▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
▲竹の間へようこそ▲
掲示板
Title
島流しリンク
自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
性と死のホームページ
★
「竹の間自薦投稿集」
★
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[3545]
■
その人自身が幸福でないなら、何も始らない。
by:
崩残
2006/06/23(Fri)05:06:43
セックスについて、少し加筆しておきますと、
何か大きな勘違いをしている人が多すぎます。
恋愛でもセックスでも、人間というのは、自分に何かが欠けた
不足感を、相手の中に求めてしまいます。
そのせいで、恋愛をすれば幸せになれるとか、
セックスをし放題すれば、幸せになれるとか、
結婚をしてずっと一緒にいれば幸せになれるとか、
そのような妄想を持ってしまいます。
しかし、そもそも、自分自体が、幸せでもない人間が、
どうして、相手にとって良いセックスなど出来るでしょうか?
自分の性的不満や精神的な欠落感を、相手によって補おうとする
そんな行為は、相手に対しても失礼なだけです。
だから、セックスを基本ぐらいは片付けろと私は言いますが、
もっと言えば、その前に、あなた自身が、1人っきりでいても、
充分に幸せな状態でなかったら、話しにならないのです。
何かが欠けた者、半端者同士が、ひとつになったところで、
一人前でしかありません。
二人とも、そもそも、自分自身が幸せであることの上で、
その上でなされるセックスならば、そのセックスは申し分ありません。
だから、まず自分の幸福を追及することです。
パートナーとは、その自分の満たされた幸福を、
分かち合って、共に楽しんでくれる人のことなのですから。
足りないものを補う二人であっては完全ではありません。
ふたつの幸福がそこで共鳴して何倍にもなるのが、本当のセックスです。
>恋愛や結婚やセックスをして、幸福になろうとするのではなく、
>自分が幸福だから、相手とセックスをしてその幸福を共に分かち合う。
物事は、この順番でなくてはなりません。
しかし、それでも、もしも、自分が一人前に幸福になる前に、
恋愛をすることが必要な人がいたとしたら(そういう人は沢山いるのですが)
それは、その恋愛は、楽しむよりも、むしろ苦しむためにするのであり、
それを通じて、まず自分自身の「ひとりっきりで満たされる幸福」を
見つけるための「ひとつのプロセス」だと思うことです。
まずは、自分が幸福になること。それはつまり、安心で満たされるということですが、
その上で言う、本当の幸せなセックスというのは、
「1人っきりでも幸せな者」が二人でそこで出会うことです。
二人のうちの、片方だけが幸せなのではなく。
「幸せ同士」が、そこで出会うということです。
>1■最悪なのは「ふたつの不幸」が出会うことである。
>ふたつの不幸が出会ったところで、どう補い合っても幸福になり得ない。
>2■なんとかなるかもしれないのは、
>ひとりが幸福で、もう1人が不幸、このふたつ出会うことである。
>この場合には、幸福な側のことを、不幸な側がどう学ぶかに、全てはかかっている。
>3■最良な出会いとは、「ふたつの幸福」が出会うことである。
____________________________________________________________
ようするに、自分自身が、幸福でもない人間が、
他人に関わったら、ろくなことにならないのですよ。
その人に、セックスの相手がいなかったり、恋愛の相手がいない場合
その最大の原因は、本人が幸福でないという事につきます。
私の経験上からも、自分が幸福だったり安心に満ちていない
そんな状態で女性を抱いたことはただの一度もありません。
そんな失礼なことは絶対に私は自分に許さないからです。
体調も精神も、万全な状態でしかセックスをしませんでした。
恋愛もそうです。
自分の中にある欠落感を埋めるための恋愛は、必ず不幸を生み出します。
誰も、他人の不幸なんかに興味ないのですよ。
誰も不幸な人間など相手にしたくもありません。
もしもそれでも、他人の不幸に興味があり、
それに口を突っ込むような不健全な人間がいたとしたら、
そういう人は、他人の不幸を、自分のオレオレ主義の餌食にしているだけです。
自分が幸福でもないのに、格好をつけて、
偉ぶっては、不幸な人の世話をしようと愚行をしたり、
また、逆に、自分が幸福でないので、
他者や異性との関係の中で得られるかもしれないと、
幸福を「期待する」妄想。
そんなことをしていないで、自分が不幸で、幸福でないなら、
迷惑をかけないためにも、一生、異性など付き合わない、と、
そのぐらいに、自分に対して厳しくなくてはいけません。
私は若いころから、ずっとそうしてきました。
自分の方が、自分で自分によしと言えるのであれば、
そういう状態であるならば、
異性もセックスの相手も、何かに、つまらん神頼みなどしなくとも、
その幸せ感に、ひきつけられて、相手の方から、いくらでも寄ってきます。
なぜならば、人間はその幸せの香りこそが欲しいのですから。
幸福が本当にあるところには、鼻が効きます。
勘違いしてはなりません。
あなたをどうにか出来るのは、
甘い環境でもなく、厳しい環境でもなく、
異性でもなく、人間関係なのでもありません。
そんなことを人間関係の中に期待するのは間違いですよ。
それをしたら、「不幸菌」のばらまきと、不幸の量産にすぎません。
恋愛というものも、そもそも、それは、
自分の幸福度が通用するかどうかを、
人との関係で試すという方が正しいものです。
安心するために、人と付き合うのではなく、
そもそも、自分が安心できているかどうかの問題です。
そもそも、1人で、充分に満足していられない人間は、
人間関係すらも、築けないのですから。
異性をひきつける、魅力というのは、黙っていても漏れるものです。
それは、相手を振り返らせる策略など何も必要としません。
だから、人間は、まず、自分自身の問題解決だけのこと、
他人によらず、自分1人をまず幸福にする事だけを、考えていればいいのです。
_____________________________________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(3545 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
竹の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -