▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1222]
■
「白け」
by:
砂手
2007/08/27(Mon)17:32:03
よく勘違いされることのひとつ。
白けている人。
白けるとは、
起こっている現実と関わらない為に
自分自身から逃げることによって、なされる保身。
そして、
物事と関わらないばかりか、
その現実と対峙すべき自分自身からも逃げ、
目を背け、関わらないゆえに、
自分自身の、思考、感情に対しても著しく鈍感になり、
自分の神経すら、働かなくなっているので、
さも、物事に対して、始めから何も感じない風である。
ゆえに、彼ら白け人は、自らの『白け』を曲解して、
「自分は達観している」
「自分は不動心」であると、言ってはばからない。
むしろそのようにして、自分の『白け』を自慢している人は多く、
特に精神世界には多いようだ。
ここの読者からも、
そのような『白け自慢』のメールをいただくことがある。
そのような人達は『白け』と『虚しさ』の違いを知らない。
自我限界の界隈での、虚しさは、苦痛を伴なうものです。
その虚しさを味わう者が、
自分を「達観している」と思うのは不可能。
『白け自慢』の人が「何とも思わない」「あれはもう終わったこと」
と思いこんでいる対象は、実は何も、終わってなどいない。
ただ、それらは追いやられ、
さも、通過した過去の一部がごとく隅に追いやら硬直しているだけだ。
『白け人』は、それを「達観した」と思う、または「思いたい」らしい。
一方、本当の虚しさとは、
いつ果てるとも知れない。
・・・
『白け人』について話をすると、大きな猫が、繰り返し言った。
「自業自得だ。
誰もが、望んだ通りになっているだけだ。
逃げて逃げまくって、何も感じないことを望んだくせに、
『自分は、鈍感で、わからなくなっている。
どうしたらいいのでしょう』
などと言う。
それは、全部「自分で望んだことだ」というのに。
全員が全員、望んだ通りになっているんだよ。つまり自業自得。」
「何一つも漏れることなく、全ては、彼らの自業自得」、
この言葉を、大きな猫は、何度も言った。
・・・・・・
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(1222 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
梅の間 の最新投稿
オーガズムTop
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -