を書きおえて、
散歩に出たら、ティエムさんと、またシンクロしてたので、
ひとことだけ追加。
和尚は言う
「それまでの私は、問いに次ぐ、問いで、気が狂いそうだった。・・・
そして、そのあとには、問いといったものは、
何ひとつ残らなかった。
問いを発していた者が死んだのである。」
●だかといって、
「自分にだって、大した問いも探究もない・・・・」
などと無気力に言う者は多い。
問いが嘘偽りなく、一切なかったら、
それは、光明を得ていることと、「ほとんど」同じことになるのであるから。
思考停止して、問いがないのと、
問いが巨大な爆発となって、自滅するのでは、事が全く違う。
■多くの覚者たち、または、人知れず悟った人達が、
どうにか、もっと楽な方法はないものかと道を探ったのである。
中には、悟りは簡単だなどと言う者もいる。
しかし、そういう「本人」はどうだったのか?
いつの世にも、簡単な事ではなかったのである。
誰にでも、虚無の中へ身投げする「心中相手」
つまり、「問いの苦悩」がいたのである。
問いとは、すなわち、思考が最高に結晶化したものである。
それゆえに、まずは、その知性の最高の結晶体なくしては、
知性を越える地点には、到達できない。
それは、結果として、
自分を滅ぼすような「問い」なのである。
■
普通の事をしていて、普通の限界を超えられるはずはない。
限界を超えたいなら、普通ではないことをすべきである。
そして、さらに私が最近言うのは、
普通のことではないことであると同時に、
仲間もいなく、法友と持たず、
「誰一人も応援もしない」ような
「自分たった一人の道」独自の道を
そこへ向かう舟として持てということ。
2003年と2004年は、そういう年である。
たむろって、つるんでいる、他人と
価値観や、修業なんぞを共有している場合ではない。
なぜならば、「それ」は、
関係性のぶったぎれた、
「個」の中にのみ、宿るからである。
では、どうしてそうなるか?
それは、「完全なるエゴを滅ぼすための闇たち」は、
「相手を選ぶ」からである。
自分たちが、その手を染めてでも、滅ぼしたいと思うほどに、
「完全なる孤独なエゴ」つまり、有能なエゴ、を持った者にしか、
闇の王女は、関心を持たないからである。
その「有能なエゴ」は、
人間という生物を、必ず、最後には、
「絶望的な苦」へと落とし入れるのである。
闇の種族たちは、
いわば、その「エゴ・エリート」たちのみを待っている。
無我は、結晶となったエゴにしか宿らない。
生命とは、そういうパラドックスなのである。
単純に、オープンで、あるがままで、済むものでは決してない。
だからといって、苦悩と楽しみの往復をいくら続けても出口はない。
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