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自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
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[3940]
■
●魂の自殺●
by:
鈴木崩残
2008/06/05(Thu)12:00:32
>6/6 9:00 文中に少し、追加をしました。
■発行未定■
>●現在、312ページ執筆済み。まだ執筆中です。
●さて、「猫の惑星」は、あまりにもジャケットが可愛い上に、
内容との誤差があるために、あれは、いつか、
「可愛い曲ばかり」作ったときの、CD用に、とっておくことにしました。
そして、現在執筆中の本は、こちらに変更した。
「魂の自殺」
ありそうでいて、どこにもない表題である。
ユングが「自殺と魂」というタイトルのものを書いているが、
「魂の自殺」という既刊の本は、どこにも存在していない。
●このタイトルによって、まずは、
自殺と聴いただけで「ドン引き」すような、平凡な頭の人達を、
いとも簡単に避けて通れるという利点があります。
なるべく、買いづらいタイトルにすることで、ここで
読者をまずは自然淘汰できます。
次に、これが、もしも、「自殺魂」とかすると、
ほとんど、どっかの右翼みたいなニュアンスになってしまう。
●そもそも、このタイトルに対して、人々が抱くイメージ、
勝手な想像というものは、若干多様であり、
中には、概念として何も把握できない人達も多くいることだろう。
しかも、悟りたいだのと、全く的ハズレなことに頭がのぼせた人たちをも
完全に読者層として、切り落とすことが出来る。
かといって、自殺志願者がこれを読んでも、
いきなり、悟りの複雑な諸相について書かれているので、
内容は、ほとんど全くチンプンカンプンであろう。
●竹の間の文というのは、常に、何が駄目であるか、
または、どういった自我の生き方や、肉体の管理によって、
意識の飛躍への準備をしたらいいかという「フォロー」を常に
語ってきたが、本書では、そのようなことは、一切していない。
つまり、分かろうが、分かるまいが、
分かる人(悟りに現在、実際に在る人)に対してしか話していないので、
砂手も私も、
精神世界に対する、批判を書いた部分も、悟りの諸相の描写部分も、
そのすべてが、全く不親切なままに、「言いっぱなし」である。
どのみち、同じものを日々、その視界に見ている、分かる人は、
一見しただけで言葉が意味するものは、分かるのであるから。
●精神世界や悟りに不必要に、うかれている、
どのようなタイプの人間に関わってはならないということについても、
それは、実際に悟りの諸相を経験している初期のプロセスにある人、
その人間に向けて書いたものである。
よって、批判的な部分も、肯定的な部分も、注意事項も、
すべて、悟っていない人に書いたものではない、
という点では、
前著、「虚無の微笑」の最後に近い部分の、
(とてもではないが、実際に経験しなければ、理解できないであろう)
私と砂手の膨大な「対談記録の続編」である、と考えても良い。
■なお、本書の序文には、本のタイトルについては、
次のような文言が書かれている。
>本書の表題である「魂の自殺」という言葉の響きは、
>読者には、「複数の意味」と「複層のイメージ」を想起させることだろう。
>それは、我々の精神の「何か」が輪廻してゆくという(進化という幻想)を
>そこに仮定した場合の、その核であるべき「魂そのものの自殺があり得る」
>という解釈も可能である。
>また、一方では、肉体ではなくて「自我」という名の「意識の枠の自殺」
>であると解釈をすることも可能である。
>また、人間が本来は保持すべき、大切な精神の何かが、
>意に反して自殺をさせられるといった、社会的な状況の連想も可能だろう。
>そして、人間の意識の最大の変化は、「自我の自殺によって起きる」、
>といった形而上学的な解釈も可能だろう。
>しかし、本書が「魂の自殺」という場合の、その「魂」の定義、および、
>何が自殺をするのか、または自殺を出来るのか、という問題については、
>本書を読み終えたときに、読者自身が、独自に、結論を出して戴きたい。
************************************************************
●ところで、掲示板から、いくつかの原稿を削除しましたが、
それは、元々は、この「魂の自殺」の前後の文脈の中に位置しないと、
その意味するところが、正確には理解できないだろうということからである。
そこで、前後に文をつけて、編集しなおしたものは、
掲示板からは削除しました。
●雑記●
ところで、私は精神世界好きな読者の中で、
最も大嫌いなタイプの人間がいる。
たとえば、それは、次のような対話を通じて、私が常に感じてきたことである。
その対話は、実際に会う中で話すこともあれば、
単に、メールで尋ねることもあった。
>無明庵の書籍の中の、どの部分に関心を持って、
>あなたは、読むようになったのですか?
という質問に対して、
個人差はあるものの、各自が、「・・・の部分が気に入って」
というものが回答として、帰ってくる。
ところが、それらのほとんどは、
「どこかの本」「どこかの人」「どこかの言葉」に、似ていた
あるいは同じであったという、そうした、単なる比較対応によるものであることが
ほとんどである。
やれ、どの部分は、どの本の何に似ているだのどうのうこうの。
ところが、彼らの人生そのもの、本人そのものの苦悩の中から
滲み出てきた、生きた言葉などは、何ひとつもなかったのである。
共感したり、夢中になったところで、その全てが、
他者からの借り物の知識とのごちゃ混ぜだらけだったのである。
■そこで、私はいつも、彼らに対しては、
次の質問に切り替えざるを得ない。
>では、そもそも、無明庵の本の前には、
>それが精神世界であっても、なくても、どういう分野に
>あなたはいたのか、関心を持っていたのか?
すると、あれこれの過去が語られる。
しかし、それらに対して、
>どうして、そのような本を読むに至ったのか?
という質問によって得られるものは、
結局のところは、彼らの、幼少時代の話にまで、
内容が引き戻れることが、ほとんどである。
そして、結論として、こうなる。
>「この人達には、全然、全く、悟りなど必要ないではないか?
> 全く別のものをこの人達は、欲しているのに、そのことが
> 全くわかっていない」
●精神世界などという、トンデモ分野に足を染めた、
彼らのほとんどの全ての発端は、
全くもってして、普通の悩みだったのである。
ただし、多くの者は、それを決して見ようとはせずに、
彼らが地球の生を受けた、個別の本当の目的からは、
全く的ハズレな、仏教だの、スピリチュアリズムだのに、しがみついて、
自分が無価値ではないという「言い訳」や「援護射撃」を
あさることに、中毒していただけであった。
●そのような中で、この一年間で、
有料購読者の中の、ごくごく僅かな人達だけが、
悟りという問題は、自分にとって、単なる、的ハズレな憶測によって
それを、必要以上に、大げさなものに祭り上げてしまい、
それしか救いがないなどと、たわけた事を言っていたという
自分の愚かさに気がついて、
ようやく、今、この時代に、自分がすべきことを見い出していった
人達がいた。
●そのごく僅かな人に対しては、
今現在の生で、本当にその人がやるべきことを理解させるために、
彼らの前世の様相まで観た上で、それを説明し、
その長い時間の経緯から見ても、
ここで、悟りになど頭をつっこんでいる場合ではないという、
彼らの前世の現実の物語を、詳細に、私から個人的に
その人の前世の観察をして、説明した人も中にはいた。
そうした人は、
本人にとってもそれが明解な「整合性」を持つものであるので、
ごく簡単に、間違った路線を脱して、
この地球で、その人が、今本当にやるべきことを、
自覚的に発見していったのである。
●さて、悟り人というものは、
一切の宗教や、人助けなどとは「全く関係がない」
ごく「個人的な精神医療」にも似た現象であるにもかかわらず、
あまりにもひどい誤解が、3000年近くも、この地上に蔓延した
その醜態を、私はこの10年で見てきたのであった。
◆しかし、
それまでの主人であった自我が死んだ「後」になって
初めてそこに登場する「何か」について、
まだ死んでもいない自我が、どうして知ることなど出来るだろうか?
そして、それが現れる時には、
以前のあなたの自我はその時には完全に死んでいるのだ。
なのに、どうしてまだ生きているあなたの自我が、
死んだ後に、あなたのいない運転席に座っている「何か」について、
語ったりすることが出来るのだろうか。
だから、
悟りについて、知ったかぶりをしたり論議するのは、
こんりんざい、二度とやめなさい。
どのような修業やよさげに見える本や知識よりも、
あなたが本当に、今、今日においても、
もう死ぬしかない、もうえ死にたい、という極限まで、
「現在そこで実際に苦しいかどうか」という事しか、
その扉を開けることは「不可能」なのだから。
それが顕在化する「交換条件」として要求しているのは、
今のあなたの完全な死なのだから。
◆どのような経典の言葉の援護のガラクタを寄せ集めて、
この、「当たり前の法則」を、
知ったかぶりをして否定するような愚か者は、
「悟り人」というものと、悟りという現象法則について、
全く何ひとつも、知ってはいない無知な者だと断言できるだろう。
◆◆◆
_________________________________________
■なお、本書には、
A4判で皆さんが自宅のプリンターで「モノクロ」で印刷できる
「書」の作品が約「50点」ついています。
私の書というものは、独特のもので、自分で勝手に描くのではなく、
それは、もともと、そこに他人がいたり、ある状況がそこに在ることで、
初めて、何かを描けるものですから、
この一年間に、私は、そのほとんどを、人にあげてしまいました。
しかし、たまたま、運良く、まだ手元に残っていた「習作」であったり、
または他人にプレゼントした傑作の「撮影」が残っていたものから
私自身が「無心の状態の書」であると確定して、
厳選したものだけを集めた。
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