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[3123]
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自己を忘じてなんぼの世界/その2
by:
ほ う ざん
2004/06/13(Sun)08:24:30
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■何が正しいか正しくないか、という論議からは
引いてしまう人も、
何を好きか嫌いか、には簡単にとびつきます。
この理由は、好き嫌いには、
それを正当化する理由は、
「理屈は関係ない、好きなものは好き嫌いなものは嫌い」
という簡単な説明で済むという、手軽さがあります。
しかし、その好き嫌い、
実は、理屈も理由もあり、その部分を
好きも嫌いも同時に解体することは、
その人の自己同一性を、分解掃除することになります。
いったん、これをやると、
それまで好きだった自分を好きでなくなったり、
逆に、それまで嫌いだった自分を好きになったりという
「大きな変化」が起きますが、
たいていの人は、変化よりも現状の中にいる方が「楽」であるために、
この解体をあまりしません(する派と、しない派に分かれます)
自分の好き嫌いの「原因」に目を向けないというのは、
それが楽であるからですが、
なぜ、楽かといえば、自分で見て、見切ってしまえば、
自主的に次の自己像を、自分で作る必要があるからです。
それをどんどんと積極的にポジティヴに進めて
新しい自己像を変化させてゆくタイプの人は、
常に、自分の好き嫌いを、定期的に解体せざるを得ません。
一方で、好き嫌いが一定している人は、
解体の作業をしないので、変化のある自分には
なかなか出会えません。
ただし、その分、自分の内部においてのみ平和的ですが、
欠点としては、好き嫌いで判断するので、
付き合う人の層とか、世界に対する視界が
やや狭くなるということでしょうかね。
■ただし、何度も言いますが、
自己形成と、無自己回帰とは、
どちらが良いという問題ではなく、
段階的な問題であるにすぎません。
自己は、無自己になるまでの
自転車の補助輪であるといえば、わかると思いますが。
補助輪は悪いものではありません。
必要なものなのですから。
一気に無自己を楽しもうとすることは、よくありません。
自己の好き嫌いに、飽きたり、好き嫌いでは対応できない問題に
ぶちあたったり、そこに矛盾や限界を「自主的に感じるまで」は、
それまでは、十分に、自分の好き嫌いを育てるべきでしょう。
枝葉を軽視しては、花は咲きませんから。
●私個人の場合には、自分の好き嫌いはある程度は把握はしていますが、
自分の「全体的性質それ自体」すなわち。
=(私はこういう人間だとかいう総体=自己イメージ)に関しては
意識しない時の方が、本領が無駄なく発揮されるようです。
昔、ある人が、こう言っていました。
「個性というのは、意識すると、ただの「癖」になる。
逆に、意識しないときにどんどん伸びる」
現象としては、誰にでもあてはまることではないでしょうが、
しかし、普遍的な原則としては、正しいと私は思います。
その人の、はたから見ていて、いいところって(正しくは心地よい部分)というのは、
その人に聞くと、まず95%の人が意識してないのですよ。
本人は「何それ??」という感じで。
自分の才能(技術的なもの)を意識してそれを伸ばすのはいいようですが、
自分の雰囲気とか、精神的な面(漠然とした表現ですが)とかは、
自分でそれを意識したとたんに、進化が減速するか停止するようです。
ちょうど、自分が親切だとか愛情深いとか
そう思っている人間が、絶対に、そんな事はなくて、
逆に本当にそういう(親切な人その他)人は、
そんな事を、絶対に「自覚もしない」、
だから、本当に親切で愛情深い人である、
というのに、かなり原理が似ています。
異論はあるでしょうが、私は、
親はなくとも子は育つと思っております。
親=主人格または脳内社長
子=多重人格ファミリーの脳会議
*********
うまく表現する言葉がやっと見つかったのですが、
私個人の場合には、
「自己嫌悪」というのを全くしたことがないのです。
少なくとも過去数年は。
その理由としては、自分の言動に対して、
「後悔」したことがないからということと、
その時に「やり残した事」とか、「我慢」したことがないからです。
自分に自信があるから、自己嫌悪をしない、のでは断じてなくて、
そもそも、自信を持ったことすらありません。
自信過剰でなくとも、どんな「わずかな自信」も、
実績をあげるには、危ないスキを作ってしまうというのが
経験的に痛感されていますので。
(特に、これは難しい「対外交渉」とか、格闘技においてです)
自信などもってプレッシャーを跳ね除けようとする行為は、
裏返せば、そこに恐怖やプレッシャーがあると自分で
自分に自白して言っているようなものですからね〜。
ですから、自信でプレッシャーを中和するのではなくて、
そもそも、プレッシャー自体を抱え込むような妄想をしない、
=やってみなければわからない事に対して、
自分で勝手につくった余計な心配をしない、
というのが私の身につけた、やり方です。
●で、こうなってきますと、
普通ですと、いろいろな「緊張」や「自信」「不安」が
集中していまいがちになる
「自己イメージ=自分はこういう人間だ」が、
流動的な余地が有り余っている状態になります。
すると、自己嫌悪になることがないのです。
流動的なものを、いちいち嫌悪したり好きになる気には
なりませんので。
確実に固定したものなら嫌悪できますが。
もしも嫌悪できるとしたら、
自分の容姿とか体質とかなのでしょうが、
それらには特別今は何も嫌悪もしていません。
ですから、
あーすればよかったという「後悔」や、「やり残し」
「我慢しすぎ」「自信と不安」こういうことが
多すぎる生活をしていると、
必然的に、それを全部「自分という中心が背負っている」と
思ってしまい、結果「自己嫌悪」になると思います。
私にとっては、自分の身体とか、性格や記憶すらも、
経験や自然の刺激が、そこを通過するスクリーンのようなもの
に感じていますので、
自分の一生すら、何やら映画でも傍観しているような感じです。
ただし、傍観といっても、
一種の「体感ゲーム」みたいなものなので、
「実感」は十分に伴います。
だから、前にもいいましたように、
経験されている個々の「心地よさ」には、それぞれ
好きなものの傾向はあります。
いわば「味の好み」と全く同じです。
いずれにしても、「あとで気付いたら」の話なのですが、
経験する現象に、自分や自己意識が何も余計な口を挟まなかったときに
経験される、俗に言うところの
「ありのまま」の現象経験というのが、
私の生活の楽しさの大半を占めています。
ですから、そのほとんどは、どうということはない、
小さな小さな幸せの集合です。
今日は、静かで気持いい、とか、
「ちょっと、あの鳥の声はおもしろかった」とか、
「そんなもん」ですよ。
でも、それが私にとっては、
10億円のお金とすら引き換えに出来ない、
価値のあるものなのです。
それは、金でも買えないし、
特定の他人といたからといって生み出せるものでもないので。
では、その数年前のもっと前は、というと、
確実に「自己嫌悪」がありました。
それも、常にです。
自分が生きていること自体が、
間違っているという自己嫌悪。
自分には出来ないことを他人が出来たり
している事を見るときに起きる自己嫌悪
予定していたことがうまく実行できなかった時の
自己嫌悪。
あげたら、もう、きりがありません。
そのような自己嫌悪になった最大の原因は、
「自分を育てる」という文言に
過剰に価値観を持ってしまって、取りつかれたせいでした。
ひらたく言うと、自己進化の努力が「いいのだ」と
勝手に思い込んでしまったわけです。
しかし、のちに、
「では、その自己とはそもそも何であるのか」ということを
徹底して機械を分解するようにその記憶や思い込みを
分別して整理してみたら、
その「集合」を「自分」だと思い込んでいただけでした。
で、結局、自分なんてものは、どこにもいなかった、
という事でした。
世界を知覚している「主体のような意識」はありますが、
ついでに、それもバラしてみたら、
そこにも、主体意識(これが世界を見ている中心なんだなるもの)
はなくて、「ただの非個性的な意識」しかありませんでした。
だもので、そのことが生活の大半を占めているので、
「自分」とか、いう事自体が、まるでピンと来ないのです。
自分については、他人があーどこーだ言うから、
「その他人」には「そう見える」だけの事なんだろうと・・・・。
かくも、自己嫌悪のかけらもないということは、
もしかしたら私の意識は、
幼児なみに「退化」したのかもしれません。
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