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[3448]
■
「ニート」が簡単になくなる方法
by:
鈴木方山
2005/11/12(Sat)20:26:08
■ニート、ニートと、世間も、政府も、騒いでいるようですが、
私に言わせると、皆さん、「生き物としての基本的なこと」を
忘れているだけなんですよ。
ずっと以前から、口をすっぱくして言っていますが、
人類が誕生して以来、江戸時代の「まびき」などを除けば、
「人口管理」ということを、きちんとした形跡がありません。
宇宙という中にあって、曲りなりにも、
「文明」という事を名乗ろうとするならば、
最低限、人口管理というものが必要なのに、
「産めよ増やせよ」のカルト思想と、避妊のカルト的否定によって、
ろくに、人口のコントロールをしてこなかったこと。
そのツケのひとつが、ニートの問題であると、私は推測しています。
●現在日本では、35歳までのニートは、約65万人、
10年後には100万人になるとも言われていますが、
それ以上の年齢を含めれば、現在でも、人口はもっと多いはずです。
ところが、このニートの増加は、
ぴったりと、あるものの増加と「比例」します。
それは、「人口増加」です。
あと5年ぐらいで起きると予測されていた人口減少傾向が、
どうやら今年あたりからもう始っているらしい。
ということは、何を意味するかというと、
現在、日本の人口は、有史以来、最大であるということです。
●人口の増加というよりは、「人口密度」とニートは関係します。
こんな事を考えてみてください。
あなたが、人口100人の村で暮らしていたとします。
あるとき、その人口が5人に減ったことをイメージしてみてください。
何があなたの中で、なんとなく、変わりますか?
●次に、クラスに40人の生徒がいるとします。
ある日、その人数が5人になったとします。
あなたは、何を、そこに、感じますか?
それは、簡単なことです。
「楽になる」のです。
金魚鉢の中に、金魚がごまんと、ひしめき合っていたら、
個々の金魚が元気がなくなるのは当たり前のこと。
簡単にいってしまえば、この「金魚鉢理論」が人間の社会にも
「無意識下」で起きているということです。
●先ほどの話に戻りますが、
人口密度が多すぎる社会、組織、などでは、
人は、「自分の出番」を感じません。
何か仕事とか作業を頼まれるときにも、もしも人の多い職場ならば、
「おい【誰か】これを手伝ってくれ」という声がかかります。
つまり、それを手伝うのは、「誰でもいい」のです。
あなたは、別に、いても、いなくてもいいのですよ。
しかし、これが従業員が2人とか、3人とかの会社だったら、
「何何君、これ、頼むよ。」になります。
それは、「あなた」でなければならないのです。
つまり、人口密度が多いほどに、
あなたは、「自分などは、別に存在しなくていい」という事実を
肌で感じることになります。
これを人は、実は国家とか、または地球という、
全体の中で生きていても、「本能的に、肌で感じている」のですよ。
一方で、人口密度が少なければ、
これまた、なんとなく、あなたは、自主的に何かをしてみようか
という気になってくるのです。
●村のたとえで言いますと、人口100人だった村にいたあなたは、
毎日、憂鬱で、気力もなく、何もしたくなかったとします。
ところが、ある日、それが突然に、5人になったら、
あなたは、なんとなく、自分ひとりというものを、
妙に、大切に、または重く、感じてしまうのです。
あなたは、人口密度の高い中では、
自分の出番はないという無気力さを感じますが、
人口密度が低くなると、
なんとなく、「自分の出番かな??」、とも感じてしまうわけです。
100人いたときには、何もする気がなかったのに、
5人になったら、なんとなく、畑でも耕すか、という気になるわけです。
これが極端になったら、
ほとんど「漂流教室」の世界ですね(冗談ですが)
_____________________________
●ということで、実は、人間は、かなり「本能的な部分」で、
人口密度の高さの空気を感じて、その中で、
別に自分は、生きている必要ない、と思っている面があるのです。
その原因が、現在ピークに達した日本の人口増加、あるいは
人口密度の高さ、窮屈さ、自主的に何かしなくてもいいような感覚を
肌で感じている事に起因する可能性があるのです。
●従って、ニート問題を、どうこうしたければ、
政府も、少子化対策などと吼えずに、
このまま少し、「日本の総人口を減らすこと」です。
避妊も保険適応にすること。(今は全く逆ですが)
これは、年金問題とはバッティングしてしまいますが、
別に、何も「税収とか、年金の財源のために」、人はこの世に生まれてきたり、
作為的に、政府によって、人口が増やされたりするべきではありませんから。
●この私の言う「金魚鉢」が、わかりにくかったら、
とにかく、イメージしてみればいいんですよ。
人の数が多い中にいる「あなた」という存在の、その「軽さ」と、
人の数が少ない中にいた場合に、
あなたの中に起きるその「重さの変化」。
しかも、それは他人から、
「あんたは必要なんだ」とか、「白々しいこと」を、いわれるのとは、
全く違い、「自主的に」自分自身の「感覚の中に」変化が出るはずです。
●なぜならば、我々とて、「動物という生き物」なのですから、
生存する場が、広くなれば、そこにいる個体も、
なぜか、理由もなしに、自然に、のびのびとしてくるのですよ。
他人に、何かしろと言われなくても、
ごく自然に、やるようになるのですよ。
それまで、ヒレすらも、ろくに動かせなかった金魚も、
ごくごく自然に、体を、伸ばし始めるのですよ。
●力とか、数の力の論理で物事を考える社会は、独裁国家だろうが、
民主主義だろうが、必ず、衰退し、消滅します。
軍隊も、経済戦争も、数の論理は必ず愚かな政府を作り出します。
選挙制とか、民主制の一番よくないのは、数=力という妄想、そして
「多数決」によって成立しているような「仮の正しさ」という「錯覚」です。
だから、個が、「自主的に動きたくなるような環境」を整備するには、
まずは、このまま、少子化を進めてゆき、
日本の「人口密度を減らすこと」です。
________________________________
●本当のことを言うと、この人口密度の問題はもう少し、複雑ですが、
ここでは書きません。
たとえば、人口密度が高くても、気力とか活気が減衰しない方法があって、
それは、その都市や村が、年中、雑多なものが入れ変わっている場合です。
つまり、通気がいい町や都市は、まだ「中和作用」があります。
逆に、いちばんよくないのが、画一化された設計の住宅街とかです。
また、同じ職種ばかりが集中するような町です。
同じものが、多くいる、ということが、
人が、自分個人の存在意味を希薄に感じる結果となり、
無気力になる原因のひとつでもあるからです。
_______________________________
昔の家族では、7人兄弟とかが当たり前で、
ある意味、「家庭内の人口密度」は高かったものです。
しかし、今よりも、よほど「のびのび」していたのは、
それはむろん、社会全体としての人口密度が低かったことも理由ですが、
もうひとつの理由は、
その家庭内には、画一化した教育方針やら、受験なんていうものがなく、
子供も雑多で、バラバラな性格の者が、
「のびのびと、ひしめき合っていた」からなのである。
長男は、大学へ行く、でも次男は職人になる、三男は、ヤクザにやって
四男は、商人になる。そんな家族だったのである。
今のように、長男が有名大学に入ったから、次男もそれに続けと
強要されるような愚かなことは、ほとんど、なかったのである。
______________________________
■ここでひとつ、どこからでも出そうな、
ありきたりの素朴な疑問に答えておきます。
では、現時点のこの人口密度において、ニートとなっている者と
そうでない者を、分けているものは何であるのか?です。
単純に言ってしまえば、志向性とか目的がまだはっきりとしている人たちは、
「ニート予備軍」ではあっても、またなんとか、かろうじて、
生きる理由づけが、持ちそうな人たちです。
家族のためとか、何のためという理由で突っ張って生きてゆく事が、
少しだけ、まだ「長持ち」する人たちです。
●で、面白いことに、ニートとそうでない人を比較すると、
ニートの人というのは、その外見の無気力には反して、
意外にも、「自尊心」が高かったりするのですよ。
(私が観察したところ、ほとんどのケースがそうでした)
しかし、それは、当然のことで、
何も、「自分個人に対する自尊心」がなければ、
集団の中で、なーなーに、つるんで麻痺していられますが、
個の自尊心があるほどに、「自分という個体は、生存意味があるのか?」
という疑問が、潜在的にあるために、
そのせいで、プライドのある人の方が、ニートになりやすい傾向があります。
一方で、たいしてプライドのない人は、
その人の意志とか「気力の消費期限」がやって来るまでは、
なんとか、かんとか、自尊心もなくても、とりあえずは、
経済活動の歯車になり、または娯楽に身を投じて、
うまく、「周囲に、流されて生きてゆくこと」になります。
ただし、これは、「どちらが、いいとか悪い」、とかの問題ではなく、
「傾向」として、そういうことがあるという事です。
●いずれにしても、ニートを社会問題として捉える者や機関が
あるとしたら、それは、人口密度、ないしは人口増加の管理、
という社会問題として、解決の糸口を探した方が、利口だということです。
そうしないと、全く無駄な政策を作り上げてしまい、
そのための予算を、カウンセラーやら、施設建設やら、
人件費に投じることになりますよ。
そんなことを、しなくても、
ただ、人口が少し減るのを「待っていれば、いいのですから」。
________________________________
あとは、雇用問題を解決するには、
人件費が安いからと、大手企業は、海外にばかり発注などしないで、
生産の基本である「国内生産」「自給生産」に戻ることです。
そしてこれまた人件費が安くて済むからという理由では、外国人就労者
を雇用しないことです。
人口が減れば、自然に、雇用問題は少しずつ解決されます。
人が余っていた時代は緩和されて、企業側が人を必要とする周期へと
入れ替わりますから。
むろん、ただ人が減っただけでは困りもので、
「人材の質」というのは、企業サイドも維持したいでしょうが、
あまり、そればかりを言って、肝心の人口増加を放置しておくと、
結局は、国内の治安とか経済も悪化するのは目に見えていますから。
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