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自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
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[3505]
■
■魂の自殺
by:
崩残
2006/03/31(Fri)04:03:46
■無明庵サイトが1997年に開設された当時、
基本的なトライアングルは、
悟りの問題、自殺の問題、セックスの問題でした。
今では、これに、いろいろと、
雑話や、自然葬や、手裏剣や、猫の写真集など
他の要素も増えましたが、基本はあくまでも、初期の3要素です。
■セックスの問題というのは、いわば、最低限人間として
当たり前に消化して、それに対する関心を失うまでに
身体を完璧に調整して、身体の言い分や不満が、思考や感情に
干渉しないようにするための重要な課題です。
これは、「やって当たり前」のこと、
もしも、セックスの問題に決着をつけなければ、
精神面の修業をする資格もなし、ということです。
■一方で、自殺の問題は、非常に微妙なところで、悟りの問題と
円周の一部が重なります。
というのも、「死」という要素ぬきには、悟りの構造性を語ることなど
不可能と言ってもいいからです。
無明庵の結論というのは、今も昔も変わりなく、こういうことです。
↓
人は、1人の人間として、徹底的に、自分がなぜ、
何のために生きているかを問い、
ひとつの答えがそこにあるならば、それをもさらに、
「それは何のためか」
「自分が死なない理由として効力や整合性を持つのか」
を突き詰めろということ。
だらだら、日々を生きるのではなく、
目的がない生など否定しろということ。
修業だとか言っても、
いつまでもろくな明確な結果も出ないものをだらだらやらないこと。
そもそも、何をどうしたくて、
修業したり、日々を死なずに生きているのか「自問」して、
自分が生きていていいのか、死んだほうがいいのか、
毎日でも、考え続けろということ。
その「重大な問題」に何の答えもなく生きる続けることには、
そこに、どんな借り物の言葉や、経典やら宗教で穴埋めをして
納得して、生きても「何の意味もない」のであるから。
■極論すれば、否、まったく極論などではなく、
人は、死にたくなってよい。
人は、死ぬことを考えてよい。
人は、自殺したい気持を100%まで高めてもよい。
ただし、そのようにしてどうしても自殺したくなっても、
たったひとつ、してはならないことがある。
それは、肉体の自殺そのもの。
自殺に憧れ、自殺に救いを求め、自殺しか自分を終わらせるものがない
という結論の中で、もがき続けるのは、私に言わせれば、
人として、この上もなく、神聖な行為である。
ただし、それでも自殺しないこと。
酒は決して飲まないこと、薬は決して飲まないこと。
そうしたら、その者は、死にたくても死ねないのであるから、
あとは、苦しみそれ自体に心が殺されてしまうか、狂うしかない。
そうした結果、起きる可能性は、2つしかない。
ひとつ、それは、精神の異常化。
もうひとつ、それは精神の正常化
________________________________
何も準備をされなかった、絶望と虚無と自殺願望は、
もしも、そのまま自殺を保留し続ければ、
最後にいたるのは、精神の異常だけだろう。
万に一つは、その「反動で」、
「苦痛」がなくなるように思える瞬間がやってくるかもしれないが、
それは、「特定の苦痛」がなくなっただけであり、
「苦しんでいる原因となる本人」は消えないまま、
次の別の苦痛をいずれ拾いこむことになる。
■だが、これが、「十全にすべてが準備をされた上」での、
絶望と自殺寸前の人の状態となると、
そこで起きることは全く異なってくる。
ある時を境にして、「苦しみが消えるのではなく」
「苦しみの原因そのものである自分、
あるいは主体」が消えるのである。
■だから、軽薄な事を口にしては、
自分の存在に価値があると思い込んで、
この世界に対して、余計なことを言い続けたり、
やり続けるような者になるぐらいならば、
自分の「全くの無価値性」にきちんと直面して、
黙して、日々、毎日、自殺したい気持に潰される方が遥かに
「健全」な人間である。
死にたくなるのはよい。
本気で死を毎日思うのも良い。
徹底的に、自分を嫌いになるのも良い。
世界など消えてしまえ、あるいは自分など消えてしまえと
苦痛の中で、もがくのも良い。
それ自体には、全く悪いことは何ひとつない。
私に言わせれば、動物とは異なる、人というものの真価は、
自殺するか否かを「重大な自分の問題である」と考えられる点にある。
すなわち、自殺を考えたり、自殺に何かを求める心理があること、
それが、私にとっては、この宇宙における「知的生物」の定義であり、
「知性がある」ということの資格だ。
何かにつけては、世の中や人を改良しようとする事など、
ただの馬鹿者のやることだ。
■しかし、どれだけ自殺したいと思っても、
その願望と望みはそこに永久に放置されて、死ぬことが出来ない。
こうした状況において、それでも死ななかった「耐久性のある者」に、
一体何が起き得るかのヒントとなるものは、
ここの隣にある「松の間掲示板」に書いた「刀」の話にある。
斬れる刀剣から刃を落として、
本来の斬るという物理的な目的を果たせないようにしてしまうと、
その分の圧縮されて行き場のなくなったエネルギーは、
「別の次元に転送されて」しまう。
これと同じことが、自殺においても起きるわけである。
■死にたい、もう消えたいという強烈な願望だけがあり、
しかし、身体においては、それが成就されないために、
その願望には行き場がなくなり、別の次元での自殺が起きる。
その別の次元での自殺とは、すなわち、魂の自殺である。
身体が死ねないのであれば、
消滅願望は、別の層に「転写」されざるを得ない。
そうした転送の結果、身体は死ななかったが、意識の中、
あるいは、別の霊的身体に崩壊が起きることになる。
その結果、「十全に準備された身体と脳」を持つ人が、
もしも、全世界への完全なる絶望と、死にたいという思考の連鎖の中で
死ぬことが身体では実現できないままに、
長期的に、虚無感で「圧縮」されるならば、
ある臨界点を超えた瞬間には、
それは、全く想像もしなかった、想像も出来ない意識の地点を
本人の中に発生することになる。
■だからこそ、死、あるいは自殺したい心理というものは、
悟りの問題と不可分ではあり得ないのである。
また、そこまで追い詰められたことのない、
ぼんぼんの、平和的なポジティヴ瞑想や、
ただのカルト教団のような「苦行ごっこ・修業ごっこ」、
ただの闇への憧れ、ただの頭頂留意、ただの死人禅、
くだらない自分や地球の未来など想定した、憧れや、
禅でいうところの無心程度のことや、
ただの自己改善意欲、ただの、「悟らなくてもいい座禅」などでは、
いいかげんで、いつまでも怠惰な、自己陶酔と自己満足の壁を、
完璧なまでに、ぶち抜く事など不可能なのである。
■身体の調整の完了には、セックスの十全な経験は必要不可欠である。
なぜならば、それを通じて、はじめて、
オス・メスではなく、「人」になるのであるから。
■そして、自分が存在している意味を疑うということを通じて、
自殺の選択にまで追い込まれるという事が、
自分の問題として明確に、切迫して発生した瞬間に、
はじめて、ただの人ではなく「知性ある人」になるのである。
知性というものが出す極限の結論または、作品とは、自殺願望である。
むろん、それは、単なる現実の特定の苦しさからの現実逃避ではなく、
哲学的な次元での
「自分や世界はなぜ、何のために存在するのか」
この、「問いの結果の自殺願望」であるならば、
という「限定的な意味において」であるが。
■宇宙や意識の変化や進化、その分裂と統合が、
どこかへ向かって、何の目的を持っていようが、
「そんな程度の説明」が、
あなたを楽にしたり、
あなたに生きる気力や
あなたが瞑想ごっこや座禅ごっこをさせたりして、
あなたが、明日も死なないで、だらだら生きるための動機を、
あなたに与えているとしたら、
あなたの知性は、とても、とても、
不完全なものであると言わざるを得ない。
そして、「不完全な知性の状態」では、
人は、知性を超えることなど出来ないのである。
すなわち、本気で、自殺したいほどに苦しめないなら、
そんな、ただのボケた「鈍感人間」と「無知性人間」には、
悟りなど求める資格などは、全くないと断言できる。
その場合には、あきらめて、
結論と結果の出ない生に対する嫌気が、限界になるまで、
「半端なままで」ずっと、生き続けることである。
■
________________________________
●余談だが、もしも人類の科学者が、これを創り出せたら、
それは、神の領域に並んだか、限りなく近づいた事になると、
私が断言できるものがある。
ひとつ、
それは、「複雑な冗談」を理解して、「笑う」人工頭脳である。
これが作れれば、その領域に、半歩だけ近づいたことになる。
そして、もうひとつ。
これが出来たら、本格的に神の領域に踏み込むことになる。
それは、
造り手の主人に命令されたからではなく、
自主的に、自分の存在意味を、絶えず思考し続けて、
絶望して、自殺する人工頭脳である。
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