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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1367]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その-106」●「異常環境で育てば、異常に気づかない」
by:
鈴木崩残
2010/03/24(Wed)03:42:42
おたより
>松の間掲示板にも、少し、世間話を書きましたので、
>ご参照ください。
さて、以下は、少し長いメールでしたが、
コメントできるところだけ抜粋しました。
>>禅書道日記104の自我の話ですが、
>>私は自我がどういうものがよく分かりませんが、
>>この言葉↓が気になりました。
****************
>全自我の人が、きちんと相手に向き合っても、
>四分の一自我の人からは、
>たったの四分の一しか、反応が返ってきません。
>なにしろ、あとの四分の三は、そこにいないのですから。
>だから、私は希釈自我の人たちには、
>常に、その人の全部がそこにいるという存在感を感じません。
****************
>>いない人間に語りかけても返事がないのは当たり前なんですね。
>>ゾンビは自分の問題すらも他人事で、いい加減で、
>>嘘つきで、恩着せがましくて卑怯なのかと思いました。
>>「無心の禅書」のDVDの「10巻」によると、
>>ゾンビは希釈自我ですから、全部いないんですよね?
●いえ、全部ではなく、
たとえばゾンビ化していると断定できるのは
八分の一自我の人間ですが、
その場合には、本来の8分の1しか、
その人は、そこにいないということです。
では「いない」、ということは、何を意味するかといいますと、
残る8分の7に対して「管理」が全くできないということです。
これは4分の1自我や2分の1自我でも起きています。
たとえば人間として四分の一だから、手足が1本ないで生まれるとか、
脳障害を持って生まれるとかそういう表面的なことではなくて、
感情や意識や身体の何かをコントロールできない、管理できない、
何かあってもそれに気づけないという「自己管理能力の欠如」として
希釈自我の人の言動は現れます。
>>不思議なのは、ゾンビは一人前に困れないのに、
>>不平不満だけは(一人前以上に)言いますね。
●そういうことです。
ゾンビの最大の特徴は、困ることすら出来ないほど鈍感になっている
ということです。
ただしそれは、
トラブルに対して怒るとか困ることが出来ないということではありません。
ゾンビだって、しょっちゅう、実にくだらないことで悩んで
クヨクヨしているのですから。
そうではなくて、「自己管理」するということにおいて、
きちんと「自分自身の問題で」困ったり出来ないということです。
ですから、ゾンビでない人(二分の一自我以上、場合によっては四分の一以上)
から見れば、明らかに修正が必要な当たり前のことに気づけないのです。
>>youtubeでブリジットちゃんと博士君専用のチャンネルを作ってもいいくらいですよね。
あ、そこまではするほど素材としての動画がそんなにないので、
また手裏剣とかマジックの動画に
ちょい出しで、猫の様子を入れておきます。
*******************************
さて、本題です。
あなたは、この世界の、
「何が」変だと思っていますか?
●無明庵というところの論理、論調に対して、ネガティヴと感じてしまう人は、
いまどき、ほとんどいないと思いますが、
まだ時代遅れの人たちには、そうした認識しか出来ないと思います。
彼らには、ネガティヴと「現実主義」の違いが分からないからです。
私は無駄にポジティヴであったり、根拠もなく理想を持ったり、
根拠も曖昧なままで、生の目的を設定するということをしません。
なんとなく教育された、思想、宗教、人間性というこれまた一種の
宗教、こうしたものを一度チャラにして物事を見ます。
ですから、何か人生に意味があると勝手に頭ごなし想定して、
人間を勝手に、何か生きる価値のある生物だと、希望的な観測をもって、
世界を見るのとは全く異なり、
まず、現状を現実的に観て、
率直に「違和感」を感じるものの、その因子を突き止めて、
その現実がどれだけ絶望的なものであっても、
そこからアクションや思考を起こすことしか私はしません。
思い込みで「道楽」や「楽しみ」に出来るほど、この世界は、
私たちの意識と同期などしていないからです。
(過去にはそういう時代があったとしても現在は違います。
いわゆる、意識と世界の同期を取ろうとする魔術は、
ある意味では、時代遅れともいえますし、
仮にそれをする場合には、
過ぎし良き古き時代とは、全く違う方法を取る必要があるように
私には思えてなりません。)
●さて、たとえば、
私のことをどれだけ嫌いな人間がいたとしても、
あるいは無明庵の思考法とどれだけ対立する人がいたとしても、
その人たちとさえ、私の間には、唯一共通の認識があります。
それは、「この世界は何かがおかしい」という認識です。
もしも、この世界に別に間違いはないと言うような偽善者がいたとしたら、
それは、どこかの本にかぶれて、脳みそが腐っているか、
悟った人間の言動の猿真似をしているだけのことです。
悟った人間ですらも、間違いが見出せないのは、
あくまでもそれは
「本人の意識の内部に、もはや何も問題や苦を見出せない」のであって、
依然として、外側の世界はそのまま狂った状態にあることぐらいは
とうぜん認識しています。
●一方で、この世界に住む70億の人々、希釈自我やゾンビをふくむ
すべての人間ですらも、
この世界を「何か、どこかおかしい」と感じていることでしょう。
その何がどうおかしいのかという根拠については、
かなりの個人差があります。
子供のころに家庭や学校でいじめられて、世界を変だと思ったり、
または社会に出てから変であると思ったり、
ある年齢やきっかけが起きるまでは、
何かがおかしいと思いもしなかった人もいるでしょうし、
具体的に自分の家族や自分が病気になったり、死んだり、
または、周囲で事件があったり、何かの被害者になったり、
とにかく、平穏な精神状態として想定されている人間の生活に
何か「違和感」や「嫌悪感」を感じることを繰り返すうちに、
誰もがこの世界をおかしいと感じはじめます。
●おそらくはこの世界の95%の人たちは間違いなく、
この世界を絶対的に正しいとは思っていないはずです。
何しろ、ユダ菌の馬鹿どもや、カルト教団すらも、
この世界を変えなくてはならないと
彼らの勝手な妄想で、思っているのですから。
つまりは、「この世界は変である。あるべき状態にない」ということでは、
唯一、どんな愚かな人たちとすら、私は共通の認識を持っています。
●ただし、実際には、何が変であり、
どうして変になったのか、
何を修正すればマシになるのか、
という問題になったときに、
まったく話の次元が、私と彼らとでは違ってきます。
たとえば、この世界から戦争がなくなったら、マシだと本気で
思うでしょうか?
そんなことはあり得ません。
なにしろ、本体の人間が変わらないのですから、
形を変えて別のことが起きます。
ではこの世界の人たちが、みんなあなたに優しくでもしたら、
問題が解決でもすると本気で思いますか?
とんでもない妄想です。
なにしろ、本体が変わっていないのですから、
形をかえてトラブル、つまり不快感の原因は、必ず起きます。
縄文時代に戻ったとしても、心理的に必ず不幸を感じることでは、
何も変わりません。
この世界から、近代の戦争を起こしたユダ菌を皆殺しにしたら、
マシな世の中になるとでも思いますか?
とんでもない妄想です。
実際ユダ菌は、あと30年と少しすれば、
他ならぬ人間の手によって、一人残らず抹殺されるでしようし、
確かにそれによって戦争はしなくなりましたが、
現在よりももっと不自由な、管理社会が出来ただけです。
>これについては、無明庵発行のCD本
>「宗教に汚染された地球人」を参照。
●さて、私たちが人間以外のほかの生物と接するとき、
私たちは、特定の生物を勝手に「未発達」とか「原始的生物」などと
呼ぶことがあります。
虫けらども、といったり、鬼畜といったりするように、
あきらかに、人間は他の生物を人間よりも下に見ています。
実際にはそんなことは全くないのですが、
ここで100歩人間に譲って、人間から見た特定の生物を
「未発達」だと仮定してみます。
しかし、特定の生物が何かにおいて未発達であることと、
「退化」とはまったく違います。
●実際、私たちが、小さいものでは、ウイルス、
大きなものでは象や鯨などの、他の生物と接する場合には、
彼らの中に、私たちは決して「歪み」を見ることは出来ません。
「結果」としては、彼らが私たちを襲う猛獣であったり、
病原菌ではあるかもしれませんが、
特別に、敵対関係にあるわけでもなく、
私たちが彼らを敵視する理由もありません。
つまり他の生物に対しては、人間は、たとえゴキブリに対してさえも、
少なくとも、何かがおかしいなどという、
「歪み」は感じないということです。
彼らと家の中で共存すれば、衛生面や心理的嫌悪感などの問題は起きますが、
自然の中で、違うエリアで生活するぶんには、問題はありません。
●さて、ここで、未発達と退化ということの違いを認識しておく必要があります。
私の観察では、人間を除くどんな生物も、
生物としての形状や、あるいは何かの機能が未発達だったとしても、
それは「退化」とは見えません。
もしも「未発達」などといったらですよ、
人間は、犬よりも遥かに鼻も耳も鈍感で、
特定の能力においては昆虫よりも劣るものです。
視聴覚においては、おそらく他のほとんどの生物に劣っていますし、
空を飛べないという点では、スズメにも劣る生物です。
●人間において私が観察した問題は、
人間が「未発達」なのではなくて、「退化した」という点です。
そして、それに対して私は、嫌悪感を感じるということです。
まるでそれは、ずっと傾いた絵の額縁を見ているように、
気持ち悪いだけです。
つまり人間は、心身が「まだ今は、未発達」であるが、
「しかし、これからは時間をかけて、その霊性も進化するものだ」
という妄想で癒せるほど、楽観的なものではなくて、
実際には、
坂を転げ落ちるように「退化しまくっている」という事です。
では、どこを退化していないのかという基準を設けようとすると、
「私の個人的な基準」では、シュメール文明が消えた時点からです。
●地球という惑星の、それも人類(ヒューマノイド)に属する生物の
長い歴史の中で見れば、
この現在の地球人に起きている問題などというものは、
ほんのここ5000年とかその程度のものに過ぎません。
もっと長いスパンで見れば、今よりもマトモだった時代は沢山あります。
修復不可能なほどの退化
●さて、ここでまた主題に戻しますが、
この世界のほぼ全員がこの世界の何かがおかしいと感じるという場合には、
当然のこととして、
無意識の中では、「何が正常な状態であるか」ということを
どこかで知っていなければなりません。
それなしには相対的に、違和感など感じないからです。
●実際には、狂っているのは地球だけではなく、
全宇宙それ自体が、「無秩序に狂ったまま」なのですが、
その話を、くどくどと、しますと、
せっかく、夢や希望を持って、
「死ねばなんとかなる」
「他の星ならなんとかなる」
「高次な霊界ならなんとかなる」と、妄想している人たちの夢を
壊すことになりますし、
「人間が生まれたには、
何かを学習したり、魂が進歩する目的があるに違いない!」
とか、全く客観性に欠ける妄想を今もなお、飽きずにしている人たちの
生きる希望を削ぐことになるので、ここではやめておいて、
地球という、ちっぽけな、このほとんど無価値な惑星上の、
ほとんど無価値な人類にだけ話を絞ります。
*********
●一体、この惑星では、どこから何が狂ったのか、
そのことの調査は、ここに生まれた私個人にとっては、
他のテーマと並んで、主要な調査テーマの一つでした。
ところで、地球史上、最もひどい分割自我が行われた、
16世紀、17世紀ごろのその前はマトモだったのかというと、
希釈自我がそれほど蔓延していなかったもっと前の時代から、
既に人類は、かなり「おかしな経験」をしていました。
●ここで、話は突然にぶっ飛びますが、
皆さんは、病気になったり、老いたり、死ぬことを
当たり前のことだと思っていますよね?
でも、実際には、全然そんなもの、自然ではないのです。
宇宙で唯一絶対的に存在する「自然現象」というのは、
「新陳代謝の法則」のみです。
つまり、「飢える、何かを食う、消化する、排泄する」これだけは、
宇宙の全次元に、唯一共通する法則です。
単に食っているものが、物質かそうでないかの違いだけであり、
どこの次元に生まれても、「飢え」だけは生じます。
●しかし、病気、老い、死(恐怖を伴う死)、
これは自然ではありません。
第一、ここに生まれた人間のほとんど全員が、
極端に、元をたどれば、
そんなものを経験し得ない次元から、生まれてきたからです。
つまり、そもそも病気をするなんて、おかしなことなのですし、
老いて死ぬ必要もなく、
ある耐久年数がきたら、単に壊れればいいだけです。
老化を引き起こす遺伝子が発見されているように、
実は老化そのものが意図的に組み込まれたプログラムです。
ただし、そのプログラマーには悪意があったとも考えられます。
また、よく何度も私が言ってきたことですが、
そもそも嘘をつくなどということが通用するのはこの世界だけです。
よく見てみればいいです。
動物相手にすら人間は嘘などつけないのですから。
そもそも、嘘をつくことなどに、全く意味のない世界
(つまりは意志の疎通にそれほど問題のない世界)から
皆さんそのものがここへ来たのですから。
●そういうわけですから、
そもそも、この地球で、具体的に皆さんが感じる、
心理的苦痛、疎外感、犯罪被害、社会問題、誤解、病苦、老い、などは、
そもそもそれを今経験している事それ自体が「異常事態」なのです。
●しかし、監獄の中で生まれて監獄で育てば、
そこでの生活習慣を当たり前だと思ってしまうのが人間の性です。
江戸時代に生まれればそこが当たり前になり、
縄文時代に生まれれば、そこが当たり前になり、
2100年に生まれれば、そこが当たり前になります。
実際には、これらのどの時代も、ちっとも当たり前などではなく
明確に、充分すぎるほど「異常」なのですが、
それでも人間というのは、
「現在経験している現実」だけを現実と誤認する癖を持っています。
******************
●さて、そろそろ、今回は、この話をやめたいので、
無理やり結論しておきますが、
私はこの地球で起きた最大の悲劇としての「ゆがみ」と「退化」は、
分割自我という行為だったと見ています。
それさえなければ、よちよちした歩みであっても、
人類は明確な全自我をもって、
ここでの経験を満喫できたでしょうし、
仮に意見対立から争ったとしても、
最低限の礼節や、節度ある調停が可能だったはずです。
もしこの世界が希釈されていない人間だけの世界であったと仮定したら、
現在地球で起きている問題の大半は、存在していません。
●だから、兵器や武器を根絶したり、ユダ菌など、抹殺しても何も変わりません。
また、人間の心などは、どう教育しても、
教育を受け取る側の人間の自我が、
希釈されてしまった劣化した乗り物では
それは、使い物になりません。
●つまり、唯一地球の人類の質を、これ以上の退化をとめて、
元々そうであった形に戻すには、
勝手に地球人に対して、なされている、
分割自我という違法商売を禁止するか、停止させ、
次に、現在希釈された人たちを全員、「原型」に戻す必要があります。
その結果として、
人口はおそらく現在の20分の1以下にまでなるかもしれませんが、
それでこそ初めて、一人当たりが経験できる自我経験が、
「正常値」に戻ります。
●ただし、何度もいいますように、
全自我であるということは、
何も善良な善人になることでもなく、
行儀の良い羊になることでもなく、
いわんや、悟り人になる、などということでも全くありません。
確かに自我は、悟りに至る「前段階」として、「仮に位置づけた場合」には、
必要となる、重要な経験ですが、
何も悟るのが、ここの人間の目的ではありません。
■宇宙や各惑星に固有の事情というものを、何も知らずに、
そのような、無責任な嘘をいう者がこの世界には氾濫していますが、
全くの嘘です。
少し前に「100回目の日記」で、
大悟するための「5つの絶対条件」を書きましたが、
あれらを揃えるようにこの世界が構成されたり、誘導されている形跡が
ないことからも、私はそのことを断言できます。
つまり地球は、悟るために整備された惑星では絶対にない、
ということです。
●さて、もともと、私たちには、自我というものがなかったのに、
あえて、その自我を経験する事を選択したということは、
最低限、ここで経験したものを、本人が残らず受け取れるということ、
つまりは「そこに確実に全的に存在している者」として、
自己管理できていること、それが全自我の性質です。
この全自我の状態に地球人を戻さないかぎりは、
社会的に、何をしても無駄ですし、
個人のレベルでも、どんな瞑想や、座禅や、祈りや、
神秘主義的な技法・魔術を行っても
そのほとんどが無駄になります。
平安な日々などは、たったの一日たりとも人類には訪れません。
●しかし、残念ながら、
数百年先の未来においても、自我のシステムが、きちんと修復された形跡は
私は発見できませんでした。
この惑星の生物の製造や、売買に関係した(人間ではない)者たちの
誰一人として、この星の抱えた問題をきちんと管理しなかったために、
希釈自我の人類は、未来の地球にも存在しています。
その人類そのものが一人残らず、完全にいなくなる、あの日までは。
______________________________
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