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●天皇制
by:
崩残
2006/12/06(Wed)05:07:26
天皇制についての私見は、既に過去ログに書いたとおりです。
皇室が有する、「権力」を持たない「権威」というものが
終戦から今日まで、どれだけ多くの国益や、国民の安全を、
「非政治的な部分で」守ってきたか、ということはすでに述べたとおり。
私は、むろん、右でも左でもないが、確実に国益や戦争防止に効力のある
皇室というものの価値、その「位置づけ」は認識している。
それが持つ、宗教性や、皇室マニアや右翼の心情など、どうでもいいことだ。
問題は、それが、確実に、権力や政治と関係を絶ったところで、
いろいろな抑止力を内外、特に外交に対して持っているということである。
だから、もしも皇室がなくなったら、
私は、この国を去って、国外に居住するだろう。
この国を「非政治的な領域から、なおつ政治的にも」護るものは、
もう何ひとつも、なくなるのだから。
世の中には、やれ、差別だ平等だの理屈をまくしたてて、
天皇制に反対するような「アホウ」もいるが、
その観念的な特権階級的差別なんぞ、
それが、国民に、陰からもたらしている「国益」にくらべたら、屁でもない。
ただし、これが戦前のような、権力行使となったら話は別問題。
別問題だからこそ、昭和天皇は「すべての責任は私1人にある」と、
「あの当時」は、言ったのだから。
しかし、現代にあっては、
皇室にかぎらず、世界に点在する「王室」の存在意味というのは、
その「権威」というのは、
武力ではなく、また、こそくな政治的な外交工作によってではなく、
単純な「風格や品格のイメージ」による、外交や抑止力がある点にあるのであるから。
◆
昨今話題の、硫黄島を描いた映画だが、それにしても、
ぎりぎりで、第二次世界大戦までは、
双方の兵士が、相手の勇敢さに対して敬意を払うという、
まさに、きちんとした、騎士道や武士道が存在していたわけである。
報道から聞くところによればだが、
アメリカ軍の捕虜になった日本人でも、硫黄島の戦士だったとわかると、
米軍兵士たちに、「敬礼」をされたと言う。
戦争がいいか悪いかは、単純に言えないので別問題だが、
「そういう戦争」が、かつては地球にも存在したが、
今では、もう、
「ただの効率のよい人殺し、人を虫けらとしか認識しない戦争」
だけが、ほんの一部の人間の資産を潤すためだけに、
「経済的戦争」として行われている。
もはや、面子すらも、「戦争の理由」に、なっていないのだろう。
ただ、金のための戦争。
ただ、支配領土を拡大するためだけの戦争。
まったく、私の美観には、そぐわない。
そもそも、殺しには「美学」というものがある。
それは、殺された方が、「完全に、あとくされなく、あきらめられる」または、
「ここで殺されて死ぬなら、それも本望だ」と思うような、
そういう「全力の、ぶつかり合い」が「双方に」存在し、力が「拮抗」し、
かつ、双方が、相手のその戦いぶりを理解していて、
それを尊重する気持がある場合「のみ」である。
いわば、言い方は、物凄く不適切で悪いだろうが、
「スポーツ感覚の戦争」の方が、
まだしも、「儲ける為の戦争」よりは、
精神的には、ずっと「健全」である、ということだ。
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