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落書〜「光と闇」〜
by:
崩残
2006/11/24(Fri)15:45:15
窓からの光に透かして張ってみました。
↓
↑
なんだか光の字は人が躍っているようで、闇という文字は顔みたいに見えますね。
しかも、全体に、どこか「原始的」な感じがいいですね。
ひさびさに描いたのですが、自然に任せて筆を遊ばせたら、
なかなか、表情のある字になりました。
★松の間にも、「逆」という字の、落書(らくしょ)があります。
★梅の間は、日本人の口によく合う、
これぞ、イタリア人は絶対に作らないぞという、
納豆パスタのレシピがアップされています。
しかし、うちの料理長、ずいぶん最初から飛ばすなー、という感じです。
そのうち、松の間みたいに、マニアックになるのではないかと・・・。
__________________________________________________
●ところで、下記は、
その料理長の使っている台所のごくごく一部です。
築55年も経過した古い民家ですから、
決してシステムキッチンを入れているわけでもなく、
いろいろな棚も、多くが本人の手作りです。
何やら、外でマルノコの音が聴こえるなーとか思っていると、
数日すると、新しい家具とかが、部屋に出現するのでありました。
どうも、うちの料理長は、大工作業も好きらしい。
↓
漢方薬屋さんみたいに乾物が並んでいます。
右はコンロの近くなので、必ず常に使う調味料などが棚に一式入っています。
蓋だけがここに集まっています。
右は、これは市販の食器棚。一番上にあるのは洋ナシと柿です。
インドスパイスから、西洋スパイスまで、ずらりと。
お菓子に使う、いろいろなリキュールや、醤油や日本酒やワイン、酢、
それにエスニック調味料などが収まっています。
右は、消毒や清掃用の液体とかも、自作をしていてその用途の一覧表。
_____________________________________________________
●しかし、マメだなーと思います。
極端に神経質な性格でもないのですが、こと、料理に関しては、
お金をかけずに、よく自分の知恵だけで、工夫をしています。
決して豪華な食事を作るのでもなく、だいそれたキッチンを使っている
のでもありませんが、本人にとっては、完全にひとつの「基地」と
なっているわけです。
住み始めてから、約3年の間に少しずつ、移動したり改造されていきました。
このエリアに関しては、私はノータッチです。
他のエリアに関しては、ものの置きかたが、気道(気脈)を塞いでいるとか
これはよくないから、あっちへ移動、とか、指示をすることがあります。
ただ、このエリアに関しては、不思議と問題なく作られています。
人間というのは、自分の領分、自分が扱うことの出来るひとつの分野に
自覚的になると、その分野においては、
ある程度の直観がよく働くようです。
●本来、梅の間の話題である料理に関する話題、
とりわけ、キッチンの写真を、ここ「竹の間」に出したには訳があります。
人間というのは、生まれたときに、必ずひとつやふたつの、
その人間が全く苦に思わない分野、
全く、やっていて、苦しいと思わない分野、
やっていて、どれだけの苦労があっても苦労と思わない分野、
そういう分野があることが、前世の記憶のリロードなどで
見つけることが出来るという話は、だいぶ前にしました。
そして、重要なことは、その分野というのは、
決して「楽しい」という感覚を本人にもたらさないことです。
梅の間で、料理長の「夜のランチ」さんが言っていますが、
そこには、楽しいという感覚はないである。
しかし、個人的に楽しいとか、好きであるという感覚を伴うことなく、
しかも、スムースにすべてが運び、本人はある種の分野の媒体として
ただ、無心に行うことが出来て、
その物質的な結果も、しっかりとしたものに出来上がる。
こうした分野は、誰の中にも「最低ひとつ」ぐらいはあります。
これは決して、通俗的な意味での「気休め」ではありません。
おそらくは、生まれてくるときに、ひとつの分野だけは
選択しなければならないという、「霊界書類上」の手続きがあるのかもしれません。
それを書き込んでいない人というのは、原則として、
長生きをしないか、もしくは、まだ極端に人間経験が浅いのだろうと思います。
つまり、「受け持ち希望の仕事の欄」のところをどうするかと
問われて、
「いや、別に、そんなもの、なくてもいいですよ」と言ってしまったのでしょうね。
人間経験が浅いと、この「いや、どうでもいいっすよ」という
目的意識の浅い生まれ方をするケースが多いですから。
人間に生まれた経験回数が多いと、いろいろな側面を知っているので、
契約には「かなり慎重」になり、自分の要求を通すようになるわけです。
だいたい、一体、何回ぐらい、人間の中に入るという経験したら、
そういう「小技」がきくようになるのかは、私にも、定かではありません。
●ただし、そこに書き込まれた、いわば「職種」または「一生の趣味」、
これは、実際にその分野で生計を立てて、プロになるかどうかとは
原則として関係ありません。
ただ、多くの場合には、ある程度の年齢になると、
技術的にはプロとして通用するものになっているはずですから、
実際にプロになる人も多くいます。
うちの料理長や、私の母の書道のように、一生やったが、
自分が書きたくもないときに書きたくないから、
職業にはしたくないという理由から、職業に出来るのに、
職業にはしない人もいます。
そういう「ひとつだけ」その人が扱える分野というものを
見つけることの出来た人も、出来なかった人も、
この数年、私が関わった人達の中にはいますが、
いずれにしても、そうしたものを掘るのはあくまでも「本人」です。
どこかの霊能者に金を積んだりしても無駄です。
そんな安直なやり方では、
実感と確信を伴って、自分を導くリロードにはなりません。
本人に、自分の人生や意識状態に対する、自己責任を持ち、
それをなんとかしようという強固な意志がなければ、
どんなに記憶が内在していたとしても、宝の持ち腐れです。
普通並みで安心できるならば、
愚痴を言ったり、楽しんでいる気分になって、
ただ、普通のことをしていればいいのです。
どういう分野であれ、普通並みでは、満足など出来ない、
普通になることではなく、特殊であり、結果として異端であり、
自分を通じて起きることを、可能な限り経験しつくそうとして、
とても普通ではない人生を過ごしてきた人達。
そういうガッツのある人だけが、その一種のエゴをきちんとした自我に
成長させるが故に、
自我のすべての側面を経験し、観察しつくした上で、
最後には、
「まったく普通で、かつ、まったく普通ではない。
まったく普通ではなく、かつ、まったく普通である」という、
正反対のものが不条理に混在するような次元に至るものなのです。
自我なきあとの、ひとつの段階である、
完全なバランス(中心)を得た者は、
何をしようともそれが壊れないことを知っているから、
完全に両極にまで揺れることが出来るからである。
それを知るまでは、何をするにしても、
本当に極端なことを出来るというダイナミックさは生まれてはこない。
常に、びくびくと、やっていいのか悪いのか、どうすべきか、
どこまでやればいいのかで、
ゆらゆらと力なく、中途半端に、
左右に、少ししか揺れない、弱々しい人生になってしまう。
無理に個性的である必要もなく、
無理に、何かの分野で、異質であったり、独創的である必要はないが、
もしも、人が、その人に固有のたったのひとつの転職をリロードできたら、
その人のやることは、絶対に「普通」ではありえません。
その人達は、何ひとつも、特別になどなろうとしてはいませんが、
どうやっても、どうしても、「結果」としては、
普通ではない領域に踏み込みます。
なぜならば、それは、「個人的な領域」ではないからです。
何度も竹の間で言うように、
世の中には、ごくごく個人的な動機と個人的な目的を果たすために
生まれ、生きて死んゆく人がいる一方で、
非個人的な「何かの分野」を進展させるために、契約し、計画し、
協力し、時にはチームを組んで、この世界に生まれてくる人達がいます。
その人達は、個人的な楽しみの為にやっているというのとは、
少々異なるので、やっていることを決して「好きだ」とか「楽しい」
とは思いません。
好きだとか楽しい、という感覚を伴うものというのは、
ちょうど異性を好きになるように、そこに「距離の誤差」がある場合のみです。
そうした到達までの誤差があるものに人は、好きとか楽しいという
感情を持ちます。
しかし、リロードされたその人の才能が開花した場合、
そして、それが「非個人的なもの」である場合には、
あまりにも「その分野の根源」との距離がないために、
全く苦しむことなく、全く迷うことなく、全く自然に、
ただ、淡々と、その分野の作業に打ち込むことが出来ます。
私は文を書くのは、全く好きではありません。
むしろ少し面倒だと言ってもいいです。
書くことは、呼吸をするほどに、私にとっては当たり前のことです。
しかし、これは生まれる前に、「ある時期が来るまではそうする」と、
決めたことだから、しかたありません。
手裏剣術にしても、それを楽しいと思ったことはほとんどありません。
好きであるという感情よりも、
「どうしても、生きている間に、しておかなくてはならない仕事がある」
という動機の方が、遥かに大きく私をつき動かしています。
だから、次から次へと課題がつきつけられ、
新しくいろいろな国の海外の人たちと出会い、
ほとんど休む間もありません。
その作業は、やっと、おおむね、半分までは完了しました。
ただし、この分野は、私にだけ固有のもので、
私と昔、ある「縁」があった「分野(人との縁ではなく)」との間に
あるからなので、皆さんに直接に関係あることではありません。
●ただし、セックスの問題に関しては、個人的なことよりも、
集合意識の認識の底上げの作業を受け持ったので、あれは
完全に「請け負った仕事」として行ったものです。
ですから、ただのひとつも、無駄な経験も、失敗もなかったのです。
そして、一環して、全く私は性的でもなく、エロいことを考えた覚えもなく、
セックスのことを、まっこうから取り組んだにもかかわらず、
私の中には、性的な妄想というものがありません。
何も自分がそれを「個人的に楽しむ」ためではなくて、
それが将来必要となる人たちのための「道路工事」としての
技法のまとめ作業だったのですから、当たり前といえば当たり前ですね。
と、このように、こじんまりとした個人的な目的か、
それとも、少数気鋭の少人数でも、
「ターゲットを絞った、ある特定の人達のための作業」であるかの差は
あります。
むろん、個人的な人生と、集合意識の容貌から計画された人生の、
そのどちらがいいという問題ではありません。
どちらでも好きな方を選べばいいだけですから、必ずしも、
後者が「みんなのためになる」などと、誇大妄想をして
食いつかないことです。
私が「悟り」の問題を、「片手間のアルバイト」の仕事のように扱う場合も、
>それは、本当にそれを「必要としている」、
>少数の、ごく僅かな人達に対してしているのですから。
>過去の既存の手法や概念では、全くあてにならない、
>全く信じることが出来ない、やりつくしたが、全く効果なし、
>そういう、徹底した探求をしてきて、
>自分に適合する薬を必死に求めてきたが、うまく行かなかった、という、
>そういう人達の体質にとってだけ、死人禅というものも、
>その効力を発揮します。
「薬」と同じように、すべての手法には、その個人との適合性がある。
「万能薬などない」と知ることである。
ある特殊な「症状」を発病しない限りは、
死人禅の行法はその者には必要ない。
その特殊な症状とは、
>関心を持つことの出来た、他の手法をすべて試したが駄目だった、
>全く何も根本的な変化はなかった。そういう人だけである。
>他で、間に合うなら、「他で、一生やっていればいい」のである。
何度も言うように、
無明庵では、全く既存の宗教や瞑想体系とは異なる定義を
悟りに対して、している。
それは、
「薬草は人間の苦痛を緩和するために存在しているのではない」
ということである。
一本の草に、たまたま存在した「苦除の効能」に「貪欲にたかる」、
これが一般的な、仏教や禅のやらかしていることだ。
しかし、「人間に、どう作用するかは、さておいて、
その草そのものには、どういう特性や、可能性や、不可能性があるのか?」、
という「植物学」に類するスタンスで「悟り」を扱うこと、
これが無明庵のスタンスであるということ。
いつまでも進歩しない、「人間本位」の悟りの時代など、
近未来には「必要ない」のだから。
その薬草の「効能」の欲しい者は、ただ、
「古い時代のなごりの悟りを、飲んだくれていれば良い」。
●一方で、私がチームを組んでいるのは、「実験チーム」。
すなわち悟りの基本特性を、
人間以外の領域に対して「産業利用出来るか、それとも出来ないか」、
という方法論の模索と実験なのだから。
●さて、個人、非個人的動機、そのいずれの場合にでも、
本人が、とりたてて好きでもなく、楽しくもなく、苦もなく、
しかし、「全く抵抗ゼロで、無心に打ち込める分野」というのは、
約24歳ほどまで成人した人間であれば、
最低でも「1つ」はあるのは、私が他者を見てきた経験内では、確かなことです。
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