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Title
助っ人リンク
2007年3月までは
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読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1355]
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●無明庵日記「猫の足跡=その94=」● 「自分の思考内容をチェックしてみること」■
by:
鈴木崩残
2010/02/08(Mon)19:15:22
思考内容の偏りのチェック
■この話をする前に、まず最初に、
私が物心ついたころから、周囲の人間に、
大きな違和感を持っていたことについて話します。
まず第一に、
一般には、その人間がやってきたことの記憶や現象、
あるいは主に日常的に思考していることと、やっていること、
それがその相手の人間の「個性」と呼ばれています。
しかし私はその部分にはほとんど興味がありませんでした。
私にとって人間とは、原初の意識を今も継続して意識化している者、
これ以外の定義は小さいころには存在しませんでした。
つまり、その人間の記憶とは同化していない意識があるかないか、
それだけが私が相手を人間とみなすかみなさないかの基準でした。
これはもう中学生の初頭からそうでした。
■つまり相手が何をやっていようが、何を言おうが、
何を知っていようが、私には全く無関心。
「その意識」があるのかないのかだけが私には問題でした。
それは今でも同じです。
なぜかというと、それによって、
その人がこの世界という夢の中に夢遊病のように存在しているのか、
それとも、ある程度の距離をもってこの世界と関わっているのかが
明確に分かれるからです。
私にとっては、思考しかしていない人間、知覚しかしていない人間とは、
会話する意味すらないのです。
●ところで、ではその問題の意識とは何かという定義ですが、
通常、人間は毎日、毎瞬、毎朝、
自分が誰で、何をこれからすべきかという記憶を再生し、
それに必要な思考をし続ける、
ということで毎日の「自己同化」を安定させています。
簡単にいえば、自分が感ずるところのパーソナリティーに
一貫性を持たせているわけです。
もうひとつは、毎朝、同じ部屋の風景を見ること、
同じ通勤路を見ること、こうした知覚内容の安定によって
人は、自分がどこにいて、何をしているのかという「思い込み」を
安定させています。
●この知覚内容と思考内容、
それが、通常は、人間一人の世界のすべてだと言っても過言ではありません。
たとえば、あなたがもしも、1分おきに、
地球上の全く違う場所に、テレポートを繰り返すといった事態になったらば、
最初は頭が狂うかと思うでしょうが、
いずれあなたは、それに対して意味づけをして、
自分の思考を一環させることで、適応してゆきます。
つまりは考え方次第でそうした状況にも慣れてしまうわけです。
次に、外界の知覚はいつもと変わらないのに、
思考内容がめまぐるしく変化し続ける場合、
この場合のほうが、本人にとっての混乱は大きくなります。
しかし、幸いに、いつもと同じ部屋などを見ているので、
知覚内容が安定しているので、その分、精神安定の手がかりはあります。
●ところが、もしも知覚内容も変化しつづけ、
主観的な思考も変化し続けるといった状態になったらば、
あなたは、一環した自分という感覚を維持することは不可能になります。
自分が誰で、何をしたのか、何をしているのか、何をすべきなのか、
どこにいるのか、自分が何者なのかすら、まったくわからなくなるはずです。
●ところが、こうした知覚内容の変化と感覚内容の変化とは関係のない
視点を通常は持っています。
それが意識という視点です。
これは思考内容や感覚とは距離を持って保存されています。
ただしこれ自体は悟りでもなんでもなくて、
単なる主体意識にすぎません。
簡単に言ってしまうと、ある人間から記憶と思考と感覚をすべて
排除しても、この主体意識だけは残るということです。
主体意識とは、
「今、私には、意識がある、と意識している」という意識のことです。
●ほとんどの人たちは、日々感じている外界の感覚情報と、
本人がループし続けている、同じような考えの思考だけで生きていますが、
幸いにして、私は、この意識の部分をまだ失っていない人たちに、
若いころから、会ってきました。
数は決して多くありませんが、
それでも今知っているそのタイプの知人たちよりは
はるかに多かったです。
その人たちとは原初的な意識のレベルで話をしたり、
何かを伝えることが出来ますので、
私にとっては当たり前の安心感がありました。
●一方で、世界を見回すと、
こいつら、毎日毎日、(それがどんなに精神世界的なことでも、
あるいは、下劣なことであっても、どっちも思考にすぎない
という点では、同じことで、)
毎日、毎日も、同じことばかり考え続けて、
毎日、毎日、同じものしか見ていなくて、
どこもかしこも、
本当に、つまらない人たちだ、と小さいころから思っていました。
とりわけ、特につまらないのが宗教や精神世界にかぶれた人間、
または昔だと、宗教でなくても、変な思想にかぶれた人たちでした。
当時は、左翼的思想や右翼的な思想のほか、
くっだらない、ミュージシャンかぶれとか、
とにかく、変に物事を熱く語る人たちとか、
現代ですと、逆に、変に物事をさめたフリしか出来ない人たちとかです。
●それならばまだしも思想を持たない、感覚的な人間のほうが、
変化があってマシともいえましたが、
それはそれで、単なる阿呆でしたので、結局、私は、
「思考と感覚情報だけ」で毎日を過ごしている人たちとは、
折り合いがつかなかったのです。
むろん霊感など論外です。
それは、「面倒な感覚」がひとつ増えるだけのことですから。
またそれに伴う、「余計な思考材料」も増えるだけです。
●私にとって重要だったのは、
「いつもいつも同じことばかり言いやがって、
そういう思考でない、あんたは、誰なのか?」
「今知覚している感覚全部をどけたら、あんた、誰なんだよ?」
ということ「だけ」でした。
●さてここで話は、具体的なことに。
【メモ帳を持ち歩きなさい】
毎日、毎日、あなたはたいして変化のない思考をあきもせずに
続けているわけですが、
一年ぐらい、次のようなことを続けてみてください。
私はこれ、高校生のときから、ずっと何年もやりました。
■当時は大学ノートというのがありましたが、
携帯するには邪魔でしょうから、もっと小さなメモ帳を用意してください。
やることは、ものすごく簡単なことです。
■自分の頭に浮かぶ思考とあなたの間に完全な距離を作るために、
自分がふと思ったことを全部、メモに書き込み、
「正」という字を書き込みます。
細かい内容は書かなくていいですから、
思考のタイトルだけ書きます。
たとえば一例として次のようなメモになります。
「お金の心配」正ー
「恋人のこと」正丁
「上司が憎い」正
「親がウザイ」ー
「今夜、何を食べようか」丁
「あの無明庵の投稿気になるなー」正
●昔から日本人は、「正」という字を数を記録する記号にしますが、
こうやって、あなたがある特定のことについて思考する
その「タイトル」と「回数」を記録してください。
実際の項目はもっとも何十にもなるでしょう。
■しかし、一日の間、ずっとこれをやってみると、
あなたの頭の中にある「関心の対象」というのは、
たいした変化もなく、同じところをぐるぐるしているだけだ
ということが分かります。
それ自体はよくも悪くもありません。
この自己観察の作業で重要なのは、
あなたがあなたの思考内容に直面と直視をすることであって、
思考の内容を評価をすることは全く必要ありません。
思考内容について、良いとか悪いということをやってはいけません。
またその思考を発展させたり、新しい思考をすることではありません。
また思考の原因は分析しなくていいです。
「現状認識のみ」が、この作業では最も重要なことです。
どんなに書くのを躊躇するような思考内容であっても
そのタイトルを書き続け、カウントしつづけて、
その記録をメモ帳に書きつづけてください。
■これをやる期間は、あなたは比較的「行動主義」ではなくなると
思います。
思考するよりも、思考を観察する方に力点が来るので、
結果として、口数や行動内容は減る傾向になると思います。
●仕事や家事のあいだ中、これをすることは不可能ですが、
電車の中や、自宅で「時間が空いたとき」に、
あなたが、どういう内容や対象について、まっさきに思考し、
何度、「そのテーマの思考」をしているのか、それを記録するのみです。
これを根気よく続けること。
■たとえ何度も同じテーマの思考が出てきても、
メモは、「一日単位」で、書きます。
それを、週に一度か、月に一度は集計してみて、
棒グラフか円グラフにして、自分の「思考図」を作るともっと良いです。
●こういうシンプルな方法以外には、
毎日毎日、思考内容に振り回されて、
それだけに汚染されてしまった
皆さんの主体を助け出す「きっかけ」となる方法はありません。
ただし、希釈自我を持ってしまっている人に、
この方法が通用するかどうかとなると、あまり期待できませんが。
■あなたが、静かに座った「ふり」の「ポーズ」だけして、
瞑想ごっこなどやっていたところで、
あるいは、カルト信者のような、馬鹿な修行ごっこを繰り返したところで、
あるいは座禅しているポーズだけして、眠りこけたり、
または、頭の中がごちゃごちゃになっていたり、
または、いっとき静かになったような気分を味わったところで、
そんなものは、全くの時間の無駄です。
そんなことを何年続けたところで、
あなたは、ひとつも、自己同化している思考内容から、
距離をもった意識に戻る事など出来ないのですから。
■まずこの意識完全に対象物と分離するということが
出来もしない人たちに、
主体意識を、自分でわざと完全に忘却するなどという芸当など
出来るわけもありません。
また悟りということに関して定義すれば、それは、
「意識という主体を意識している意識」から、
意識それ自体への逆行現象ですから、
まずは、その「つなぎの部分」となる、主体意識を思い出さねば、
どうにもなりません。
そのためには、
徹底的に思考と主体意識の間に、距離を持ち続けることです。
そのためには、
座禅や瞑想ごっこのふりなどしているよりも、
日々、自分の頭の中に停滞している思考の「タイトル」と「回数」を
書き出しつづけることです。
半年から一年もやれば、結果はおのずと出ます。
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