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[3867]
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「脱線話」
by:
猫然
2007/12/04(Tue)11:52:51
本題の方のシリーズの合間にいれる話題として、
「閑話」という表題を使おうかと思ったのであるが、
「閑話」というのは、そもそも「脱線した話」という意味ではない
ということを、遅ればせながら知りました。
ここがそうした知識の宝庫↓です。
http://starscafe.net/kotoba/misuse/
かなり私の日本語も、あちこち、デタラメなわけですが、
少なくとも、名詞が違うのはよくないだろうと思い、
閑話とはせずに、脱線話としておきます。
____________________________________________________
■読者のメールでの質問にしても、報告にしても、
あるいは、購読者でない人も、
どうして、こうも「個性が全くないのか」と思うことが常です。
向き合っている事象に個人差はあるものの、
取り組み方が、ごく一部を除いて、全員同じバターン。
何を語らせても、同じ。
全く個性なし。
■個性があることが良いか悪いかは別として、
どうしてそうなるのかには原因があるように思える。
個性というものを生み出す原動力には、
2つのものが、一般的には「推定」されている。
ひとつは「バランスを意図的に崩すこと」によって作られる個性。
もうひとつは、「バランスを完全に取ることによって作られる個性」
●実のところ、たとえば、ゾンビは全員同じ言い訳をするし、
酒場の酔っ払いオヤジは、全員同じ口調になる。
ある業界人は、全員、同じ表情してて、
精神世界とか宗教にどっぷりはまる人間も、全員同じ臭さを持っている。
逆に、無神論者は、同じ臭気を垂れ流しているし、
とにかく、
この人らって、出来の悪いロボットか?、というほど、
全く個性がない。
■通常、何かの心情とか、考え方に極端に傾倒すると、
個性が生まれるかのように多くの人は思っている。
たとえば、特殊な考え方をしたり、何かにマニアックに凝っている人、
というのが個性があると思っている。
ところが、
私の見解では、それは逆である。
実は、ゾンビ読者とか、アホウな質問や提案や、言動ばかりする
しょーもない読者は、
「足りない」ものがあると私は認識している。
よく、「おつむ足りないんじゃないの?」
「カルシューム足りないんじゃないの?」という言葉がありますが、
実際に、何かの「欠落」「欠損」を私は、彼らに感じる。
■バランスとして最低限必要なものが、何か欠損すると、
人は、それが欠損している人間は、同じような顔になります。
たとえば、脳外科的に異常個所のある人たちが、
全員、似たような顔つきや言動になるのと同じです。
これのプチ異常、プチ欠損が、脳か、または意識全体のバランスの中に
生じていると、個性のない顔、個性のない文体、言動になります。
■新興宗教とか、カルト信者が、どいつも、同じ顔をしているのは、
同じ教義にハマっているからではなくて、
「全員とも、同じ欠陥」を持っているからだということです。
■ちょうど、料理では五味が基本になり、その配分の絶妙さが、
味の妙技を作り出すわけですが、
その5味のうちのひとつが完全に欠落していたら、
味は整いません。たとえ、お菓子やケーキでも塩や酸味が必要なように。
そうした「欠損」を、私は購読者や、閲覧者に感じることが多い。
つまり、何かに傾倒しても、何か非常に個性的な作家や、芸術家や、
思想家に、入れ込んでも、いっこうに彼ら自身が、
知ったかぶりの物真似しか出来ない状態にあるのを見るにつけ、
人は自分に入力する情報によって個性を作っているのではないことは
明白である。
■つまり、何を入れても、器が同じならば、チープなものしか
表現できないということです。
●一方で、____________
実は、欠損した部分がなく、ほどよくバランスが完全に整っている人、
というのは、力とか知識とか、何かの「量」ではなくて、
その絶妙なバランスを持ってして、
平均化するどころか、逆に、個性的になってゆくものです。
この原因として考えられるのは、
彼らの個性は、まるで、バランスの取れたヘリコプターの着陸場のような
平面を形成するために、
その個性は、別のところからやってくることが出来るということです。
●すなわち、普通に人間とか社会で言われる個性というものは、
歪んで、曲がって、水平の取れていない平面の癖のことを言っているのですが、
私の言っている個性は、
非個人的な個性が着陸できる大地の平面がそこにあるということです。
ですから、あからさまな癖のある人ではなく、
ただし「欠損箇所の生じないようなバランスの生き方」をしてきた人は、
自然に、その自然発生的な個性の受け手となるということです。
それがまた本人の個体性の個性ともあい混じって、
妙な味のある個性になるわけです。
●従って、個性的になりたければ、
実は、着実に、その平面バランスを形成する必要があって、
これは、いわば、そのほとんどが、わりと当たり前の生活の上の行為で
形成されています。
ただし、それは常識的に生きるという意味ではなく。
●そういうわけですから、
ごくごく一部の人を除外して、
どの人も、みな同じ欠損箇所を持っている病人にしか私には見えません。
何が欠損しているのかは、竹の間のログをよく読めば、
各自でそれも、一人一人が異なるはずです。
■最後に、本日のおまけは、私の作ったスライドショーです。
ひとつは、日本の風景。
もうひとつは、砂手と私の共同作品です。
_____________________________________________________________
そして、私が最近、非常に気に入った、
他の人の作った、映像のうちのひとつです。
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