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[3232]
■
●食べ物の話を少しだけ。
by:
ほ う ざん
2004/10/08(Fri)19:29:12
183.237.192.61.east.flets.alpha-net.ne.jp:61.192.237.183:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
「う ち の 場 合 の 食 物 論」
http://www.tora.ne.jp/nikki/nikki_3.htm
↑
松村氏の10/8の日記に、
食べ物の話があったが、料理のことは、ちと、うるさい私なので、
コメントを少々。
●私のずっと変わらぬ持論なのですが、
人間が欲する食物にはいくつかの種類があって、
松村氏も言っているように、空腹が要求するものは、アウト。
そんなもの、大食いが空腹だからって食って、それがまともな
摂食であるはずがないから。
で、食物の種類には、
1/腹の空腹が要求する場合=ただのエラー信号多し
2/舌(味覚)が要求する場合=これもただのグルメで味覚障害的
3/体が要求する場合
4/頭が要求する場合
5/その他が要求する場合
ざっと、この5種類があります。
4と5は、厳密に言うと違います。
●1と2は論外として。
(とはいえ、家庭の食事でも、
私はプロ並みの、せめて自然食の定食屋さんの味以上でないと
満足しませんが。)
一般的な意味での、2のグメル嗜好が「論外」なのは、
味覚が完全にもう現代では、狂っているからです。
特に、若い世代とか外食しすぎた人達。
刺激の強さとインパクトを追及するから、
外食のほとんどが、舌がイカれるような濃さになってしまっている。
また、よく言われていることですが「味の素」に舌が慣れてしまうと、
もうどれ食っても、同じ「濁った味」になっている。
多くのアメリカ的なファーストフードなんか、最悪ですよ。
また、私は保存料とか乳化剤も、勘弁してほしいので、
缶コーヒーとかは、まずくて、とても飲めない。
ただし、後述するように、
実は、本当の料理の質を決定する「最終的な」ファクターは、
料理の「原料」ではないんです。
●3というのは、体調を壊したときに、
生薬とか漢方薬の材料となるような食品を食ったときに、
体が、まさにそれを欲しがっていたという実感がするもので、
これは誰でも分ると思う。
味覚が求めたものではなく、身体が要求していた
天然モノのバランス食品なわけだが、
結果として、舌でも、それは美味しく感じるはず。
まー、ウェートとしては体の細胞の反応「みたいなもの」の
感覚で分るのだけど。
●これに該当する食品というのが、いわゆる
正食医学とかでよく使われる、
ショウガ、大根、里芋、梅干、蓮根、少しつんとする青菜など、
まー、ゆるやかな薬効のある系統の食品である。
その他には、あらゆる種類の「スパイス類」も適量ならそう。
(うちも、かなりの専門的なスパイスがストックされています)
こうしたものを適度なタイミングで食べると
体がほっとする感覚がします。
で、ここまでは、「普通の食物の話」。
この先は、電波系の話。
●4の「頭が欲しがる食物」というのは、
その食物にふくまれた「情報」が欲しいというもの。
で、問題なのは、この情報というのが、
単に、その食物の原材料の出生ということに留まらないことです。
たとえば、ある土地に引っ越して、
そこの土地の情報を自分に馴染ませるのには、
「その土地でとれた食物を食べてみましょう」、
なんてのは、あまりにも、わかりやす過ぎる方法論なんだけど、
これ以外に、物凄く「重要」なのが、
「料理人は誰か」「どういう意識を持った料理人の料理か?」
ということなのです。
余談ですが、どこでとれた、どういう産物を原料とするか、
ということよりも、その食物がどういう商業的駆け引きのルートを
通ってきたかという事では、
いわゆる「ヤバイ ルート」を通ってきた食べものがある。
いえ、別に普通に国産とか、輸入とかなんですけどね。密輸じゃなくて。
でも、そうしたルートの途中で汚染されてしまったような食材でも、
それを調整して余計な情報をカットしてしまって、
変形してしまうのが、最終的には「料理人」なんですよ。
松村氏は、料理研究家に何か書いてほしいような事を言っていたけど、
それは一般的な意味での調理法とか、そういうもんじゃないんですよ。
(もしかすると、私のこれから説明する事と、
同じ意味なのかもしれないが)
結論を言うと、
人間は、自分で食べるものは、自分で料理するのが
1番いいのです。
これこそが、太古にそうであった原型なんですよ。
他人に自分食う料理を作らせるということ自体が、
ある意味で、地上に住む、一動物としても
とっくに「異常事態」なんですよ。
たとえば、縄文時代に村で食事を作るとかでも、
共同体の人達が協力してのこと。
祭りで振舞われる食事には、今でもそういう効果もある。
まー、それ食って、和歌山のカレー事件みたいなこともあるんだけどね。
●で、話戻しますが、
自分で獲った獲物や穀類や果物を自分で食う。
生でなくて火を使って加熱するにしても、
そんなもの、みんな、昔は、自分でやっていたのが自然な形なのです。
自分で調理することで、自分の口に入るものが、
自分用にカスタマイズされるんですよ。
お茶ひとつとっても、奥さんとかに入れさせるもんじゃないのですよ。
ところが、現代では、「外食」も含めて、
レトルトから、何から、とことん、調理の手間を省きすぎ。
うちは、かなり徹底した家庭料理です。
アミノ酸系、ほとんどゼロ。かつおとかも、カンナで削っている。
でも、ようは、自然食がいいとか、肉食が駄目とか、
そういう事じゃないのです。
料理する人の意識が、
料理の本質を根底から変えるということなんです。
*********
で、これについては、ひとつ決定的なエピソードがあって、
私が前にすんでいた近くに、タイ料理屋がありました。
もうだいぶ前に、北京料理とかに変わってしまったのですが。
そのタイ料理のときのコックさんの作る料理というのが、
もう、味とかの世界を完全に超えていたんです。
味は、どちらかというと、濃過ぎるかもしれない。
でも、味の奥から伝わってくるものが、
もう、もの凄い迫力というか、
「どうだ、まいったか?」みたいな気合いそのもの。
厨房からも、その雰囲気が店内の客席まで、
伝わってくるんです。
料理を作っているときの、鍋の振り方ひとつが、
空気として、伝わってくる。
そして、はっきり言うと、そこのタイ料理は、
物凄く、体にとって負担はかかりました。
今でこそ、私は和風の薄味に凝っていますが、
当時は、エスニックの極でした。
そして、その極で、体感したことは、
料理は素材でもなく味でもないということ。
料理とは、「作る人そのもの」だったんです。
で、そのタイ料理は、とにかく身体を元気にしてくれた。
今、思うと、本国のタイでは、あのコックさんは、労働者のために、
活力を与えたいという強い「志」を持って、料理をしていたのだと思う。
だから、そういう人の作った料理って、全く違うんですよ。
小手先のレシピや、素材の問題じゃない。
むろん、素材選びもコックの意識の一部なので、重要ですが、
調理というのは、
塩の振り方、
火加減の使い方、
鍋の振り方、
調理する人間の意識やリズムが、そこに刻まれるんですよ。
よく知られた話ですが、
名人の塩の振り方は、時間帯によって、左右の回転方向を変えるとか、
振り方ひとつで、塩が、辛くも甘くも出来るというやつ。
■
だから、松村氏が言う、書いて欲しいと言っている「料理人の本」には、
水素論とか、神秘主義的食物論とか、そういう問題以前の
基本中の基本として、
調理をする人間が自分をどういう意識状態にするか、
または、精神的状態になっているか、
ということを追及した本でないと、完成度が、低くなります。
こういうのを本当に書きたかったら、
まずは、腕が1流とか2流とかを問わず、
いろんな料理人に、インタビューを取ればいいんですよ。
「同じ素材、同じ環境で料理を作っていても、
その味の違いを決定するものは何か?」という点。
そんなもの、自分自身の在り方に決まっているのです。
そのときの自分の意識の状態に。
だから、その料理本というのは、
皆さんが、家庭で「自分で自分の食事を作るため」のガイド本になるのが
理想なんですよ。
レシピと、それ以外に
「調理する自分の精神的なコンディション」について書いてあるもの。
また、そういう観点からいくと、グルメガイドつくるにしたって、
1/たとえば、寝不足のコックの作ったものは食うなとか、
2/厨房のおばちゃんをよく見てから、昼のランチ食えとか、
3/大事な企画会議の前には、コンビニのもの食うなとか。
4/デートの前に、こういうコックの作ったディナー料理を食うと、
その後の、ホテルでのセックスが盛りあがらないぞ、とかね。
これは、絶対にありますよ。
気力の萎えた人の作った料理は
デートのときは、やめましょうというもの。
って、「おいおい、どうやって そんなの見分けるんだ??」
という、そういう見分け方こそ、
その本には書かなくてはならないのですよ。
●そして、そういう方向性で作られるグルメガイドには、
必ず、そのお店の歴史と、
コックのコメントをいれるべきなんですよ。
まー、大袈裟なこととか、キレイ事書いてしまう編集者とかがいるから、
結局、正しい店の情報掲載はされないかもしれないけどね。
そういう「グルメガイド」や「自己調理のすすめ」の本でも、
うちの無明庵で出しましょうか?
うちのシェフと調理実験や相談をしながらになるので、
かなり、時間かかるけど。
●ところで、蛇足ですが、5番目のその他の食物というのは、
調理することで、それが部屋に匂いが充満したりするという事の
効果を狙ったりするもので、
直接に口に入ることではないようなものもあります。
民間療法で、風邪のときに、するめを焼いた煙を嗅ぐ、というのが
ありますが、
そういう意味では、タバコとか香とかの世界になってきて、
固形の食物の話ではなく、鼻や肺から入る食物の話になってしまいます。
ので、ここらでやめます。
●
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