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[3631]
■
「気持ちの悪い未解決事件」の悪影響について
by:
崩残
2006/11/27(Mon)11:27:50
私が以前に書いたように、世の中には私達国民に、
ある種の、「気持ち悪さ」を与える事件というものがあります。
隠蔽に隠蔽を重ねるほどに、いかに隠蔽を重ねても、
物事の「真実」というのは変わらないわけであるので、
人々の無意識というのは、確実にその領域、つまり物事の真相を知っている。
ただ、それは誰かによって言語化されたり、
または、意識化された明確な直観によって感知されるということも、
ほとんどないままに放置される事が多い。
それが、人間社会に、潜在的なストレスを溜め込み、
連鎖的に犯罪や混乱に連結することがあるということも、
既に昔、書いたとおりである。
_____________________________________________________________
さて、世の中には、2つの種類の「迷宮入り」の事件というものがある。
ひとつは、「ただの迷宮入り事件」もうひとつは、「実質迷宮入り事件」である。
ただの迷宮入り事件というのは、本当に犯人が分からないままに終わった
事件のことである。
私の造語である「実質迷宮入り事件」というのは、
一例としてだが、代表的な例が、神戸の酒鬼薔薇事件と呼ばれるものとオウム事件である。
ただし、この両者には、共通するものと異なるものがある。
オウム事件に対して私達一般国民が抱く気持ち悪さというのは、
確かに事件の「犯人」は捕まったが、
「それだけではないだろう、他にも犯人や、共謀者は、いるだろう」
という大きな疑念を残したままで、
「表向きの事件としては解決した形を取っている」という意味で、気持ち悪いのである。
つまり犯人や事件の「全体像」が全く隠されたままであることだ。
もうひとつの神戸の事件は、犯人が捕まった、にも関わらず、
それは本当に犯人なのかという疑問を国民に与える。
>こうして、「解決はしたが、本当は未解決事件であるようなもの」を、
>私は、「実質迷宮入り事件」と呼ぶことにした。
●そして、ここに、もうひとつ、そうした「実質迷宮入り」しそうな事件、
つまり、国民に、ただただ「気持悪さだけ」を残し、
実は、「本当は、それこそが犯行の目的ではあるまいか?」と邪推させるほどに
あまりにも変質的で異常な「事件」がある。
それは、「栃木の、吉田有希ちゃん惨殺事件」である。
ネットでいろいろと調べてみたものの、ほとんど情報はない。
少しだけ突っ込んだ記事はここにひとつ、あった。
↓
http://www.finito-web.com/same/Dinform/crime/c051210.html
●この事件については、私は発生当初から、非常に気持の悪い感覚を受けていた。
メディアでは、最近になって、ちょうど一年になるということで若干の報道もされたが、
私は、ここ一年の間、何度か、ふと、
その事件のことが気になることがあった。
おそらくは、皆さんも、そうなのではないかと思う。
何か、事件の性質が、他の猟奇的殺人事件、幼児の殺害事件とは
全く異なる「匂い」がするのである。
無意識的にも、そうした事を多くの国民に感知されている事件なのかもしれない。
気になるのは、まず常識的に考えれば、いくつもの角度から捜査範囲を
狭められる筈だという点。
たとえば犯人が持ちえる土地勘、誘拐現場と遺体放置現場から考えても、
犯人は、破棄現場の地理にも精通していたと同時に、
誘拐現場に近接する地域に「住んでいるであろう」こと。
というのも、犯人が「まともな神経をしていたら」と仮定しての話だが、
もしもそうであれば、常識的に考えれば、
遺体を自分の住居の近くには破棄せず、なるべく遠くに破棄するのが
犯人の通常の心理だろう。従って犯人の居住区は遺体破棄現場から
遠く、すなわち誘拐現場に近い場所であろうと推測されるのである。
また、撮影されていたという車、最近では(緑色?)のぬいぐるみの情報。
推定される年齢層や、職業のプロファイリング、
被害者家族との接点や怨恨の可能性はあるのかないか、その他、
何十かの角度から、比較的容易に絞り込みぐらいは出来そうなはずなのに、
捜査状況が「妙に進展せず遅い」ということが疑問なのである。
●この事件が起きた直前というのは、確か、広島のダンボールの事件であるし、
また、他にもその後、熟でとか、奈良でとか、
たて続けに幼児の殺害があった時期だと記憶している。
確かに、妙に「類似する事件」が続いたのである。
しかし、類似する殺害事件が続くときに特有の「連鎖反応」のケースには、
私には見えなかった。
その根拠は、「他の事件とは、あまりにも異質」であったからだ。
宮崎の事件にしても小林の事件にしても、
そこには、共通項となる彼らの家庭内問題がその根本に見受けられる。
この栃木の事件では犯人が捕まっていないために、そうした犯人の
私生活の側面は全く見えてこないわけだが、
見えてこないという、それ以前に、
そうした、普通ならば整合性のある動機の「影」すらも、
報道で漏れてくる数少ない犯行状況の資料の中にも、
全く一切「匂わない」のである。
性的な暴行の痕跡が全くなかったという発表もある。
また、犯行声明を出すなどの、ありがちな「自己顕示欲」すらも全くない。
つまり「何が目的なのか、不明」なのである。
確か記憶によれば、いくつかの同様の幼児の殺人事件があったものの、
そのどれかの事件の真相を「ぼかすため」に
「上塗り」として行われた事件とも思えない。
「この前の事件の印象を薄くするための上塗りの手口は、よくある」
と、前にも言いましたが、
この事件には、私は、それすらも感じない。
つまり、単独で「栃木の事件」それ自体を誇示しようとしているとすら思える。
●とても少ない証拠や証言の中に、
クリーニング屋のおばさんだかが言った、
「きれいな目のお兄さん」と被害者の幼女が言った、
という言葉が残されている。
これはのちに、虚言であったとかないとか言われていて、
信憑性がないのであるが、
私は、これが虚言であったとしても、疑惑を持った証言のひとつである。
たぶん、もしも虚言であるとしたら、直前に起きた広島の事件の犯人が
外国人であったことが念頭にあって、そのような虚言を地元の住人が
適当に言ったのであろう。
しかし、なぜ、ただのクリーニング屋のおばさんが、
そのような虚言を言う必要などあるだろうか?
私は、ひとつには、「捜査かく乱」または「情報操作」の目的で、
意図的に、そのおばさんによって流されたのではないかと少し思っている。
「広島の事件に似たものだろうと、世間に思わせておきたかった」というのが、
その動機だろう。
この邪推には、かなりの無理はあるものの、
いちおう、可能性のひとつとして保留としておくとしましょう。
●次に逆に、もしもその「きれいな目」というのが本当だった場合であるが、
その場合には、犯人は被害者に顔を近づけて話す癖があった、
または、その時にはそうした、ということが推測される。
なぜかというと、子供が大人を見上げた場合、あるいは
一定の距離から観察したときには、子供の視線から考えて
印象に残るのは、着ている服装や、もう少し範囲の広い外見のはず。
大人が上から見下した状態では、仮にかなり目やその色に特徴のあった人物
であったとしても、子供の印象には残らない。
そうなると、しゃがんで被害者に「顔をかなり近づけたこと」によって
子供の目には、その目が印象に残ったということになる。
その目が、単に大きさや雰囲気が綺麗であったのか、
それとも、日本人ではない目の色や、エキゾチックな風貌をしていたのか、
そのどちらかだろう。
ただし、これは「きれいな目の」というのが「本当の話だった場合」である。
_________________________________________________________
●次に、「最も重要な手がかり」を犯人は残しているのに、
「どうして警察は、絞込みが出来ないのか」、それが私には最大の疑問であり、
以前に、私は記者に、この疑問をぶつけたことがある。
使われた凶器については、いろいろな説があるが、
警察はそのような凶器は、いとも簡単に特定できているはずである。
警察の中には、膨大な量の刃物の痕跡に関するデータベースがあるのであるから、
傷口から、刃物を特定、または絞り込むことは、簡単なはずである。
たとえば、使われた凶器については諸説が流れているようだが、
少しばかりナイフに詳しい人、詳しくなくとも、ナイフの販売サイトを
少しでも見たことのある人であれば、
12箇所にきちんと列に並ぶような傷ということで、
かつ、その刃幅や深さから推測すれば、
何が使われた「可能性が最も高いか」は、簡単に推測できるのである。
それは「クローナイフ」と呼ばれている、
ここ数年か、最近出回っている製品である。
クロウ・ナイフだか、クロー・ナイフだか、どっちの製品名だかは忘れたが。
アニメの影響なのか、映画の影響なのか、何の影響なのかは分からないが、
妙に「アニメチックな形」をした「ファイティングナイフ」と呼ばれるものが、
ここ数年、製造されているようである。
刃の部位そのものは、エルム街の悪夢の悪役の手が持つ凶器に形は似ているが、
「刃の根元に、グリップ」がついているものの画像があった。
事件当時、関心をもって、ネットで調べたところ、
刃の数は、3本のものと、4本のものとがあるようだ。
もしかすると中国のマニアックな古典的な武器でも似たようなものがあるのかもしれない。
いずれにしても、この「クローナイフ」という大きな爪のような形の
刃の幅や、刃の間隔を画像で見ると、最も使われた可能性の高い凶器として
警察はリストアップするのは当然のことなのである。
警察のデータベースには、一般用の刃物から、工具、農具、
彫刻、その他あらゆる種類の市販されている特殊ナイフや、
マニア向けの製品のリストが、犯罪に使用される可能性を考慮して、
データベースとして、あるはずなのである。
となれば、あのような特殊で、マニアックで、ナイフマニアにとっては、
「観賞用以外に、何の利用価値もない製品」などを買う者は、
非常に限られるわけであるから、小売店や通販の業者に聞き込みや
情報提供を呼びかければ、もしも購入したのが国内なのであれば、
犯人は、「簡単に絞り込めるはず」なのである。
●私見では、クローナイフというのは、いわゆる普通のナイフマニアならば
絶対に購入しないタイプの製品である。
普通のナイフマニアというのは、それを実際にキャンプや仕事で
使う場合の実用性やデザインも考えて買うものである。
しかしクローナイフなど、
「何の役にもたたず、携帯性もなく、ただ邪魔な形」をしているのであるから、
あんなものを、好き好んで買う者というのは、
「非常に少ない」はずである。
なんなら、年間に何個ぐらいの売り上げがあるのか、業者に電話で聞いて
みようかと、当時、私は思ったほどであった。
つまり、使われた凶器もおそらくは特定できており、
購入者も特定が可能であるはずなのに、
どうして、捜査が進展しないのか、その点が、一番疑問点になるのである。
●私は使われた凶器は、8割がた、
そのクローナイフという商品名のものではないかと推測している。
事件が発生した当時の報道内容を聞いていて、
あまりにも残忍な犯行であるという印象があったのと同時に、
「横に並んだ傷口」と聞いて、その言葉がひっかかり、
そういえば、そんなナイフの画像を見たことがあるな、と、
いつくかの特殊ナイフを扱うサイトの画像を調べてみたのである。
すると、あきらかに、見たかぎりでは、国内ではそれに該当する製品は、
「たったの2つ」しかない。刃が「3本」のものと「4本」のもの。
どちらの場合も、整列して並んでいたと言われる「12の傷口」と、
数の上でも「約数」として、明確に符号するからだ。
>追伸
これを書いている最中に、もう一度調べてみたのですが、
4本の刃というのは見当たらないので、私の記憶違いかもしれないが、
「3本の並んだ刃を持つもの」に該当する商品は、
ネット上では、2つ見つかりました。
ひとつは、「トリプルブレード・クローナイフ パンテラー」という名前のもので、
もうひとつは、「タイガークロー」という名前のものです。
この刃の形と被害者の少女の傷口を照合すればいいのである。
新聞記事を調べたところ、↓のようにあったが、
どちらのタイプのナイフも、これに当てはまっているように私には思える。
>>捜査本部が傷口の形状を鑑定した結果、
>>(1)凶器は片刃のナイフ
>>(2)刃渡り10センチ以上
>>(3)刃幅約2センチ
>>(4)刃の厚さ5ミリ以下−−などの特徴が明らかになった。
だから、その商品の購入者リストを調べることを、
警察は、まずしなければならないはずなのだし、
また、既に、そうしているはずなのだ。
にもかかわらず、どうして、犯人が絞り込めないのか、
そこが、非常に疑問が多く、「気持の悪い事件」なのである。
■そして、カルト宗教説に対しては、私はその可能性低いと考える。
なぜならば、もしも何かの悪魔崇拝のような動機であったとしたら、
付けられる傷は明確に何か記号や図形となる可能性がある。
しかし、(どういう傷だったかの資料がないが)、もしも単に、
一列か二列に整列した傷であったらば、そこにある意味は、
12という数字だけになる。
12という数字それ自体の意味は、キリストの12の弟子、日本の干支の12など、
1ダースの単位、建築構造など、どこの文化にもあるものなので、
特に何かの信仰と関連づけられるような大きな特徴がない。
となれば、犯人の目的は、傷口を整然と整列させるという
その異常な行為で、何かを主張する意図だけがあった、という推測が出来るのである。
そこで一体何が主張されているのかといえば、
ただただ、その猟奇的で、残忍で、全く感情もない冷酷な「作業」だけである。
つまり、この犯人は、殺しのプロか、もしくは、
動物や、人間を殺すことに慣れている人物である可能性が
プロファイリングされるわけである。
行き当たりばったりで、何かの暴行をしようとしたが暴れたから
などという状況の中で、そのような整列した傷をつけようと思う犯人は
存在しないだろう。つまり、最初から、綿密に傷をどうつけるかを
計画して、それを冷酷に実行した、そういう犯人像だと私は感じる。
________________________________________________________
●そして、この栃木の事件の気持ち悪さは、犯人が捕まらないことに加えて、
本当に、犯人を捕まえる気があるのかすら疑わしい捜査の進展のなさである。
むろん、世の中には沢山の未解決事件があり、
調べてみたら、栃木だか茨城では、15件だかの殺人事件が未解決であるらしいので
そうした未解決事件のひとつなのかもしれないが、
しかし、この事件だけは、私は、非常に「気持悪い匂い」を感じる。
もっとも、単なる直観なのであるが、
明らかに、他の同種の幼児殺害事件とは、動機も手段も異質で、
異様で、異なるものだろうと私は感じている。
では、一体何が動機なのか?
それは、国民が知ったら、胸くそ悪くなるようなことかもしれない。
たとえば、「大邪推」できることのひとつは、
>「社会的な不安を、意図的に煽るために、定期的にこうした、
>国民の印象に刻まれる事件が、誰かによって組織的に計画的に行われる」
という可能性である。
そうした事件が起こされた場合には、ありがちな結末というのは、
1/文字通り、犯人が全く捕まらないで「迷宮入り」して未解決で終わる場合と、
2/もうひとつは、「犯人が、でっちあげられて」決着する場合。
私は、神戸の事件は、その典型ではないかと感じている。
(被害者の遺体が冷凍されてから切断されている痕跡があったこと。
校門前に首が安定して置けるように、特殊な角度で首が切断されたこと、
これらの点から「A少年には不可能だ」と疑問視する司法解剖医も、
当時は多かったはずである。)
3/そして、もうひとつは「トカゲの尻尾切り」で決着する場合である。
この「最も分かりやすい例」は、オウム事件である。
これらの3種類の決着のしかたによって、
そうした「意図的に煽られる社会不安」というのがあっても、不思議ではないし、
この栃木の吉田有希ちゃんの殺害事件というのは、
そういう側面が、どうしても、どこかに薄っすらと感じられるのである。
いろいろな異常性、気持ち悪さ、捜査の進まなさ、
犯人がでっちあげられるにしても、捕まるにしても、どちらにしても、
その背後には、隠れたままになる側面があり、
それは、決して、マスコミや記者には追うことの出来ない腹黒い世界に通じているもので、
決して、事件の真相が、人々の前に明らかになることはないのではないかと
私は思っている。
しかし、そういう未解決事件、気持ち悪い事件、そんなものを
もしも意図的に起こしている組織や人物がいるのだとしたら、
この国は、本当に、もう「なくなった方がいい」と私は思いたくなる。
____________________________________________________
●余談だが、迷宮入りしたり、未解決になったり、あるいは、
犯人が捏造されたり、または犯人が自殺の形に見らかけられる事件に
「比較的」共通することがあります。
それは皆さんもよくご存知のように、
その事件に直接、またはその事件の背後に間接的に、
次の5者が、関係していた場合です。
警察職員
自衛隊員
暴力団
宗教法人(悪人の「資産隠しの為の法人」であることが必要。)
猟友会(なぜか、ここに自衛隊(元も含む)、警察、暴力団の関係者というのが、
仲良く集まりやすい、らしい。これは他人から聞いた話ですが)
つまり、もう日本国民が、いろいろな過去の事件のせいで、
既に、よく知っている、悪の枢軸、「悪魔の五角形」ですね。
むろん、その職業や組織にいるすべての人がそうなのではありませんが、
ただ、森の中で猟仲間となると、
「人里離れた森の中で」、猟をしながら、いろいろな密談が成立する
猟友会というのは、そういう密談環境にあると推測することは、
誰にでも可能だろう。なにしろ、警察と自衛隊は、銃の扱いは慣れている。
そこに、暴力団組員や、宗教法人や、議員や、金がらみの人材が集えば、
とうぜん、その「5者会談」では、
どんな話が交わされているか、わかったものではない。
◆人目を忍んで、そういう密談をするならば、釣りでも、キノコ狩りでも
いいのであるが、ただ、そこに「銃」というものがからむと、
一般人のキノコ狩りとは違って、その狩猟区域に入る人間は限られる。
こうしたことが「猟」を通じて「特定の人種だけ」を集めている要素があるように、
私には思えるのである。
そして、そこには変な「仲間意識」も生まれることであろう。
◆まー、これに、
「左翼(これって、まだ絶滅種じゃなくて生きているのですか?)やら、
右翼団体やら、カルト宗教団体やら、朝鮮や中国マフィアや、
部落問題やら、ユダヤ陰謀説」
こうしたものまでをも、もしも「ごた混ぜ」にしたら、
もう、何が何だから分からない「多角形の、悪霊どもの魔方陣」になってしまいますが・・・
とりあえずは、上述した5つの組織、
これは、何かと「報道から姿を消しやすい事件」に、
一枚からんでいることが、過去に不祥事が発覚した事例からも多いようである。
______________________________________________
●さて、この栃木の、本当に残忍で、かわいそうな事件。
一体、本気で警察は捜査する気があるのか、それとも、
何か裏があって、捜査しているフリだけしているのか。
おそらくは、真相が解明される可能性は、とても低いだろう。
実際、噂されて、記者が質問までした、
「畠山容疑者と秋田県警職員との親密な(肉体?)関係」への「疑惑」も、
結局のところ、うやむやなままなのであるから、
警察関係者とか有力者がからむと、いつも事件は霧の中に消えてゆきやすい。
もしも、仮に、善意の目で見て、
本当に、「警察が、必死の捜査を、今も現実にしている」としたら、
そして、本当に犯人を捕まえたいと「必死」なのであれば、
「言いたくはない」ですが、
私も、思わず、こう言いたくなりますね。
>「早く、江原か、超能力FBI捜査官を呼べよ」
と書いたら・・・
「テレビの力で、以前に、やっていたような気がします。
でも、テレビの力は放映中止になるそうです。」というメールが来ました。
◆
さて、以下は、ご両親の手記の一部です。
今のままでは、あまりにもわからないことが多すぎます。
一体、誰が何の目的で、わずか7歳という有希の短い生涯を閉じる必要が
あったのか私達は知りたいのです。
もちろん天国の有希だって同じだろうと思います。
なによりも、時の経過とともに、
有希の存在が忘れ去られてしまうのかと思うと無念でなりません。
一人でも多くの方に有希を覚えていてほしいのです。
吉田正信
洋子
(2006年11月25日14時26分 読売新聞)
_________________________________________________________________________________
●たぶん、多くの国民は、忘れようとても忘れられない、
未解決事件のひとつだと、私は思います。
だから、ご両親の心配するような、
「忘れられる」ということは、決してないと思います。
他に、沢山の事件や、釈然としない事件も日々、起きていて、
私達視聴者も、そうしたものを、どんどん忘れて行く中で、
不思議と、私は、この事件のことだけは、ときおり気持の悪い印象、
釈然としない印象が、この一年の間に何度か、よぎりました。
「どうして、あの事件は解決しないのだろう」と知人と話すことも
しばしばでした。
■この事件についての、北芝健さんのコメントがありました。
↓
>宮崎勤、小林薫といったこれまでの小児性愛犯罪者は、
>自分を低く評価する社会への挑戦状として、
>声明文や携帯電話で写真を送りつけるなど、
>メッセージを送ってくるのが特徴であった。
>しかし、今回の栃木の事件の場合は、遺体発見後、
>まったくメッセージがない、という違いがある。
>つまり、必ず発見される遺体の遺棄方法自体が、社会へのメッセージであり、
>すでに精神的に充足しているか、あるいは、殺害した時点で、
>ある目的が達成されており、あえてメッセージを送る必要性がないと推察される。
以上は、北芝さん談。
_________________________________________________________
しかし、もしも、そこに「最悪のシナリオ」があるとしたら、
それは、こうした惨殺事件が、
>誰かの、この上もなく醜く、腐りきった悪意によって、
>国民の不安を煽るためだけに、罪もない子供に対して、
>わざと行われるということ、
>または、たまたま権威や権力のある者が、事件に関係していた場合の、
>隠蔽と黙殺である。
後者は、「特定の事情の中で、起きてしまった事件」の「尻拭い」であるが、
この事件には、そうした、バタバタと犯人があわてた気配が全くない。
つまり、前者のように、「全く必要もない」のに、
「わざと、罪もない子供を、それも可能なかぎり、
猟奇的に見える方法で誇示してまで殺した」としたら、
もう、本当に、日本という国は、沈むか、
「どっかの大国」に占領されるか、
「どっかの小国」にミサイル攻撃でもされた方がいいです。
と、ついつい、思ってしまうのは、
私だけだろうか?
_________________________________________________________
●「仮に」であるが、
人々が、もしも、「万一にも」愛国心などもてるとしたら、
それは、原則として、国民の目の中に、
世の中に「まだ正義がある」というものが見えた場合だけ、ですよ。
かつて、ジャーナリズムやマスコミというのは「権力乱用の監視」こそが、
その大原則のポリシーであったはず。
それが、一体、ジャーナリストやマスコミは、
警察と、スポンサーと出演料、(つまりは「脅迫」と「金」)に媚びて、
どこまで「堕落」を続けるつもりなのだろうか。
一体、何をしに来て、ボケヅラさげて、
ザ・ワイドの席に座っているのか分からないコメンテーターもいますね。
他のコメンテーターのことは、プログの中の独り言で
>「「いじめ」についてのヘタレ発言」
だとか、大口あけて、言い腐り、
その弱々しく、全く生気のない目つきで、酒の力を借りては自分のブログに、
>「テレビで「いじめ」を議論しても虚しいのは、
>般論に流れることである」
とか言うくせに、
ひとたび、ザ・ワイドで出番が回ってきて口を開いたら、
毎回毎回、毎回毎回、
>「うんざりするような、
>薄っぺらな一般論を、早口で、まくしたてるしか 脳がない」
某三流ジャーナリストなどは、全くもってして、その典型だろう。
その「軽薄さ」においては、福沢アナと、いい勝負である。
専門家と称する人間のコメントにも、疑わしいものは沢山あるが、
それでも、彼らは「いっぱしの何かの専門家」である。
それに比べて「何の分野の専門家」でもないジャーナリストや、
コメンテーターや評論家や作家などは、
(ネットで酒を飲んで、説得力のない文で「愚痴る」のは勝手だが)、
テレビには出るな、と私は言いたいですね。
前にも言いましたが、「芸人」以外がテレビに出ると、
大抵の場合に、「枯渇」「衰弱」「錯乱」するのである
●さて、前にも書きましたが、人間が「こうも屈折した」世の中では、
いくらでも、陰謀が横行し、開き直った「不正」が横行し、
嘘とデマが横行し、未解決の事件があり、隠蔽される事件がある、
それ自体は、人間の「性(サガ)」として、
もう、どうしようもないものであるわけですが、
閉鎖性、機密性など、こうしたものも、
「治安維持のために機能している分」には、
いたしかたない面もあるが、
それも「度を越した閉塞感」にまで膨張すると、
全く予期しない、人災や、特に「天災」となって出力されて暴発する、
ということは、以前に、ここ「竹の間」にも、何度も書いたとおりです。
その引き金を引いてのは、むろん犯罪や不正をした当人たちでもあるが、
それより遥かに「大きな引き金」は、
国民の中に、「それ、本当は違うだろう!」という「直観」とともに
無意識下に、膨大に蓄積され続けてゆく、
「集合無意識的なストレス」なのである。
そのことに、私は警笛を慣らしているのであって、
すべての犯罪を撲滅してくれ、などという不可能な事は言っていない。
つまり、
>たまには、口が裂けても言えないような事件の真相について、
>きちんと、真相を自白するか、またはジャーナリストが命をかけても
>暴露するという形で、
>国民感情の「ガスを抜け」といっているのである。
また、「政治屋」をやってて、
>「心理統治」や「感情管理」という言葉も知らんのか?
と、私は彼らの無知と無能さに、ただ、呆れるばかりである。
国は、「国民感情管理省」でも作ったらどうなのかね?
●ここ一年のニュースで、
「本当に、すっきり」した事といったら、
王ジャパンの世界優勝だけだったよ・・・あたしゃ。
途中で、アホウなアメリカの審判事件や、
観客によるイチローへの守備妨害やらと、
いろいろとありましたけど、あれだけは、
ぎりぎりの崖っぷちから這い上がったという、
本当に出来の良い、「本物のドラマ」を見せて戴きました。
__________________________________________________________________
「国民感情管理省」 設立の薦め
左から右へ行くほど、書体を自由に崩して書いていっています。
↓
********************************************************
最後に、どうして私が、この社会問題、この事件が気になったかの
理由を書いておきます。
これは、竹の間的な「電波話」ですから、どう受け取ってもかまいませんが。
私の中には「バランスの取れないもの」に対する独特の、
「気持ち悪さを感じる回路」、言い換えると、
「自分の美観に適合しない基準」というものがあります。
そうした観点から、当然、私が考えたことは、
一体、いたいけな被害者の少女に、
どんな落ち度や前世の業があったのか?、
それを感知してみようとしました。
しかし、結果、被害者の少女からは、
そうしたものはほとんど感じられませんでした。
つまり、何かの因縁として殺されたのではないということです。
では、一体、どうして残忍に殺されてしまったのかとなりますが、
単に推測にすぎませんが、
あの子の死というのは「無駄にならない可能性がある」ということです。
もしも因縁としてそこで殺される「宿命だけがそこにあった」のであれば、
因縁はそこで中和されますから、世間も本当に忘れてしまいます。
しかし、あの事件をひとつのきっかけとして、
あの少女の死がきちんと、報われる、成仏できる、浮かばれるためには、
この事件は、あのまま未解決であってはならない、という動きが、
既に、どこかの次元に設定されているように私には思えるのです。
そうでなければ、私が何か、それについてこのように書いて言う
意味がないからです。
あの事件は、このままでは終わらず、何かの不正、何かの裏社会、
それに打撃を与えるために、あの少女の命が犠牲になったのかもしれないと、
少なくとも、私はそう感じている。
だから、私は、ただの猟奇殺人では、見過ごせないのである。
あの少女には、ただ一方的に殺されてそれで終わる、そういう宿命はない。
その死は、「無駄にならないように運命づけられている」。
そんなふうに、私には思えたのである。
そうでないと、
本当に霊的な視点から見ても、何も罪も落ち度もない少女なのに、
その罪のない少女が惨殺された事との間に、
>因果の「釣り合い」が、取れないのである。
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