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秋葉原通り魔の原因-その1「彼が殺したかったのは親である」
by:
崩残
2008/06/09(Mon)09:29:34
マスコミと日本人はアホウか?
>6/11 9:00更新
■どうも、報道の方向もおかしいだけではなく、
いくつかのブログを見ると、日本人それ自体の考え方も
狂ってきているようである。
■今回の事件を「労働条件」や「社会の閉塞感」とか「社会問題」で
語るのは、全くの筋違いである。
なぜならば、それは殺人の動機にはなり得ても、
「無差別殺人」の動機には、ならないからである。
たとえば、
もしも、殺されたのが直接的に容疑者の会社の従業員であったり、
本社が放火されたとか、そうした問題であれば、
それは明確に「社会問題」に発展してもいいだろう。
私が問題にしているのは、一般的な怨恨殺人、
つまり対象が明確である殺人と、
無差別殺人(または無関係な被害者を生む殺人)は、
動機となるファクターのいくつかが「異なっている」ということである。
■もし容疑者が明確に自分の怒りの対象を、
たとえ妄想であっても、その内容を明確にして会社に抗議をしたり、
また、誰のせいでこうなったのか、といったことを考察した上で、
該当する対象に殺意を向けたのであるならばまだしもマシである。
無差別殺人と、対象が明確な殺人は全く性質が異なっている。
私が前の投稿で、親をカウンセリングにかけることを法的に義務化しろ
といったのは、前者のケースのみである。
たとえば、明確な恨みから相手を殺した場合、
たとえば、自分に暴力行為をしていた夫を殺害した場合、
これは、後者に該当する。
しかし全く関係のない誰かを「通り魔的に殺した場合」は前者である。
>すなわち、怒りを向ける矛先を完全に、見失っているというのが、
>機能不全家族で育った犯罪者の最大の特徴なのである。
■今回の犯人が、もしも会社そのものに怒りをぶつけて事件になったとしたら、
それは「社会問題」として考え、雇用体系も検討すべきだろう。
たとえば、日本各地で、
派遣労働者が、上司を殺したという事件が、
3つ4つと連続したら、それは「社会問題」として語ってもよかろう。
■しかし、今回の犯人が怒りを向けたのは自分自身と親に対してである。
しかも、それが正しい怒りの方向としての親に向かっていれば、
それは家庭内殺人という形できちんとオトシマエがついたものを、
全く関係のない人達に向く、この原因は社会的原因でなく、
機能不全家族の末路であるに過ぎない。
●また、なんでもかんでも、アスペルガー症候群のせいで
括ろうとするのも、これまた間違いである。
(その要素だけがクローズアップするとまたも、
日本人が、こう鬱剤の乱用に至ってしまった時と同じように、
単なる外面的な「医療利権」が発生するという弊害もあるからである。)
■だいぶ以前、1995年にオウムの事件が起きたときに、
私は不謹慎を100も承知で、次のような主旨のことを書いた覚えがある。
「もしもあの教団が、ピンポイントで彼らが主観的に敵視する
政治家や宗教団体の幹部を殺したとしたら、
彼らは、全く逆に、英雄的な扱われ方をしただろう。
ところが彼らは何の罪もない国民を被害者にした。」
>すなわち、怒りや抗議の対象を完全に見誤るということが、
>機能不全家族が作り出す病理のひとつなのである。
そのような意味では、いろいろな陰謀説はあるものの、
それが元教祖の麻原の「命令で」無差別殺人が行われたということは、
明らかに彼自身のその精神が歪んだ原因は、
彼が恨んでいた「両親と彼との家族関係」が発端にあったことは
明白である。
●こういう言い方をすると、物凄い、語弊はあるものの、
「まっとうな犯罪者は、八つ当たりは決してしない。」
ちょっと以前に、
私は、国内で、家庭内殺人がやや増加した傾向を見て、
問題の起きた場所で、オトシマエがついてゆくのは、まだマシだ
ということを書いた。
にも関わらず、またしても、無差別殺人に飛び火してしまっている。
■こうなると、この劣化した人類には、
「愛し方」など教えるのは100年早く、それ以前にまず、
「人間」になるための、最も初歩的な学習である、
>「正しい怒り方」から、教え込まなければならない
ということになるだろう。
■正しい怒り方というのは、
>1-自分の怒りを徹底して、その前後関係と原因を自己分析しながら、
>2-それでも怒りの収まらないものを、
>それを向ける怒りの対象(人など)が正しいのかどうか、
>誤爆していないかをも自分の頭で検討したうえで、
>3-自分の主張が正当であるという信念のもとに、
>それを(暴力や脅迫以外の方法)を使って、
>その対象に、直接にぶつけるということである。
>すなわち、これ「ケンカ道」なり。
■追記■
今朝の報道によれば、未確認情報だが、父親は酒乱とのことである。
(この報道はのちに誤報と判明。父親は酒はほとんど飲まない。)
犯人は、被害者の数を聞いて、涙したというのが、
これは、完全なまでに「ティピカルなアルコール依存症による暴力親」
と同一反応である。
つまりこの犯人は(酒を飲む飲まないに関わらず)親にそっくりなのだろう。
そして、その親が酒を飲んでいないという場合には、
今度は、その両親の親の中に、アル中で暴力を振るった者がいる可能性がある。
酒乱の行動特徴のひとつに、
>「妻に暴力をふるっておきながら、あとから泣きついて謝る」といのが
実によくあるらしい。
つまり、この父親も、そして容疑者自身も、たとえ「酒を飲まなくても」、
>何かあったときに、何も自覚する努力もしようとせずに、
>とにかく、平に謝ることしか出来ない人間であることだろう。
こうなると、容疑者の両方の親の祖父母までどうであったのか
情報が必要になるだろう。
■ということで、こんりんざい、この秋葉原の無差別通り魔事件を
社会問題としてなど語るなということ。
目先の何の効力もない銃刀法などを規制強化する暇があったら、
理不尽な「無差別犯罪者」に対しては、その両親もカウンセリングを
受けることを法律で徹底して、義務付ける法案を、さっさと作りなさい。
***引用***
両親と弟の4人家族だった加藤容疑者は、
高校卒業までこの自宅で暮らした。
近所の住民によると、教育熱心だった両親から厳しく育てられたという。
子供のころしかられた加藤容疑者が、玄関前に閉め出され、
泣き叫ぶ声を聞いた住民も少なくない。
(青森の)真冬の極寒の中、薄着で外にいる姿も目撃されている。
「しつけか、虐待か分からなかった」(ある住民)
そんな加藤容疑者を母親は複雑な目で見ていたようだ。
母親は高校時代の容疑者について親しい知人に
「2人で食事するのがとても苦痛。(97年に神戸市で連続児童殺傷事件
を起こした少年)『酒鬼薔薇聖斗』と同じ年なんだよ。怖いんだ」
と漏らしている。
具体的に何が怖いかは語らなかったが、おびえた様子だったという。
****引用終わり***
________________________________________________________________
マスコミはアホウか?
記者の質問
>記者団から「事件を防げなかったのか」などの質問が出たが、
>父親は「捜査の関係もあり、この場ではお答えできない」。
■これで、引き下がってしまう腰抜けのマスコミがどうかしている。
これではこの父親は警察に
「余計なことは、捜査の関係があるのでと理由を言って、
しゃべらないでください。捜査は我々が行い、
我々が情報を整理する(コントロールする)」と言われたと
自白しているようなものである。
■容疑者を取り調べるのは刑事の仕事。
一方で、食らいついてでも両親や周辺人物に独占取材をするのが
記者のプロとして仕事である。
それを放棄したり、警察側の規制におずおずと従うマスコミは
馬鹿そのものである。
この事件、あるいは類似する事件を本気で原因を知ったり
予防したいのであれば、
この手の事件は、全て、公判を待つことなく、
徹底的に、家庭環境から綿密な取材をして、
推測ではない事実を積み上げるべきである。
もしもここで、
「格差社会のせい」とか「挫折感」とか「負け組みだから」とか
「労働条件のせい」とか「インターネットのせいとか」、
そういう「社会の暗雲のせいにしてしまった場合」には、
容疑者すらも含めて、誰も責任の自覚を生むこともなく、
原因も分からずに、同じ事を繰り返すのみである。
いいかげん、私は、この手の事件は、
こういう言い方をすると、不謹慎は100も承知で言うが、
「見飽きた」。
この手の無差別殺人や、幼児への殺害事件のほぼ大半が、
親子関係に由来することは、明々白々な事実である。
むろん親だけが悪いのでもなく、子供だけが悪いのでもない。
どっちも悪いのだ。
ただし、子供というものがもしも、生まれたときにまっさらであると
あえて少し無理のある「仮定」をするならば、
ほとんどの原因は家庭環境に由来することになるのである。
学校などは、さしたる原因ではない。
学校に通う子供たちそれ自体の基盤を育てたのは、親だからである。
■いつも思うのだが、普通の対象の明確な怨恨系の殺人事件ではなくて、
「この手の事件」を本当に解決したいのであれば、
犯人がたとえ未成年者であろうが、成人だろうが、
犯人と共に、「その犯人の親」をも、
強制的にでも、カウンセリングにかけられる「特例法案」でも作った方が
良いだろう。
むろんそれは、その親の責任を問うたり罰するためではなく、
>「家庭での子供への接し方に、そもそも大きな間違いがある」
>ということを白日の下にさらすべく、
徹底した原因解明をするためにである。
●もっとも子供に接するその親それ自体が、
1人の人間として、たいした生き方をしてこなかったのだろうから、
子供への接し方など教えても、無駄なのかもしれないが、
少なくとも、
「馬鹿につける薬(馬鹿親につける薬)」ぐらいは、
いくつかの行動療法として、作れることだろう。
>以上までは、6/10-23:00 に記す。
>それと、文末に、少し新しい情報を加えておきました。
____________________________________________________________
>これ以下は事件発生翌日の、6/9記のもの。
■秋葉原通り魔事件の犯人の人物像は、比較的簡単に推測できる。
まだ発生から一日も経過していないために、
非常に少ない情報しかないが、
現象を、ありのままに観察すると、
そこには、以前から私が指摘し続けてきた「問題」が浮上するだろう。
まずもってして嘘である供述は「誰でもよかった」という言葉。
次に、「世の中が嫌になって」という言葉も嘘である。
もともと、供述調書というのが、カウンセラーでもない、
単なる刑事によって行われるのであるから、
「・・・だな、そうなんだな」
という質問で、首を縦に振っただけで、それが報道されるのが常である。
■しかし、ここでは、あえて、その犯人が、
報道されている通りのことを言ったと仮定して推論を進めてみることにする。
>第一に、この犯人は「世の中のせい」にするほど、世の中の事など
>何も考えたことがない人物である。
>次に、「誰でもよかった」というのは完全な嘘である。
■皆さんは、人を殺したいほど憎んだことがあるだろうか?
もしも、皆さんにそうした感情経験があれば、
そうした場合に「誰でもいい」という事に決してならない事実を
あなたは理解できるだろうか?
たとえば、あなたが、毎日、口うるさい上司を殺してやりたいほど
憎んでいたとします。
すると、その貴方の怒りは、その上司に全て集中し、
一方で、あなたはその上司に同じように苦しめられている他の社員に
対しては、むしろ、擁護したいぐらいの気持を持つことだろう。
つまり、特定の理由で特定の人物に憎悪を向ける人、
たとえば、恋愛がらみの怨恨などは、
すべて、「対象となる人物以外の人を殺そうという意志が生まれる事は
ほとんどない」ものなのである。
■では、この犯人は、一体何を怒りの対象としていたのかといえば、
間違いなく、それはこの犯人の「両親」に対してである。
無差別殺人という結果となる事件のほとんどのケースは、
犯人が親に対する憎悪かありながら、
それをいざ親に向けようとすると、それが出来ないという、
自分への怒りもそこに重なっている(二重憎悪である)ことが殆どである。
おそらく、今後の公判で、この犯人の弁護士らによって
果たして、それが引き出されたり、報道されるかは分からないが、
>いつでも日本の報道やジャーナリストというのは、
>私が以前に言ったように、
>「家庭」という場に踏み込もうとしない悪癖を持っている。
例えば、その結果が、妹を殺害した歯科医の息子の判決のような、
第一審の「異常すぎる判決」にもなるのである。
■なお、今回の犯人には薬物反応はなかったらしいということから、
麻薬の類ではないにしても、
いつものように、いつも問題視されてきた「抗鬱剤の使用による副作用」
は、いちおう、疑ったほうが良いだろう。
◆スーツの色や姿が、ややカタギでないように見えることから、
「自称暴力団組員」という情報も初期には一部の新聞で流れたが、
実際には、単なる派遣社員のようである。
しかし、仮に本当に何かの組員だったとしても、それは二次的なことであって、
「基本的な犯行動機」は、あくまでも「犯人の家庭に起因する」と見ている。
■そして、次に、私が推測するのは、この犯人は、
必ず「殺人ゲーム」の類のコンピューターのゲームをやっていたはずである。
その根拠は以下の通り。
まず、人間は、殺人をするという意志を、どれだけ自分で固めたとしても、
車両で突っ込んだあとに、
通常の神経をしていたら、十数人もの人間を刺し続けられるほど、
人間の感情というものは、持続しないという性質を持っている。
つまり、戦争地域での戦闘でもないかぎりは、
せいぜい1人か2人までしか、その決意や感情は続かないのである。
■ところが、こうした異常なほど長い時間連続的に殺人をする意志を
維持できるということは、
それは、この犯人が、犯行現場に、バーチャルな殺人ゲームの
妄想を重ねていたからこそ出来ることだろうと私は推測している。
>つまり、あらかじめ頭の中に、イメージストーリーが
>かなり明確に組み立てられていなければ、
>これほどの「持続的な犯行」は、通常は不可能なのである。
したがって、この犯人は、普段から、
殺人ゲームをしていた事によるバーチャルイメージを持っており、
現場の情景に、そのイメージが重なることで、
犯人は、現実とバーチャルの区別を「意図的に曖昧にした」のであろう。
つまり、自分で、それがあたかもゲームの出来事であるような幻想を
持つように、自分に演出したのである。
■そして、私は、こうした事件の報道を見るたびに、
いつものように、マスコミの聞くに耐えない糞みそのコメントに
うんざりする。
やれ「心の闇」と無力に、何も考えようともせずに、ニュースで連発するが、
「心の闇」などというものは、どこにも存在しはしない。
すべての犯人の中に「明確な原因となる形と色」が必ずあるのである。
そしてこの犯人の場合にも間違いなく、
それは、親子関係に起因していることだろう。
社会不安だの、世の中に対する絶望だのは、
この犯人の身勝手で都合のいい、ただの「言い訳」でしかないのだ。
>この人物が本当に殺したかったのは、彼の親のはずである。
そして、そのような背景が、犯人の成育環境に必ず見出せるはずである。
■ニュースの解説者も、コメンテーターも、
またも、口を揃えては、「どうしてなんでしょう」「理解できません」
「怖い世の中になりました」とかばかりを口にする。
◆しかもその上、不注意に
「今の格差社会がこういう事件を生むのでしょうか」などと、
思慮のないコメントを垂れ流すことで、
「世の中が嫌になったからという理由でやっても、
報道は、それで片付けてくれるんだ」
とばかりに考えてしまう馬鹿者と、
模倣犯を刺激する可能性すらあるのである。
誰1人として、この犯人に、
>「世の中のことなど、
> 一度として、真面目に考えたこともないやつが、
> 世の中のせいにしてんじゃねぇーよ!」
>「親に逆らえなかった、お前自身に腹を立てているだけだろう」
>と「本当の事実」を言い放つことの出来る者が1人もいないのである。
■無差別殺人の裏には、
それが重度の人格障害や、薬物中毒でない場合には、
必ずといっていいほど、その動機は、社会とか会社とか
そういった抽象的な対象物では断じてなくて、
「自分の親に対する憎悪」と、
それに対して自分自身が言動を起せなかった「自分へのふがいなさ」、
それが、「誰でもいいという、無自覚な言い訳」となって、
無差別に何の罪もない人達に飛び火するという構図があるのである。
■実際に、社会に対してであれ、
個人に対してであれ、本当に具体的に何かを恨んでいる人というのは、
自分の「憎しみの対象と、憎しみの対象とならない人達」との
「区別」が、かならず、きちんと出来ているのである。
だから、そうした犯人の場合には、
必ず、特定の人物だけに殺意を向けてその他の人を傷つけようとすら
全く思うまい。
これは、怨恨の原因が本人にとって、はっきり意識化されている
ほとんど全ての殺人事件に共通していることである。
(事故による巻添えを別にすれば、)怨恨の「対象以外の人達」は、
ほとんどの場合に、犯人にとっては殺意の対象とならないのである。
しかし、自分の殺意を
「どこに向けたらいいのかを完全に見失っている」ような、
こういうタイプの犯人は、
実際には、その者の「最も近い位置」に、その本当の憎悪の対象がいるのである。
■日本という国は、異常なほど、
犯罪心理学が「未開人なみに、未発達である」といえるだろう。
>家庭というものを、日本人のなーなー感覚で聖域化したまま
>そこに分析のメスを入れることを躊躇したままで、
>その家族の中にあった問題の原因分析まで切り込まないかぎりは、
>今後も、こうした事件の発生に対して、何らの予防も出来ないことだろう。
いくら、警備を強化したところで、
原因に対する予防法を知らねば、全くの無力であり、
結局は、安直に、言論を規制したり、「銃刀法の規制」を強化したり、
罰則規定を強めるという、
いつものごとく、抜本的な解決には全く繋がらない、
「知性の全くない稚拙な治安維持方法」によるしか、脳が無いのである。
■そもそも、こうした問題のほとんど全ての震源地は、
家庭なのである。
今回は、秋葉原、ゲーム中毒の多い街、
という暗示的な場所でそれが起きた上に、
しかも、日付が、大阪の池田小の事件と同じであるという偶然の一致すら
含んでいる。
この事件が日本社会に突きつけているものは、
「単なる、わけのわからない事件」とか「人間がおかしくなった」とか
「社会不安が原因」とか「ストレス社会」だとか全くそんな事ではなく、
そもそも、それぞれの犯人は、必ず、
親との関係の中に、明確に「ワケの分かる」原因を持っているのである。
__________________________________________________________
◆ただし、最後に、今回の事例では、「その可能性は極めて薄い」が、
「全く別の可能性」があることは、いつも竹の間でも言ってきたことである。
それは意図的な事件である場合。
いろいろな政治的、または経済的な利権がからむときに
時として犯罪は、意図的に作られる「可能性」もある、
という話は以前にもしました。
1-それは特定の別の事件への注目を薄めたり、隠したい時に、
それをマスキングする為であることもあれば、
2-国民感情を、権力側が「意図する特定の方向」へと
誘導する目的である場合もある。
その一例としては、「死刑肯定の空気を演出をするため」とか、
または「裁判員制度」などを視野に入れた場合ですが、
それにしても、もしも、そんな事を画策して今回の事件を計画したやつが
いたとしたら、鬼畜以下の下種です。
3-また、新しい法案やさらなる法規制を作りたい者がいる場合に
印象に残るように、わざと作り出される凶悪犯罪もあるかもれない。
そして、その時に、使い捨ての鉄砲玉に使われるのは、大抵が、
自称暴力団とか自称右翼で、
その後の「系図」は全く解明できないまま(またはわざと追及しない)に
終わることがほとんどである。
場合によっては薬物併用の洗脳や、
長期催眠も乱用されているかもしれない。
◆しかし、このあたりは、毎度おなじみの、うんざりするような、
ある事ない事を言っている巷にある「陰謀説」の領域なので、
今回は、テーマにしません。
そもそも、陰謀論は、私の視界の中では、
物事の本質を観察するには、あまりにも次元のスケールがちっちゃくて、
全く関心がないので、ここでは掘らないこととします。
__________________________________________________________
◆ちなみに私個人は、
死刑には「賛成派」で、裁判員制度には「断固反対派」です。
1-なぜ、民事裁判とか行政裁判とか、もっと普通の裁判事案から
市民に参加させないのかという疑問。
2-メディアに露出することの多い著名人の身の安全やプライバシーなどは、
全く守ってくれないといった、完全に手落ちの仕組みであること。
3-そもそも裁判員を動員する事案とそうでない事案を司法が勝手に
振り分けたり出来るのか出来ないのかも、曖昧な状態にあること。
4-「そこまで言って委員会」によれば、そもそも、この裁判員制度は、
「ほんの火遊びのつもりが、大火事になってしまったようなものだ」
という、この制度の発足そのものに「愚かな経緯」があるらしいこと。
5-民主国家のようなフリのポーズだけして国民を裁判にでも参加させれば、
いっぱしの先進国の、お仲間入りでもした気になれるとでも、
どこかの馬鹿が思ったのだろう。
6-そもそも、テレビで裁判の様子を放送もしないような
そんな不慣れな状態の「裁判後進国」が、
知識や経験のない国民を裁判員にすること自体が狂っていると言える。
7-しかも、裁判の短期化と裁判員制度とは「全くの別問題」である。
_________________________________________________________________
>6/10 20:00 更新
●やはり、容疑者から、出てきた家族問題●
ごく一部のメディアしか伝えていないが、
新たに判明した事実は以下の通り。
加藤容疑者は、
1-自分が切り捨てられて弟に両親の期待が移ったと判断した。(兄弟間差別)
2-父親に対する憎悪を書き込みの中であらわにしていた。
3-着るものも親の許したものしか着られなかった。
4-自分の作文に親の検閲が入った。
これらが、文集にある
「私はアナタの人形じゃない」の言葉を生んだと考えられる。
■以下は私の推測である。
3-母親が顔にアザを作っていたという近所の人のコメントがあるが、
加藤容疑者の家庭内暴力ではなく、
私は、「彼の父親が彼の母親を殴った結果できたアザ」である可能性を
疑っている。
こうした場合、母親は、近所への体裁を作るときに、
夫に殴られたというよりも、息子に殴られたという方が
世間体は保てるからである。
両親揃って教育熱心だったというが、
実際には、父親の横暴が家庭で幅を効かせていたのだろうと
私は考えている。
そしてそのとき、母親は、父親に服従する方を選び取り、
息子の側の味方には決してつかなかった。
その分、容疑者の弟のことだけは守ろうとしたのかもしれない。
ただし、のちに、容疑者の両親は別居している。
__________________________________________
■また、隣の松の間では、
>「護身術など犯罪に対しては何の役にも立たない」
という論旨の投稿をしてありますので、
参照しておいてください。
_______________________________________________________________
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