▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
▲竹の間へようこそ▲
掲示板
Title
島流しリンク
自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
性と死のホームページ
★
「竹の間自薦投稿集」
★
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[3648]
■
平成19年。
by:
崩残
2006/12/29(Fri)11:03:11
●例年、この時期になると、来年の傾向を予測する遊びをしていますが、
皆さんは、今年は18の数字どおりに予定を組めたでしょうか。
私の方は、18年は地味に下積みだけをする、という作業に徹しました。
あれこれに目をやらずに、竹の間よりも、特に松の間に力を入れて、
まる一年、鉄の棒と付き合っていました。
●さて、いつもは数のことしか言わないのですが、
今年の年末は、画像を出しておきます。
●皆さんもよく知っているメーカー(作品)のカードもあるでしょう。
すべて、19の「太陽」のカードです。
フェイスだけでなく、バックの模様も並べておきました。
私は、昔、本当に絵柄が好きなカードしか使いませんでしたので、
数は限られています。
●さて、変り種では、大アルカナが「23」の数まで
(愚者のゼロを入れて実質24枚)ある作品があります。
これは20代のころに、私のお気に入りでした。
相当に古いので、今は売っているかどうか知りません。
↓
普通のタロットは21の「世界」で終わるはずが、
このカードには、22と23があります。
直訳すれば、「22」は、「分離」
「23」は、「蹄鉄工」です。
通常ないこの2枚をどう読み解くかは、扱う人間に一任されます。
________________________________________________________
●全く関係ないカードですが、ロッドのプリンセスです。
わりと、こういう絵柄の方が、一時期、私は好きでした。
↓
_________________________________________________________
●タロットなどに親しんだのは、もう20年近くも前のことですから、
すっかり見ることすらなかったのですが、話の題材に、
ここへ持ってきてみました。
こういう絵柄をどう解読したり、自分で意味づけるかということは
それらの専門家や、それで商売をしているプロに任せるとして、
私の方は、単純に19として読みます。
今年18年に備蓄したもの、下積みをしたものが、
来年19年には、一気に物質的な形になります。
(ただし、むろん、その成果を目にすることが出来るのは、
それを意識的に、この一年間やった人だけですが)
ただし、それは広くメジャーになるのではなくて、
いまだ認知されないような独自の分野や、極めて個人的なエリアで、
という意味です。
ただし、個人的なものであっても、確実に物的な形になります。
集合的に広く普及する力の属性はありませんので、
狭く充実した実りが得られるといったところです。
この18年の比較的地味な一年に、どう暮らしたかが出ます。
●社会的なものでは、あまり関心がないので、分かりませんが、
日本が悪い意味で、ますます独裁的な社会になる傾向は読み取れます。
単純に考えれば、今年18の数字で水害、水難が目立ったものがあった
というのに対して、来年は、「超猛暑」の夏を覚悟しないとならないかも
しれません。
これはかなりこじつけで、いいかげんですね。聞き流してください。
●ということで、社会的には、まだ目だった活動や拡張はせずに、
こじんまりと、独自の道を極めなさいといったところですから、
たとえば、公式には発表されないものの、研究室の中では、
画期的な発明品が、形になっている、などというニュースも流れるかも
しれません。
竹の間を有料化して、密度を高くするのも、その一環です。
広くよりも、「狭く、深く」が効力を発揮します。
また、私は、皆さんに繋がるたった一本のラインしか使いませんので、
掲示板の内容が、他へメールなどで転送されたり個人的にコピーされても、
当の契約者である人以外の、部外者には全く効力も効能も影響もないものに、
プロテクトしてしまいます。(電子的にではなく、不可視の次元でということ)
ですから、一本のラインにつき、1人にしか私は関わるつもりは
ありません。個々の個人にしか、接点を持つ気はなく、
徒党を組んだような集団、群れに依存する人達には、
私は全く興味ありませんので。
西暦で見れば、2007年ですね。
まー、ここのところ、「つまらん年」が続きましたが、
芸術の分野では、比較的「面白み」は少しだけありそうです。
といっても、「たかが知れています」が。
___________________________________________________________
●ここでひとつ、余談ですが、
1970年代というのは、本当に面白い10年でした。
それを経験しなかった世代の人もここを読んでいるでしょうが、
その1970年代が過ぎて、おおむね1985年以後に、極端に衰退した分野が
3つあります。
それとの「関係の有無」は分かりませんが、ちょうどそれは、
デジタル・エレクトロニクスが発達した時期と重なります。
1990年以降になって死滅してしまったのは、
1/音楽(プログレの終焉)
2/オカルト(いわゆる「トンデモ本」の乱立)
3/男性を刺激できる女性の死滅。
1と2については、これまたなぜか同期していて、
昔は、精神世界の書籍コーナーというものは、それ自体が
すべてが「トンデモ本」の宝庫だったわけです。
まともなものなど、全くありません。
どれも皆、トチ狂っていて、それが「当たり前」だったのです。
そのトチ狂った独断的な書物こそが、
そのコーナーの良さでもあったわけですが、
それらは90年代には、すべて、平均化され、無害化された、
骨のないものとなり、毒のないものになりました。
その成れの果てが、「癒し」などというふざけた言葉です。
その癒しの少し前には「ポジティブ」という、
どうしようもない「貧語」が流行った時期もありました。
そして、これらの精神世界の「毒」のようなものが色あせると同時に、
音楽の世界からも、毒と棘が、消えてゆきました。
●それで、問題なのは、「3」です。
昔、80年代の初頭までは、私も個人的に、けっこう「変わった女性」
というのに遭ったことがあります。
傾向としては、放浪癖があるか、または逆に特定の男性にぴったりと
寄り添って、その男性を陰から刺激しているような感じです。
イメージ的には、その女性の「陽」のタイプは、
落ち着きがなく、それでいて、変わっていて、
「陰」のタイプは、昔の「芸術家を支える妻」といったタイプです。
●こうした、かなり変わったり、ある意味では「イカれた女性」、
というのが、芸術や精神世界をその根底の一部で支えていたり、
アイディアの通路になっていたのですが、
それが1985年ごろからは、一気に死滅しました。
最近、その時代に死滅した女性たちの残党といいますか、
すっかり枯渇した、「難民」というべきか、「残留種」がいるような気がします。
昔は、まるで魔女や妖精のようだったのに、
今では、「ただのおばちゃんになってしまった人達」です。
これは単なる加齢によるものではなく、時代の周期変化によるものに
私には思えます。
●なぜ、そうしたことが起きてしまったのかについては、
個人的に推測するには、分かりやすい表面的な部分では、
男女平等性の蔓延の「しすぎ」とか、女性の社会進出の行き「すぎ」です。
「男女分業」というのが、物事の本質であって、
女性が男性と同質に振舞っていたのでは、
それは「男女の平均化」以外の何ものでもありません。
それを象徴するかのように、
「オヤジ・ギャル」という言葉が流行った時期がありました。
女性が女性の良さをそのままにして、独自の女性世界を創るのではなくて、
「単に、男性化しただけの女性」が量産されたわけです。
●こうなると、芸術というのは、
もともと、両極端なものが合成されるときの、ゆがみとか、
抵抗とか、摩擦とか、そういったものが創作の根源になっている傾向が
あるので、
男性と女性の平均化というのが極端に進むと、
芸術性とか、斬新なもの、ぶっ飛んだものは、生み出しにくくなるのです。
そういう意味では、1人の芸術家が複数の女性と付き合うとか、
または、複数でなくとも、1人の女性が1人の男性を支える、
そういった構造が崩壊してしまったようです。
決して男尊女卑ということではなくて、
「男女分業」が、分離していて、明確であった時代ほど、
より「良い意味での、女性的な力」というものが、その反動として
明確に物質化してたようです。
●何事も、力が「拮抗」していないと面白いものは生まれない、
ということは、竹の間でも何度も言いましたが、
そういう視点から見て、
男女というのものの「差」が、
「異質性を維持したままでの拮抗と対立」をせずに、
単に、無気力的に「平均化してしまった」のが、
この創作性の欠落の原因と見られます。
●むろん、これは、「全体的に眺めた傾向」ということなので、
個人的には、今だ生き延びている人達もいますが、
ただし、時代の空気というのは、万人が「呼吸」をするものですから、
多かれ少なかれ、個人も、時代の空気には、多大な影響を受けます。
いくら分離性や個性を維持しようとしても、
霊的な次元でのガスマスクでもして、生活をしなければ、
「集合的に蔓延した空気」を吸わざるを得ないということです。
●ただ、幸いにして、
未来には、なんの希望もないことが、明々白々な事実として
今後もますます皆さんに突きつけられていく以上は、
価値観の共有といったこと、群れるといったこと、
そういう事自体が、村社会での生存すらも、
昔のようには「個の保障を全くしない世の中」ですから、
この風潮とか、空気といったものに対して、
個人的な防御壁を作ってしまう人達も増えるはずです。
共有して、そこに利するものや、展開性があるのは、
常に、高次的な次元のものだけです。
結果として表現された「形」を、思考停止した阿呆になって
共有したところで、何の意味もありません。
約20年ぐらい昔までは、社会的に量産されたり、普及したものを
受け取るということが、「個人」の創作性にもフィードバックしたのですが、
今では、逆です。それらは、個人から、力を奪うだけです。
ですから、やるならば、自分から、自分専用の「自分だけの文化」を
生み出すことです。
他者とは、形も理念も、全く共有しないようなものを。
実は、そのほうが、
高次的な意味では、有機的な共有性が高いのですから。
表面的に、同じブームや、同じ商品や、同じ価値観や、
中身の薄っぺらな「共通語」で、「群れた生活をする」よりも。
________________________________
>12/30-4:25更新
男女の平均化と共に、他にもいくつも「平均化の弊害」があります。
たとえば、それは子供社会と大人社会の壁の崩壊です。
これについては、常々、私は、20歳という年齢を境にして、
そこに存在した大人と子供の世界を隔てていた壁の重要性について、
語ってきました。
これもまた、分断されているからこそ、双方が機能していた一例です。
つまり、大人はかつて子供からインスピレーションを受け、
その逆も真なりだったわけです。
それこそ、CMじゃありませんが、
「いまどき珍しい、なんて素朴な少年なんだ!」というのは、
存在しなくなったわけです。
そういう子供もまた、大人たちの、文学や音楽や絵画などの芸術の、
「霊感的な源泉」のひとつでした。
●では、いつからこの壁が崩落したかと言いますと、
もっとも分かりやすいのは、「ゲーム」です。
もともとは、ゲームというのは、子供向けか大人向けか、
はっきりと分断されていました。
子供のおもちゃはあくまでも子供が遊ぶために作られたもので、
大人の娯楽道具というのは、ギャンブル性のあるものであったり、
マージャンとかパチンコとか不健康なものとして分離されていたわけです。
たとえば、「飲む打つ買う」です。
しかし、コンピューターゲームというものが、
大人社会と子供社会の壁を崩落させたもののひとつです。
子供たちが、大人社会の経済反映のターゲットにされたわけです。
もっともこうした子供向けの製品はそれ以前からも、
玩具メーカーから発売されていたものにもあったわけですが、
とりわけ、ゲーム機器というのは、大人と子供の壁が存在しません。
こうした、「同じシステムで出来た物質を共有する」、ということが、
両者の世界の壁を壊してしまうことになります。
●それがゲームという形ではなく、
「性欲」という形をとっても同じことが起きてしまい、
性犯罪の、加害者と被害者が共に、その低年齢化が進行したことも、
これもまた、大人社会と子供社会の壁の崩落のひとつです。
最初は大人たちにとって、女子大生がターゲットとなり、次に
女子高生、中学生、そして小学生から幼児にまで大人たちの
魔の手が伸びてしまったわけです。
またその逆向きのベクトルとしては、殺人犯の「低年齢化」です。
●共有してはならない世界を共有することの弊害という点では、
携帯電話もしかりです。
家族や友達や、警察や自治会などの特定の相手にしか通じない電話で、
かつgpsによる追跡機能を持つ機器を、子供に持たせればいいことであって、
何も「大人と同じ携帯電話」を持たせる必要などは、
「防犯上も何ひとつも必要ない」のである。
●子供と大人、女性と男性、いろいろなものが、
分断されているときには、その間に出来るパイプラインには、
独特の「圧縮」なり「フィルター」がかかります。
それが、双方の中にある有害なものの歯止めにもなっていたわけですが、
このテリトリーが崩壊すると、
「毒も薬も垂れ流し」という状態になります。
ようは、そういう流出というのは、「統合でもなければ、融合でもなくて」、
ただの「濁り」と「汚染」です。
「クソみそ一緒」という日本語の通りです。
●とはいえ、後戻りが出来ない以上は、
禅問答と同様に、こうしたものの本当の突破口というのは、
見てくれや、出ている症状を改善しようとする意志によってではなくて、
「どうしようもない、最悪の、その現状そのものの中」から、
ひねり出す以外にありません。
●
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(3648 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
竹の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -