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[3145]
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観光客の狙い所 「美味い店 紹介」
by:
ほ う ざん
2004/07/23(Fri)08:19:39
●たいした追加事項ではないのですが、富士五湖を調べると、
どうも、石器時代から、飛鳥時代ぐらいまでは、
なんとか先住民たちも、湖の恵みなどで存続していた「可能性」はあるもよう。
ただし、やはり、そののちの噴火が激化した時期に、
生き延びるのはかなり困難であり、また
集落が点在していたとしても、彼らが所有していたであろう武器類は
全くもってして弱かった、であろうから、
仮に先住民が生き伸びていたとしても、
西暦500年以降には、国内の他のいろいろな土地から来た種族に簡単に
屈服させられたであろうことは想像できる。
すなわち、仮に、石器時代からの先住民がいて、
富士五湖に今も家系的に存続していたとしても、
それは、誇りをもってその土地を守ったのではなく、
どこかしらの「よそ者の傘下に入って生き延びた」ということにすぎない。
富士五湖で言われる「地元民」なるものとは、
西暦780年以降に訪れた「よそ者の寄せ集め」ということなのであろう。
まー、どこの土地でも多かれ少なかれそうではあるが。
●というわけで、その時代の権力や、宗教や、利害関係に
翻弄され続けてきた富士五湖周辺だが、
本格的に観光地となったのも、ごく歴史の浅いことのようである。
民宿の店主とかに聞くと、
特にあのバブリーな時期に、美味い話に乗ろうとして、
テニス合宿とか、音楽合宿とか、各種セミナー向けの民宿が乱立し、
当時は、ごく一時は、儲かったようであるが、
今では、すっかり閑古鳥が鳴いているもよう。
いくつかの観光企業も手を引き、たとえば、今では、
富士登山以外には、たとえば、河口湖ではバス釣りとかが残っている程度のもよう。
●さて、そうした、主体性のない地域にあっても、
全くそうした地元の影響を受けていない「店」というのがある。
本当に、片手で指折り数える程度しかないのであるが、
そうした「本物志向の店」を訪問する、ほとんどのお客さんは、
他の都道府県からである。
何十年か前に、富士五湖に移住したり、店を持ったという人の話を
いくつか聞いたが、彼らが口を揃えて言うのは、
「仮にこちらが地元民に歩みよって協調、共存して何かをやろうとしても、
よそ者に対しては、徹底的に無関心で、
何か事あれば、非生産的に、足を引っ張るだけの「群れ社会」。
よって、対象は他の都道府県のお客さんを主とする。」というもの。
●そこで、では、そのような閉鎖的で進歩なき土地であるにもかかわらず、
都心部の顧客を相手に、本物志向のビジネスを成立させている
ごく僅かな人達には、何が共通していのか、
という問題に、私は関心を持った時期があった。
というのも、ちょっと昔に、頻繁に富士五湖を訪ねる時期があったので、
入った店や旅館のサービスに、如実にその違いが出るからである。
そして、結論ではない、まだ推論段階なのであるが、
どうやら、バブルがはじけて以後の、経済が、どん底で低迷していた
おおむね、1997年以降に開業し、
今もなお続いている店には、ある程度の信頼がおける
ということかもしれない。
その根拠としては、1997年ごろに開業するというのは、
銀行の貸し渋りの状況を考えたら、
そうとうに「実力」のある人か、さもなければ、それまでに
経済的な蓄えを築いてきた人ということになる。
そして、当時、不景気のどん底において、
開業したとしたら、その「勇気」もさることながら、
それは儲け主義ではなく、自分の料理や作品に対して、
何かのポリシーを貫こうとする「意志」がなければ
出来ないことであろうと推測できた。
それこそ、富士山の影響に屈しないほどのものが必要である。
そして、それがさらに、1997年以後、今日まで
約7年以上続いて経営が成立しているとしたら、
そこには実力的な裏づけも成立する。
ということで、私個人は、富士五湖のお店を訪ねるとき、
特にレストランを尋ねるときには、
開店年月と、その後の繁栄状況に重点を置いています。
いわゆる老舗の店というのは、当然、富士というものに
毒されてきた歴史があるので、あまり信頼していません。
私のお勧めは、1997年以後開店の店です。
この「時期性」を優先するならば、特に「よそ者系」「地元系」には
こだわらなくてもいい「かも」しれませんが。
●ただし、地元でも、ごくごく小さな酒屋や居酒屋で、
それこそ指折り数えるぐらいしかないですが、
本当に僅かに「隠れ家的な店」はあるようですが、
それを見つけるのは、ほとんど奇跡的なことです。
●そして、私が過去に富士五湖周辺を訪ねた結果、
「ここの、これは、絶品だ」という、
本当に一押しのお店を紹介します。
山中湖その他の湖のお店は、秘密です。
それと、面白い神社仏閣も秘密です。
第1回目は、とりあえず、
かなり世俗的に観光地化している河口湖周辺に限定します。
私が、「本当に、自信を持ってお勧めする」スポットとしては、
伊豆の旅館●「花吹雪」●↓
http://www.hanafubuki.co.jp/
あれ以来、ここが2つめです。
↓
フレンチレストラン
●「ロマラン」●
↓
http://www.fjmf.co.jp/fujigoko/category/r011cf.htm
むろん、味の好き嫌いはあるでしょうが、
私は、このお店の素材の味を活かした「隙間」のある味が好きです。
「どーだ、すごいだろう、参ったか」みたいな、
シェフの押しつけ的な味ではなく、微細な距離感があって上品。
最も洗練された味とは、完成度の高すぎる「濃密さ」ではなく、
「計算された隙間」があるものだということは、
以前にも当掲示板に書いた通りです。
ということで、富士五湖めぐりの旅に出て、
その時の道順の計画にもよるのですが、
もしも河口湖に立ち寄る機会がある時には、私は必ず立ち寄る店です。
●まー、余談ながら、東京になると、「飛び道具」的な店としては、
東京の世田谷区の新代田にある 「元祖/日の丸軒」とかは
以前に、どこか別の掲示板かで、紹介したことがありますが、
あれは、あくまでも「秘武器」的というか、
「隠し武器」的なデートスポットです(笑)。
元祖「日の丸軒」↓に関する記事。
http://www.e-food.jp/restaurant/1/visit_hinomaruken.htm
◆
松の間の過去ログからの抜粋↓
最高の味とは=「隙間のある味」
■私はここ数年、自分の料理を全体に、薄味にしました。
基本的な5味(からみ、酸味、甘味、苦味、うまみ)を、
いかにして、必要最小限に配合して、
食べた人が「あと、ちょっと、あと、ほんのちょっと」と
ほんのわずかに、「物足りなさ」を感じるような味を目指している。
皆さんも、覚えがあるかもしれない。
何かの料理を食べたときに、
「ん?」と、味の中に何かを探そうとして、
ついつい、飲み干してしまったとか、食べてしまったという味。
まるで、ずっと、何の味だろうか?と味を探して、
首をかしげながら、最後まで食べてしまったという味。
私が目指すのはそれ。
「そら、これで、どーだ!」みたいに「完成されつくした味」ではなく、
ほんの少しの「未完」の部分、ほんのあと一歩の「未完成」を
「わざと残す」という技を使った味である。
すると、食べる側は、そこに「自分を参加させる」ことになる。
何か足りないわずかなものを、人は意識で探る。
この食べる者の意識が、味の検索に参加する行為も、
「食すること」と「味の一部」なのである。
■音楽で言うなら、ほんのわずかに、もどかしく足りない部分があって、
そこに、聞き手のイマジネーションやエモーションが参加するようなもの。
■味の世界も、私は究極的には、
意図的に、わざと「未完」の部分を残したい。
つまり、日本独特の「間(ま)」の文化。
わざと「完成度をわずかに低くする」こと。
これにひかえ、「ちまたの味」ときたら、何もかも、押しつけがましく、
何が良くないって、「完成度」と「満足度」を目指しすぎ。
食べる側は、単に、受身で、ボーっと食べるだけ。
全くただの受動的。
確かに、こってりとした、満足はあるかもしれない。
■しかし、意図的に、わざと、わずかに不完全な部分を残すことで、
食べる側が、その未完の部分を埋めようとして、
味覚が、その「未完の何か」を探そうとする。
この味の「美学」ってものが、食品会社は、わかっていない。
味に限らず、これこそ、もっとも日本的な芸術性、
「ワビ・サビ・イキ」の世界にも通じるのである。
■ということで、うちのパートナーの作るケーキやクッキーは、
ほんのわずかに、「ほんのわずか」にだが、
甘味が、足りないような、ギリギリの路線なんですが、
それ故に、どんどんパクパク食べられるものなのです。
たいていの、お店のケーキは、完成度を追究しすぎて、甘すぎる。
だから、料理も同じ、ジュースも同じ。アイスクリームも同じ。
わずかな、隙間、未完性部分がそこにあるものが、私は好きです。
■で、薄味で料理する人は分かると思いますが、
塩なんか、爪の先ほど入れても、味が変わってしまうし、
料理そのものの温度でも味は変わってしまう。
そして、ごく、最近分かったこと。
味のバランスは、5味を必ずすべて配分することであるが、
味の「奥行き」というのは、
同じ酸味でも、そこに2種類の別の酸味を重ねるということです。
たとえば、みりんや砂糖の甘味のほかに、
果実系や蜂蜜の甘味を隠し味に使うか、またはその量を逆にする。
5味のバランスが取れているほかに、
この同系列の味でも、そこに「異なる味」が作りだす「遠近感」というのが、
いわゆる「味の奥行きがある」という感覚を作り出すようである。
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