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[3328]
■
「音の聞こえ方」についての雑感
by:
ほ う ざん
2005/02/14(Mon)04:08:04
★「MOMENTO」の、BOOKばざーるの注文画面はこちらです。
↓
http://www.bookbazaar.tv/cloup/etc/mumyo/hozan.htm#moment
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●たまに、私が読む、松村氏の音楽鑑賞の日記
↓
http://www.tora.ne.jp/nikki/nikki_m.htm
に、
音の聞こえ方、というか耳のバランスについて、
少しだけ書かれていましたが、
思うことがあって、少しですが、書きます。
基本的に、音の聴きすぎよりも、
身体のコンディションの方が聴覚にモロに現れます。
(つまり、音が直接の原因でない場合も多いです)
で、必ずといっていいほど、そのときには、
高音域が「かなり」聞こえにくくなります。
何ヘルツ以上かは、個人差ありますけど。
理由は、はっきりとはわかりませんが、
耳の疲労よりも、身体的疲労の方が、
原因として自分では思い当たります。
人によっては、自分の心身を補足するために
特定の周波帯に耳のバランスとかが偏る場合もあるようですが。
●それで、これは、リスナーの立場でしたら、
「今日は、聞こえ方がおかしいな」で済むんですが、
録音とかになると、「致命的なこと」になるんですね。
なにしろ、身体の調子で耳が変化「しすぎる」とですが、
昨日の聞こえ方と違ってしまう上に、
基準になる音質がほとんど解らなくなってしまうので。
●で、ここからは、ただの独り言なんですが、
今回録音したときにも、同じような聴覚の不安定が何度かあって、
そのたびに、やったことはただひとつでした。
それは、絶対に、疲労しないことです。
とにかく、絶対に、疲労が残らないように眠る。
録音作業とか、演奏作業というのは、
ちょうど、何かの競技選手が、来る日も来る日も、
毎日、次の日に試合があるようなもので、
次の日のことを考えると、体調管理しないと、
結局、作業がうまくいかないのです。
演奏ミスが増えたり、何もかもが、しっくりこない。
●今回のCDの録音は、ほとんどすべて、
午前中にしました。
で、ここが普通と違う点なのです。
普通、たいていの「スタジオ録音」というのは、
何日も、けっこう不健康な生活が続いしまう。
徹夜は当たり前、昼も夜も解らない防音扉で仕切られた世界の中で
ちまちまと、作られてゆくわけですが、
私は、あの雰囲気が大嫌いなので、
今回も「Z-55」と同じく、自宅録音です。
デメリットとしては、マスタリングに、
何百万円もするような高性能の機材を使えないので、
当然、出来上がったものの音質とか音圧に、
かなりの差が出てしまうことですが、
それを差し引いても、
作る環境としては、極めて、健康的というか、
じぃちゃん、ばーちゃんみたいな、早起き生活の中で作りました。
普通のスタジオでは、絶対に、ありえないことのひとつ。
それは、毎日、太陽がさんさんと降り注ぐ部屋で作り続けたことです。
演奏、録音、編集など、は午前中が多かったので、
朝、部屋で息が凍る中での録音もしばしばでした。
で、夜になった場合には、部屋は、
青と赤のネオボールという、ちょっと怪しい感じの照明だけにして、
作業をしました。
つまり、終始、普通の「光環境」ではない環境の中で作ったわけです。
これって、聴く人に、しっかり伝わるんですよね。
録音現場が、疲労感バリバリだったかそうでないかって。
で、その疲労感とか、緊張とか、
病的なまでの「こだわり」とか、その「集中力」が、いい、
という人も、たくさん、いるでしょうけど、
私は、はっきり言って、疲労の中で創られたものは、
その仕上がりが、どれほどに精密だったとしても、嫌いです。
(むろん、個人的な、「好き嫌い」の問題としてです)
●ここで、話が最初に戻りますが、
常に、毎日、耳が、ベストコンディションでいないと、
作れないので、とにかく、耳や身体を休めては録音ということを
繰り返したので、録音中は、なんとか、耳は平均的に
全部の音域をモニターできたのですが、
その後、異変が起きました。
マスタリングも終わって、ほっとしたせいで、
ついでに、と、CDRのコピーをとったり、ジャケットの挿入をしたり、
別の広告デザインしたり、と、勢いついでに「雑用」を
どんどん片付けていたのですが、
そうしたら、体が、みしみし、言いそうなぐらいに、
どっと疲れましてね・・
このように、ちょっと体の管理を油断しただけで、
もう耳はめちゃくちゃな状態になり、
今朝は、高音域が、全く識別できくなっていました。
軽く、鼓膜が、圧迫されて、ふさがっている感じですかね。
エレベーターの中の感覚みたいですが、あくびしても、直らない。
結局、睡眠をとって、やっと夜に回復しました。
すると、面白いことに(よくあることなんですが)、
1/高音域に対する聴覚の感度がきちんと戻ってくる、と同時に、
2/曲のテンポ・速度が、違って聞こえる。
とかいうのが、よくある現象です。
●ただし、どういう体調とか、身体の状態が、
音楽や音を聴くのに「よい」という定義は何もなく、
人間の体そのものが、毎日、一生、病気のようなものでそれが当たり前、
という視点から見れば、
そもそも、健康的な耳というのも、定義できないわけです。
しかし、用途をあえて限定して、いちおうの、
平均的な、共通性のある聞こえ方をする音を作らなければならない、
つまりは、不特定多数が聴く、売り物の音をつくらねばならないときには、
耳は、どこかの基準にいちおう、チューニングしないとならず、
そのための体調管理って、けっこう、大変なのです。
絵とかでも、光源の変化のせいもありますが、
翌日見ると、まるで違う色に見えることもありますからね。
そのために、皆さんもご周知の通り、アトリエはたいてい光が安定している
北側の部屋になっているわけですが。
ただし、絵画でいうと、
色盲の人が作った作品が面白いか、面白くないか、といった
問題もあるので、必ずしも、
正しい、基準となる五感というものは、ないと思っていいので、
そもそも、音楽論というものを、展開するときには、
受け手が聴くという行為の中にある、不安定な要素のこと・・・
つまり、人間の側の耳がとらえられる周波数の問題とか、
身体や精神状態で、音や音楽がどう聞こえ方が変わったり、
どう、テンポを錯覚したり(これは、体調や意識状態によって、
検出の密度が変化するせいかも)という知覚の事に、話が及ぶことに
なると思います。
そんなことを、ちょっと、思いました。
自分も、ただ聴く側にいるときには、あまり問題にならないんですが、
創る側で、しかも、他者が聴くということを念頭におくと、
ちょうど、文章というものがそうであるように、
どこかの表現基準に、チューニングしないとならない。
むろん、詩文とかを書くなら、
他者に伝わる意味なんか、どうにでも無視していいんですが、
解説的な伝達が必要となる文の中で、言葉を使う以上は、
文脈とか、共通性のある記憶を
引き出す言葉を使わないとならないように。
ただし、そういうもの、いいかげん、うっとおしいと思うことが
増えたので、次回は、自分の耳の感度がどうなろうが、
かまわずに、聞き手無視をやってしまおうか「とも」
どこかで、ひそかに、思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●
■それと、余談ですが、
最近のCDは、収録時間が80分近くあり、これは、
聞き流すようにでもしないと、
しっかりと、音に向かい合うように聴く時間としては
あまりにも長すぎる、という事を前にも書きました。
で、その「原因のひとつ」というのが、
実は、「ミキシング」にあります。
つまり歌謡曲にかぎらず、とにかくスタジオ録音されるような類の
ものは、疲労させる原因をもうひとつかかえています。
これがコンサートとか演奏ホールでの生の収録とか、
さらには、モノラルだと、かなり違ってきます。
つまり、時間的に長く聞いていると疲労するということ以外の
もうひとつの原因が、「ステレオサウンド」です。
●おおかたのミキシングは、左右に音をくっきりと振り分けます。
これは、各楽音がはっきりしますし、鮮やかになるからです。
残響とかのクオリティーもくっきりします。
また、遊び心から、パンする(左右に音を飛ばしたり移動する)ことも
多く、立体感の多いサウンドが世の中には蔓延しています。
で、問題は、このステレオの左右の振り分けなのですが、
これ、あんまり派手にやると、
結局は、リスナーの聴覚が、振り回される羽目になるのです。
あっちこっちの音の位置関係に注意が移動したりして、
これは聴くだけで、十分に脳が疲労するのです。
なにしろ、受動的に聞いているというより、
注意をあちこちに、引きずられてゆくわけですから。
特に、ヘッドホーンで聴く場合には、それが顕著になりますが、
オーディオシステムでも影響はあります。
●そこで、今回、「MOMENTO」では、80分通して聞いても
疲労しないための、目立たない工夫を施してあります。
それは、ステレオに分ける分離率をかなり減らしているのです。
多くの音を、中央付近に集めています。
これは再生するヘッドホーンの性質によっても
多少変わってしまいますが、それでも、分離率は少なめです。
これを派手に左右に振り分けると、音像は、美しく聞こえるのですが、
おそろしく耳が疲労するのです。
●ためしに、一般のCDとかをヘッドホーンで聴いてみると解ります。
普通、十種類前後のいろいろな音は、
左右にいろいろな比率で振り分けられてミキシングされます。
比較のために、全く同じ人間、つまり私が創った
アルバム「変形」の最初の「錬金術」という曲を
聴いてみるといいでしょう。
コンセプトが違いますので、
全く今回のアルバムとはミキシングが異なるのが
すぐに分かると思います。
「錬金術」の曲では、くっきりとディレイのかかった音などが
左右にほぼ完全に分離しています。
●しかし「momento」では、その比率をかなり少なくしてあります。
たとえば、トラック8の「転生」のような、
あのような極めて変化の少ない単調な曲は、
普通は、そのあまりの単調さを補うために、
音を全部、左右に、いろいろな比率に分離して、
くっきり感を出すものです。
しかしそれをしてしまうと、耳がとても疲れる音になります。
そこで、あの曲では7:3以上には、ステレオにしておらず、
そのために全部の音が、ほとんど中央に位置しています。
(通常は、10:0から8:2ぐらいのが、音の左右の分離を「はっきりと」
感じさせるのに必要なミキシング率になります。)
音を同じ位置で混ぜるという手法は、それが必要なことも多くありますが、
下手をすると、波形同士がぶつかって、音の濁りなどの弊害が
出る場合もあります。
トラック8には、たまたま、変な不協和音でぶつかる和音とかが
なかったために、なんとかなりました。
ということで、あまり派手な「左右の振り分けをしない」ということは、
長く聞いても疲れない音を作るためのひとつのコツです。
昔はモノラル録音の音もありましたし、
また、ある程度の遠距離から聞こえてくる自然音、騒音、いろいろな音
というのは、録音されたような人工的な立体感はなく、
ある意味、モノラルに少し近いものです。(至近距離の音は違いますが)
そういう点でも、録音機の中で人工的に創られるステレオサウンド
というのは、音楽的に目指すものの違いによって、
ミキシングには、かなり、気をつけないとなりません。
やたらに、派手にしたいなら、左右に分離すればいいですし、
私は大嫌いなのですが、俗に言う癒し系とかなら、
ややモノラル的な比率にすべきです。
左右のピッチが微妙に違うヘミシンク的録音は別としても。
しかもあれって、わざわざせっかくの「普通の楽音」を、
あんなふうにしてしまうと、
スピーカーから聴くと、低周波のモアレを起こして楽器音が濁って、
どことなく、音が「薄汚く」なるんですよね。
まー、もっとも、それは、
音楽として聴こうとした場合の話ですけどね。
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