▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
▲竹の間へようこそ▲
掲示板
Title
島流しリンク
自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
性と死のホームページ
★
「竹の間自薦投稿集」
★
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[3980]
■
■「暗闇」または「虚無」の応用文化を持つ天体。
by:
崩残
2008/08/02(Sat)04:23:10
地球で忘れ去られている暗闇・虚無
●体外離脱または夢の世界において、
ほとんど象徴として登場しないものがある。
それが何だかわかるだろうか?
それは、実は天体である。
●つまり、我々が目に見ている、太陽、月、星などといったものは、
あくまでも物理的な次元における「センター」またはイデアとして
機能しているが、
非肉体的な次元では、その場を照らしている「光源」については、
ほとんど自覚されない。
あなたは夢を見ていて、空の太陽を見たことがあるだろうか?
天変地異などのシーンでは希にあるものの、
離脱中や夢に、星や月や太陽が明確に出てくることは、
全くないわけではないが、ほとんどない。
●つまり向こうの世界では物理的な天空の天体ではないものが、
その場を仕切っている。
●たまに、向こうの世界で、心霊的な太陽を見たり、
または、やたらに光る(こいつヤマギワ電気の電飾か)というような
存在がうろついていたりすることはある。
しかしその場を仕切っている太陽や心霊太陽は、めったに意識は
されない。
ここで、私はいつも、地球の人達が、
「一体、いつまで馬鹿な固定観念の中にいるのだろう」と、
嫌気がさす概念がある。
それは「光」に対する崇拝的な概念である。
●そもそも、暗黒に見える空間に、昼に太陽が昇り、
夜には月や星が出る、というたまたま地球に固有の環境構造があったために、
それに故に、古代から人々は、「光モノ」にやたらに信仰を持ってきた。
しかしこれは、あくまでも偏りの激しい「狭い認識」。
というのも、
例えば、ネガとポジが逆相の知覚を持つ生き物がいたとしたら、
夜空の星がどう見えるか想像すればいい。
●彼らにとっては、
白い空間に、ブラックホールのように月や星が見えるのである。
そうなったとき、彼らは地球とは真逆に、
それらの「暗黒」「黒いホール」「虚無的スポット」といったものを
「彼らの信仰の中心」に添えるだろう。
実際、私はそういう種族を知っている。
というよりも、私自身が、その出身でもあるのだから。
●このように、何事にも「逆相」がある以上は、
光で構成される世界が、何も創造的であったり、善であるわけでもなく、
暗闇や暗黒、虚無といったものが、その種族の絶対的な軸となる、
そういった文明、文化も地球外には存在する。
さらには、地球外でなくとも、そもそも、
皆さんが夜睡眠に入るときには、いくら光が大切だとか美しいとか言っても、
あなたは、電気を消して眠るだろう。
この地球にあってさえも、暗闇は、
我々を別の世界に連れて行ったり、
または肉体の安息に必要なものであり、
そもそも、今もなお、地球には、夜が「本当に真っ暗である地域」と
その時間帯が、一日の「半分」はあるのである。
この明白な事実を現代人、特に都会の人達は、すっかり忘れてしまっている。
●「無音」について同じである。
夜になると、季節によっては、
自分の耳鳴りしか聞えないような山奥は今も存在するのだから。
■この暗闇や無音といったものを、人間が過剰に嫌悪したり、
また、「暗闇」「虚無」「暗黒」などが崇拝の対象ではなく、
逆に、悪魔的な領域として誤認された理由の一つは、
夜の暗闇が、我々の視界を奪い、「生存」本能に対して脅威になるからである。
足元が見えないこと、獣が見えないことは、
森で暮らす人々には、恐怖でしかない。
しかし、これは「肉体の生存に価値観を置いた場合」という
生命のごく反面にしか過ぎず、
一方で、既に述べたように、我々が安息や睡眠に入ること、
つまり生存の為の肉体管理を休む場合には、
逆に、光は邪魔なものとして作用する。
安眠する人間にとっては、光など「目障りなもの」でしかないのだから。
●こうした物事の当たり前の「バランス」をわきまえていた人達は、
次の体系を持っていた。
黒い窓、
黒い瞑想対象、
洞窟内で得られる暗闇、
そして暗黒への信仰。
●前述したような種族の場合には、
たとえば、肉体が死んだ場合にも、そこで経験されるものは、
光がやってくるのではなく、
「ブラックホールのお迎えが来る」、
といった具合に、そこも地球とは「逆相」になるわけである。
●だから、私は地球でありふれた、神秘体験や、または体外離脱の
体験記の中に、「光の放射物の存在」がでてくると、げんなりとし、
「また、この手の話か」と呆れてしまう癖が私にはある。
そういう世界像は、私はもう、遥か昔から、見飽きて、げんなりしている。
その意味では、ロバートモンローも、その視点でしか認識を
持てていないことには、幻滅を感じるものであったし、
また、書籍「虚無の微笑」で解説したように、
地球の文献では、ほとんどの場合の「光の象徴」を伴う体験は、
>「肉体、その他の身体の、
> 生存本能と、抵抗機能が作動する結果」として、
>そうした光のヴィジョンを生じてしまうと、本に書いたとおりである。
本当に純粋な神秘体験では、光は決して認識されないのである。
●むろん、地球という固有の文化の中では、
太陽や月が派手に光っていたために、それはしかたのないことではあるが、
しかし、物事の普遍性、両極性ということをよく知っている者であれば、
我々と真逆の視点から、光と闇が逆転した視界を持っている種族がいる
ということを知った方が良いだろう。
地球で、過剰に光が神聖視されたり、価値を付加されてきたのは、
あくまでも、この惑星の大気や自転の状態に起因しているだけなのだから。
●また、光とき逆相の彼らに、
もしも「死の経験」があるとしたら、
光に包まれるのではなく、暗黒に包まれることに、
彼らはこの上もない至福を感じるといった構造になっているわけである。
●このあまりにも当たり前の、光と闇、夜と昼のバランスが、
おそらくは、下手をすると紀元前8000年とかそのあたりで既に
失われてしまい、その後、地球では太陽信仰がのさばったようである。
●ただし、ごく一部には、重要な手法として、
暗黒や暗闇や虚無的象徴物を瞑想対象としていた流派もあったし、
私自身が、今から3500年ほど前の中東では、その実験に属していた。
●死人禅といった技法に、そのちょうどきっかり半分に、
闇の要素が重要視されているのも、これと関係する。
あまりにも、暗闇の持つ、そのバランス、価値、用法、が
地球では失われてしまい、
ごくごく一部の人を除いては、
猫も杓子も「光」や光源に価値観を持ち、
「色」「形」といった要素に、魔術的な技法を依存している。
しかし、この極度なアンバランスが、
地球の人間の意識の中に、生産過剰、とにかく増えればいい、
産めばいいという野蛮な数の論理や、
活動性にばかり、価値観の重点を置きすぎる、精神病を発病した
原因のひとつであると私は認識している。
そういう意味では、これから5年の間に、
私は、夜が昼と同じ価値を持つという当たり前のこと、
そして、星や月のない夜の持っていた本来の価値、
というものを、復興する予定である。
むろん、何をどうするとも、何も口で説明もせず、
どうやるとも説明もせず、
皆さんの意志など無視して、半ば「強制的」にということ。
闇といっても、ニュースで馬鹿なコメンテーターが言う
心の闇でもなければ、事件や自殺の増加を意味するのでもない。
それらと闇とは全く関係ない。
今起きていることは、闇の介在によるものではなく、
歪みすぎて、屈折しすぎた光の末路だからである。
また、それは、「お馬鹿仏教信者ども」が言う、無明や闇でもない。
全く純粋に、
本来、闇が闇として機能しているべき機能を
単に、当たり前の本来の「位置」に、復元するだけである。
______________________________________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(3980 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
竹の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -