▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
▲竹の間へようこそ▲
掲示板
Title
島流しリンク
自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
性と死のホームページ
★
「竹の間自薦投稿集」
★
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[3050]
■
■「早期発散」 予防法
by:
ほ う ざん
2004/03/27(Sat)07:18:45
252.137.244.43.ap.yournet.ne.jp:43.244.137.252:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
〜〜〜余所サマの掲示板で書いたものの、転載です〜〜〜
回避行動や薬物治療している人の場合・・・・
5感がとにかく、並外れて、「鈍感」なんですよ。
何かを繊細に感じるなんていう神経も、
もうボロボロになっている。
●痛みを感じる神経(=感性)と、
快楽や繊細な美を感じる感性=神経は、同じです。
ちょっと、そっと、くすぐったら、こそばゆいでしょ?
でも、つねったら、痛くなる。
寒い時にストーブにあたったら、幸せでしょ?
でも、ストーブに触れたら1週間は泣くことになる。
つまり同じ線の上にあるものです、苦痛と快楽は。
ただ、その「程度」とか、「加減」の違いです。
●だから、人は心が悩んだり、痛むこともありますが、
それを麻痺させるような薬や回避行動をとることを
積み重ねたら、「楽しさを本当に感じる感性も失い」ます。
それを失ったら、本当に美しいという感性で
感じているのでもないことを、さも、美的に、
美辞麗句ならべるだけとか、
ただのポジティヴ気取りになりかねません。
●繊細な感性は、「苦痛も繊細に」感じます。
そして、苦痛があるなら、もっと早くそれに気付く、
それが多くの心の病の本当の「予防策」です。
眠りの効能と同じです。
だが、今のこの世の中は、それに気付くには、
あまりにも、何もかもが、「手遅れ」なんですよ。
●で、なぜそうなったかというと、
「我慢」したから。
我慢を要求する社会を人間が作ってしまったから。
●「極端な話」ですが、本当にいろいろな事を言いたいとか、
屈折した表現をせず、我慢しなかったら、
殺人とか戦争なんて、かなり減っていたはず。
むしろ逆に、我慢と屈折と偽善の積み重ねが、
争いとか殺人事件になったことの方が、遥かに多い。
その証拠に、子供同士のケンカが殺人になったなんていうのは、
簡単に人が殺せるような、アメリカの銃社会でもないかぎり、
ないでしょう?
子供は我慢しない。だから怒っても、また忘れて遊んでるから、
殺人もしない。まー、まだ殺す体力もないけどね。
●しかし、子供が無理な我慢をし始めたときから、
何かがおかしくなる。
子供に、我慢を要求するときには、親は、
「どうして我慢しなければならないのか」を
ちゃんと説明しないと、前に言いました
「わけ、わかんねぇー親だ」と見られてしまいます。
我慢も必要ですが、その理由に
「子供がわかるような明確な説明」なしは駄目です。
でなかったら、我慢させずに発散させるけど、
周囲に迷惑にならない「環境を設定すること」ですね。
1番いい方法は、「よし、お前、ここでは我慢しないでいいぞ」
という、ケンカの「リング」を家庭に用意することです。
口論専用リング(とか、家族の時間)でも、
体でのケンカ用の部屋や「防具」でもいいですし。
●なるべく多くのことを我慢しないで済むような社会になれば、
逆に、わがままというのは、少なくなるもんです。
「我慢しないだって??
そんなことしたら、勝手放題の、わがままなやつが蔓延する」
というのは実は、ウソです。
なぜならば、わがままが、はびこる、その最大の原因は、
そのわがままを言っている人間に対して、
「周囲が我慢した」からです。
周囲も黙ってはいなかったら、わがままは、はびこりません。
つまり、双方対等に、「早めに争うこと」が、
「手遅れな争い」にならない秘訣ということですね。
大昔の江戸っ子は、ケンカっ早いね。
だから、さー、もう終りで、まとまるものもまとまるけど、
我慢の多い社会は、
最後が、たいていは、とり返しのつかない結果になります。
自分が変な目で見られたくないとか、
仲間はずれにされるとか、
そういう、痛みを感じたくないとか言い訳を言っては、
言いたいことを、我慢したり、他のことで誤魔化して、
痛みそのものを早く感じて、早く表現するということをしないと、
なーーーんにも、感じられない人間になっちゃうよ。
●セックスだって、よく見ると、快楽とは言うものの、
けっこう、苦痛と紙一重、または「表裏一体」ですから。
人生,何事も、痛くても「しらふ」でいこう。
そうすれば、楽しいのが生まれた瞬間にも、
うんと、楽しく感じられるから。
心の痛みを、何かで麻痺させたら、
「無害で、おとなしい」だけの「生活ロボット」か、
さもなければ、借り物の知識で誤魔化す、
口だけの人間になってしまうから。
問題を起こすこともない、無難な人間になり・・・、
そのかわり、
問題を何ひとつも解決する事も出来ないという、
無気力ロボットになってしまうよ。
ここんところ感じた、独り事{パート1}でした。
■
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
{パート2}
●「理想の彼氏とか彼女」、つまり、パートナーっていうのは、
私がよく言う「戦友」っやつですね。
でも、これとは「別に」「遊び友達」ってのもありますよ。
一緒に遊ぶなんら、この人だ〜っていう人いるでしょ?
でも、それはまた別・・・。
そうだな。今思ったけど、将来一緒になりたいと思う人には
この「遊び友達」と「戦友」のふたつがありますね。
●この見分け方はすごく簡単で、
問題が起きたとき、気まずくなったとき、
怒ったとき、俗世間いうところのネガな状態になったとき、
そのときに、分かります。
1/最悪のときに力になる人が「戦友=せんゆう」
2/最高のときに、
それを加速してくれるのが「遊友=(ゆうゆう か?)」
どっちもそれぞれ必要ですね。
同時にあればそれはもっと理想だけど。
恋人というか、人生では、どっちの経験も必要ですね。
●でも、いざ、同居とか結婚するという場合、
もしも相手が、戦友にはなり得ない、という場合は、
前にも言いましたが、それでも一緒になるなら、
自分も含めて、「部隊ごと、全滅してもいい」という覚悟が
必要です。
この人となら、死んでも、地獄へ行ってもいい、
そういう覚悟、または発作的な思い込みでもないかぎりは、
基本的には、「困ったり、問題か起きたときの自分と相手」の
相性を冷静にみてみて、判断するといいですね。
人間、いいときは、誰だって、花に見えますよ。
状態が、悪いとき、(というより、不快がそこにあるとき)、
そのときにどう対処できるか、がその後の二人を決めます。
だから、「花が枯れているとき」の、相手をよく見ましょう。
そこには、真冬でもしっかりと根が張っている人もいれば、
根が腐っている人もいる。
極寒の凍った土、つまりどん底にいるように見える人でも、
根が、普通の人よりも、しっかりしてる人もいます。
一方で、たとえ草花が出てても、しなだれていて、
そこから、プーンと、根が腐ってる匂いのする人も
世間には、いるのです。
特に、「精神世界」や「宗教」という、
この世の中で、最も「偽善的で軽薄な場所」には。
■
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(3050 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
竹の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -