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[3027]
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役立つ芸術家と、役に立たない芸術家
by:
ほ う ざん
2004/02/19(Thu)12:35:22
222.32.112.219.ap.yournet.ne.jp:219.112.32.222:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
●芸術家に限らず、これは科学者でも同じです。
とにかく、何かを創設、創作、表現、体系化する人達のことです。
前に、「役立つ導師」とそうでないタイプの事を書きましたが、
いわゆる、創作意欲「のような」勢いで、下降している人たちの
作り出すものは、生み出し手の向こうからは下降、受け手の方は、
文字どおり、導師を仰いでしまって、上を向いている
という状態で、双方からのベクトルが中和されてしまうので、
結果として、意識の位置には、変化が起きません。
受け手の側は、いわゆる、心地よいとか、作品が好きだとか、
参考になるとか、せいぜい、その程度の影響しか受けません。
一方で、創出している側は、これまた前にも書きましたが、
その行為は、ほぼ「排便」に近いものであり、
自分の中から、無尽蔵にあふれ出てしまうものを、
ただ、何の迷いもなく、表現しているだけ。
和尚の講話もそうですし、ある意味、
すべての「本物の覚者」たちの説法もそうですね。
あれらは、溢れてしまうものであり、
そこが、いわゆる、思考という次元に留まったままの芸術家が
必死に「搾り出す」とか、苦悩したり努力して
作り出すものとは、全く性質が異なる点です。
覚者の表現して、出力するものは、未完成でありながら、完成している、
というパラドキシカルな性質のものであり、
全くその表現の中に、努力とか苦悩の痕跡がなく、
ただ、自然に出てきたもの。
ところが、これは、受け手の側の立場から見ると、
ただ受動的に受けている場合には、
それらは、自分の疑問などにぴったりと符号する形での
導きにはなりますが、自分の予想を越える範囲の
影響までは食らわない。
なぜかというと、前にも話しましたが、
彼らが表現しているのは、集合的な「要望」に感応して
その人達の要望に応じて、ただし、ちょっと
その人達の要望以上の次元を開示する、というシステムによって
作動しているからです。
こうしてもたらされる彼らからの「排泄物」は、
次元的には、さほどの飛躍力を持たない。
ただ、一般人は、どこかそれに満足するというものにはなりやすい。
●で、表現している側の彼等は、
排泄行為とほとんど同じで、生み出さないと、
バランスが取れないとかが主な利用であって、
生み出すこと自体は、
創作などと、おおげさに言うようなものではなく、
あまりに「普通の事」の一部なので、
作り出したものには、いちいち執着などしていませんので、
どんどん、次から次へと、違うものを作り出すわけです。
これは、作り出すという表現は不適切で、
実際には、やはり、消化の末の「排泄行為」です。
だから、彼等は、作り出すことにはなんらの意味も感じておらず、
ある意味、それが新陳代謝のようなものなので、
作るのは、しかたなく、というようなところがあり、
彼らとしては、本当のところは、
何も作らずに、作る必要を生ずることなく、
静寂の中に、安住していたいはずである。
それゆえに、彼等は、その役目から早く引退、隠居しようとして、
後を任せられるような弟子を探し出して、
自分は、その位置(表現媒体)から離れるわけです。
●で、これらは、前に書いたように、
親切であるが、あまり飛躍のないシステム。
で、かといって、苦悩したり、悩んだり、
アイディアを搾り出したり、頭でいじっているような
アーティストは、これは、精神世界では論外。
それらは、単に、普通のレベルのアートのことです。
そうではなく、自然に作り出しているのだが、
しかし、それが、下からの要望によるものではないものである場合、
つまり、その者本人のベクトルが上を向いているという場合。
これは、ごく一部の人には、大変な恩恵、そして経験となります。
●これは、前にも言いましたが、
一見すると、とても、無頓着で、不親切な人達です。
自分の趣味の没頭していて、他人の事なんか、耳も貸さない。
この人達は、他人の集合的な要求ではなく、
自らの内部の衝動で、ベクトルを上に向けています。
すると、どうなるかと言うと、
その人達の周囲には、上昇気流が出来ますので、
そばにいたり、かかわると、
自分の要望しない次元にまで、ふっとばされるという事です。
とうぜん、怖くなって逃げる人が大半です。
自分に馴染みのないもの、自分のエゴとは対立するような
風がそこでは吹きまくっているからです。
しかし、これがいわゆる、今までよくあったような
導師とか芸術家のように、
ベクトルが下を向いている状態で表現されたものでは、
この「上昇気流」には出会えません。
●では、どういうのが、この上昇気流のアートかといいますと、
それは、その芸術家ないしは、導師が、
そのとき、「排泄的な表現の周期」にいるときではなく、
今だ「模索中」「実験中」などの時です。
つまり、情報を排泄する時ではなく、
その者が、食っているときです。
これは、もしも師弟関係で言うなら、
普通のおおかたの弟子たちは、
いわば、導師のウンコをもらって、喜んでいるわけですが、
その上昇気流にあやかるという事は、
「導師と一緒に飯を食う」という事に近くなります。
すると、その導師の食う飯(次元情報)というのは、
とても、弟子が味わえないような味であったり、
普通の神経では耐えられないようなものであるために、
普通の神経で生きている大半の人達は、せっかくのその席を去る者が多発し、
そして、最後に残った僅かな人達、たいていは、一人、だけが、
導師が食うときに、一緒に同じ釜の飯を食う、という事になります。
●すると、それは、
弟子を配慮して作られたり、弟子のレベルを配慮して調整されたような
味や成分ではないために、弟子は、吐き気や拒否反応すら
示すわけですが、それを食うことは、
のちのちに、何年もしてから、その栄養分を消化することになります。
一方で、ほとんどの世の中に氾濫すら説法とか、講話なるものは、
弟子や大衆用に調整されたものですから、
当りはいいのですが、毒を含んでいません。
毒とは、薬と紙一重のものですから、毒には毒の消化のしかたがあります。
●で、たとえば、では、
こうした、何かの表現はしているけど、
それが、排泄でもなく、
また、苦悩する芸術家のストレス発散でもなく、
その芸術家、または導師が、まさに上昇中に作られた作品、
といったアートが今まであったかというと、
私は、アートの世界は、とんと、うといですが、
知る限り、やはり、60年代後半から70年代のプログレです。
80年代には、もうその勢いは、消えていました。
90年代は、音楽シーンにとっては、最悪の10年でした。
でも、70年代のプログレの音楽には、全く大衆性もなく、
コビもないし、
また、衝動的に、自分の中に溜まったものを排泄しているという
感じもない。
排泄だと、どうしても、大衆性が出てしまいますので。
音楽が1番実験的だった、その、
ほんの10年ばかりの間に作り出されたものは、
いまだに、「上昇気流」を持っています。
排泄行為として、下を向いて何かを表現しようとしていたのではなく、
彼ら自身がまさに、彼らの位置から上へと飛躍しようとして、
新しい素材を模索しているその最中に生まれたものです。
今でこそ、ヴァージンレーベルは、メジャーになりましたが、
当時の無名の音楽家に、レコーディングのスタジオを提供し、
あれほどのものを世の中に排出した功績は、
称えても称えきれません。
むろん、他にも、同じような事をした
ヨーロッパのレーベルが沢山ありましたが。
●つまり、アーティストが今だ実験室の中でやっていたことを
そのまま世の中に出した、というところが、
すごいのです。商業的なベースではないものです。
また、それは、人を心地よくしたり、
人に理解されるようなものでもありません。なにしろ、
今だ未分化な領域、一般の人に対しては、
全く未調整であるものを「生」で出したわけですから。
これは、前にも、言いましたが、
おそらくは、地球で行われる「宇宙開発」と、
どこか、リンクしているといわざるを得ません。
新しい探査機が、新しい領域に踏み込むたびに、
音楽シーンに何かが起きると・・・・。
そのことに1番敏感なのが、
音楽家みたいです。
2番目が(絵画ではなく)アニメやマンガ。
ようは、それらは、静止画面ではなく、
リズムとか、動画とか、4コママンガのような
ストーリーのある「動き」の中でしか、
表現できないのかもしれませんね。
で、「異例」として、絵画やオブジェという、
静止した創作物でありながらも、
この強力な力を持っているのが、
やはり、岡本太郎氏の作品だと思います。
むろん、「個人的に」です。
だから、私は、本当は、
岡本太郎氏には、
映画や、音楽を作って欲しかったですね。
まっ、本人がその分野に、
関心がなかったのでしょうけど・・・。
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -