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掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1233]
■
▲ある読者へのメール
by:
砂手
2008/01/03(Thu)18:12:34
以下、砂手の言葉です。________________________
●このメールの内容はあくまでも
ある『行法実習者』に宛てたものですが、
この投稿の内容に対し、
行法を実習されていない方から、ご感想をいただくことがありました。
確かに、行法実習者のみへの特殊な内容という訳ではないので、
実習者以外の方にとって、
部分的に感じるものも、あるのかもしれませんが、
基本的には、
行法に手を出そうとしている人と、
すでに行法をされている人への、
『行法をするならの最低限の心得』と、受け止めて下さい。
________________________________________
▲砂手です。
メールを読ませていただきました。
感想を率直に述べさせていただきます。
大きな猫と、
「本を、何年も前に見ていながら、
1年前に行法を始めるとは、あまりにも遅い。そして、
まだ1年とは、あまりにも短か過ぎる。」
と、話していました。
あなたの、購読申し込みの挨拶の文章も含め、
ずばぬけて硬く「抑圧感のある人」だと思いました。
衿を正すにもほどがあるという感じです。
礼儀正しいのは嫌いではありませんが、
本心からでないのと、
あるいは、相手本位の礼儀正しさは、好きではありません。
その抑圧はほどが過ぎると、儀礼で片付かない部分で
とても間抜けな無礼を働くことになるようで、
あなたにもその傾向を少し感じました。
▲ご報告を読み、
あなたの行法は、自我崩壊を目指す時期では無いと思いました。
あなた自身が「優れている」と認めている他者への憧れが強すぎ、
それをコピーしたいと思う働きがあまりにも邪魔です。
何にとって邪魔かというと、あなたが、
ご自身の自我とサシで向き合うことに対して邪魔です。
あなたにとっての、その憧れの対象、各々が
@なぜその人達を理想と思うのかの理由
そして、さらに、
◎◎◎その価値観は、いつごろ始まって
◎◎◎なぜ、それに自分は価値を見出すのか?
ということの分析するべきでしょう。
自我は、その人の自我なりの利害関係の中で動いています。
どんなに純粋に見えるものに精神を捧げているように見えても、
その利害関係の中にいますから。
▲無明庵の行法を、そういった自我の理想を、
自分から具現化するための手段にすれば、
(それは、ご利益主義にカテゴライズされることですが)
それ相応の現象を引き起こすのみになり、
いちいち、細かい現象に気を取られて行くでしょう。
あなたの『理想像』、『理想の性質』を取りこむための動機から、
【行法で自己武装したり、行法を武器】とするならば、
それが為されれば為されるほどに
自分の自我との対峙を不毛に遠ざける結果となるでしょう。
そういった不純な動機で、行法をやる者を
実は、大きな猫は一切、止めてきませんでした。
大きな猫にとって、その者が自業自得になることに対しては、
どうでもいいのです。
それは、私が、端で見ていて、感心してしまうほど、透徹されています。
私が見て来た限り、そして大きな猫もそう言いますが、
どんな不純な動機から行法をやるにしても、
行法をやれば、何かしら、それだけでどうにかなったような者は
ただの1人としていませんでした。
自らを、「白日のもとに晒す手段」であるはずなのに、
どうにも【成長する手段】だと、勘違いしてしまうのですね。
行法を、【自我の利益を手にする手段】と見まごうような現象が、
行法初期には起こる為、行法初心者は、舞い上がることが多いようです。
▲不純な動機を隠して、
あるいは、自らの不純な動機に気付かずに行法を始めた人でも、
行法を始めると、生理現象のように、
あなたと同様の現象を呈します。
ここで大切なことがあります。
その現象の折に、
【再び、いかに、自分をつきはなして、自己分析をするか】
この事のみが、その後、行法をやめるにしても、
その後、行法を続けるにしても、【分かれ道】です。
▲それが何の分かれ道かというと、
【どこまで、己の自我の正体を捕らえているか、覚悟があるか】の
分かれ道です。
ですから、しっかりと見極めた人達がが、
行法を止めるにしても、次の道をしっかりと歩まれてゆきます。
本人に、後悔はなく、はたから見ていてもすっきりしたものです。
それはウチでは美談になるほどの、潔さなのです。
反対に、見極めもせずに、たらたらと、
何年も行法をやっているのみ、の者もいます。
▲今回のあなたからの報告は、
ただの状況説明のみで、
それに対する、自己分析が全く皆無なのが最大の特徴です。
評価の丸投げは、他力本願が過ぎます。
評価ではなく、具体的質問を主題にしていますが、同じ事です。
【あなたが、今抱く、「私見」こそが、
どう、自己を分析するのかこそ、あなたの自我を雄弁に語るのです。】
▲人に質問する前に、
『自分はその現象に対し、どう感じ、
それを感じた自分を、どう分析したのか』を書く事です。
他者に対してではなく、
まずは「自分自身に宛てて」、です。
▲人に質問する前に、
『自分はそれに対し、まずはどう思ったのか』を
書くことは、もちろん、これは、
失礼な質問者の人にありがちな、
「個人的な結論や既に答えが本人の中で出ているのに、
人にわざわざ質問する傲慢な態度」
とは違います。
▲重ねて言いますが、自分で、それをどう感じ、どう思ったのかを
これからは、認識し、それを述べてから、
質問があるのなら、質問して下さい。
その認識は、認識することに意味があり、その認識が
正しいか、間違っているかではありません。
正体を認識できれば、正しく、
認識できなければ、間違っている、ということです。
どこまで、自分を、白日の元にさらしているか。
優れた芸術家とは、そういうものだと思うのです。
そして、残念ながら、行法をすれば認識できるようになる、
というものではありません。
その人が、【何を本気で望んでいるか】のみです。
体験的なことを望むタイプは体験をしやすいようです。
▲そして、たとえ、相手が、自分の理想を体現した人でも、
たとえ、相手が、全面的に信頼できる相手でも、
自分の手綱から、手は離さないことです。
あなたは、そこが全くダメで、ゆるいのです。
無礼とはそもそも、己自身への無礼から始まりますが、
【「己」の手綱を手放してしまうことこそが、
無礼の最たるもの】です。
抑圧とは、自分以外の人、観念、などに無理矢理、
手綱を取らせることに他なりません。
あなたにとって、それは、今に始まったことではないでしょうが、
行法をすれば、その傾向は、露骨になってゆきます。
ですから、ひとつには、行法を始められて以降に変化したという
恋人や、周囲の友人との関係、その人達に対する時のご自分について、
よく、観察、考察されてみて下さい。
▲あなたは、律儀な努力家と見うけられますが、
それはあなた自身の為なのでしょうか?
単純に言えば、
特定のどなたかに認められたかったような思いが
しこりになっていると私には見えます。
以下、あなたの性質から、このようにお見うけしました。
@自己分析ができない。
A自分に厳しいように見えて、
最終的な評価は他者にゆだねてしまうような報告内容であること。
Bその評価を下すのは、自分の信頼できる相手でなければならず、
その相手を人生において、探す傾向にある。
Cその評価に万全を持って向かうため、
自分を律して、律儀な努力を惜しまない。
(きっと、自分はまだまだだとか、足りないとか、
自分は怠惰な怠け者だと、言うかもしれませんが。)
このように、自己評価を、自分の中からでない他者
(すでに死んでいる人、過去の人でも同じ)や、
対象にゆだねてしまうのはよくあることですが、
決して「当たり前」のことではありません。
つまり、【自分の中から出でた物ではない何か】、
【自分以外の価値ある物に対し、
自分の身を委ねてしまいたいという願望】
よくあることですが、これは当たり前のことではありません。
異常なことだということです。
これは、率直に言いますと、【自己と対面する以前の状態】です。
行法について、よく考えてみてください。
始めた時の【意】のみ行法の結果として、反映されてゆくのです。
▲あと、ご報告にありました、人間関係の清算のプロセスですが、
100人中100人自然と清算されるということはなく、
それらは全て「意識的」でないと意味がありません。
以前に、掲示板に購読者の方から報告があったように、
必ず大きな痛みを伴うことになります。
行法によって、人間関係が簡単には清算され得ないことは明らかです。
立ち向かわなければならない問題や、関係性が急浮上するのみです。
▲それと、私が、大きな猫に接する人々と
あるいは、行法をはじめた人々を観察していて
特有の共通する現象がありました。
皆、一様に、はじめの数ヶ月、遅い人では数年単位で、
【その人の自我の願望が、叶う】のです。
自我が気持ち良くなるのか、
はたから見ていて恥ずかしいほど、「お調子に乗る」ような現象です。
あくまで彼らの主観として、
【苦痛すら耽美に感じられる】ような期間です。
無自覚な人ほど、それに酔います。
そして、ある時、それが反転するように、
彼らの自我が「こんなはずじゃなかった」
と言わんばかりの様相になるのです。
それ以降は、その人が、避けてきた、
あるいは浮上してきていなかった自我の側面が現れて、
それを見たくない人は、古巣に戻って行きます。
自覚的に戻る人はほとんどいなくて、
無自覚に古巣に転げ落ちる場合、本人には自覚がゼロですが、
それまでよりも、格段に「無感覚で鈍感な人間」に落ちてゆきます。
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