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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1372]
■
●希釈自我●無明庵日記「猫の足跡=その111=」
by:
鈴木崩残
2010/04/06(Tue)06:09:27
【名称を変更】
●「禅書道日記ではない日記」というのは、いかにも、やる気がない
といいますか、どうでもいい感じ過ぎたので、
追々、過去ログの日記のタイトルも「無明庵日記」と変えておきます。
そのほうが、書籍などを通じて、無明庵を知った人たちが
見つけやすいでしょうから。
●竹の間をご覧のように書き込みを中止しましたし、
もともと、竹の間だけに膨大にログが溜まったので、バランスが悪い
ということもありました。
松の間は、手裏剣が主なテーマですので、あまりのびのびとは
かけませんので、梅の間で今は書いています。
しかし禅書道日記の合間に精神世界の話題が挟まるという
ちょっと窮屈な感じでしたので、
とりあえずは、タイトルで区分しておくことにしました。
気のきいたタイトルも思いつきませんでしたので、
>●無明庵日記「猫の足跡=そのnn=」
とかに、しておきます。
********* ********* *********
で、つらつらと、独り言ですが、
最初の話は、やはり「希釈自我」の問題です。
そもそも、ひとつの家族の中であれ、村であれ、国であれ、
何かの問題が起きた場合に、
結果として、それが正常に解決をみて、みんなが喜んだ、
などという成功経験が、一体どれぐらい、この地球にはあるだろうか?
たしかにそれが存在した時代はあった。
昔は良かったなー、と人が言うときには、
実は昔のその環境とか社会が良かったという意味ではなくて、
私に言わせれば、やはりそもそもの人間の質が違っていたことが、
まがりなりにも、問題を解決できた原因です。
そして人間の質を決めるのは、
実は、教育でもなく、環境でもなく、社会でもなく、
情報や知識でもなく、精神的教育ですらなくて、
「質を決めるのは、質」、つまり
「そもそもの、質」が決定的な原因です。
●このように、
もう、なんでもかんでも「自我が分割されたせいにする」
という事を乱暴な定義だと考えそうな人は世の中に多いでしょうし、
そもそも、分割自我などという現象が起きていることすら
認識も出来ない人がほとんどです。
しかしこういうことはよくあることです。
たとえば、このテレビ、なんで映らないのよ?
どうしてこのパソコン、急に落ちたんだ、ウィルスにやられたか?
とか思っていたら、
なんのことはない、電源が外れていた、というようなものです。
一見すると、とんでもなく難解で、複雑な事故や故障に見えることも、
場合によっては、実に初歩的なミスだったりします。
●分割自我という概念を全く扱わないで、
この世の中を見てしまった場合の、最も初歩的なミスは、
何かの問題が起きたときに、
他者に、「言えば分かる、説明すれば分かる、今は分からなくとも、
教育や、矯正によってなんとかなる」と思い込むことです。
おそらくは、精神医学の分野でも、
確かに、過去には、初歩的なカウンセリングという手法ですらも
大きな効果のあった時期も(短い期間でも)あると思います。
しかし前提として、「一個の自我を持つ人格」とか「人は平等」という
ものを持ち込んでいたら、どんな体系も目測を誤ります。
●既に前にも言いましたように、
電圧が本来の性能を機能させるレベルに達していない、
ということになれば、「平等」とか「可能性は誰にでもある」という
前提そのものが完全に崩壊しているからです。
●そうはいっても、「単なる分割自我による弊害」という視点で、
地球で起きたことを見られるようになるまでは、
私自身、約半世紀もの時間がかかってしまいました。
それまでは、現在のような人間の精神状態に至った原因を
具体的な原因として、いろいろなものの中に探してみました。
しかし本来ならば効果が絶対にある筈の手法や体系が、
ほとんど効果を現さないという疑問は、ずっと以前からありました。
ただし、その理由が分からない時期が私にも長く続きました。
「死人禅の行法」にしても、あれほどに、一切の無駄なく、
効果も絶大なはずのものが、効かない人が多くいて、
機能不全家族の問題にしても、セックスの問題にしても、
目の前に「確実な解決法がある」というのに、
それを出来ない人たちがいる。
何が問題なのかといろいろと再検討しましたが、
無明庵だけではなく、別の古今の体系を見ても、
それらの手法それ自体にさほど大きなミスが発見できなかったわけですから、
問題は、被験者、または実践者の側にあったということになります。
●しかし、では、私自身は、半世紀の間に、
一体何人の「全自我」の人たちと出会ったのか?を思い出そうとすると、
これが絶望的なほど少ないことが分かりました。
当時は、そうした基準の目では他人を見ていませんでしたから、
主に、相手の個性や、主張や、性格のよしあしによって、
他者を区分整理していたのですが、
小学校のときから思い起こしても、
破損のない「全自我」の知人や大人は、どこにいたのか?
と、今から思い出そうとすると、これが私が幼少期や、
学生時代を生きた時代にすら、極く僅かでした。
それも当たり前ですよね、私が子供だった時代は15世紀以前ではなくて、
もう1960年代だったのですから。
____________________________
●全自我とそうでない人の識別というのは、
私個人の中では確立されているのですが、
他者にそれを説明するのは少し困難です。
特にそれを聞くのが、希釈自我の人間だった場合には、
勝手な誤解をする場合がかなりあるからです。
●基本的に、「全自我」の人たちというのは、
徹底した個人主義です。
他人のことにかまけているよりも、自分の楽しさのみを追求する
というタイプです。
ただしそのために他者に迷惑をかける、いわゆるエゴや利己主義の
ゾンビとは全く異なります。
●もしもこの世界が全員全自我だったら、そもそも村単位の戦争すら
起き得ないと、私がいう根拠は次の通りです。
全自我の人たちというのは、よっぽどの危害を相手からこうむらない
かぎりは、他者を殺してまで生き延びようとはしませんし、
それ以前に、そんな「暇」がないのです。
自分のことにかまけているので精一杯であるので、
他人の幸・不幸などに、関心すら向きません(研究目的以外では)
●利己主義ではなく、個人主義というわけです。
ただし、希釈自我の人たちと決定的に違うのは、
自己以外のいかなるものも、価値観として迎合できない、
という自我そのものが本来持つ宿命を、ずっと背負っているということです。
従って、全自我の人の意識には、その誕生の最初から、
神仏への依存など存在しません。
(異次元的な存在に対する、友達感覚はあるかもしれませんが)
また、自己が生きるか死ぬかの決定や、生きるモチベーションを
常に「自家発電」し続けなければならないという、
かなり、しんどい人生を送ることになります。
よくも悪くも、自分がやったことの100%が本人に帰ってきます。
だから、全自我の人でないとそもそもカルマとかいう言葉すら
使ってはならないのですが、
世間を見ると、それを言うのはほとんど希釈自我の人たちです。
単なる「責任転嫁」や「カルマのせい」で片付けたいという
無知な人たちの言うお題目として悪用されているのみです。
●一方で全自我の人にとっては、
本当に、思考、感情、身体行為のすべてが本人に還元されるために、
「いつも個である」という感覚の充実が明確にそこにはあります。
ただし個の感覚の充実とは、絶対的な孤立、離島として
この世界に存在するに等しいものですから、
彼らは決して群れません。
チームというのを意図的に組むことはあっても、
思想的迎合ということを決して出来ません。
●たとえばという一例ですが、
全自我の人たちで、
「人間は結局は悟ればいいんだ」などと考える者は、
ただの一人もいませんし、過去にもただの一人も存在しませんでした。
そうした「他人からの借り物の知識や言葉や目的」といったものは、
全自我の人たちにとっては、事の最初から、論外なのです。
そうしたことを目的として生きた全自我の人など、
一人もいません。
それでも悟ったと称する、たとえば、禅僧などは、
そのほとんどが、出発点そのものが希釈自我から始まっています。
前に言いましたが、希釈自我は、大悟は不可能です。
よって、くだらない価値観が残っていますので、
人間悟れば万事解決だとか、吼えている現代の禅坊主がいたとしたら、
100歩譲って、彼らが「小悟」していたとしても、
そこでどん詰まりの、行き止まりですし、
そもそも全自我ではない魂なので、人間としてもいびつで、
一言にいうと、彼らは「人としての魅力」がありません。
希釈自我の人たちや、素人ですら、彼らの欠陥が見抜けるはずです。
●全自我の人たちは、自我を喪失するような道を安易には決して
口にしませんから、
瞑想や座禅やらかしているような団体の代表者や、そういうところには
全自我の人はいないと断定して構いません。
むしろ、どうやってせっかくの自我を燃焼するか、
全的に自我で在るか、ということを全自我の人は主軸としています。
●そういう意味では、
これを過去にやろうとしたのが、グルジェフです。
そもそも、全自我でない人間が、そこかしこに存在するということを
彼は認識していましたから、
無我がどうのこうの言う前に、人を一人前にしようとしたのが
彼の主たる作業でした。
むろん、効果は、全くありませんでした。
なにしろ、既に希釈自我の時代でしたから。
次に同じ路線で、自我を復元しようとしたものの、
本人が、無我に「片足」を突っ込んでしまっていたので、
論点が曖昧になってしまって、自滅したのが、
クリシュナムルティーです。
彼の言う「何も信じるな」は、自我の視点から言えば
全くの真実ですが、
それが出来得るのも、また、全自我の人たちだけですから、
結局は、無駄なことを言い続けたことになります。
最後に和尚。
こいつは、とんだ「詐欺師」の落語家です。
実際、悟っていましたし、言っていることは、ごもっともですが、
肝心の弟子のレベルの区分が、計算に入っていない。
そこで、第三期のプーナでは、
「その自我の基礎」から鍛えなおそうとしたものの、
彼がそもそも、その道のプロではなかったために、大失敗に終わる。
しかも時期も手遅れで、その上、そもそも基礎づくりという担当を
彼は、広報活動のコンテンツとしては全く予定していなかった。
つまりは悟りの意識を見せびらかすのが、彼の役目であったので、
正しい定義上の導師には、生まれたその最初から、なりえなかったわけです。
●自我が希釈されてしまうと、
本来、あるべき悟りの意識の種子すらも、
今では、欠陥品としてのものなので、
1000年前なら通用した技法や精神法則も今日では通用しない、
ということを、うすうす感じていた人たちはいたと思いますが、
おそらくは、それを「明確に」意識して対応したのは、グルジェフだけです。
もともと彼の中には、意識というものの階層構造に対する区分が
出来ていましたから、それが可能だったのですが、
結果としては、実り少ない徒労が多かったと思います。
彼が知っていたのは、「悟りなんかの為に何かやる前に、
することがあるだろうよ、あんたたち」
という事実だったのですが、
さりとて現代の人たちが、彼を追っても、決してそれは
実現できません。
なにしろ、彼のいた時代にすら、ほとんど失敗したのですから。
ウスペンスキーは、やっぱり、どう転んでも、
「薄ペンスキー」な自我だった、というだけの事です。
●こういうわけですから、
根本的に、全自我でなければ、社会的な改善も、
精神的な正常化も不可能です。
どんなに正しい情報を与えたり、どんな組織を組んだところで、
大半の人たちが、欠陥製品のような状態ですから、
何を広めても、「元来あるべきだった機能」が正しく作動しません。
●ということで、陰謀論を吹聴して、何かを敵に回したり、
戦って勝ったとしても、
その「滑稽な暇つぶし」を意識的に楽しむ分には構いませんが、
本気で世界など変えようとしても、
全くの無駄であると私は断定します。
よって、修復するとしたら、人間以外の者の手によって、
人間の自我を、初期設定の「出荷時と同じ全自我」に修復するしかありません。
これが私の、今回の半世紀の生の中で、人間観察を経た結論です。
仮に、全自我を持つ「まともな指導者」が存在しても、
追従者たちが、希釈自我ですから、すべては徒労で不毛な結果に終わります。
_____________________________
●さて、私は最近、自分の「身の振り方」を考えることが多いのですが、
以前に投稿しましたように、
いつ死んでも周囲の人に迷惑がかからないように、
連絡用の「葉書」も印刷しましたし、
さて、希釈自我を元に戻すことは、
私にとって、命をかけてまでやりたいことなのか?と自問すると、
はっきり言って、関心がないです。
「原因の現状分析」までを、私の受け持った仕事として、
このあとは、それをやりたい者(人間ではありませんが)が、
復元方法を考え出して、やればいいと思います。
私個人は、もともと自我の分割産業には責任もありませんし、
そんなことにかまけているよりも、
世界中にたった一人か二人しかいない、
全自我の人で、しかも自我崩壊の寸前という人にだけ
関わっていたいと思っています。
なにしろその人物には、私は会う必要すらありませんし、
相手には、私自体の存在を全く知られないで良いから楽です。
私が「勝手に手を貸したいと思う人」がその相手なのですから、
誰一人として、当事者の相手も含めて、
私がそうした事をしたことを、何も知らなくて良いです。
一方で、希釈自我の「復元作業」、
そんな「他人の起こした不祥事の尻拭い」をするのは、
そもそも、私の、性分に合わないのです。
◆ちなみに、低電圧、省エネでも全面的に作動する自我、
これを思いつきそうな人は、腐るほどいそうですが、
残念ながら、その設計は不可能です。
その理由は、
自我は単なる電圧ではなくて、特定のパーツを必要とするからです。
割られた「断片」はあくまでも断片でしかあり得ません。
前に言いましたが、希釈自我とは、
ホログラムのような情報を共有した状態で断片化されているのではなくて、
「複数に引き裂かれた紙の書物」のように、
情報までもが、断片化しているからです。
__________________________
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