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◆人間の「リアリティー」は造られている、または選択されているという明々白々な事実。
by:
鈴木方山
2005/12/15(Thu)11:15:27
また、ここで「竹の間」のテーマに戻って、
最近、いろいろと感じていることを、(まとまりはないですが)、
書き連ねてみます。
◆結論から言いますと、少子化も、ニートも、うつ病も、ひきこもりも、
人間が、少しは、「正気」に戻る「プロセスのひとつ」と私は見ています。
ただし、こうしたものが、社会的な全体の現象として進行すると、
その進行速度はおそろしく「緩慢」で、時間がかかるものになります。
一個人の中であれば、数年でカタがつきますが。
楽観視できない現実的な問題は、いろいろとあるものの、
50年とか、100年というスパンで人間や社会の変化を区分けすると、
現在の人間の意識の中で、この物事がはっきりとしない有様は、
動きとしては、そう悪くはない性質のものです。
●では、それは「何と比較して」、「悪くないか」といいますと、
人々が、安易に、「未来の夢」とか「希望」とか、
「画一化された生の意味とか価値観」など、
こういったものの人間に対する締め付けが緩んでいるからです。
自分の未来に全く希望を持てないということは、
他人が過去に敷いたような既成のレールには乗れないという意味では、
大変に喜ばしいことでもあります。
漠然と世間でまかりとおっている、希望とか生の目的というのは、
しょせんは、それらは、自分で作り出したものではなく、
社会的な洗脳の結果のひとつですから。
______________________________
◆さて、JRの脱線事故にしても、今回の耐震強度の偽造にしても、
グローバルにひとくくりに説明しようとするコメンテーターは、
一様に口を揃えて、「利益とスピードを追求して安全を無視した」とか
言っていますけど、それは何も今に始ったことではなく、
戦後、ずっとそうだったわけです。
利益追求というのが、
0→+、または+からより大きな+という動きとすると、
−→0、これは赤字を減らそうとする事ですね。
しかし、このどちらも、→は物事を「増加」させることに目的があります。
ゆとりだとか、スローライフとか言葉ばかりがレッテル張りされるだけで、
どうして、この「逆のマイナスへ向かうベクトル」を、
バランスよく取り込まないのかというところが問題なのですよ。
つまりローリスクハイリターンといいますが、そもそもリターンとは何なのか
ということが全くわかっていない人が多くの商売をやっているわけですね。
これからは、とにかく、「減らす」ということしないともう駄目ですよ。
利益追求とか、赤字減らしどころの騒ぎではなく、
経済とか、出産人口とか、全体にすべての動きそれ自体を減速するとか
消費や人口や生産を計画的に減らすとかしないと。
ローリスク・ローリターンの中に、小さな幸せを発見するか、
それとも、ハイリスク・ハイリターンという、
物事のごく当たり前の構造の中にダイナミックに生きるか、
このどちらかが、物事の筋としては、「当たり前」なわけでして、
ローリスク・ハイリターンなんてのは、ただの幻想なんですから。
物資を消費者と産地とが、産直にして
「無駄な中間手数料をなくす」のはいいとしても、
建築資材とか食品原料とかの「基礎」の部分で、手抜きなどして、
どーするねん?ですよ。
_______________________________
●それと、世の中には、体調不良を、
関係もない他人様にまで言う人がよくいますが、
体調がおかしいと思う人がいたら、
薬を飲んだり、余計な医学的知識なんか仕入れずに、
また「体にいい食事」なんぞに、軽率に飛びつかずに、
やることは、2つだけです。
1/「睡眠」を膨大に取れ。
(完治するまでは、一日必ず「9時間以上」眠っていろ)
2/食欲がないなら、
それは「食うな」という体の命令なのだから「食うな!」
つまり、食事量を通常の半分近くにするか、
(どんなに最低でもいつもの3分の2の量)まで「減食」しろ、
ということ。
動物たちはですね、お馬鹿な人間とは違って、
皆、基本的には、そうやって、じっとおとなしく横になって、
治ってゆくんですよ。
たとえ、人工的な原因で引き起こされた体調不良であっても、
それを最良に効率よく直したり、または予防できるのは、
原則として、まずは、消化器官への負担を減らすために、
少量だけ食って、あとは、横になって「じっと休息している事」です。
むろんそれで何かもかもが治るわけではありませんが、
この「生き物の最も基本となる原則」を、一生無視したような生活態度でいたら、
どんなに見かけだけ、自然でエコロジカルな生活をしていても、
どんなに有機栽培された食物や、健康にいいと言われるものを
体内に入れたところで、何ひとつも、ロクなことになりません。
体そのものの方が、人間の頭で考えた健康志向などよりも、
はるかに「利口」なんですから。
自分の体が毎日出している、いろいろな命令との対話も
全く出来なくなってしまった人たちが、
どんなものに頼っても、無駄な事ですよ。
体に入れるものを、たとえどんなに良いものにしても、
人間の身体は、意識で作動しているのですから。
また取り込んだものをどう処理できるかも、本人の身体性能に
かかっているのですから。
酒もタバコもやり、食品添加物バリバリの食い物を、ほとんど一生食っていても、
生前には、何ひとつも大病もすることなく、
最後に、ぽっくりと、「全く苦しまずに楽に死んだ人たち」を、
私は、沢山知っていますから。
むろん高齢者の人がほとんどですが、中年の人もいました。
いずれにしても、ダラダラと、人生を無意味に、惰性で、
ただ、重いものを引きずるように、
しかも、しょっちゅう健康に気など使って生きるよりも、
太く短くても、やりたい事を存分にして、最後を楽に死ぬ方が、
それを生きる本人にとっても、周囲の人のとっても、幸せですから。
ただ、その人たちには、たったひとつ共通していることがあります。
それは、日頃から、
「他の何を差し置いても、睡眠だけは、しっかり取っていた。
決して、無理をしない。
そしてストレスが少なかった」、ということです。
>______________________________
◆で、本題の話は、こういう話をしたかったのではなくて、
竹の間のテーマである、人間の意識についてなのですが、
EO師は、こんなことをよく言っていましたね。
>>我々が「他人と共有していると思い込んでいる現実」などというものは、
>>「今日はいい天気ですね」とか「今日は寒いですね」「今日は暑いですね」、と、
>>「その程度の共有現実」でしかない。
>>個々の人間中には、まるっきり他人の理解の及ばない
>>現実世界がそれぞれに展開している。
>>我々は厳密に言えば、ただのひとつも同じ現実など共有していない。
>>にもかかわらず、よくも会話が成立しているものだ」
◆私たちに他者と共有していると思いこんでいるリアリティーなどというものは、
「環境の気候」とか、「仕事上の共通概念」程度のものです。
あとは、ごくごく、俗っぽい、自動的で反射的な感情反応とか、法律規制とか、
せいぜいが、ようするに、日常会話のネタになる程度の話題での
微々たる共通性しかありません。
しかし、たとえば、同じ一家の中にいる二人の人間でさえも、
旦那さんには8時間を超える会社での現実世界があり、
奥さんは、家での約16時間の現実世界があり、そもそもそのふたつの現実の間には
双方ともに、全く理解の及ばないリアリティーがあるわけです。
それゆえに、夫婦の不和とか離婚がいとも簡単に起きるわけですね。
●我々は、他者と何かを共有しているという幻想、
または、他者と同じ感覚を共有したいという「浅はかな動機」を、
そろそろ完全に捨てることも必要であるということです。
◆今、世界中にどんな人がいるか、少し想像するだけで、いかに、
あなたの思っている現実とは違うかがわかるはずです。
どの現実と感じる世界が正しいかの問題ではなく、個々にいかに
現実には差があるかということです。そして、その現実を作り出して知覚している原因は、
「本人の脳内思考」と「リアルタイムの五感情報」以外には、何もありません。
ためしに、皆さんも静かに座って、自分の「脳内環境」がどういうことになっているか
調べてみるといいです。
皆さんの言うところの「現実の世界」なるものを作っているのは、
簡単に言えば、皆さんの「頭の中を70%以上占めている、いつもしている考え」であるといえます。
◆しかしこのそれぞれの人が、朝目が覚めた直後から、眠るまでに思考し
考えることの「個人差」というものは、まったくと言っていいほど、
「他者とは別世界の現実」を作り上げているのです。
どんなに近いところにいる人や、恋人や、信頼している人とてその差に違いはありません。
>_______________________________
◆そこで、自分の頭の中を、常に毎日、同じような思考が占領している
ということを直視してみるといいです。
その人の人格を形成しているものというのは、その人の頭の中を
毎日、おおよそ70%を占めるような、いつも同じような内容で構成されています。
◆ところが、その内容というのは、ちょっと想像しただけで、
世界中にいま存在している、ほとんど全員が、
今、この瞬間の1秒の間にも、厳密には全く違う現実の中に住んでいるのです。
ちょっと、今、または今日という日の中に、
あなた以外に存在している、いろいろな人のことを想像してみればいいです。
↓次のように・・・
>_______________________________
ある人は、今まさに、誰かに殺されようとしているのが、
「その人の思っている現実の、大半を占める現実」です。
ある人は、今まさに、誰かを殺そうとしているというのが、その人の現実です。
ある人は、今まさに、自分が死にそうになっているというが、その人の現実です。
ある人は、今まさに、自分の家族が死にそうになっているというのが、その人の現実です。
ある人は、今まさに、寒さの極限の中にいるというのがその人の現実の大半で、
ある人は、今まさに、暑さの極限の中にいるというのがその人の現実の大半です。
ある人は、今、裁判中で被告であるのがその人の現実の大半です。
ある人は、今、裁判中で原告であるのがその人の現実の大半を占めています。
ある人は、今、セックスの最中であることがその人の現実の大半です。
ある人は、今、出産の最中であることがその人の現実の大半です。
ある人は、今、自殺の直前にいるというのがその人の現実の大半です。
ある人は、今、誰かと口論しているというのがその人の現実の大半です。
ある人は、今、今夜のおかずに何を買おうか悩んでいるのがその人の現実の大半です。
ある人は、今、まさに、世紀の発見に至るかもしれないという興奮の中にいるのが
その人の現実の大半です。
ある人は、今、コンサートで演奏をしているという現実がその人の現実です。
ある人は、今、戦争で人を殺しているというのがその人の現実です。
ある人は、今、家族が暴力をふるっているというのがその人の現実の大半を占めており、
ある人は、今、仕事がうまくいかないことがその人の現実の大半をしめており、
ある人は、今、車を運転していることが、その人の現実の大半をしめており、
ある人は、今、航空機のパイロットとして操縦していることがその人の現実であり、
ある人は、今、コンビニで、嫌な客にからまれている事がその人の現実であり、
ある人は、今、自分の友達が、土に埋葬されるのを見ている事がその人の現実であり、
ある人は、今、自分の家族が、火葬されるのを見るのがその人の現実であり、
ある人は、今、違法行為がばれるのではないかと心配しているのがその人の現実であり、
ある人は、今、誰かとか何かに追われているのがその人の現実の大半を占めており、
ある人は、今、誰かや何かを追っているのが、その人の現実の大半であり、
ある人は、今、氷上の上で4回転できるかどうかがその人の現実のすべてであり、
ある人は、今、球技の最中で、打たれたボールを自分が弾き返せるか否かが、
その人の現実のすべてであり、
ある人は、今、何もせずに、くつろいでいるのがその人の現実の大半であり、
ある人は、今、酔ってしまっているのが、その人の現実の大半であり、
ある人は、今、自分がこれからどう死ぬまでの人生を生きて死ぬのかを
深く考えているのが、その人の現実の大半であり、
ある人は、今、この瞬間に、自分の肉体が既に死んでいるという場面を見ているのが
その人の現実のすべてです。
>>_______________________________
あなたのごく隣人、今隣にいる人間でさえも、
いかにも、同じ気候、同じ職場で仕事をし、同じ家庭で、同じテレビを見ていても、
そこで共有されている、共通の現実などというものは、
現実のほんの「数パーセント」でしかなく、
実のところ、全く共有も出来ていない、その人それぞれの「脳内思考」の方が
その人固有の「現実世界」の70%以上を作り上げているわけです。
◆原則として、あなたは朝、目が覚めて、起きたその瞬間から、
あなたは、この世界に、たったの独りの意識であり、
そのたった独りが見ている世界が開始されるということです。
あなたはその自分一人が観察し、
見て、思考することで作り上げている「現実」という感覚に対する
管理義務があります。
また、管理義務だけではなく、その現実の中から、
どの感覚や思考の断片だけを選択するか
という「ある程度の自由」もあります。
現実というものは、変えられるとか変えられないという以前に、
それは、リアルタイムの5感以外のものに関しては、
完全に、あなたが(意識的にせよ、無自覚にせよ)
「人工的に作り出した現実」であるにすぎません。
◆人間は、どんなに自分が好きなペットや動物と接したところで、
動物たちと同じ感覚などは、ただのひとつも共有していないのは当然として、
それ以前に、人間同士でさえも、脳の数だけ、違う現実世界があるということ。
この明白な事実を、全く洞察も出来ていない人というのが、
私に言わせれば、「自分の現実すらも自己管理していない人」=「内省的でない人たち」です。
◆内省というのは、何も具体的な先入観をもってして、
自分のことをどうこう変えることを意味するのではなく、
それ以前の問題として、自分の「脳内地図」がどうなっているのかを
自分で知るということです。
「脳内散歩地図」と私は言うのですが、「脳内散歩地図」というのは、
あなたが、毎日、習慣的に行く、思考のファイルの地図のことです。
ちょうど、あなたの生活範囲には、
いつもいく仕事上やその他の散歩コースというものがあり、
それによってあなたが「現実感」を持つ現実が人工的に選択されています。
あなたが、いつも、「よくいく、脳内の場所」というのは、
あなたが「よく使う記憶とか思考内容という土地」のようなものです。
●だから、今一度、何もせずに座って、自分の頭は、
毎日毎日、自分が、どういう考えを、どうどうめぐりさせることで、
自分固有の「現実」を作り上げているのか、
その設計図を見てみるといいのです。
あなたの「現実」だと思っている世界を作り上げている脳内の思考の「癖」を、
いつも、必ず毎日してしまう考え、思考、感情。
これを完全に、「その種類に関係なく」、
「どれが優先されるべき重要な考えであるかに関係なく」、
ひとつのこらず、観察している自分からは切り離すという作業を、
何百回と繰り返さないかぎりは、
決して、人間は、現実感覚を自分の好きなように作り変えるとか、
現実という素材の中から、特定のものだけを選択するという自由を得ることは
出来ませんし、
いわんや、その現実と意識を、一時的に切り離してしまって、
完全に自由な静寂を意識の中に作り出すということも、不可能ですから。
________________________________
●毎日、毎日、当たり前にそこにあるのだ思い込んでいる、あなたの現実なるものは、
毎日、毎日の、あなたに「繰り返される五感情報」が約3割、
残りの約7割は、
あなたの脳内で、「思考をすることで、勝手に作られている」、
極めて、人工的で、他者との共通性のない「現実」であるということです。
●自分がどんな「現実などと呼ばれるような世界」を、
自分の手によって作り上げているのか、を直視すれば、
そのほとんどすべては、外部に主原因があるのではなく、
あなたの「思考内容の癖」だけに由来するのですよ。
天候とか環境とか、身体の感覚やその異変などといったものは、
ほとんど二次的、三次的なものにすぎません。
◆あなたは、現実という、この世界の中に住んでいたり、
それに拘束されているわけではなく、
現実という世界の中から、意識というのは、
それが知覚する現実の種類を選べるということであり、
また限実という世界は、個々の人間がそのほとんどの側面を、
「人工的に捏造(または創作)している」ということです。
◆だから、休日になったら、
現実世界の中に、遊ぶために、自分から飛び込んでゆくのではなく、
たまには、自分の毎日のこの現実とは、何であり、
どのような自分の創作物であるか、ということを、
深く、見つめることが必要であるということです。
◆間違っても、どんな親しい隣人に対しても、
同じ現実を共有している、同じものを見ているなどとは、
夢にも思わないことです。
我々がかろうじて共有できるのは、
五感のある程度の共通情報と、
共通性のあるごく一部の思考内容にすぎません。
(浅はかに共有できる程度のゴシップネタやら、共通的に理解できて、
笑えるギャグがある、という程度の事です。)
それ以外の大半を占めている、
あなたが自分の見ている「リアリティー」と感じる
その「生きている感覚」や、
「その感覚の濃度」や、
「感覚の明晰さ」には個人で「相当の違い」があり、
現実の感覚から「連想して考える内容」に至っては、
これは、もう、ほとんど他者同士で共有することは不可能な、
「別の現実世界である」ということをふまえて、
◆他人のことや、他人にコビたり、他人と何かを共有などしようとせず、
今日も明日も、自分が主観的に見ている、
「自分に固有の現実世界の管理」だけに集中して生きることです。
◆でも、こういうことというのは、
あなたが、現実という幻想に、追い掛け回されていない時間とか
機会とか、空間に、身を置かないと出来ないのですよ。
朝から子供が泣いている。朝から、仕事に追われている、
朝から、こうした、
あたかも、はっきりとしているかのように見えてしまう現実に
追われて、押しつぶされている状態、
そのままでは、実は実相は逆であり、
本当は、あなたの方が現実を作っている、などという事実の側面は
何も見えてきません。
●だから、せめて夜、一日が終わったら、
「現実を作っているのは、自分である」という主導権を取り戻すために、
自分の現実を造っている思考のすべてを、例外なく、
観測点の意識からは切り離してみて、
まだ何も現実の始らないような、
自分の意識存在だけの中に、ふみ留まってみることです。
こうした「現実は人工的なものであるという実感」のための作業を、
とことん自分に対してやったあとでしか、
その先の領域には、人は踏み込めないものなのですから。
その先の領域というのは、
「悟りなき悟り」の書籍に書いたとおりです。
>>______________________________
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