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[3112]
■
沈黙と言葉について
by:
ほ う ざん
2004/05/20(Thu)06:00:10
36.131.192.61.east.flets.alpha-net.ne.jp:61.192.131.36:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
■最近、ぽつぽつと、書いたもののまとめです。
>相手が無口な人ですが、どう付き合ったらいいか?
>相手は「自分は無口だからよくしゃべる子が好き」とは
>言ってくれるのですが、会話に間が空いたとき、
>どうしたらいいかわからない。
という質問に対して、
↓
●失語症とか、心的外傷とか、何か特別な原因がないかぎりは、
原則として、「無口」な人は、相手が無口でも、気にしません。
むしろ、落ちつくでしょう。
おしゃべりな人なら、相手にもおしゃべりを強要したり
望むことはありますが、無口な人は、そんなことしません。
まー、自分が無口だから、よくしゃべる子が好きというのは、
どこか、半分以上は嘘なわけでして、
したがって、今時、めずらしく無口
(携帯電話中毒とかしてなければなお良)というのは、
貴重な人ですから、
このさい、アイコンタクトとか、スキンシップとか
言葉にたよらない付き合いをされるのはいかがですか?
言葉が少ないほどに、どんどん楽しくなるものですよ。
もしもそうならないとしたらば、
その相手の「間」は「沈黙」ではなく、
単なる「制圧」です。
●
そういう無口な人の場合には、
「ごめんね、私ばっかりしゃべってて」と言うと、
「いいんですよ、私は聞いているだけで楽しいから」ときます。
でも、その繰り返しも限度がありますね。
会話が途切れたときに、どうして気まずくなるかと言いますと、
人は会ったら会話しなくてはならないという
強迫観念があるためです。
そんなこと、別にマナーとしても法律としても
全く決められたことではないのにです。
両方が沈黙していて、もしも何か苦しかったら、
いっそのこと「無理に話すと苦しいから、たまには黙ってようか」
なんてのもいい。
なんでも、共通することは、状況から逃げないことです。
●それと人が沈黙を嫌がる最大の理由は、
沈黙の中では、人は自分に帰らなくてはならないからです。
沈黙の中では、それまで相手の会話の中に
気絶して、どっかへ吹っ飛んでいた自覚というのが戻ります。
その自覚が戻るとおしゃべりの中へ逃げていたり、
おしゃべりて気付かなかった、自分の考えていることとか、
自分が見たり聞いたりしていたり、また感じている椅子と
お尻の接触している感覚とか、
周囲の雑音や、空気の匂いとか、そういうものに戻ります。
で、この感覚に戻ることが1番大切なことで、
この自分のしっかりした中心感覚に落ちついている人を
本当の意味で落ちついていると言うのですが、
●しかし、この自覚が戻ることを嫌がる人達がいます。
とくに、おしゃべり好きな人の場合です。
その人たちには、この感覚が、怖かったり、白けたものに
思えてしまうわけです。
喩えると、美しい自然見える場所に行っても、
「うぁー、きれいだ」とか「空気おいしいね」とか
「晴れてよかったね」とか「これからどっちへ行こうか」とか
いちいち、何か言わないと、自分が落ちつかなくなるタイプの
人です。
これ言わなければ、1時間だって、その自然をじっくりと
味わえるのにです。
しかし、しゃべるということに中毒してしまった人の
場合には、自然を感じることは出来ません。
そして、その場合には、目の前の相手のことも
感じることが出来なくなります。
しかし、会話というのは、相手をよく感じてから
少しずつ、少しずつするほうが無駄もなく、
気まずさもかえってありません。
これは格言のひとつです。
その会話が「沈黙」と「観察」の中から生まれたら美しいが、
落ちつきのなさから生まれた会話は、どんなに楽しくとも、
軽薄で醜いものになる。
別に難しい話や、実益のある話をする必要はありません。
しかし、無駄な話には、人は実は楽しいのではなく、
疲れてしまうことが多々あります。
それならば、沈黙で途切れ途切れになっても、
瞬間瞬間、新しいことを感じられるように、
「しゃべらないと」という事を忘れてしまって、
相手と「居ること」をもっと楽しんでください。
相手としゃべることだけがコミュニケーションではありません。
逆に自分の方から
「なんか楽しくて、言葉にしないほうが気持いいので、
言葉が少なくなってごめんね」とでも言って、布石を
打っておいてもいいです。
●これも、よくあることなんですけどね、
私も何度か失敗して、それ以来、失敗しくなったのですが、
異性にかぎらずとも大切な友達とたまに会うときに、楽しくしようとして、
話題として言う事を決めておいたりしますとね、
いざ、会うと、実に盛りあがらなかったりするんですよ。
楽しもうと思ってかかると、思ったより張るかにつまらない
時間になってしまう。ほとんどこれは確実でした。
ところが、楽しまなくていい、成り行き任せにしよう、
と思って、特に予定した会話とか忘れていると、
「その場」で出てくるおもしろい会話が弾んで、
実に、楽しい時間をすごせることに気付きました。
ということで、いつも一緒にいるのではない人との話というのは、
自分の日々の生活で見たり感じたことを、お互いに、
ちょっとだけ話せばいいのです。
それと、食事をするのでしたら、
「おいしいね」ぐらいはいいですが、
あまりしゃべりすぎると、せっかくの味が台無しになりますよ。
美味しかったは、食べ終わったあとでもいいのですから。
●ちなみに、どんなおしゃべりな人でも、黙る空間がありますね。
それは、満員のエレベーターの中。
昔、ふと立ち寄ったビル(はじめて入ったビル)で、
満員のエレベーターに友達2人と入ったとき、
ドアが閉まってしばらくしてから、
それまでしゃべっていた全員が、
一言もしゃべらなくなり、しーんとしてたので、
その友達に
「面白いよね。なぜかエレベーターに入ると黙っちゃうんだよね」
と言ったら、けっこう、ウケました。(何がどうウケたんだか
知らないけど、周りの人がいっせいに、にやにやしていた)
この時、私は、やっとギャグの極意をつかんだ気がしました。
世の中で1番おもしろいギャグとは、
「ありのままの事」を、ややデフォルメすること。
しかも、非日常的で「予測外」の形で。
という余談でした。
わりと私の毎日毎日というのは、この連続なのでありました。
当たり前の事の中に、いくらでも笑いがあります。
一見して不快なものにも、
目を避けずに、真っ直ぐにさえ見れば。
次は・・・・
>「頑張ってね」という言葉が重いと感じるのですが。
という質問に対して、
●何かの言葉が、感覚として合わない、
というときには、私は常套手段として、
違う言葉を使うか、「造語」を作ります。
ガンバろうは、どの掲示板でも、私はめったに
使いません。
また、周囲にはこの句が禁句だった人達が多いものですから、
そのせいもあります。
また、私はこういう「漠然とした社交事例的な言葉が嫌い」でも
あります。
頑張ろうよりは、「うまくやろうね」とか
「楽しくやろう」の方がマシですが、
これも何か具体性がなく、そのくせ、言葉だけが
先行していて、中身が薄い気がします。
世の中、自分への自戒の言葉として言うにはいいですが、
他人への励ましの言葉として、軽率に口にするものではない
という言葉がありますし、
この頑張ろうも、タイミングを間違うと、
相手に虚しさや、何も響かない印象をよく与えます。
●まるで挨拶みたいに、
「漠然と」頑張ろうと言ったり、言われたりするよりは、
「〜〜の件、うまくいくと良いね」
「〜〜の事、私も心配しているからね」とかにした方がいいと思います。
まるで具体性のない、挨拶的な言葉とか、
口癖というのが、どうも私は駄目なのです。
言葉の持つ意味や効果を、
普通以上に、大切にしたいと思うからこそ、なのですが。
まー、人によっては、
ありきたりな言葉で、励ましを感じる人もいるのでしょうから、
それについては、何も言えませんが、
少なくとも、私は、その「具体的な状況」の中で生まれる
具体的で、その人の個性がにじみ出るような言葉が好きです。
{私だけ?}かもしれませんが。
●
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